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アーステールの猫  作者: 榛名
黒猫と鮮血の絵師
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黒猫と鮮血の絵師 8


『マルガレーテ・リッチウェイは、その手に金の絵筆を持って産まれてきた』


幼い頃より、私を称してそんな言葉が交わされる場面を多く見てきた。

金の絵筆・・・才能を称える言葉であり、家の財力に対する皮肉としても機能する・・・便利な言葉だ。


もちろん産まれた時に絵筆を持っているわけもなく、私が初めて絵筆を手にしたのは4歳の時だ。

絵画を愛するお父様の趣味が高じて、娘の私を絵師に育てようと考えたらしい。


まるで玩具の代わりのように筆と絵具を与えられた私は、当然のようにそれらを玩具として扱って・・・

高価な家具も多数ある部屋を絵具まみれにするという、今にして思えば悪夢のような所業を繰り返していたけれど、お父様は怒るどころか褒めてくれた。

何かを描くと褒められる・・・それに気付いた私は自然と絵筆を持つ時間が増えていった。


私が初めて絵と呼べるようなものを描いたのは、その翌年の夏の事。

庭に咲いた青いミオマリアの花がとても綺麗で、私はキャンバスに青い絵具を塗りたくった。

けれどその花の青色は、絵具の青とは違う青で・・・私はその色に納得が出来ず、描いた上から何度も絵具を塗り重ねていた。


何度も、何度も・・・

もっと薄い青を求めて白を、薄くなり過ぎればまた青を。

葉を描いた緑がはみ出してそれに混ざると、少し色が暗くなって・・・慌てて筆を動かすと全体的に暗くなってしまった。


暗くなった花に再び白を重ね、青を重ねていると・・・不思議な事に、さっきまでよりも花の色に近付いた気がした。

僅かに混ざる緑色と、乗り重ねた色の濃淡の差が、花の絵をより本物に近付けたのだ。

そこで私は何か世界の秘密を知ったかのような気分になって・・・気付けばすっかり絵に夢中になっていた。


「おとうさま、ごらんになって」

「こ・・・これは・・・こうしてはいられん!」

「え・・・おとう・・・さま?」


完成したミオマリアの花の絵は・・・お父様に取り上げられてしまった。


いつものように絵を褒めてくれると思っていた私の期待は、見事に裏切られてしまった。

絵を取り上げたお父様は興奮した様子で、私の言葉に一切の聞く耳を持たず・・・そのままどこかへ出掛けてしまった。

部屋に1人残された私はこの世の終わりのように泣きじゃくって・・・この時の私をなだめるのに、お母様がすごく苦労したと聞いている。


「君がマルガレーテさんかな・・・初めまして」


それからしばらく経ったある日、お父様が見知らぬ人物を連れて来た。

何か変な臭いがするお爺さん・・・幼い私にはその独特の臭いが少し苦手に感じられた。


「マルガレーテ、この先生の言う事をよーく聞くように」

「は・・・はい」


先生・・・お父様がお金で雇った家庭教師。

もちろん良家の子女であれば家庭教師が付くのも珍しい事じゃないけれど・・・その老人は高名な絵師であった。

この国で1番の絵描きと名高いダルテニオス老・・・いったいお父様はどれ程の大金を積んだのか・・・本来であれば弟子入りするのも難しい大人物だ。


しかし幼い私は何も知らないまま、この『変な臭いのするお爺さん』の元で絵を学び・・・それから10年の月日が流れた。

さすがにそれだけの時間があれば私も先生が何者であるかに気付く・・・何よりも彼から教わった技術の数々が、彼が只者ではない事を教えてくれた。

やがて偉大なる師の技法を半ば受け継ぐに至りつつあった私は・・・なぜか王立美術学校へ入学する事になった。


「なぜですお父様?! なぜ私が今更学校などに通う必要があるのですか! 私には先生だって」

「いや・・・マルガレーテ、今のお前に必要なものが学べるとダルテニオス老が仰ってな・・・」

「そんな・・・先生が・・・」

「まぁ・・・元々お忙しい方ではあるし、今までお前の面倒を見て貰えただけでも、充分すごい事なんだぞ?」

「・・・」


師に見限られた・・・そう思った。

まだ教わるべき事はたくさんあったというのに・・・私には才能が足りないというのか。


師は黙して何も語らぬまま、私の元を去り・・・

その師の最後の言いつけとあって、不本意ながらも私は美術学校の門をくぐった。


「・・・はぁ」

「またマルガレーテ様がため息をついておられるわ、何かお悩みなのかしら」

「きっと私達では及びもつかないような事なのでしょうね」


・・・今の私に必要なもの、とは何なのか。


美術学校に通ってみて数か月、それらしきものは何も見当たらなかった。

カリキュラムも既に身についているものばかりで、何の目新しさも感じない。

クラスメイト達も皆たいした技量もなく、ただ私を褒め称えるばかりで・・・そこから何かを得られるようには思えなかった。


「マルガレーテ様、お昼はどちらでお召し上がりになられますか?」

「よ、よろしければ放課後ご一緒させて頂きたいです!」

「・・・ごめんなさい、1人にしていただけないかしら?」


決して悪い子達ではないのだけれど、正直彼女らといると息が詰まる。

こんな所にいるよりも、1人で絵を描いている方がまだマシなのではないか・・・

そんな事を考えながら・・・私はいつしか、人気のない場所を探すようになっていた。


学校の近くはいけない、常に生徒達の視線を感じる。

綺麗な風景が見える場所はいけない、常に誰かしらが絵を描こうと陣取っている。


もっと人の近寄らない、入り組んだ場所、あるいは見た目の良くない場所・・・そんな場所を求めてあちこちを歩いて回った。


足は疲れるけれど、1人で歩くのは意外と気分が良いものだった。

長年この街で暮らしていたけれど、知らない場所のなんと多い事か。

そういえば・・・こんな風に自由に歩き回る事などなかったかも知れない。


入り組んだ街並みは外側へ行くにつれて単純に、殺風景なものへと変わっていく。

段々と人の手が入っていない剥き出しの自然が広がってくる・・・その中に道のようなものを見つけた。

獣道・・・というものかしら?


少し気になって、私はその道・・・と呼ぶには頼りない、細く先の見通せない場所へと足を踏み出していた。

一歩進むごとに、ちくちくと草木が纏わりついてくる・・・虫などがいないかと不安になる。

もし何かいたらすぐ引き返そう・・・そう思いながらも足を進めていくと、不意に目の前の空間が開けた。


「・・・」


視界を遮る草がなくなり、開けた視界の先にあったのは・・・湖?

それにしては水の色が土色に濁って・・・お世辞にも綺麗なものではなかった。

これは湖と言うよりも沼と言った方が良いかも知れない。

周囲を囲む木々が陽光を遮って薄暗く、どこか不気味な雰囲気すら感じられた。


そんな沼のような場所に、ぽつんと立掛けられた人工物がひとつ。


それは私にとって見覚えのある物体・・・1枚のキャンバスがイーゼルに立掛けられていた。

こんな何もない場所に・・・汚い湖はあるけれど、わざわざそれを絵に描く者がいるのだろうか。

これといった人影は見られない、私は恐る恐るそのキャンバスに近付いて行った。


いったいそこに何が描かれているのか・・・こちらからだと角度が悪く沼を回り込む必要がある。

近付くにつれて足元が湿り気を帯びて、ぬちゃりと嫌な感触を返してくる。

まさか底なし沼、などという事はないと思うけれど・・・


やがてキャンバスの近くに辿り着いた私は、逸る気持ちを抑えつつ、足元に気を付けて向こう側へ回り込んだ。


「・・・!」


これは・・・風景画?

キャンバスに描かれていたのは、やはりこの沼と思しき不気味な風景。

ぬかるんだ地面や濁った水が生々しく描かれて・・・しかし私はその絵から目を離せなくなっていた。


「・・・なんて美しい」


その絵の中央には、目の前の風景にはないものが描き足されていた。


薄暗く汚い沼の中に咲く、一輪の花。


薄っすらと赤みを帯びた白い花弁の上に、朝露の水滴が曇りなき透明さで踊っている。

風のひとつも吹いて花が揺れれば、ぽろりと落ちてしまいそうに。

花弁もよく見ると端の方が透き通っていて・・・こんなに綺麗な花が存在するのだろうか。


すっかり絵に魅了された私は、近付いて来る気配にまったく気付かず。

背後から掛けられたその小さな声にも、どこか現実味を感じられなかった。


「・・・貴女には・・・どう見えたかしら?」

「え・・・だ、誰っ?」


背筋に冷たいものを感じながら、ゆっくりと振り返る。

他に何もない静寂の中で、どくんと胸の鼓動が脈打つのを感じた。

いつの間にか私の背後に立っていたのは・・・この不気味な風景に溶け込むような地味な色の服と、そこから覗く白い肌。


「ふふ・・・この絵・・・どう見えたかしら?」

「ひ・・・」


目の前の少女から発せられた囁くような声は、しっとりと私の鼓膜に纏わりついて・・・

その白い手が、ゆっくりと私の方に・・・あ、足が動かな・・・こ、来ないで・・・


「ここ、こな・・・!!」


彼女の指先が触れた瞬間・・・恐怖のあまり私は意識を手放してしまったのだった。




「・・・大丈夫?」

「・・・!!」


意識を取り戻した私は、危うく再び気絶しそうになった。

私の顔を覗き込むあの少女の姿が視界に入ってきたからだ。

その透き通るような白い肌といい、囁くような声といい・・・この世の物とは思えな・・・い?


「・・・まだ動かない方が良いわ、休んでいて」

「・・・え、ええと・・・」


そこはもう、さっきの沼ではなかった。

いったいどれくらい気を失っていたのか、私は学校の医務室に寝かされていて・・・

あの場所と違って明るいこの場所で見てみると、少女は幽霊でも何でもなかった。


「・・・急に倒れるのだもの・・・ここまで運ぶのは大変だったわ」

「・・・ありがとう」


そう言いながら少女は力こぶを作るポーズをした・・・色白で細い腕に力こぶは出来なかったけれど。

確かに、その腕でここまで私を運ぶのは大変だっただろう。

囁くような声は彼女の地声のようだ、暗い色の服装と相まって、儚げな美少女といった雰囲気を醸し出している。


「・・・痛っ」

「・・・だから、動いてはダメって・・・」


少し姿勢を変えようとしただけなのだけど、足が痛みを発した。

筋肉痛だ・・・歩き慣れない身で、あちこち歩き過ぎたからだろう。

わかってみれば心霊現象でも何でもない、怖くて倒れるなんて・・・この少女には本当に悪い事をした。


「ごめんなさい、先に謝らせて・・・私、貴女の事を・・・」


言わなければわからなかった事かも知れないけど、それでは私の気が済まない。

事情を説明して謝罪をすると、彼女はくすりと微笑みを浮かべた。


「ふふ・・・なんだか面白い人ね」


儚げな彼女の笑顔はやはりこの世の物とは思えない・・・けれど今はもう幽霊ではなく・・・妖精のように感じられた。

なんだか、その笑顔を見ているとこう・・・恥ずかしくなるような不思議な気分になる。


「あ、貴女だって!・・・あんな場所で絵を描く人なんて、そうそういないのではないかしら?」


彼女から視線を逸らしながら私がそう言うと、彼女は何かを思い出したように手を叩いた。


「・・・そうだ、まだ感想を聞けていなかったわ」

「感想?」

「ええ・・・私の描いた絵の感想・・・あの花を見てどう感じたかしら?」


ああ、あの花の絵の・・・しかしそこで私は言葉に詰まった。

正直に思った通りを答えるには、気恥ずかしいものがある。

この私があそこまで心を動かされる絵だなんて・・・あれをこの少女が・・・描いた?


「貴女・・・何者なの?」

「え・・・私はマリエン・ブラッドリー・・・この学校には編入してきたばかりで」


やはり・・・彼女もこの美術学校の生徒だったのか。

身体が震えるのを感じた・・・そうだ彼女だ、きっと彼女こそが私の・・・

先生の言いつけは間違ってなかった、先生・・・私、見つけました。


「私はマルガレーテ・リッチウェイ・・・マリエンさん、貴女にも私の絵を見て頂きたいわ」

「・・・え、ええ・・・それで、私の絵の感想は・・・」

「とても素晴らしかったわ、この私の次にねっ!」


語気強く、私は言い放った。

彼女からは目を逸らしながら・・・やっぱり正直には答えられなかった。


この私が、産まれて初めて他人の絵で感動しただなんて・・・描いた本人に言えるわけがない。



・・・しかし私は、その事を一生後悔する事になったのです。


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