黒猫と鮮血の絵師 6
マルガレーテ・リッチウェイ・・・どこか聞き覚えのあるその名前。
どこで聞いたのだったか・・・なんとか記憶の中から引っ張り出そうとしている私の前に『リッチウェイ通り』なる看板が。
この通りは、その名の通りリッチウェイ商会という商会の店が連なっていて・・・リッチウェイ?!
「あの・・・マルガレーテ、さん・・・ひょっとして・・・」
「ええ、恥ずかしながらリッチウェイ商会は私の父が会長を務めておりますの」
恥ずかしながら、と言いつつもマルガレーテは誇らしげな顔で通り沿いにあるお店を紹介して回った。
大手の商会らしくお店の種類も様々だ、宝飾店、仕立屋、楽器店・・・画材を扱うお店まである。
「せっかくですもの、覗いて行きませんこと?」
「そうね・・・お邪魔しようかしら」
「い、いいのかな・・・なんか高そうな物がいっぱいある」
店先には色とりどりのインクの入った小瓶が並んで、まるでステンドグラスのように出迎えてくる。
明らかに高級店だ、私が日頃買うような安い画材を置いているような店とは完全に別物だ。
もちろん私もよく知っている画材も多く取り扱っている・・・けれど、それらも入れ物の瓶が凝っていて・・・
「・・・まるで錬金術の工房みたいね」
そう呟いたマリエンに私も全力で頷くしかない。
ナイフの1本、いや絵筆の1本に至るまで細やかな装飾が施されていて、雑味がない。
きっとそれがこのお店の経営戦略なのだろう・・・別の世界に迷い込んだような雰囲気を演出している。
「2人ともどう? 何か気に入った物はありますかしら?」
マルガレーテがまるでここの主であるかのように語り掛けてくる・・・リッチウェイ商会の傘下にあるお店だから、実際それに近いものはあるのかも知れないけど。
「そんなこと言われても、どれも良い物ばかりで・・・」
店に並ぶ品々はどれもさすがの品質で、気に入らない物などない。
これら全てをひと通り買い揃えてしまいたいくらいだ・・・お値段の事を考えなければ、だけど。
残念ながら、どんなに気に入ったからと言って気軽に買える価格ではなかった。
でも私はともかく、マリエンならあるいは・・・
そう思って彼女を見ると、彼女の懐事情もそこまでではないらしく、伏目がちに首を振って見せた。
そんな私達の様子を察してか、マルガレーテはぽんと手を叩きながら提案をした。
「そうだ・・・知り合った記念に、お2人に好きな物をひとつ差し上げます」
「?!」
「どうぞ遠慮なさらず・・・お好きな物を選んでくださいな」
さすがお金持ち・・・お店の商品の中にはものすごく高価な物もあるというのに、全く気にもしていない様子で・・・
いやいや、今日出会ったばかりでそんな高価な物を貰うわけには・・・
ここは比較的安い・・・はずの絵筆を・・・そう思って絵筆に伸ばした指先が、何か別の物に触れた。
「えっ」
「・・・あら・・・奇遇ね」
私の指が無造作に触れたのは、マリエンの指だった。
色白の肌の彼女はその指先までも白く、触れた指先からは彼女の体温が・・・私よりちょっと冷たく感じられた。
「ご、ごめん!」
「?」
慌てて手を引っ込めた私を見て、マリエンが首を傾げた。
「私と同じ筆は・・・嫌だったかしら?」
「そ、そんな事ない!けど・・・マリエンこそいいの?・・・この筆で」
安い筆で・・・マルガレーテとは初対面の私と違って、マリエンはそれなりに高い物を選んでも良いような気がするけど。
そんな気持ちを込めてマリエンを見つめるけれど、彼女はいつものように控えめな笑みを浮かべて・・・
「ええ・・・お友達と一緒・・・というのがますます気に入ったわ」
「・・・」
そう言われてしまっては、私もこの筆以外の選択肢がない。
私達が同じ絵筆を手に取ると・・・そこにもうひとつ手が伸びてきて絵筆をもう1本取った。
「マルガレーテ、さん?」
「・・・ずるいですわ・・・2人だけで同じ物だなんて」
そう言いながら絵筆を手にしたマルガレーテが恥ずかしそうに視線を背けた。
「・・・私も、同じ筆を使って良いですわよね」
・・・その消え入りそうになる声は、しっかり私達に届いてしまった。
「ふふ・・・3人一緒・・・私は嬉しいわ」
「な・・・ななな・・・くぅ」
マリエンの笑顔にあてられて、マルガレーテの顔が真っ赤に染まる。
こうして見ると、けっこう可愛いかも知れない。
そんな私達の視線に堪えられなくなったのか、マルガレーテは逃げるように会計へ向かった。
それからというもの、私達は3人で一緒にいる事が多くなった。
「レミッサさん、あの絵筆はどうしましたの? まさか失くしたとか・・・」
「ちゃんとあるよ!・・・でももったいなくて、なかなか使う気に・・・」
「良い道具は使わないと、絵も上達しませんことよ・・・骨董品のコレクションのように筆に埃を積もらせるおつもりかしら?」
「うぅ・・・それはそうなんだろうけど・・・」
マルガレーテもマリエンに負けず劣らず、絵がすごく上手かった。
どうやら噂になっていた別のクラスの凄い人は、彼女の事だったのかも知れない。
なんだかこの2人といると、私だけがすごい下手くそみたいに感じられてしまう。
「レミッサは・・・レミッサのペースで自由に描けば良いのではないかしら」
「いいえマリエンさん! レミッサさんは甘やかすと伸びないタイプですわ! 無理にでも描かせないと」
「え・・・」
「良い機会ですから、レミッサさんには私が基礎を叩きこんで差し上げます」
「えええ・・・」
我流で描いてきた私の描き方が気に入らないのか、マルガレーテは事あるごとに『基礎』とかいうのをやらせようとしてきた。
正直ありがた迷惑なんだけど・・・明らかに彼女の方が絵が上手いから、私も文句を言える立場じゃない。
渋々マルガレーテの言う通りに描いてみるけれど・・・なんとも言えない絵になるんだよなぁ。
「うーん・・・本当にこれで良いのかなぁ・・・」
「レミッサさんがそう感じるのは、まだ基礎が身についていないからですわ・・・もっと数をこなして、自分の一部にしないと」
「うぇぇ・・・あ、あと何枚描けば・・・」
「100・・・いえ、レミッサさんの場合は200枚くらいかしら」
「そんなぁ・・・たすけてマリエン・・・」
「うふふ・・・」
マルガレーテの厳しい特訓に悲鳴を上げる私を見て、マリエンはいつも楽しそうに微笑んでいた。
マリエンの描く絵は相変わらず幻想的で・・・出来れば私もこういう絵を描きたいんだけど・・・
結局、マルガレーテの基礎地獄は1年ほど続いて・・・その頃にはクラスメイト達の顔ぶれも変わって来ていた。
「貴女、マルガレーテ様とはどういう関係なのよ?」
「えっ・・・と、友達・・・だけど・・・」
「まぁ友達ですって? 笑えない冗談ね」
その頃の私はまだ知らなかった・・・芸術の世界には派閥というものが存在する事に。
基本に忠実で伝統的な手法を好むマルガレーテが、古典派の次代を担う人物として頭角を現してきていた事に。
私は何も知らず・・・ただ綺麗な絵を描いていれば有名な絵師になれると思っていた。
「皆さんもご覧になって、こんな絵を描いておいて、あの方と友達を名乗るなんて・・・」
「まぁマルガレーテ様とは似ても似つかない酷い絵だこと、私だったら恥ずかしくて死んでしまうわ」
「・・・」
今更言われるまでもなく、自分の絵が下手な事はよくわかっていた。
ようやく基礎が形になって来たとはいえ、マリエンやマルガレーテには遠く及ばない・・・そんな事はわかっているのに。
「よくいるのよね、遊び感覚でこの美術学校に通う子が」
「まったく、才能もないのに・・・こんな子の為にお金を払っている親も実に愚かな・・・」
「それくらいにしてもらえないかしら?」
容赦なく私を責め立てる彼女らの前に立ち塞がったのはマリエンだった。
いつも控えめな彼女にしては強い語気で言葉を放ち、氷のような視線で彼女達を睨みつけていた。
「な、何よ・・・本当の事を言っただけじゃない」
「そうね・・・なら私より才能がない貴方達には同じ事をして良いのかしら?」
「・・・!」
「思い出した・・・この子、マリエン・ブラッドリーよ・・・あの異端児の」
「ふん・・・いつまでも調子に乗らない事ね」
マリエンの迫力に気圧されてか。
まるで物語の悪役のような捨て台詞を残して、彼女達は去っていった。
「マリエン・・・ありがとう、でも私は・・・」
「・・・気にしてはダメよ」
「そうかも知れないけど、私が下手なのが悪いんだし・・・」
・・・才能のない者は消えるべき。
自分の才能に見切りをつけて自主退学していく者も後を絶たない。
実際私の知るクラスメイト達も、この1年の間に何人か故郷に帰っていった・・・芸術とは非情な世界なのだ。
『私の番』が来るのも、時間の問題に思えた。
「・・・『友よ、今こそ本当の姿を取り戻す時』」
「え・・・マリエン、それは・・・」
「『さぁ剣を取るいい、もはや君の前に敵はない』」
ふいにマリエンが口遊んだのは英雄物語の一節。
呪いで魔物の姿になり果てた主人公が、聖剣の加護を得て人間の姿を取り戻すという・・・
「・・・レミッサは、こういうのが好きだったと思ったのだけど?」
「それは・・・そうだけど・・・なんで突然そんな・・・」
「・・・突然、じゃないわ・・・受け取って」
そう言って彼女が取り出した小瓶は、鮮やかな赤色を湛えていた。
この色には覚えがある・・・鉄鉱石の錆びが1、ラジリコの花の油が3、パプニルの実が6・・・
私とマリエンが密かに造っていたお手製の絵具の配合・・・しかし、その小瓶の中身は私の知っているそれよりも色濃く・・・
「これって・・・完成、したの?」
「ええ・・・概ねは完成したと言えるわ」
マリエンは微妙に言葉を濁すけれど、小瓶の赤は完璧な調色に見えた。
それが紙の上に綺麗に乗るのか等・・・まだ使ってみないとわからない事も多々あるけれど。
「ありがとう、さっそく使ってみるよ」
「・・・それと、レミッサ・・・貴女は自分の描きたい絵を描いて・・・」
「え・・・でも私にはまだ基礎が・・・」
マルガレーテは及第点をくれたけれど・・・まだまだ私には基礎が足りていない。
1年続けた事で、今の私は基礎の大切さに気付いていた。
私にマルガレーテのような描き方が出来るとも思えないけれど・・・我流で好き勝手に描いていたあの頃の描き方に戻るのには抵抗を感じる。
「大丈夫・・・今の貴女には描けるわ」
「でもマリエ・・・」
言葉を続けようとした私の唇を、マリエンの人差し指が塞いだ。
「・・・私に見せてほしいの・・・本当の貴女の絵を」
「・・・」
いつになく真剣な顔でマリエンに迫られては、私も頷くしかなかった。
私の描きたい絵・・・それはもちろん物語の世界だ。
現実では起こりえない事象を現実のように描く・・・今の私には色鮮やかな赤の絵具があって・・・
「・・・」
私が絵具の小瓶に手を掛けた瞬間・・・傍で見ていたマリエンが慌てるように顔を手で覆ったのが見えた。
蓋が空いた瞬間・・・かつて嗅いだことのない異臭が私の鼻腔を侵略していき・・・
「・・・かはっ」
変な咳が出た。
本能による拒絶反応・・・何だこの臭い・・・
傍らを見ると、鼻を抑えて難を逃れたマリエンが気の毒そうな、哀れみの視線を向けて来ていた。
「ま、マリエン・・・この臭いわ・・・げほっ」
「・・・鮮やかな発色にはパプニルの実を腐らせる必要があるの・・・臭いだけで問題はないから・・・」
この臭いだけで大問題なんだけど?!
ま、まぁ確かに絵具としては優秀だった、紙に乗せた時の伸びも良い。
費用を思えば破格の品質だと言える・・・この悪臭さえなんとかなればだけど・・・
幸いな事に時間の経過で悪臭は収まってくれるようで・・・描いている時だけ我慢すれば良さそうだ。
「うん・・・色んな意味でとんでもない絵具だよこれ・・・名前は決まってるの?」
「・・・『悪魔の鮮血』」
『悪魔の鮮血』・・・マリエンが口にしたその名前はすごくしっくりくる気がした。
確かに、この悪臭はこの世ならざる者をイメージさせる。
この絵具を得た事で、マリエンの絵は迫力を増して・・・誰もがその実力を認める事になる。
もちろんマルガレーテにもこの絵具を勧めたんだけど・・・彼女はこの悪臭を受け入れることが出来なかった。
そして私はと言うと・・・
「レミッサさん、いつまで部屋に閉じこもっているつもりですの?!」
「もうちょっと・・・もうちょっとだから邪魔しないで!」
・・・何かを掴みかけていた。
それが何かは言葉に出来ないけど、私がずっと描きたかったものを絵として形に出来そうで。
寮の部屋に籠ってひたすら描き続けていた。
「もう何日引き籠ってると思ってますの?!」
今何日目だろう・・・自分でもわからない。
でももう少しなんだ、あと1日も掛からない・・・もうすぐだ、もうすぐ私は・・・
「レミッサさん、合鍵を借りて来ましたわ! 今日こそは外に・・・うっ・・・なんて臭い・・・」
臭い? 絵具の臭いかな、慣れれば気にならなくなるんだけど。
マルガレーテはだいぶ苦手みたいだ。
それよりも、ついに描けた・・・描けたよ、私の絵が。
「レミッサさん?・・・ちょっと、しっかり・・・」
完成した絵を前に、私の意識が遠のいていくのを感じた。
全身の力がなくなるような疲労感に包まれながらも、達成感で私は笑顔を浮かべていたらしい。
「・・・レミッサ・・・私もああ言ったけれど・・・」
「・・・ごめんなさい」
「謝ればいい話ではないの・・・若くして命を落とした芸術家は多いけれど・・・」
医務室で目覚めた私を待っていたのは、マリエンのお説教だった。
日頃多くを喋らないマリエンにしてはえらく饒舌で・・・そしてそれは本気で私の事を心配してくれているからだとわかった。
「ごめんなさい・・・もう、あんな無理はしない・・・約束する」
「・・・本当に?」
「うん・・・マリエンにそんな顔させたくないし・・・それに・・・」
それに、もう充分私は手に入れた・・・確かな手応えを掴んだ。
マリエンには申し訳ないけれど、無理をしただけの甲斐はあったのだ。
「これからは私もついて行ける・・・マルガレーテにも、マリエンにだって追いついてみせるよ」
「・・・レミッサ、貴女はなぜそこまでして・・・」
マリエンにはまた無理をすると思われてしまったらしい。
すごく心配そうな顔をしてる・・・もう、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。
だって私は・・・
「だって私は、絵を描くために生まれて来たんだもの・・・」
「・・・」
「そうだ、あの絵はもう見てくれた? よかったらマリエンに貰ってほしいんだけど・・・」
・・・その時見せたマリエンの悲しげな顔が、今も焼き付いて離れない。
それはきっとあれが・・・私が最後に見た『生きている彼女の姿』だったから。
療養して無事に回復した私が、再び美術学校の門をくぐった・・・あの日。
たしか時間はお昼前・・・病み上がりという事で言い訳したけど、実は部屋でまた絵を描いてて。
それで遅くなったんだけど・・・今はそれをすごく後悔してる。
美術学校は門を抜けると大きな広場になっていてね。
かつての卒業生が寄贈した銅像が並んでいるんだけど、その銅像に囲まれるようにして・・・
最初の印象は赤い・・・いや、黒い?
広場の真ん中に赤と黒があった・・・それが何なのか私はすぐには気付かずに・・・
ううん、気付きたくなかったのかも知れない、だって・・・そこにあったのは・・・
▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽
「そこにあったのは・・・」
当時のその場所で見た光景を思い出しているのか。
悲痛な顔を浮かべながらレミッサ・ソフィエヌスは言葉を続けた。
「マリエンが・・・自分の手で胸に刃物を突き刺したマリエンが血だまりの中に倒れていたんだ」
「・・・!」
それは自殺事件・・・なんだろうか。
そこまでの話の流れからは何の脈絡もなく、あまりにも不自然に訪れたマリエン・ブラッドリーの死。
でもなぜ? 才能に恵まれ、将来も期待されていただろう人物がそんな事を・・・
「あの時の私は馬鹿だった・・・自分の事しか考えてなくて・・・」
「いや、レミッサさんのせいじゃないと思いますけど・・・」
芸術に縁のない身で差し出がましいとは思いつつも、私はそう言わずにいられなかった。
レミッサさんがマリエンさんの自殺に責任を感じて自分を責めているなら筋違いだ。
きっとマリエンさんにしかわからない事情があったのだろうし、友達の存在が彼女の救いにならなかったわけがない。
なんとか力になってあげられないだろうか。
すっかりうなだれてしまった彼女はとても小さく、頼りなく見えて・・・
私は自然と彼女に手を差し伸べ・・・その手はアーステール様に止められた。
「え・・・」
アーステール様はゆっくりと首を振った。
その視線を油断なくレミッサさんに向けながら・・・え・・・私、何かを誤解してる?
「後になって聞いたよ・・・」
そう言いながら、うなだれていたレミッサさんが、ゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは・・・自責でも後悔でもなく・・・私は思わず背筋に冷たいものを感じた。
そうだ、忘れていた・・・だからレミッサさんはあんなにも・・・
「古典派の人達がマリエンに嫌がらせをしてたって・・・あいつらマリエンの才能を妬んだんだ」
大切なものを奪われた者が抱く当然の感情・・・憎しみ。
それが浪漫派を名乗り、古典派と対立する道を選んだ彼女の、根底にあるものだった。




