黒猫と鮮血の絵師 11
「アーステール様、朝食のご用意が出来ました」
「うん・・・部屋で食べるから持って来て」
「アーステール様、昼食のご用意が」
「部屋で食べるから・・・」
「・・・」
またもやアーステール様は引き籠ってしまった。
自室でひたすらに本を読み、時折書斎に出かけては新しい本を持ってくる、そんな日々・・・なお返却は私の仕事だ。
美術学校から銅像が届いた日こそサフィールに遊ばせていたけれど、それも今はすっかり飽きてしまったのか玄関ホールに放置している。
それ以外にやった事と言えば、例の肖像画関連で手紙を何通か書いたくらい・・・例のマリエン・ブラッドリーの自殺に関しては、特に何かをしているようには見えなかった。
「アーステール様・・・どうするつもりなんですか?」
「この本を読み終わったら?・・・そうね・・・紅茶の時間にしようかな、サフィールにもおやつをあげて・・・」
「いや、そうじゃなくてですね・・・」
「?」
アーステール様は不思議そうに首を傾げた。
その角度に合わせて、長い黒髪がさらりと流れ落ちる・・・この国ではあまり見ない漆黒の髪の色は彼女にとてもよく似合っている。
そして彼女は屈みこむように足元へ両手を伸ばすと、その髪の色と同じ色の毛玉を抱き抱えた。
「・・・ソアレさんもサフィールにおやつあげてみたいの?」
「はいあげてみたいです・・・い、いやそうじゃなくてっ!」
猫の好む香草を練り込んで焼き上げたビスケット状の物体。
それを紐でぶら下げる形にした猫用おやつは、楽しく遊びながら猫に与えるおやつとして飼い主の間で流行りつつあった。
目の前で紐を揺らすと、猫ちゃんが野生の本能を刺激されるのだとか。
アーステール様がサフィールにそれを与えてる場面を見た事があるけれど、頭上にぶら下げられたおやつに釣られて後ろ足で立ち上がる姿は何とも言えない可愛さで・・・って、私も釣られてる場合じゃない。
「先日絵師のお2人から『肖像画が完成した』って知らせが届いてたじゃないですか」
「ええ、そうね」
「その絵を直接屋敷に届けてくれる、とも言ってくれてましたよね?」
「ええ、だからその日時を指定した手紙を書いたわ」
あの手紙がそういう内容なのだろう事はなんとなく察しがついていた。
なんてことはない、ごく自然な流れだ・・・ただ問題なのは、その手紙を書いてからもう何日も経過しているという事で・・・
だから私は嫌な予感がしながらも、それを確認せずにはいられなかった。
「・・・その日時って、いつなんですか?」
「今日だけど」
「!?」
「2人共たぶんこの本を読み終わる頃には着くんじゃないかな・・・だから紅茶はたくさん用意してね」
さも当然のことのようにさらっと・・・アーステール様は涼しい顔でお茶会の用意を命じられた。
慌てて紅茶の用意をしていると、アーステール様の予想よりも少し早くマルガレーテさんが。
逆に少し遅れてレミッサさんが屋敷の門を叩いたのだった。
「なんで貴女がここにいるんですの?!」
「それはこっちの台詞! てっきり私の絵が採用されたとばかり思ってたのに・・・」
「まぁ図々しい・・・この私の絵を差し置いて、貴女の絵が採用されるとでも?」
「でもマルガレーテの絵は古臭いから・・・」
「それを言うなら貴女の絵は本当に臭いじゃないの!」
それぞれ完成した絵を携えて、応接室まで来てもらうと、案の定と言うか・・・顔を合わせるなり2人は喧嘩を始めてしまった。
アーステール様もこうなる事は予想がついていただろうに・・・何も同じ日に呼び付けなくても・・・
リラックス効果のあるハーブティーを用意したけれど、最初からヒートアップしてるこの人達に効果があるかどうか。
「紅茶をお持ちしました、ど、どうぞお席でお寛ぎください・・・」
「あら、ありがとう」
「・・・フン」
私の勧めで着席こそしてくれたけれど、2人は互いにそっぽを向いて目を合わせようともしない。
とても『お寛ぎ』とは程遠い状態だ。
ピリピリとした空気に見ているこっちまで辛くなってくる・・・私は助けを求めるようにアーステール様を招き入れた。
「アーステール様、もちろん私の絵を選んでいただけますわよね?」
「そんな事ないよね?私の絵だよね?」
アーステール様を見るなり、2人は飛びつくように食って掛かった・・・もう返事が待ちきれないようだ。
まだ肝心の絵も見ていないうちから・・・それだけ互いの対抗意識が強いのだろう。
しかしアーステール様もアーステール様で、2人の持ってきた絵を見ようともせずに・・・紅茶をひと口啜ると、次の瞬間とんでもない事を口にした。
「せっかくここまで来ていただいた2人には申し訳ないんだけど、私の肖像画は別の方にお願いしようと考えているの」
「「?!」」
そんな話は初耳だ。
先程のようにアーステール様は屋敷に戻ってからずっと引き籠っていたはず。
他の絵師を探すようなそぶりは見せていないし、元々絵師について詳しいようにも思えない。
まして伝手があるようには・・・
「・・・その別の方は、私達よりも実力が上という事ですか?」
プライドが傷付けられたのか、マルガレーテさんが険しい表情を浮かべて尋ねた。
無理もない・・・わざわざ完成した絵を持ってきてくれたのに・・・こんな対応では怒らない方がおかしい。
けれどアーステール様は突き刺すようなその視線にも全く動じる事無く、涼しげな顔で答えた。
「ええ、その点については2人とも納得してもらえると思うわ」
「えっ・・・私達2人が納得するなんて、相当な大物でもないと・・・まさかダルテニオス老とか?」
「先生が?・・・今は別の仕事で掛かりきりのはず、あり得ませんわ・・・他ですと・・・ヴァン・ガソリー氏とか?」
アーステール様は首を振って否定した。
その後も次々と絵画の巨匠たちの名前が挙げられるが・・・アーステール様が首を縦に振る事はなかった。
2人の知る範囲の人物も粗方出尽くして、言葉に詰まった頃・・・アーステール様は囁くような声で、その名前を呟いた。
「・・・マリエン・ブラッドリー」
「「!!」」
決して聞き間違えじゃない。
アーステール様が口にしたのは、何年も前に自殺したはずの・・・
「ば、馬鹿にしておりますの?! いくら伯爵家の方であってもそれは!」
「そうだよ、マリエンはもういない・・・いないんだ」
激しく動揺を見せる2人とは対照的に、アーステール様は表情一つ変える事無く言葉を続ける。
「そうかしら? あの時、2人はマリエンさんの死をちゃんと確認出来た?・・・遺体に触れて、脈を取ったりした?」
「そ、それは・・・すぐに衛兵が来たから・・・それにマリエンは出血が酷くて」
「そうです!あんなに血が流れて・・・あの状態で助かるなんてとても思えませんわ」
2人が見たという当時の状況・・・私には想像する事しか出来ないけど、まさに血の海といった有様だったはず。
衛兵がすぐに救命措置を施したとして助かるものなのだろうか?
それに、助かっていたとしても・・・
「2人は・・・玄関ホールの銅像に気付いていたかしら?」
「銅像?」
「そういえばどこかで見た事があるような・・・」
唐突にアーステール様は銅像に言及した。
サフィールが遊ぶのに良いと言って譲ってもらった、あの変な形の銅像だ。
どうして急にあんな物を・・・
「事件後、あの広場は綺麗に片付けられてしまったけれど・・・周囲の銅像にまで注意が行き届かなかったみたいね」
「?」
アーステール様の話に、この場の誰も理解が追い付かずに首を傾げるばかり。
しかしアーステール様はそんな私達を見て満足そうに、得意げな微笑みを浮かべた。
「見えにくい場所にしっかり付着していたわ・・・血のように赤い・・・絵具がね」
「絵具?・・・まさか、それって・・・」
「『悪魔の鮮血』だったかしら?・・・さすがね、もう何年も経っているのに鮮やかな発色だわ」
銅像を確認すると、わずかだけれど本当に、血のような色の絵具が付着していた。
この数年もの間、風雨にも晒されただろうに・・・流れ落ちる事もなく、しっかりと赤色を保って・・・
「マルガレーテさんが痛いからレミッサさんの絵具の臭いを感じたのは当然よね、同じ絵具が使われていたんだもの」
「そんな・・・私、絵具の臭いなんて全然気付かなかった・・・マルガレーテの言いがかりだとばかり」
「レミッサさんは・・・その・・・ずっとその絵具に触れていたから、嗅覚が麻痺してたんじゃないかな」
「・・・」
2人が出血だと思い込んでいたものが、実は絵具だった?
それならマリエンさんが助かっていてもおかしくはない・・・いや、むしろそれって・・・
あれが血ではなく絵具だとしたら、マリエンさんの自殺と言う話すら変わってくるのでは?
「そう、マリエンさんは自殺なんてしてない・・・わかってくれたかしら?」
まるで私の心を見透かしたように語るアーステール様。
でも・・・そうだとすると、また別の疑問が湧いてくる。
マリエンさんはなぜ・・・
「マリエンはなんでそんな事を・・・」
「そうですわ、あの場で自殺を装って、マリエンさんに何の得がありますの?」
「さぁ? 本人に聞いてみれば良いんじゃないかな」
当然のように出てくるその疑問に、アーステール様はすごく投げやりに返答した。
いや、アーステール様・・・それが出来たら苦労しないんですけど・・・
「まさか・・・マリエンさんの消息を?!」
「マリエンの居場所を知っているの?!・・・それで肖像画の依頼を彼女に・・・」
先程の会話の流れで2人はそう解釈したらしい。
アーステール様はどこかでマリエンさんの居場所を知って、彼女に肖像画を依頼するつもりだと・・・
けれど、もちろんそんな情報なんてあるはずもない。
アーステール様の傍にずっといた私が、そんな重大な情報を見過ごすわけがないのだから。
2人には期待外れで申し訳ないけれど、今わかっているのはここまでだろう。
マリエンさんがどこかで生きている・・・今はそれだけでもこの2人の救いにはなるはず。
もう互いを疑う必要もないはずで・・・なんなら2人で協力してマリエンさんを探す、というのも良いのでは・・・
きっとその過程で2人の友情も新たに育まれるに違いない・・・うん、そういう流れですよね、アーステール様。
コンコン…
部屋の扉を叩くノックの音・・・その音に私は現実に引き戻された。
「アーステール様、お客様が到着なさいました」
「・・・お客様?」
扉の向こうから使用人のディレットさんの声。
この2人以外にお客様?・・・誰だろう。
心当たりがあるか尋ねようとアーステール様の方を見ると、彼女は悪戯っぽい微笑みを浮かべていて・・・
「マリエンさん、だったりしてね・・・すぐに行くから玄関で待ってて貰って」
「「!?」」
自ずと視線がアーステール様に集まる。
いくらなんでも、こんなタイミングでそんな都合よく・・・でもひょっとしたら。
あり得ないとわかりつつも、そう思わせるだけの何かを今のアーステール様からは感じられてしまう。
「出迎えに行ってくるから、2人は応接室で待ってて・・・行きましょソアレさん」
「・・・は、はい」
果たしてこの来客はいったい何者なのか。
湧き上がってくる微かな期待を胸に、私はアーステール様の小さな背に続いた。




