黒猫と国境の街 3
「アイゼルが湖に・・・そんな馬鹿な・・・」
湖にアイゼルが身を投げた事を伝えると、コリベール男爵の顔は血の気を失ったように白くなった。
「何かの見間違え・・・ではないのか? よく似た年恰好の誰かでは・・・」
「いいえ、あれは間違いなくアイゼルさんでした」
狼狽する男爵にアーステール様は淡々と事実を告げた。
遠目で見た限りなので、正直私は自信がないのだけど・・・アーステール様にはしっかりと見えていたらしい。
「そもそも今朝の時点で・・・この屋敷に彼女の姿はありませんでした」
そう言われてみればたしかに、屋敷でアイゼルの姿を見ていない。
湖に出掛ける事は前日に伝えてあったし、彼女の手を借りるような事もなかったので気にしていなかったけれど。
しかし私達はともかく、彼女の主である男爵はアイゼルの不在を気に留めなかったのだろうか。
「男爵はアイゼルさんの不在を何とも思わなかったのですか?」
「・・・アイゼルには自由な裁量を与えて屋敷の管理を任せている・・・朝早くから外出する事も別段珍しい事ではない」
つまり、そんなに早朝から出掛けないといけないような仕事内容が続いていた、と・・・
やはりアイゼルには同情してしまう。
いずれは改善される用意があったとしても、今の彼女が耐えきれなかったのでは意味がない。
その後、男爵自ら陣頭に立って湖が捜索されるが・・・遺体は見つからなかった。
あの湖は思った以上に深くなっていて・・・水底の方で何かに引っ掛かっているのかも知れない、との事だ。
当然ながら屋敷や街でアイゼルの姿を見る事もなく・・・他人を見間違えたという可能性はなさそうだった。
その後も数日に亘り捜索が続けられたが、何も発見されないまま・・・
そろそろ捜索を打ち切るべきとの声も上がったが、男爵は頑として捜索を続けさせた。
主としての責任を感じているのか、日に日にやせ衰えていく男爵の姿を見ていると彼も可哀そうに思えてくる。
こうなる前に、もう少しなんとか出来たのではないか・・・私も同じメイドとして愚痴の一つも聞けたなら・・・
そんな風に考えている間にも時は無情に流れていき・・・アイゼルの遺体は見つからないまま、私達の滞在期間も気付けば予定していたそれより大きく過ぎていた。
そんな折・・・この状況が大きく変わる出来事があった、アイゼルの自室にて彼女の遺書が発見されたのだ。
「ソアレさん、男爵にアイゼルさんの部屋の鍵を借りてきたわ、今から手伝ってもらえる?」
「よく借りれましたね・・・」
「さすがにもう諦めたんじゃないかしら」
「諦めた?」
「アイゼルさんが生きてる可能性を・・・奇跡的に助かったって話もあったわけだし・・・」
「ああ、そういえば・・・」
あのお婆さんの話か・・・男爵はそれを知っていたのかわからないけれど。
彼女のプライバシーを理由に渋っていたから、あの話自体は耳にした事くらいはあるのかも知れない。
けれど、事ここにきて彼女の死を受け入れた・・・という事だろうか。
正直あんな高さから飛び降りて無事に済むとはとても思えない・・・お婆さんには悪いけれど、あの話はそれなりに脚色された物語なのだろう。
「あまり部屋を荒らさないように、とは言われてたけど・・・」
あっけない程簡単にその遺書は見つかった。
特に隠す気もなかったんだろう、むしろこれ見よがしにと言った方が良いかも知れない。
使用人に与えられた部屋にしては見栄えが良く、そこそこの広さ・・・客室の一つを転用したように見える。
その部屋の中程にあるテーブルの上に、アイゼルが書いたものと思われる遺書が置かれていた。
「・・・」
数枚に及ぶその遺書を手に取り、中身を読み始めたアーステール様の表情が曇った。
まだ最初の1枚目のようだけど・・・何が書いてあったのだろう。
「・・・アーステール様?いったい何が書かれていたんですか?」
「はぁ・・・」
ため息を吐きながらアーステール様は、まだ読みかけのそれを私に差し出した。
促されるままにそれを受け取り、内容に目を通す・・・
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
コリベール男爵の悪事をここに書き残します
どうか、この内容が正しい人の目に留まり
かの悪逆非道の男爵に然るべき裁きと報いがありますように
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
遺書を持つ手が震える・・・そんな・・・こんなことって・・・
「アーステール様・・・こ、これは・・・・」
「ええ、面倒な事になったわ」
そのまま遺書を読み進めると、物騒な書き出しに違わぬ内容になっていた。
2枚目以降もびっしりと、あの男爵がアイゼルにしてきた仕打ちの数々が赤裸々に書き綴られており・・・あのアイゼルを自殺に追いやるのに充分な内容に感じられた。
それどころか、領主としての立場を利用した不正の数々までもが書き残れされていて・・・
このような悪事が許されて良いのかと、アイゼルの言葉で糾弾され締め括られていた。
まさかあの男爵が・・・
にわかに信じ難い話ではあるけれど、これを書き残したアイゼルの覚悟を思うと無下に扱うわけにもいかない。
もしこれらが事実であれば、伯爵家が動いて・・・あるいは、国王陛下に裁きを委ねるような事件かも知れない。
「ま、まずはエリーザ様に報告を・・・ああ、でも手紙で送るのはよくないですよね、すぐにここを発つ用意をしないと・・・」
事が事だけに慎重に動かないと・・・ここは男爵の領内だ。
彼の悪事を告発するような内容の手紙を、ここから送るには不安がある。
下手に手紙を出すよりも、私達が直接エリーザ様の元を訪ねる方が確実に思えた。
「落ち着いてソアレさん、荷物を纏めるには早いわ」
「で、でもアーステール様・・・」
「大丈夫、ここは私に任せて」
そう言ってアーステール様が遺書を手に向かったのは・・・男爵の執務室だった。
「ちょっとアーステール様・・・なんでこんな所に・・・」
「そんなの決まってるじゃない、男爵に直接聞けば早いわ」
「ええぇ・・・さすがにそれは・・・」
「いいからいいから・・・コリベール男爵、見て頂きたいものがあります」
私の制止を振り切り、アーステール様は叩きつけるように扉をノックした。
なんて大胆な・・・いつものアーステール様にあるまじき短絡的な振る舞い。
いやいや、こっちが本来のアーステール様の姿かも・・・そんな私の葛藤も知らず、アーステール様は子供らしい無邪気さで部屋に入っていく。
・・・ああもう、ここは私がしっかりお守りしないと。
「んにゃあ」
いざとなればこの身を盾にしてでも・・・気合を入れる私の足元でサフィールが不安そうに鳴いた。
・・・大丈夫だよ、サフィールも私が守るからね。
そんな思いでこの黒猫を撫でようとしたら・・・サッと躱され逃げられてしまった。
「・・・そうか」
遺書に目を通したコリベール男爵は、難しい顔をして黙り込んでしまった。
アイゼルが最期に遺した言葉に、男爵は何を思ったのか・・・その表情からは読み取れない。
「ここに書かれた内容に間違いはありませんか?」
「概ね相違ない・・・私があの娘を追い詰めてしまったのだろう」
アーステール様が問い詰めると、意外な程あっさりと男爵は罪を認めた。
部屋のどこかから武装した部下の人達が出てくるんじゃないかと身構えていた身としては拍子抜けだ。
「本当に?」
「・・・ああ」
「本当に?」
「・・・申し開きはない」
アーステール様がしつこく聞き返す・・・まるで男爵の返答が気に入らないかのよう。
男爵の方も返答は変わらず・・・いや、罪を認めているのだから、それ以上の事もないと思うけれど。
なぜかアーステール様は不満そうな顔をしているけれど、この件は決着が着いたとみて良さそうだ。
「アーステール様、これ以上はもう・・・後の事はエリーザ様にお任せしましょう?」
「むー・・・」
アーステール様はまだ納得いかないらしく、頬を膨らませているけれど。
潔く罪を認めている男爵を、これ以上責めても仕方ない。
コリベール男爵にはいずれ然るべき裁きが下されるだろう・・・それでアイゼルの無念が晴れるかはわからないけれど、もう私達に出来る事は何もないはずだ。
私達は部屋に戻り、エリーザ様宛に報告の手紙をしたためた。
そして今度こそ荷物を纏めて帰り支度をしていると・・・
「にゃー、にゃー」
窓辺でサフィールが鳴き声を上げていた。
見ると、長い尻尾をパタパタと左右させていて・・・うわかわいい。
ご飯の催促かな・・・あの湖で獲れるという魚が一瞬脳裏をよぎったけれど・・・さすがに今は・・・
「にゃー、にゃー」
「もう、サフィールうるさい、遊んでほしいの?」
アーステール様はそう解釈したらしい、窓に近付くと乱暴にくしゃくしゃと黒猫の頭を撫でて・・・不意にその手が止まった。
「あ・・・」
「アーステール様?」
「ちょっと出かけてくる!」
「えっ・・・ま、待って・・・」
制止する間もなくアーステール様が駆けだして行く。
慌てて追いかけるけれど、アーステール様は足が速く・・・その差は広がるばかりだ。
その足はどこに向かっているのか・・・なんとなく窓から見えた方向のような気がするけど・・・
しばらく走った先で、アーステール様の足が止まった。
なんとか見失わずに済んだけれど・・・すっかり見知らぬ山道に入り込んでしまっていた。
鬱蒼と生い茂る足元の草と、軽い傾斜の上り坂がその足を止めさせたのか・・・でもそれらは、すっかり息切れを起こしていた私の体力をも奪い尽くしてくる。
「はぁ・・・はぁ・・・アーステールさ・・・」
「しっ・・・静かにして、気付かれちゃう」
なんとかアーステール様に追いついた私の口元に、ぐいっと人差し指を突き付けられた。
・・・気付かれる?誰に?
前に誰かいるのだろうか・・・前方に目を凝らすと・・・山道の先に誰かがいた。
背中に籠を背負い腰を曲げて歩くその姿はどこか見覚えが・・・たしか、この街に来た日に会った・・・
「あれは・・・あの時のお婆さん?」
「うん・・・ソアレさんも気付かれないようにね」
「は、はい・・・」
そう言いながら、アーステール様は足音を忍ばせてゆっくりと足を進めた。
わけもわからないまま、私もそれに続く・・・先を行く老婆の方も歩みは遅く、見失う事はなさそうだが・・・
「アーステール様・・・なぜあのお婆さんの後を・・・」
「そのうちわかるから、静かにして」
「あ・・・はい・・・」
あのお婆さんは結構耄碌してた印象だったけれど、アーステール様は油断なく尾行を徹底するようだ。
そんな飼い主の意志がわかるのか、サフィールも足音ひとつ立てずに・・・その辺りは猫の得意分野かも知れないけれど。
私も黙って後に着いていく事しか出来ない。
いったいどれくらいの時間が経ったか・・・
遅々とした追跡で時間の感覚がおかしくなりそうになってきた、その時・・・前方の風景に変化が現れた。
生い茂る草の山道から、ごつごつとした岩に・・・足場が悪くなっていく中、逆に老婆の速度は上がっていく。
視界を遮る物もなくなっていって・・・そろそろ身を隠しながら追うのが難しくなってきた。
それどころか、老婆を見失わずに付いていく事さえ・・・
「アーステール様・・・もうこれ以上は・・・」
「ソアレさん、見て」
老婆の姿も見えなくなって・・・追跡を断念するよう勧める私を遮ぎり、アーステール様が何かを指さした。
目を凝らしてその先を見ると・・・ごつごつとした岩山の中に、何か黒い色のものが混ざって・・・
いや、それは岩の色ではなく・・・
「・・・洞窟?」
「しかも人の手が入ってる形跡があるわね」
「えっ・・・」
近付いてみると、確かに・・・その洞窟は人の手で造られた形跡があった。
真っ直ぐ奥に伸びた洞窟は、崩れないように木組みの枠であちこち補強されており・・・洞窟と言うよりは・・・
「坑道?」
「より正確には、廃坑、かしら・・・」
確かに、現在使われているようには見えないし、年月の経過で朽ちてきているようにも見えた。
・・・あの老婆はこの中に入っていったのだろうか・・・いったい何の用があって?
まさか鉱石の採掘? いやさすがにそれは・・・
「アーステール様・・・この場所って・・・」
お婆さんが背中の籠に鉱石を入れる所までイメージして、慌てて首を振ってそのイメージを頭から追い出した。
アーステール様がそんな事の為にあの老婆を尾行したとは思えない。
ではこの場所でいったい何が・・・
「うん、思った通りだわ」
「?」
アーステール様に問いかけると、まるで何かを確信したような、自信に満ちた顔で頷いていた。
思った通り・・・そう言われても、私には思い当たることが何もない。
そして何もわからずに首を傾げる私に、アーステール様は更なる衝撃をもたらす発言をしたのだった。
「間違いないわ・・・アイゼルさんは生きている」




