表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アーステールの猫  作者: 榛名
黒猫と鮮血の絵師
32/32

黒猫と鮮血の絵師 12


客人は、まるで影のように玄関口に佇んでいた。


それはちょうど中天を過ぎて傾いた陽の光の角度のせいでもあり。

彼女が全身に纏った漆黒の衣服のせいでもある。

近付いて来る私達に気付いた彼女は、薄っすらと笑みを浮かべて小さく手を振った。


「ようこそおいでくださりました、エマリーお姉様」

「ふふふ・・・お久しぶり、アーステール」


アーステール様の姉であらせられる伯爵家次女、エマリー様。

今回のアーステール様の肖像画の話を持ってきた人物・・・という事は、その目的にも察しが付いた。


「肖像画が仕上がったそうね・・・見せて貰えるかしら」


・・・やっぱり。


伯爵家の名前で2人の絵師に依頼を出したのは彼女だ。

ならば、いち早く絵の完成を聞きつけていたとしても無理からぬ話。

自分が推薦した絵師による肖像画の出来栄えに興味津々といった様子なのだろうか。


「ええ、ぜひお姉様にも見て貰いたいわ」


そう言いながらアーステール様は無邪気な笑顔を向けると、エマリー様の手を取った。

・・・まるで先程の絵師達とのやり取りなどなかったかのように。


そのまま並んで歩き出した2人は、実に仲の良い姉妹といった雰囲気だ。

エマリー様がアーステール様の事を気に入っているのは、なんとなく感じていたけれど。

アーステール様の方も、久しぶりに会った姉に甘えるかのように・・・なんだかいつもよりも距離感が近い。


「・・・アーステールは、どちらの絵を選んだの?」

「えーと、内緒」


アーステール様は人懐っこい笑みを浮かべながら、エマリー様にその腕を絡めていった。

アーステール様のこんな姿を見るのは初めてかも知れない・・・やっぱりアーステール様も家族の愛情を求めていたのだろうか。

目の前で繰り広げられる仲睦まじい姉妹の姿に、私も微笑ましい気分になりかけていた・・・その時。


「ねぇお姉さま・・・マリエン・ブラッドリーという人物をご存知かしら?」

「・・・」


囁くように耳元で発せられたその言葉に、エマリー様の足が止まった。

その名前に聞き覚えがないのか、それとも何かを知っているのか・・・そのどちらとも取れる無言が数秒程の時を刻む。

やがて彼女は口を開くと・・・


「そう・・・あの2人から聞いたのね・・・たしか、何年も前に亡くなってしまった人だと聞いているわ」


・・・どこかぎこちない様子でエマリー様が答えた。

そしてじっと見つめてくるアーステール様から逃れるかのように廊下の方へと視線を逸らそうとした・・・が、腕をしっかり絡めとったアーステール様からは逃れる事が出来ない。

アーステール様は彼女を強引に引っ張って視線を合わせると、決定的な言葉を放った。


「私はてっきり、お姉様がマリエン・ブラッドリーなのかと思ったんだけど・・・違うの?」

「・・・それは・・・どうして」


掠れるような声で聞き返したエマリー様の表情からは、明らかに動揺しているのが見て取れた。

まさか本当にエマリー様が・・・確かに、言われてみればエマリー様はあの2人と歳が近く・・・


「よく熟したパプニルの実・・・血のように赤い色になるってお姉様も言ってたけど、どこでそれを知ったのかしら?」

「そ、それは・・・レミッサがよく使う絵具だから、有名で・・・」


確かにあの絵具は有名ではあった。

けれどその理由は違う・・・レミッサさんが使ってるから皆が憧れて・・・なんて素敵な理由ではない。

あの絵具が有名な理由はもっと別の所にある・・・そんな事は私でも知っているのに。


「そうね、すごく有名だったわ・・・鼻が曲がるような悪臭を放つ絵具として!」

「?!」

「パプニルの実は熟す事でその赤みを増す・・・けれど同時にその独特の臭いも増してしまう・・・」


それこそが、あの絵具の最大の特徴で・・・マルガレーテさんなどはその臭い酷く苦手にしていた。

浪漫派の人達ですら、臭いに堪えられずに鼻を覆っていた人がいたくらいだ。

そんな悪臭の原因とも言うべきパプニルの実を、よりにもよってこの人は・・・


「あんな悪臭を放つものを『紅茶に入れる』なんて発想が出来るのは、エマリーお姉様・・・貴女がパプニルの臭いに慣れきってしまっているからよ、あの絵具をたくさん使っていたレミッサさんと同じように」

「・・・」


あの絵具はレミッサさんとマリエンさんが共同で研究していた物だという話だ。

ならばマリエンさんも常日頃からあの悪臭に触れていたわけで・・・レミッサさんのように感覚が麻痺していてもおかしくない。


「エマリーお姉様、貴女は数年前貴族である事を隠す為に偽名を使って王立美術学校に通っていた・・・あんな所で貴族と知られたら色々と面倒だもの、身分を隠した気持ちはわかるわ」


妙に実感を込めて、アーステール様がその推理を語り出した。

エマリー様が美術学校で何をしていたかは概ね絵師の2人が語った通りだろう。

絵の才能をいかんなく発揮して、やがてはマルガレーテさんと双璧をなすまでに至ったのだ。


問題はなぜ彼女があんな自殺を演じたのか、だけど・・・


「皆に絵の才能を認められて順風満帆だったのよね・・・けれどそこで不幸があった、あの時期にお父様が倒れたのよ」

「?!」


亡き旦那様が病に倒れた時期と、マリエンさんの自殺事件・・・逆算するとそのタイミングは一致した。


「お姉さまが絵師を目指していられたのも、お父様が無事でいてこそ・・・お姉様はそこで絵師の道を諦めざるを得なかった」


旦那様が倒れたその時点で、彼女が美術学校を去る事が決まってしまった。

ならばあの自殺事件は、彼女にとって・・・


「マリエン・ブラッドリーの自殺は・・・お姉様の絵師としての人生の終わりを表現したもの、といった所じゃないかしら」


言わばあの自殺はひとつの芸術作品だった、という事か。

絵師として生きることが出来なかった彼女がその最後に描いた、生々しくも鮮烈な死の表現。

彼女が在学中に完成させた血の色の絵具を惜しみなく使って咲かせた鮮血の花。


「あとは伯爵家の名前を出して証拠の隠滅ね・・・事件の関係者に伯爵家の名前を出したら皆揃って同じ顔をしたのは面白かったわ・・・そうやってマリエン・ブラッドリーの自殺に疑念を挟ませる隙を与えずに、全ての痕跡を消してお姉様はあの街を去った・・・違うかしら?」


アーステール様が妙に伯爵家の名前を振りかざしていたのも、そういう理由だったのか。

言われてみれば確かに美術学校の人も衛兵も、アーステール様が伯爵家と知って表情を硬くしていたのが思い出された。

エマリー様は目を伏せると、深呼吸をするように大きく息を吐いた後・・・その手を合わせて叩いた。


「お見事・・・さすがアーステールね、と言いたい所だけど・・・違うわ」

「え・・・嘘・・・」


笑顔を浮かべてアーステール様を褒めつつも、エマリー様ははっきりと『違う』を強調させるように力を込めた。

自信満々に推理を披露していたアーステール様の勝ち誇ったような表情が、一瞬にして酷く弱々しいものへと変わっていく。

その瞳にじわりと涙が浮かんで・・・今にも泣き出しそうな・・・


「アーステール様!?」


ふらりと倒れそうな気配を感じて、慌ててアーステール様の身体を支える。

その全身からは力が抜けていて・・・酷く弱々しく感じられた。


「あ・・・ごめんなさい、事件についての推理は正解よ・・・気を落とさないで」

「?」


そんなアーステール様の様子を見て、今度はエマリー様が狼狽してしまった。

事件については正解?・・・なら何が違っていたというのか。


「私ね・・・別に絵師になりたかったわけじゃないの・・・」

「え・・・」


そう語るエマリー様は、どこか遠い目をしていた。


「あの頃の私は・・・ただ貴族の責務とか役目が嫌で逃げていただけ・・・」

「あ・・・」


その言葉にアーステール様が反応した。

アーステール様自身も色々なお役目を押し付けられては、よく愚痴をこぼしていた。

エマリー様のその気持ちがよくわかるのだろう。


「絵を描くのはすごく楽しかったわ・・・私の中の闇がね、キャンバスの中で形を得るの・・・」


そう語るエマリー様の表情は本当に楽しそうで・・・でもなんか不穏な・・・想像していたのと違う。

エマリー様は読む本の趣味がちょっと殺伐としていると思っていたけれど、ひょっとして絵の方も・・・

いやでもあの2人の話だと、すごく綺麗な絵を描いていたような・・・あれ・・・


「けれどあの2人と出会って、一緒に過ごすうちに・・・私だけが違う・・・いつからかそう思うようになっていったわ」


話の流れから、一瞬趣味が違うとかそういう話かと思ってしまったけど。

エマリー様はもっと2人の根底にあるものを見ていたらしい。


「私だけが、遊びで絵を描いている・・・2人が必死になる姿を見る毎に、私はここに居てはいけないんじゃないかと・・・」


きっとそれは遊び感覚ではたどり着けない境地。

魂を削るような努力の果てに絵師達が辿り着こうとする・・・2人が目指す神聖な世界をエマリー様は感じ取ってしまったのだ。

下手に才能に恵まれていたせいで、それまで気付くことが出来なかった彼女達の覚悟の重さに気付いてしまったのだ。


どうしようもない情熱と覚悟の差・・・それこそがマリエン・ブラッドリーに終わりをもたらしたものだった。


「私の『遊び』はいつか2人の足を引っ張るものになる・・・それなのにあの子達は私を目標にしていた・・・だから私は、目標でいるうちに消えてしまいたかった」

「だから自殺したと2人に思わせて・・・」

「あの2人は立派に育っていたでしょう?・・・アーステール、貴女がどちらの絵を選んだか気になるわ、教えて貰えるかしら?」


いつになく饒舌に語るエマリー様・・・あの肖像画の依頼の裏で、こんな感情を抱いていただなんて。

ああ、どうしよう・・・彼女にかけるべき言葉が見つからない。

だって・・・だって、あの2人はすぐ近くに・・・


「そんなに今の2人が気になるなら、自分の目で確かめたら良いんじゃない?」

「え・・・」


そう言ってアーステール様が目配せをした。

その視線の先を見て、エマリー様の瞳が見開かれる。


「レミッサ・・・マルガレーテ・・・どうして」

「応接室で待ってて・・・って言ったんだけどね・・・」


廊下の先の角からレミッサとマルガレーテがひょっこりと顔を出していた。

気になって応接室から出てきてしまったらしい。

実はマリエン・ブラッドリーの話を始めたあたりから聞き耳を立てる2人の姿がちらちらと見えていたのだけど・・・それは言わないでおこう。


「・・・というわけで、後は3人でごゆっくりどうぞ」

「・・・え、アーステール?!ちょっと待って・・・心の準備が」

「その時間なら何年もあったでしょ・・・えい」


アーステール様は無理やり背中を押すようにして、エマリー様を2人のいる方へと追いやった。


「マリエン、マリエンだよね!生きてる、ちゃんと足があるよ!」

「レミッサさん、がっつかないでくださいまし!マリエンさんが困ってますわ」

「ふふ・・・2人は変わってないのね」


幾年ぶりかの再会を遠目に見守ると、アーステール様は踵を返した。


「さ、私達は部屋に戻りましょう」

「はい、紅茶の用意をしますね」

「熱いのをお願い・・・お菓子もね」


こうして再開した3人は一晩中語り明かしたようで、翌日は3人ともお昼過ぎまでぐっすりとお休みになっていられました。

滞在中の3人のお邪魔になってはいけないと、アーステール様はまた自室に籠っていたけれど・・・やる気を出したエマリー様のモデルになって肖像画が描かれる事に。

そこへせっかくだからとレミッサさんとマルガレーテさんもデッサンに加わって・・・


エマリー様は「『遊び』は2人の足を引っ張る」なんて言っていたけれど。

アーステール様をモデルに、3人で仲良くキャンバスを並べる姿はとても幸せそうで。

見ているこっちまで楽しくなって・・・


「私も絵が描けたらな・・・」

「ソアレさんも描いてみる?」

「え・・・無理ですよ、私の絵なんて・・・」

「予備のキャンバスならありましてよ?」

「わからないことがあったら何でも聞いて、教えるから」

「ええええええ」


あれよあれよという間に、私の分のキャンバスや画材が用意されて・・・

有名絵師の2人に教わりながら絵に挑戦する事に。

もちろん、私が描く絵のモデルは・・・


「にゃあ?」

「お願い、じっとしてて!」

「にゃにゃ、みゃー、ふーふー」


サフィールはごろごろと転がり、尻尾をパタパタさせ、がりがりと爪を研いで、おもちゃと戯れ始めた。

キャンバスから視線を戻して見る度に姿勢が違う。

どの姿もかわいいんだけど・・・かわいいんだけどっ!


「動かないでええええ!」


私の悲痛な叫びが屋敷に響く中。

すっかり勘を取り戻したエマリー様の手でアーステール様の肖像画は無事に完成を迎えるのだった。

肖像画には2人のたっての希望で『マリエン・ブラッドリー』のサインが刻まれ、この絵をきっかけにして謎多き鮮血の絵師の名が再び世に轟く事になる。


・・・けれどそれはまた、別のお話。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ