黒猫と見えざる射手 5
「・・・というのが、発見した時の状況・・・になります」
生々しく漂ってくる死の匂いに、込み上げてくるものを堪えながら・・・
遺体の発見された蒼空の間に集まった親族の皆様にこの状況を説明した。
この遺体はやはりエリック様本人で間違いない、そこは親族の皆様、間違える筈もない。
明かりの灯された室内で改めて見ると、遺体の胸部には刺し傷・・・心臓をひと突きにされている。
傍にはこの家の紋章入りの短剣が転がっており、エリック様はこの短剣で刺されたものと思われた。
「兄さん・・・どうして、こんな・・・」
悲鳴を聞きつけて真っ先にやって来たのはエドワーズ様だった。
彼に用意された『虹色の羊座の間』が距離的にここから一番近いというのもあるけれど、気の弱い彼はストレスで眠れなかったらしい。
そこへ聞こえてきた悲鳴・・・さぞ驚いた事だろう・・・それでもこの部屋の惨状に比べれば些事たるものではあるけれど。
親族の中ではエリック様と仲が良かった方らしく、兄の死体を前に憔悴しきった表情を浮かべている。
「ソアレさん・・・大丈夫?」
「・・・ありがとうございます」
続いて現れたのはアーステール様。
猫はまだ見つかっていない様子だけど、私達の悲鳴を聞いて駆け付けて来てくれた。
今は心配そうに私の手を握ってくれている・・・おかげで私はなんとか平静を保てる事が出来ていた。
「あらあら・・・ついに事件が起きてしまったのね」
最後にやって来たのはエマリー様。
兄の死体を前にまったく動じる事無く、のんびりと・・・微笑すら浮かべている。
その口ぶりは、まるでエリック様が殺される事を知っていたかのようにも聞こえるけれど・・・
「だいたいの状況はわかったけれど・・・」
私の説明が終わって、最初に口を開いたのもこのエマリー様だった。
「そもそもお姉様はなぜここに?明らかに不自然ではないかしら?こんな夜中にどんなご用があったのかしら?」
エマリー様は興味津々といった様子でエリーザ様を問い詰める。
こんなに喋る人だったのかと驚く程に饒舌に、実の姉へと追及の手を伸ばす。
「エマリー・・・貴女・・・」
「ごめんなさい、決してお姉様を疑っているわけではないの・・・私は、ただ知りたいだけ」
「・・・」
エマリー様はまるで何かに憑りつかれたかのよう。
鬼気迫るその表情に、ぞくりと背筋に冷たいものを感じた。
「・・・いったいこの場所で何が起きたのか、私とても気になるわ・・・気になるのよ」
「エマリー姉さん、それくらいにしてくれないか!・・・兄さんが死んだっていうのに、そんな・・・そんな風に・・・」
「あら・・・ごめんなさいエドワーズ。決してお兄様の死を冒涜するつもりはないの・・・」
エドワーズ様が珍しく大きな声を出した事で、エマリー様も我を取り戻した・・・のだろうか。
しゅんと肩を窄めながらも、何やら期待に満ちたその瞳を見る限りは反省しているようには見えない。
エマリー様はその好奇心を隠そうともせず・・・爛々と双眸を輝かせて再び言い募った。
「そうよ、これはお兄様の為・・・お兄様の無念を晴らす為にも、事実は明らかにしないといけない・・・そうでしょう?」
「う・・・うぅ・・・」
兄エリックの為・・・そう言われて、エドワーズ様の意志がぐらりと揺らぐのが傍目にもよくわかった。
なんだか魔女に誑かされた哀れな子羊に見えて仕方ない。
かくしてエマリー様の思うままに・・・エドワーズ様は長姉の追及に加わった。
「・・・疑うつもりはないけれど、でも確かに兄さんの死と全く関係がないとも思えない・・・エリーザ姉さん、話してくれないか?」
「・・・」
この場の全員の視線がエリーザ様に集まる。
いったいエリーザ様はなぜあの部屋に向かっていたのか・・・それは同行していた私も知らない事。
それに、あの扉の鍵は・・・おそらくは最初から開いて・・・
「・・・わかったわよ、正直に話すわ」
覚悟を決めたのか、エリーザ様はゆっくりと話し始めた。
「食事の後、私の部屋にお兄様が来たの・・・もちろんあの後の事だから相手をする気なんてなかったんだけど・・・」
エリーザ様がお休みになっていた『聖泉の蠍座の間』にエリック様が訪れたのはあの食事のすぐ後の事だった。
喧嘩の余韻が冷めやらないエリーザ様はすぐに追い返そうとしたが、エリック様は頭を下げて謝罪までしたという。
そして『もしも話を聞いてくれる気があるのなら、夜12時に蒼空の間に来てくれ』と言い残して立ち去ったのだとか。
「・・・随分と迷ったのだけど、あのプライドの高いお兄様がそこまでするのだからと・・・話だけ聞いてあげる事にしたのよ。そして行ってみたら・・・」
「行ってみたら・・・蒼空の間に鍵が掛かっていた?」
「そう、それで貴女を探して・・・後は知っての通りよ」
・・・やっぱりここで鍵の事を話した方が良いのかな。
最初からあの鍵が開いていたと考えれば、明らかに怪しいのはエリーザ様だけど・・・
「あ、あの・・・鍵なんですけど・・・」
「部屋の鍵を持っていたのは・・・お兄様と、そこのメイドだけなのよね?」
「は、はい・・・それはそうなんです、けど・・・」
私が話すよりも早く、エマリー様が問いかけてくる。
彼女に睨まれると、まるでその視線に絡めとられたのかのように私の身体がすくんでしまった。
この人、本当に魔女か何かなんじゃないだろうか・・・返答するのも喉が詰まりそうだ。
「あら・・・そうなの?・・・がっかりね」
「が、がっかり?」
エマリー様はその言葉の通り、ひどくがっかりした様子でため息を吐いた。
そしてその次の瞬間、とんでもない事を口にする。
「ええ、せっかくの密室なのに・・・犯人がまだ鍵を持ち歩いているなんて・・・がっかりだわ」
「え・・・」
「せめて失くしたとか、盗まれた事にすれば良かったのに・・・かわいそうに、そこまで頭が回らなかったのね」
「エマリー・・・様?・・・い、いったい何を・・・」
口の中が乾いていく・・・エマリー様が何を言おうとしているのか、おそらく聞くまでもない。
こうしている今もエマリー様はその視線を私に向けたまま、私の一挙手一投足に注意深く、警戒している。
それが意味する事は、間違いなく・・・
「わかるわ、あのお兄様に乱暴されそうになったのよね?・・・それでとっさに短剣を奪って・・・」
「そ、そんな・・・」
その言葉に周囲の私を見る視線に哀れみが混ざる・・・夕食の時のエリック様の行為を思い出したのだろう。
また同じような目に遭った私がとっさに取った反撃・・・それが思わぬ致命傷を与えて・・・
そんな筋書きが出来上がっていく・・・全くあり得ない事だ、とは私自身言い切れない。
でも・・・私は・・・
「私は・・・やってません・・・そんなこと・・・」
掠れそうな喉に力を込めて、言葉を吐き出す。
・・・でもそんな私の言葉は、誰にも届かなかった。
「大丈夫・・・決して悪いようにはしないわ」
「ああ・・・確かに君がやった事は良くない事だけれど・・・兄さんのした事も許されない事だ」
「まぁ当家としても、こんな醜聞は外に出すわけにはいかないもの・・・表向きには事故か何かとして処理させましょう」
「え・・・え・・・」
どうやら、私の罪に温情をかけてくださるという話のようだ。
皆様は私の境遇に対してとても同情的で・・・それは喜ぶべき話なんだろうけど・・・私は、やっていない。
私はやっていないんだ・・・それなのに・・・
「とは言え、何かしらの形で償いはして貰う必要はあるだろう・・・けれど今まで通りの生活は送れるように充分に配慮するつもりだ」
兄に代わる次期当主として自覚が芽生えたのか、エドワード様の表情は少し力強く・・・
「あら、私は無罪で構わないと思うわ・・・むしろ被害者だもの、エドワーズはイマイチ融通が利かないのよね」
エリック様に負けず劣らず厳しい人だと思っていたエリーザ様は意外な程に優しく・・・
「まだ怯えているのね・・・さっきはきつく言ってごめんなさい、怖かったでしょう」
魔女のようだと思ったエマリー様ですらこんなにも・・・このまま何も考えず、その優しさに甘えてしまいたくなる。
けれど・・・私は・・・
私は、やっていない・・・それだけは間違いのない真実。
私が犯人じゃない以上は・・・どこかに『本当の犯人がいる』はず。
それは、この屋敷に忍び込んだ盗賊かも知れない。
あるいは、対立する貴族の放った刺客かも知れない。
そして・・・怯える私を安心させようと優しく微笑むこの3人の誰かかも知れない。
ひょっとしたらアーステール様の可能性さえも・・・いや、それだけはあってほしくない。
他人を疑い始めたらキリがなかった。
誰もが犯人のような気がして・・・でもこの部屋の施錠など、誰かを疑うに足る根拠としては余りにも心許ない。
鍵が開いていた事に気付いたのは私だけ、それを立証する手段もない・・・平民の小娘の言葉など信じて貰えるかどうかすら怪しい。
「どうするにしても今日はもう遅い・・・ソアレの処遇は明日改めて話し合えば良いんじゃないかな?」
「賛成・・・夜更かしはお肌に良くないのよね・・・ふわぁ・・・」
「そう・・・ね・・・私も部屋に戻らせてもらうわ」
エリーザ様の欠伸に釣られてか、エマリー様も小さな欠伸を押し殺しながら蒼空の間を後にした。
エリーザ様もそれに続くように部屋の外へ。
「という訳だから、君も部屋に戻って休みなさい・・・そんな気分にはなれないとしても、ね・・・」
「はい・・・」
念を押すようにそう言い残して、エドワーズ様も退席していった。
広い部屋に残されたのは私と、アーステール様。
彼女は遠巻きに眺めていただけで、先程の親族達の会話には入ってこなかったけれど・・・いったいどう思っているのだろうか。
今の彼女は自室に戻るでもなく、じっと私を見つめていて・・・その灰青の瞳は、まるで鏡のように私の姿を映し出している。
気まずい沈黙が流れていく・・・私が話し掛けるべきだろうか・・・しかし何と話し掛ければ良いのか。
声に出して確かめるのが怖い・・・もしもアーステール様にまで私が犯人だと思われていたら・・・
カリカリカリ…
その音は唐突に・・・
重く静まり返ったこの場に相応しくない、乾いた物音がした。
音の主を探すと、一匹の黒猫がその爪で部屋の壁を引っ搔いていた。
「あ・・・サフィール」
飼い主が反応した・・・そうだ、アーステール様の連れていた猫だ。
いったい今までどこに隠れていたのか、猫は一心不乱に壁に爪を立てて・・・
「いけない!」
貴重な石材に傷がついてしまう・・・慌てて猫を壁から引き剥がす。
意外にも逃げずにおとなしく捕まってくれた黒猫は、にゃぁと力なく鳴き声をあげた・・・かわいい。
壁の方は大丈夫だろうか・・・良かった、青い壁石は思ったよりも丈夫で傷一つなく・・・返り血だけがその表面に赤い線を描いて・・・線?!
「こ、これって・・・」
「にゃあ!」
壁に気を取られた隙をついて、サフィールは私の手を振りほどいて逃げてしまった。
せっかく抱っこ出来たのに・・・毛並みの感触が、温もりがまだこの両手に・・・
いやいや、それよりも今はこの壁だ。
サフィールがあれだけ引っ掻いても傷が付かなかった石壁の中に、真っ直ぐに溝が刻まれていた。
それは普段なら気付かないくらいの細かさで・・・けれど今はそこに返り血が染み込むようにして、くっきりと浮かび上がっていた。
狭い溝の中を伝って赤い線はまっすぐに伸びていく・・・溝は大時計の周りを飾る彫刻の中にまで及んでいた・・・しかしそれが何なのかは皆目見当もつかない。
「そっか・・・これが遺言に隠された・・・」
アーステール様が小さく呟いたのが聞こえた。
旦那様の残した遺言・・・私には知る由もない話だが、旦那様の血が流れるアーステール様はどこかで聞かされていたのかも知れない。
そう言えば、私もごくわずかに・・・夕食の席でエリーザ様が漏らしていた言葉を聞いていた。
あれはたしか・・・
「「『見えざる射手』・・・」」