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アーステールの猫  作者: 榛名
黒猫と鮮血の絵師
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黒猫と鮮血の絵師 3


「君の黒猫ちゃんかな、よく懐いてるね」

「うん、サフィールっていうの」

「サフィールちゃんか・・・おいでおいで・・・」


猫の姿を見るなり、レミッサ・ソフィエヌスは仕事の手を止めて駆け寄ってきた。

そしてアーステール様の前に屈みこむと、サフィールに手を伸ばした・・・うんうん、その気持ちはよーくわかる。

けれど・・・サフィールは他人には懐かない子だ、私も何度引っ掻かれたか。


「ダメですよ、その子は・・・あっ」

「にゃっ!」


彼女を止めようとする間もなく、サフィールの前足が、その鋭い爪による斬撃がレミッサの左腕に閃く。

しかし・・・


「ふっ、引っ掛かったにゃ?」

「え・・・」


レミッサは素早く左腕を退き、同時に右腕をサフィールの背中に回り込ませた。

間一髪で引っ掻き攻撃を回避、そのままサフィールの背中を撫でる。


「もっふもふもふ・・・良い毛並みだね・・・うちのミンクより艶があるんじゃないかな」

「にゃあ!」

「おっと危ない・・・触られるのが嫌なタイプかな、ごめんね」


体勢を立て直したサフィールの第2撃も、まるでその動きを読んでいたかのように回避。

自分でも猫を飼っているからか、この人、猫の扱いが手慣れてる。


「見た所教会の関係者には見えないけど・・・君達は私に何かご用かな?」

「は、はい・・・この方は伯爵家の末のご令嬢アーステール様、私はお付きのソアレと言います、今日は肖像画の件で・・・」

「肖像画?」


レミッサ・ソフィエヌスは初めて聞いたかのように目をぱちくりさせた。

え・・・肖像画の話は事前に伯爵家の方から通していると聞いていたけれど・・・エマリー様?


「アーステール様の肖像画を描いていただく話なんですけど・・・伯爵家からの依頼は受理されてます・・・よね?」

「ええと・・・あ・・・ひょっとしてアレかな・・・マルガレーテが勝負だって言って持ち掛けてきた貴族の・・・」

「あ、はい・・・マルガレーテさんの方にも描いてもらって、どちらかを正式に採用するという形式になっています」

「なるほどね、それでここに・・・」


よかった、納得はして貰えたみたいだ。

ライバル同士とは聞いていたけど、既に2人の間では勝負として認識されていたようで・・・

うすうす感じてはいたけれど、この依頼は人気の若手絵師2人の競争心を利用したような形になってしまっているのではなかろうか。

ちょっと汚い大人のやり口・・・エリーザ様あたりの入れ知恵が入っているのかも知れない。


「悪いけど、もう少し待っててもらえるかな、そろそろ来ると思うから・・・」

「そろそろ来る?」

「うん、いっつも昼過ぎに来るんだよ・・・皆朝早くから頑張ってくれてるのに、自分だけ・・・」


何かの本に書いてあった。

『暴君の噂をすれば、暴君はそれを聞きつけたかのようにやって来る』という。

レミッサのその言葉が終わらぬうちに・・・大聖堂の扉が勢いよく開け放たれた。


「誰が怠け者ですって!」

「ほら来た・・・お客さんの前だよマルガレーテ」

「え・・・ま」


マルガレーテって、まさか・・・

長い金髪を怒りに震わせながら歩いて来る、仕立ての良さそうなレースのワンピースを着た女性。

この人がもう1人の候補、マルガレーテ・リッチウェイ?


「レミッサさん、汚い猫を仕事場に連れてこないでって私、言ったわよね?」

「だからお客さんの猫だよ、マルガレーテ、お客さんの前でカリカリカリカリしないでくれないかな」

「そうやって人を猫の餌みたいに・・・って、お客様?」


そこでようやく金髪の絵師、マルガレーテ・リッチウェイは私達の存在に気が付いたようだ。


「初めましてマルガレーテ・リッチウェイ・・・私はアーステール・ベルティノスと申します」

「ベルティノス・・・伯爵家の!? し、失礼いたしました」

「うちの猫が汚くてごめんなさいね」

「い、いえ・・・それは・・・申し訳ありません」


サフィールを汚い猫と言われたのが気に障ったようで・・・アーステール様の態度が刺々しい。

そこは私も同じ気持ちだ、猫を悪く言うなんて許せない。

彼女がどんなに優れた絵師か知らないけど、もうレミッサさんの方を採用すれば良いんじゃないかって思ってしまう。


「私、てっきりレミッサさんがまた野良猫を拾ってきたのかと・・・以前それで描きかけの絵をめちゃくちゃにされた事がありまして」

「・・・そうなの?」

「あ・・・あれはまだ人に慣れてない猫が怖がっちゃって・・・でもいいじゃない、猫のする事くらい!」

「・・・」


いや、それはちょっと・・・レミッサさんも無責任な気が・・・


「それにレミッサさん、勝手に井戸を占拠してうちの子達が使えなくしたそうね」

「な、なんのことよ・・・」

「外で皆絵具まみれになって喧嘩していたわ・・・止めるの大変だったんだから」


あ、さっき見たやつだ。

あの喧嘩を止めてきたのか・・・結構すごい人かもしれない。


「自分は与り知らない、あの子達が勝手にやったと言うのね? リーダーとして責任を持てないなら、その浪漫派とかいうのお辞めになったら?」

「古典派と違って私達はそういう上下関係じゃないの、皆が各々の浪漫を求めてるのが浪漫派なんだから」

「責任逃れ?・・・見苦しいわね」


うわぁ・・・今度はこっちが喧嘩になりそうだ。

2人の間に漂う険呑な空気を察してか、作業してた人達も遠巻きに集まって来ていた。

こうして見ると、絵師達の服装は2種類に分けられる・・・絵具の汚れを気にしない簡素な服の人達と、お洒落な服で絵具の汚れがない人達。

おそらくは、それぞれのリーダーである2人と同じスタイルなのだろう。


「2人共、喧嘩しないでください!」

「喧嘩だなんて滅相もありませんわ・・・私としてはその人に仕事の邪魔をしないで頂ければ・・・と」

「よく言うよ、そっちだってしょっちゅう嫌がらせしてくるくせにさ・・・」


喧嘩を止めようとしてはみるものの、2人のヒートアップが止まらない。

思った以上に確執は根深いようだ。


「ふん、貴女がいると聞いていたら、こんな仕事は断っていたのに」

「それはこっちの台詞! 本当ならもっと早く終わってるはずの仕事だったのに・・・」

「それこそこちらの台詞です、当初の予定通りであれば今頃はアーステール様をお迎えする準備に専念していたはず」


これはひょっとして・・・

いつもこんな風に喧嘩ばかりしているせいで、仕事が予定通りに進まなかったのでは?

どちらも実力のある人物だ、本来なら終わっているはず・・・その言葉に嘘はないのだろう。


「ということは・・・」


アーステール様がいつにも増して冷ややかに言葉を放った。

あ、これは私にもわかる・・・いつまでも喧嘩してる2人にご立腹なんだ。

幼い少女とは思えぬ威圧感に2人の喧嘩がぴたりと止まった。


「2人とも、こちらの仕事が終わるまでは私の肖像画には取り掛かれない、という事かしら?」

「「・・・!?」」


そしてアーステール様は、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。

まるでこの世の終わりでも来たかのような絶望を顔に張り付けて・・・


「ああ困ったわ、忙しい私がこの街に滞在出来る時間は限られているというのに・・・」

「え・・・アーステール様?」


別に差し迫った用事もないので、その気になればいくらでも滞在出来るはずだけど・・・

しかしアーステール様は私へ念を押すように、同じ言葉を繰り返した。


「すごーく忙しい私が、この街に滞在出来る時間は限られているというのに・・・ね?ソアレさん」

「は、はい・・・困りました」


どうすれば良いのかわからなくて・・・本当に困るんですけど。

アーステール様はいったい私に何を求めているのか。

しかし、そんなよくわからない茶番も、この2人に対しては効果覿面だった。


「す、すぐに終わらせます! 3日後には必ず・・・いえ、明日にでも!・・・レミッサさん、もう邪魔はしないでくださいまし」


そう言い残して、マルガレーテさんが自分達の作業場所へ駆け出して行った。

どうやらこの大聖堂の壁画は西側を彼女達古典派が、東側をレミッサさん達浪漫派が担当しているらしい。

素早く古典派の人達に指示を飛ばしながら、マルガレーテさん自身も描く為に絵筆を取りに向かった。


「わ、私達だってすぐに・・・」

「ちょっと待って」


そんな彼女らに対抗意識を燃やして作業に入ろうとしたレミッサさんを、アーステール様が呼び止めた。


「レミッサさん達は、一旦ここの仕事を止めて貰えないかしら」

「え・・・」

「レミッサさんには、先に私の肖像画に専念してほしいの」

「で、でも・・・こっちが先に受けた依頼だし・・・」

「ここの依頼主には私の方から話を通してくるから・・・ね?」

「うーん・・・それなら、まぁ・・・」


ちなみに依頼人である司教はあっさりと承諾してくれた。

彼にしても、この状況には頭を悩ませていたらしい。

元々は片方の作業が終わってから、もう片方を入れるつもりだったのが・・・『どちらが先か』で争いになった結果、今に至っているのだとか。


司教の了承を得て再び戻ってくると、大聖堂の中央に人が集まっていた。

壁画の作業に取り掛かっていたはずの古典派と、撤収作業に入って貰っていたはずの浪漫派が全員揃っている。


・・・すごく嫌な予感がするけれど、無視するわけにもいかず・・・


集団の中央には・・・やっぱりマルガレーテさんとレミッサさんがいて。

まさに一触即発の気配を放っていた。


「あ、あの・・・皆さんこんな所で何をして・・・」


出来れば聞きたくないんだけど・・・せめて『たいした事じゃない』と言ってほしいんだけど。

まだ建設中の教会だからか、私の願いは天に届かなかった。


「マルガレーテ様の絵具がなくなっていたのよ」

「え、絵具・・・ですか」


なんだ絵具か・・・一瞬そんな風に思ったけれど、その絵具というのがとんでもなかった。


「年にごくわずかしか作る事が出来ない特別な絵具で、この場の全員分の報酬よりも高価な品なんです」

「ええええええ」


私のお給料で言うと3年分くらいだ・・・世の中にはそんな高価な絵具があるのか。

でもそんなに高価な絵具を使っていたら赤字になってしまうのでは・・・


「だからマルガレーテ様も、ここぞという時にしか使われない物なのよ」

「壁画の仕上げに向けて、いよいよそれを使おうとしたら・・・なくなっていたの」

「きっと浪漫派が盗んだんだわ」


普段の喧嘩の延長線での盗難事件・・・状況的にそう見られるのは仕方ない。

もちろん疑われた浪漫派の方も黙ってはいなかった。


「そんな無駄に高いだけの絵具を有難がるのなんて古典派だけだし」

「高い絵具使わないと良い絵が描けないとか、絵が下手ですって言ってるようなものじゃない」

「どうせ自分達でどこかに落としたんじゃないの?」


マルガレーテさんを筆頭にお金持ちが多い古典派に対して、浪漫派はあまり裕福ではない家の子が多いらしく。

『安い絵具を使って、高い絵具の絵に勝つ』を目標にしてる節もあるようだ。


「悪いけど、浪漫派には絵具を盗む子なんていないよ」

「それはどうかしら? 貴女達はまだあの臭いお手製の絵具を使っているのでしょう?」


臭い絵具・・・そういえば、浪漫派の側からは何とも言えない独特の刺激臭が漂っていた。

お手製という事はあの人達の手作りか・・・お金がないなりの節約法なのだろうけれど、この臭いが服につくのはちょっと嫌かも。


「そっちこそ、まだあの絵具の良さがわからないの? あれはね・・・」

「お金がないばかりに! 使いたい絵具も使えずに、無理をして悪臭がする絵具を嫌々使っている・・・そんな子もいるのではないかしら?」

「な・・・マルガレーテ」

「あら怖い・・・レミッサさん、犯罪者みたいな顔になってましてよ?」

「く・・・」


さすがに事が事だけに全ての作業は中断。

これから衛兵を呼んでしっかり捜査する事になるだろう・・・おそらく私達も捜査対象だ。

・・・間違っても私達が犯人なんて事はないのだけど、きっとアーステール様はすごく嫌がるだろうな・・・と、そんな事を考えていると。


「臭い、ね・・・確かに、泥棒の臭いがするわ」

「アーステール様!?」


聞き慣れた声でありながらも、どこか異質なその響き。

幼い少女とは思えぬ程、冷たく落ち着き払ったアーステール様の声・・・これを聞くのは、もう何度目か。


声に振り返ると、アーステール様がその灰青の瞳を伏せながら、私の前へ足を踏み出す所だった。


「忙しい私は、こんな事件に巻き込まれてるような時間はないの・・・そうよね?ソアレさん」


私の横をすり抜けるように前に出ながら・・・そこだけはいつもの声で耳元に囁く。

これから何が起こるのかは、もう明らかだった。


「マルガレーテさん・・・貴女の絵具はいい匂いがするのね」

「え・・・あの絵具は匂いなんて・・・」

「そう? 私にはすぐわかったけれど・・・貴女は知らない、のね」

「申し訳ありませんアーステール様、私には何のことか・・・もしやあの絵具がどこにあるのかご存じなのですか?」

「ええ、どうやら貴女の絵具は本当に盗まれたみたい」

「・・・!」


アーステール様のただならぬ雰囲気に呑まれて、古典派も浪漫派も押し黙る。

この場の全員が固唾を飲んで見守る中・・・アーステール様はゆっくりと人差し指を伸ばした。


「絵具を盗んだ犯人は・・・貴女よ」


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