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怒涛の春  作者: 十 一
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第六章  父と子

「眞宙君一緒に帰らない?」

 放課後、にっこぉと笑った穂那実に声を掛けられる。

 クラスメイトの視線が一斉に集まって、中には殺気の籠った視線もちらほら混じっている。

「お…おう」

 あれ以来仲は悪くなかったが、こんな風に真正面から好意を示されることはなかっただけに、笑顔でも何やら企みがあるようで内心身構えてしまう。

 外では雨がさわさわと降っていて生徒達の傘の花が色とりどりで美しい。

「今日から家政婦さんが来てくれててさ。私急いで帰らないでいいの」

「そりゃ良かったな」

「ホントよ。お母さんは人に聞かれたら料理は私の趣味だとか答えてたけど、全然そんなんじゃないんだから。嫌いじゃないけどさ、お母さん吝嗇だから特売日に買い溜めとか、安くてお腹が一杯になるレシピ調べたりだとかさせられてた。他にしたいことがあっても出来なくて、それがようやく解放されたの。いい誕生日プレゼントだわ。お母さんはそんな気、全然ないだろうけど」

「そうか」

 夏秋家では俊平も当番に入っていて、それだけでなく総菜類を作り置きして子供達の負担を減らしてくれてもいた。片親家庭でも色々あるのだ。

「そうなのよ。で、判った?」

「何が?」

「今日私が誕生日だって」

 判る訳がない。

「あ、そうなんだ。おめでとう」

 それで自分に声を掛けたということは、誕生日のプレゼントを期待されているということなのだろう。

「何か欲しい物あるのか?」

「前に食べさせてくれたアイスクリーム食べたい。それとお願いしたいこともあるんだ」

「お願い?何だよ?」

「それはアイス食べながら話す」

 大層お気に召したようで、眞宙は今度は同じ店のアイスクレープを奢らされた。イートインすれば生クリームが山高々と盛り付けられる。

「わ~い、美味しそう」

「いいのか?今甘い物食べたら夕飯で食べれなくなるぞ。今夜はケーキだろ?」

「ああ、だ~いじょう~ぶ、だ~いじょう~ぶ、ケーキったってショートケーキだもん。ペロッといっちゃうよ」

「大人なんだな」

「お母さんが吝嗇なだけ。お父さんは二段重ねのバースデーケーキ用意してくれたけどね。美味しかったぁ」

 口にするとケーキの味を思い出す。奮発してくれたのだ、スポンジもクリームも食べたことのない美味しさだった。

「…俺さ、この前一緒に食べたアイスクリーム代、親父に請求したらお前の為にだけ使えって…」

「お前呼び禁止!」

「……王様の為にだけ使えって金貰ったから、欲しい物があったら買ってやれっぞ」

 工作費ということか。

「あら惜しい、そうと分かってれば新しい制服買ってもらったのに」

「制服?」

「私が今着てる夏の制服新しいでしょ?去年まで着てたのって近所のお姉さんのお下がりのお下がりだったから、思い切って買っちゃったんだ」

「親が買ってくんねぇのか?」

 色褪せてたのは冬服だけではなかったのか。

「これだってお父さんのお金だよ。お母さんには衣替えの前に言ってみたらまだ着れるって。いつもそうなんだ。軽い変色でも友達と並んだらはっきり判っちゃってさ、恥ずかしかった。お金持ちになったからって財布の紐は緩くなんないんだよね。お母さんの言い分も解かるけど、度が過ぎると付き合い切れなくなっちゃう」

「だな」

 これまでも貧乏な家庭を知らなかった訳ではなかったが、こんなに胸に迫ったことはない。

「もし本当に良かったら…」

「だからしんみりしないでよ。これからお願いがあるんだから、言ったでしょ?」

「そっ、うだったな。で、何?」

 訊くと上目遣いで眞宙を見る。それが何だか可愛い。

「ヒロリンの妹さんって柚巴ちゃんって言うんだってね」

「ヒロリン⁉」

「何?文句ある?」

「ある。俺は呼捨てでもいいからヒロリンは止めろ、こっぱずかしい」

「いいと思ったんだけどなぁ」

 ちょっと不服そうだ。

「まあいいや。それで柚巴ちゃんって肩にナマケモノの式神を乗せてるじゃない?」

「そんなに鮮明に視えてんだ」

 ならば及第点は越えている。そこら辺の雑霊が視えるだけなら、柚巴の式はぼんやりと映るだけだ。

「視えてるの。それで眞宙も何か式を連れてるのかなって?ねぇパンダ?パンダ連れてたりする?パンダよね」

「何でパンダ一択なんだよ。柚巴が何でナマケモノ乗せてるのかは俺だって解かんねぇけど、基本とろい動物なんて式神にしねぇよ。パンダとろいだろうが」

「分かんないわよ。とろくないパンダだってアニメにいるじゃない」

「俺もそれは悪くねぇなって思うけど、流行りに浮かれるバカみてぇじゃねぇか」

「流行りを取り入れるって大切なことよ」

「じゃあおま…王様は式神を持てたらパンダにするのか?」

「しない。パンダの可愛さって理解出来ないから。式神って形を自由に出来るの?だったら鵺とかがいい」

「何でそんなにマニアックなんだよ」

「視る人を脅せる方がいいんでしょ?」

「もっと可愛いのとか考えらんねぇのかよ」

「フェネックギツネかハーピーイーグル」

「方向性が解かんねぇよ」

 どちらの動物も眞宙の知識にない。

「解かんなくっても構わない。話が逸れちゃったね。ごめん。ねぇどうなの?」

「式神は使える。けど柚巴みたいに形を与えて四六時中連れてたりしない。あれはどうしてか離れなくなっちまったんだ。親父が剥がしてもすぐに現れるんでそのまんまになってる」

「へぇー。それって私も修行とかしたら使えるようになるもん?」

「なるよ。才能有るし。後は質の問題」

「それって眞宙が私に教えられる?」

「薄々気付いてたけど、お願いってそれかよ」

「そう可愛い教え子が出来るってお願い」

「どうせ親父に内緒なんだろ?秘密も多くなると隠し切れねぇよ」

「何とか隠しなさい。大丈夫よ、その内兄弟になるかもしれないんだし、眞宙は何月生まれ?」

「九月…って、あ!」

「その場合私が姉になるのよね。月長者の言うことは聞いた方がいいよ」

 ニッコリ笑った笑顔が不吉だった。

「兄弟になるって決まった訳じゃねぇだろうが。第一まだ紹介もされてねえよ」

 反論すると穂那実の目が険しくなる。

「人の母親を弄んでおいて、ヒロリンのパパは責任取れないっていうの?そんな男なのヒロリンのパパ」

「ちょ、ヒロリンは止めろってばよ!」

「何なら教室でヒロリ~ンとか、弟ちゃ~んとかって呼んでやってもいいのよ?」

「な、何て極悪な女!」

「パパにちゃんと男として責任取らせてよ」

「どんな責任だよ⁉」

「あんた何!乙女の私にそれ言わせんの⁉」

「へ?」

「そっか、うちには来るけどまだ夏秋家ではお母さんを紹介してないんだもんね。だよね、お母さん外泊したことないもんね。ふ~ん、弄ぶだけ弄んで用済みになったらポイするつもりなんだ~ヒロリンのパパって」

「いや…、それは…ってか親父は…」

 俊平と片桐母の関係の進展などまるで眞宙は知らないし知りたいとも思ってない。

「親父は何よ?うちには私達の気持ちも顧みずにズカズカ乗り込んで来ておいて、思春期の子供らの前で散々甘い台詞吐いてる癖に、我が子にはお母さん紹介してないんだ。ふ~ん、私今からパパって呼ぶ練習してるってのに~」

 確かに俊平は一度も千夏を家に連れて来たことはない。それはこれまでもそうで、能力のある子供が欲しいと派手な女関係を展開しているのは、叔父の恒平や親戚から聞いていたが、相手を子供達に紹介したり結婚話が出たことはなかった。柚巴は可哀想に父の基準をクリアしてない自分に傷付いていたが、つまるところ女遊びをしたいだけだと眞宙は考えていた。

「知らねぇよ、それはまだそこまで関係が進んでないってことだろ?」

 苦しい言い訳だ、彼女の言いたいことは解かるが、肉親の生臭い話を正視するには腰が引ける。

「はい?子供もいる大人の男女が、初心な中学生みたいな清い関係だっつーの?マジそんな風に考えてる?」

「う…そう思……わない、かな…」

 ターゲットを千夏に絞っているから最近の父の女関係は鎮まっているが、穂那実が暗に匂わすような具体的なことは、考えたことがないというのが本当だ。

「パパはこの間ノーパンで帰ってったよ」

「いいぃ!」

「私達がお父さんのとこに泊った日は必ず来てんじゃない。お母さんは隠すのが下手だし、家事してたら嫌でも気付いちゃうもんなの」

 千夏はアウターだけでなく下着類も派手になっていて、父宅から帰れば冷蔵庫にはアルコール類や、おつまみの残りが入っているし、千夏は必ずシーツを洗濯に出した。これで気付かずいるのは難しいだろう。それと察した悠斗はどうしても母の洗濯物に触れようとしないから、結果、穂那実が洗濯することになるのだ。

「それは……」

 それを女子の穂那実は何ともあっけらかんと口にする。

「それは?」

 けれど眞宙は蛇に睨まれた蛙のように脂汗が滲み出る気がした。

「……親父のパンツ洗わせて悪かった…いや、申し訳ありませんでした」

 他人の父親のしかも何かした後のパンツを洗わされるなんて、どんなに嫌だか解かるから、どう言葉を選ベばいいか真剣に悩んで絞り出したのだが、ズバッと即答で一刀両断される。

「洗う訳ねぇだろそんなバッチイもん。ゴミばさみで掴んでごみ箱にポイだわ」

 言葉遣いだけでなく、突如として彼女の雰囲気や顔つきも変わる。どれ程父のパンツが嫌だったか如実に理解する。

 お互い片親で家事は当番制だから分かるのだが、父は女性と会う時は好いパンツを履いて行く。しかしそれはそれだと分かっているから、心の片隅で思っただけである。

「文句ある?」

「ありません。小指の先どころか一ミクロンもございません」

 本当にないのは解かって欲しかった。

「よろしい。一応今後も同様に処分することをパパに伝えといてよね」

「う…分かった」

 ガクリと肩が落ちた。

「よし!修行?は悠斗も一緒でお願い」

「お前?」

 秘密だと言ったのに喋ったのか、疑いの眼差しを向ける。

「話してない。私の口からは口止めされたことは何にも。けど、私達小さな頃から夢を共有する時があるの。信じる?」

「ああ、聴かない話じゃない」

「そう。夕べは久し振りだったんだ。最後がいつだったかは思い出せないけど、そういう時は必ず御眷属様が現われるんだよね。で悠斗に夏秋が祖父の一族だって教えたのよ。御眷属様が話さなかったことは私は何も話してない。ホントだからね。今日はまだそのことを話す時間もなかったし、けど敵か味方か分かんないけど、一族が一番私達の能力を解ってるから、教えてもらってもいいかもって」

「御眷属様が?」

 片桐家にお犬達が入り込んでいたことを父は嫌がっていたから、それを聞いたらもっと悔しがるだろう。

「お犬様とはいつから?」

「秩父に移ってから」

「――それは、水干姿の男か女か分かんない奴か?」

 初めて穂那実と二人で話した後、雑踏の中で笑っていた姿が浮かんだ。

「会った事あるの?」

「前に二人で話した後、帰りがけ離れたとこで笑ってた」

「話した?」

「そんな距離じゃねぇよ。会釈したら手を振ってくれた。それだけだ」

「じゃ話が早いね。そういうことでよろしく」

 と席を立とうとして不意に穂那実は只人ならぬ存在に気付いた。そして店内には二人の他、客は一人、ファンシーなアイスクリーム店の店内に似つかわしくない、丸まったグレーの服の背中だけしかない。従業員すら消えていた。一瞬後には世界は戻って件のグレーの客の姿は消えていた。

「ヒロリン今のって?」

 裕太の身に起こったことは聞いていたが、それが自分にも起こり掛けたのだと理解する。

「俺も初めてだ。夏秋の技じゃない」

 全身の毛穴が開いてクーラーが効いてるのに汗がどっと噴き出した。

「違うの?」

「違う。しかも仕掛けて来ながら止めるなんて…」

「ヒロリンが返り討ちにしたって訳じゃないんだよね」

「ヒロリン止めろ。俺じゃない。悔しいけどこの手の術中にハマったら、まだ俺じゃあ破れない。お犬様か?」

「分かんない…、けど裕太も自分以外人っ子一人いない世界を走り回らされたって言ってた」

「何!何でそんな大事なこと言わないんだよ!」

 クワッと怖い顔で迫る。

「犯人の最有力候補があんた達だったからでしょうが⁉」

 グワーッとさらに怖い顔で返された。

「じゃ、じゃあ俺達じゃないってこれで分かったろ」

「分かるもんですか!無知な可愛い小娘だからって、私達の警戒を緩めさせる計画かもしんないでしょ!」

「おいおいおい、俺を信用しねぇのかよ!」

 幾らなんでも傷付くではないか。

「当然でしょ?どんな理由があるにせよ、近い親戚だっていうのに秘密にして近付いて来たのよあんた達!父親はやり逃げ野郎かもしんないし」

 逆切れ気味で仁王立ちの怖い顔で迫られる。

「まだまだ信用なんて程遠いわ。信頼して欲しいなら私から信頼を勝ち取りなさい!」

「お…おう」

 あんまりにも堂々と宣言するものだから、眞宙は納得してしまった。

「第一歩として訓練でも修行でも何でもいいから、陰陽道っての?教えて」

「う…分かった」

「そう、じゃあいつから始める?夏秋パパに内緒なら交際を装った方がいいよね。手を繋いで下校するヒロリン?」

「ふざけんなよ!絶対しねぇぞ」

 大きな息を穂那実は吐き出した。

「何だよ?」

「覚悟の出来てない男ねぇ」

「はぁ~?」

 流石にちょっとムカッとする。だがそれもやはり穂那実には知ったことではない。

「そうやって一族上げて近付いて来たにしては覚悟が出来てないっつってんの!だからパパが本腰入れてお母さんに近付いたんじゃないの?」

「グッ」

「いい?私はお母さんが不幸にさえなんなきゃ、ヒロリンのパパとどんな関係を結ぼうと、避妊具ちゃんと使わなかろうとどうだっていいの。嫌なのはこっちが無知なのを利用して、理由も説明せず自分の都合のいいように私達を操ろうとすること⁉超ムカつく。どんな目論見があろうと、私や悠斗のことを意思に反して好きになんてさせないんだから!覚えときなさい⁉」

 台詞の中に聞き捨てならない、しかし聞き捨てたい単語が入っていたが、やはりどう口にしていいか皆目見当がつかず大人しい返事を返した。

「は、はい」

「よし!じゃあ私行くね。家事しなくて良くなったからいつからだって始められるから、さっさとカリキュラム作って始めてよね」

「え?おい、さっきの今で一人で帰って大丈夫か?」

「大丈夫でなくたってあんたに何が出来んの?可愛い彼女を守るナイトなんて務まんないでしょ」

「うううっ」

 同年代相手にここまで精神的に敗北するのは初めての経験だった。

「あのね、ヒロリンにも私にも互いに好みのタイプがあるよね。けどそれは一時どっかの棚に放り込んどいて、お互いギブアンドテイクなんだから。嫌なら修行をさっさと終わらせられるように努力しなさいね。私からは以上⁉」

 精神的に眞宙が立ち直る前に穂那実は雄々しく立ち去ってしまった。

 見栄えも頭も良くて自負心の強い眞宙だが穂那実には圧倒されてばかりだった。だがそれはスマホを取出して叔父に連絡が着く頃には面白さに変わっていた。


 ああ、凄いことを言ってしまった。

 アイスを食べ慣れないからすぐにお腹が緩くなる。ショッピングモールのトイレですることを済ませて落ち着くと、大きく息を吐いて己の言動を顧みた。

(嫌われちゃったかな?)

 穂那実の言動に一々呆気に取られていた様子は笑えるが、自負心の強い男は女に言い負かされると簡単に壊れるプライドを持っていたりする。彼のことが特別好きな訳ではないが、今後の為には嫌われるのは拙い。

「ま、いっか」

 明日様子を見て態度を考えればよい。

 それよりも今日は小雪と八弥斗(はやと)の為に色々とペットショップで買い物をせねばならない。小雪にはどんな首輪が似合うだろう。先に行っているはずの悠斗と合流すべく急いだ。



 父の姿を目にした途端、いつになく眞宙は怒鳴ってしまった。

「何やってんだよ親父⁉向こうは年頃の娘さんがいるんだぞ!もっと上手くやれよ。盛りのついたガキみたいなことしやがって⁉」

 片桐穂那実の前で恥ずかしい思いをした気持ちをそのままに父にぶつける。

 買い物から帰って冷蔵庫に品物をしまっていた俊平と柚巴は、いきなりのことに固まってしまった。

「眞宙…」

「お兄ちゃん」

「落ち着け、眞宙。ヤクルト飲むか?なんだ?穂那実ちゃんに何か言われたのか?父さんに言ってみろ」

 しまったばかりのヤクルトを取出す。

「いらん。今日の分はもう飲んだ。言われたも何も親の性生活なんて、俺は女の子の口からは聞きたくなかったよ」

「注意してたぞ。ちゃんと子供がいない時に限定で…」

 じとっとした娘からも非難の視線に気付いて咳払いすると眞宙を居間に誘う。そこからでも聞こえはするだろうが、夕食の準備をしながらでは聞き耳を立てるのは難しい。今日は柚巴の当番なのだ。

「俺はこんなに恥ずかしかったのは初めてだ。片桐は気性も良くて賢い奴だけど女なんだぜ」

「父さんだってお泊りは姉弟が留守の日だけにしてたぞ?」

「後始末の問題だよ。話には聞いてたけど、ホント片桐の母親は家事を丸投げしてんだな。親父は女をうちに連れ込まねぇけど、連れ込んだ翌日はそんな思いすることになるんだって心底同情したぜ」

「具体的には?」

 そっと娘を伺うと野菜を洗っている。

「俺も柚巴も交際相手のパンツなんて洗いたくねぇよ。忘れてきたろ?」

「ワザとだ、俺のお気に入りだぞ、いくらなんでも千夏ちゃんが自分で洗ってくれると思ってた。俺のパンツなんだ」

 自信満々なのがウザかった。

「ゴミばさみで抓んで捨てたってさ」

「カ〇バン〇ラインだぞ」

「親父の女がド〇チェ&ガッ〇ーナ履いてても俺だって心が動かねぇよ」

 ド〇チェ&ガッ〇ーナが下着を販売しているかどうかは不明だが。彼女程サラッと言える自信がなくて、告げられたこと全部は言えなかったが、家事をしてればそれ以上のことを否応なく察してしまうことは伝える。

「それは悪いことしたな。穂那実ちゃんから苦情聞かされたのか?俺には嫌な顔見せた事はないんだが」

「苦情ってのとは違う。親父のことパパって呼ぶ練習してるってさ」

「やっぱりな、父さん魅力的だから」

 柚巴の肩から離れたナマケモノがゆっくりと居間に入ってくるのを、俊平は憎悪の眼差しで一瞥した。

「調子に乗んなよ。片桐はお袋との仲が微妙で、母親の注意を自分から逸らしといて欲しいだけなんだよ」

「問題だな。母娘の仲を未来の父が取り持ってやらないと」

「余計なお世話だから止めとけ。じゃあ片桐のお袋のこと責任取る気はあるんだ?」

「父さんが能力の高い子をたくさん欲しがってるのは知ってるだろ?」

「女漁りの言い訳だと思ってた」

「俺の眼鏡に適う女が中々いなかっただけだ。千夏ちゃんとだったら上手くいきそうな気がする。いい子を産む胎だしな」

 父のそんな考えに言いたいことはあったが言葉を飲んだ。それに片桐千夏を愛してはいなくても、能力のある子供を産んでくれるとあれば大事にはするだろう。相手の好みを熟知していい気にさせて自分に都合良く持って行くのは父の得意だ。

「それはそうと、お前八尺様の噂を最近耳にしてないか?」

「八尺様?」

「そうだ。都市伝説なら子供の方が詳しいだろ?」

「聞いてないな…どうして?」

「猫御前の配下が秩父で行方不明になったらしい。相当な実力者だから判るまで時間が掛かったんだ」

「秩父は一応特別区だろ?何の用事があったんだよ?」

「裏家業の依頼内容がタブーなのは知ってるだろう?」

「だな。やっぱ俺は何処からも噂は聞いてねぇよ」

「そうか、何か聞いたら教えてくれ、それと捜索に配下の奴が来るから、怪異な噂を聞くかもしれん。俺ならそんな真似はせんが、猫御前の配下は力を誇示するのが好きだからな」

 そして残酷にやり過ぎて問題になっているという噂は、眞宙や柚巴にまで届いていた。

「巻き込まれんように変な噂を聞いたら近付かずに父さんに教えろよ。俺達夏賀一族を猫御前は快く思ってない。捜索にかこつけて何か仕掛けてくるかもしれんからな」

「分かった」

「それとなく片桐姉弟の方も注意してやるんだぞ」

「未来の兄弟として仲良くするよう努めますよ」

「穂那実ちゃんがパパって呼んでくれる日が待ち遠しいよ」

(げっ)

 それを夢見て、手を胸に当て頬を染めている父がウザい。さり気なく目を逸らす。思った以上に父は本気なのかもしれない。

「片桐は女の子としてどうこうじゃなくて人間として好い奴だから、家族になるのは嫌じゃねぇけど、破局しても嫌われないようにはしてくれよ」

「大丈夫だ安心しろ、俺が別れようと思わない限り破局はない」

 親父が最高にウザかった。



 片桐姉弟が通う茶山台中学校は二学期制である。連日雨の降る梅雨真っ只中に中間試験は行われた。採点され返って来た答案を誰もが仲間内で見せ合い結果について相談した。一人夏秋柚巴だけが興味なさげで、さっさと答案をしまった彼女からすれば、田舎の中学校の試験なんて語る程のことはない。

 それを気にしたのは悠斗だった。

 お淑やかで人間離れした雰囲気を持つ柚巴は、最初の頃こそクラスメイトが周りを囲んだが、気持ちを隠すのがまだ未熟だ。クラスメイトを見下す気持ちはどうしても洩れて、近頃は独りでいることが多かった。それだって柚巴は気にしていない。自分程の人間がどうしてぼっちになるのかは分からなかったが、バカに群がられるより静かでいいと本気で思っていた。

「夏秋さんは頭が良いから答案を見返す必要もないんだね」

「テストの結果は結果として次に進まないといけないから」

 適当に言葉を見繕いか弱げに見せかけて笑う。

「流石東京育ち。ホントは家で勉強してもっと先に進んでるんじゃねぇのか?田舎の中学の中間考査程度、歯牙にも掛けねぇってか?」

 当然ではないか、表には出ないとはいえ一族の名門夏秋家の娘なのだ。容貌も頭脳も正比例していなくてどうするのか。

「家で勉強はしてるよ。してないとこんな点数取れないでしょ」

「ま、まあそうだな」

 バカならこの程度で丸め込める。笑顔を連発するが、どうもその笑顔こそが曲者で、僅かに孕んだ虚無を少年少女達の本能が拾ってしまう。

「夏秋はどれもいい点数だったよな。何が一番得意なん?」

 悠斗が話し掛ける。するとほんの少し周囲の雰囲気が変わる。柚巴を苛つかせる現象だった。

 彼の周りにはテストの正答を確かめようとするクラスメートでひしめいていた。悠斗が優秀なのじゃない人気があるから彼を中心に集まってしまうのだ。

「う~ん、得意も不得意も今のとこないかな?解かんなくなるのはこれからじゃない?」

「余裕だよねあんた。今から解かんないあたしらはバカだって言いたいんだろ?」

 見た目もボーイッシュな岸本加奈子は嫌味たっぷりだ。頭が悪い分感覚が過敏で、理屈に寄らず一番柚巴の本性を見抜いている風のあるクラスメイトだった。

(こいつも何か能力あるよね)

 霊が視えるとかではなく、もっと別物の。だが多少は感じてはいる。ナマケモノが柚巴の気持ちに応じて威嚇すると、視えないまでも感じている様子が見て取れるからだ。

「そんなことないよ。解かる範囲は人それぞれじゃん」

「お前賢い奴相手にしてないで、目の前の問題理解しろよ。俺よりバカだろ」

 とは裕太だ。

「何だとぉ」

 とは答えたものの、素直に問題に戻る。

 心の中で柚巴は鼻を鳴らした。数学なんてまだ算数の範囲なのに、何故平均点の半分も取れないのか。バカにされて当然じゃないか。

「柚巴ちゃん」

 未だに柚巴から離れない数少ないクラスメイトの桑原まりあが、答案を片手に小さな声で話し掛けて来る。

「ここ解かんなかったの」

 恥ずかしそうに聞き取り難い囁き声で問題の一つを指差す。

 クラスで浮けば担任から保護者に連絡されてしまう。対人関係に問題ありと判定されないように、ある程度の交流は保っておかなければならない。

 ニコッと

「何処かな?私で説明出来るかな」

 と言ってやると嬉しそうに椅子を持って来て座った。

 ホッとして悠斗は答え合わせに戻った。


 雨で神社は使えず、裕太の家で宿題を済ませながら裕太と悠斗はぽつぽつとお喋りする。

「姉ちゃんさあ、昨日は国際バカロレアとか言い出してた」

「なんだそれ?」

「国際的な学業カリキュラムっつーか資格つーか、そういうの」

 それをしている学校は国内には少ない。学業にかこつけて母の下を離れようとしているのが丸わかりだ。未来に向かって飛躍していくのは分かるが、一足飛びに距離を開けられるのは寂しい。母より頼りにする姉だったから、ポツンと取り残される気がした。

 恋人に夢中になって、母が子供達を放っておいてくれるのではないかという希望は保留中だ。

 職を転々とする貧乏生活から一転、金持ちになって生きる為に働く必要はなくなってハンサムな恋人も出来たというのに、母は変わらず余裕がなく感じる。

 悠斗からすると家事も弟の面倒も丸投げされて文句も言わず、貧乏な時は勉強が出来るのに進学校に行くのも諦めかけていた。それは多分に秩父の学校事情もあるのだが、そんな姉に何故か辛く当たる母の理解は難しい。

 母親に従わない、昔は家族一丸だった、と千夏は口にするが、昔は仕方がなかっただけだ。お金が出来ても生活費も充分に貰えず、遺産が入った当初は私立だってどこだって好きな学校に進学させると約束した癖に、自分が田舎に住みたいからと持論を振り翳して子供達を従わせようとする。なら寮に入るなりして親元を離れて進学するのを認めてくれればいいのに、それも受け入れられない。妥協も譲歩も母にない。

 父、修吾との話し合いもだから平行線を辿っている。本人同士の話し合いがどんなものだったかは、父を知らなかった頃に聞かされた話を思い出せば想像がつく。それで互いに弁護士を立てたのだが、弁護士には冷静に裁判沙汰にすれば親権は共同親権になるだろうこと、この期に及んで父の接見禁止など有得ないことを告げられて千夏は憤慨していた。共同親権は法的整備がされていないが、現実には両者の合意の下に行われ始めているのだ。

 母のメッキがボロボロと剥がれ落ちていく。

 裕福になって、これからたくさん幸せな思い出を作れるはずだったのに、何故こうなるのかと千夏は嘆く。お金が入った途端に子供達は強欲になって親から金を引出して離れて行こうとする。あてつけがましく父を捜して必死で育てた自分への恩も微塵も感じないで仇で返してくる。誰も自分を理解してくれず、自分の考えを否定ばかりする。一つ一つ反論は可能だが千夏にとっては言い訳にしかすぎず、自分の考えを覆すものではない。誰も理解してくれないのではなく、千夏自身が誰も理解していないことに気付かない。

 穂那実が反発する程に従わせようと躍起になる。それが姉が掴もうとしている未来を潰すことになることを自覚していない。

 せめて恋人に夢中になって何も眼中になくなってくれれば良かったが、それも一時だけで余計に子供のことを気にするようになったようにも感じる。

 それはその通りで、悠斗は知らぬことだが夏秋俊平が巧みに子供のことを会話に織り込むことで、子供達から千夏の目が離れるのを防いでいた。

 しかしそれは裏目に出ていると言わざるを得ないだろう。千夏が子供達に干渉する程に子等の心は離れていく。穂那実の家出も増えて、秩父から三鷹の父は遠いから祖母の下に小雪を連れて家出する。そうなると事業に成功して経済的に余裕のある祖母は、孫の家出用のマンションを秩父に借りることを検討し始め千夏を憤慨させた。

「俺を一人にしないで、つったらお祖母ちゃんじゃあ2LDK探すって」

 有難いし期待する反面、母の気持ちを慮って凹んだ。

 家に帰れば息が詰まるからなるべく夕飯ギリギリまで帰らないようにしていた。そうでなければ帰るなり仔犬を連れ出して、仔犬達と遊びながら時間を潰すのだ。

「お母さんは俺にどうして?って訊くけどさ、俺が訊きたいよ」

 どうして母の考えを否定しているのではなく、自分の希望を話しているのだと理解してくれないのか。親に従わないんじゃない、親が無理難題を押し付けているのだ。

「それはいっそお祖母ちゃんの厚意に甘えて離れた方がいいと思うぞ」

 いつから聞いていたのか、いつの間にかアイスコーヒーとお菓子を載せた盆を手に、山川兄の瑠珂がいた。髪は青と緑と紫に染められている。

「いつの間に⁉」

「細かいことは気にするな。優しいお兄様がおやつを持って来てやったぞ」

「そのアイスコーヒー、コオロギ珈琲じゃねぇだろうな?」

「上手いぞ、地球の未来の為にも今のうちに慣れとけ」

 裕太が抗議する前に悠斗は手を伸ばしていた。

「えっ、飲むつもりか?」

「これがかぁ。興味あったんだ」

 コオロギ珈琲とはいえ一〇〇%ではなく二割程度混ぜられているだけだ。普通の珈琲と色は変わらない。匂いはアイスコーヒーでは左程感じられない。

 シロップやミルクを入れる前に、

「まずはそのままで飲んで味見ろよ」

 と瑠珂に勧められて一口飲んでみたが、珈琲に形状し難い独特の風味がある。飲み難いとか拙いとかはなく、例えるならアールグレイだの紅茶にハーブを足したりする感じで、元の珈琲の味以外のモノがコオロギであろう、というだけの虫に嫌悪感のある人間でなければ、後は好みかそうでないかの問題だけだ。

 味を確認するといつも通りミルクとシロップを投入する。

「お、独特だけど飲めるだろ?」

「お前、それ飲めんの?」

「うん、ハーブティーみたいなもん。好みとか慣れじゃね?気張ったハーブティーよりは飲み易い」

 それで裕太も恐る恐る口にした。

「お、それでこそ俺の弟だ。今日はコオロギ珈琲記念日だな。それで悠斗は家族のことで悩んでんのか?」

「母さんの気持ちが理解出来なくて、姉ちゃんとは気持ち的には重なる部分多いし、俺だって地元の高校通うだけで時間が掛かるとこに住むのは嫌だ。地元なら自転車で通える距離が普通だろ?それか交通が不便でなくてバスとかで通えるとこ」

「バイクなら融通してやるし乗り方も教えてやれっけど、免許がないと面倒だわな。子供が学校通う年齢なんだから、そこは親が配慮すべきだよな」

「姉ちゃんがお父さん捜しを祖母ちゃんに頼んだのも、父親に会ってみたいって気持ちもあるけど、進学費用を支援してもらえないかなってのもあって、高校無償化は私立も適用されっけど、いるのは学費だけじゃないからさ。母さんも仕事転々としてて、今の仕事だっていつ辞めるか分かったもんじゃなかったって事情もあったし…お父さんが見付かったのとお母さんが金持ちになったのが偶然重なっただけなんだ」

「お袋さん子離れ出来てねぇんだ」

「つってもそんなに可愛がってもらったってか、遊んでもらった記憶もないんだぜ、大体仕事や仕事探しで疲れてたし」

 そう口にしてみて初めて自分でも認識する。母さんには自分の時間が必要だと言われて、休日もたまにしか母と出掛けたことがなかった。公団の2LDKの一部屋に籠って、食事だ風呂だと呼ばれるまで部屋を出ないことがざらだった。出掛けないまでも一緒に料理を作ったり掃除洗濯したり、記憶層を探ってもそういう記憶もない。

 思い返してみれば、二人でお母さん支えないとね、と家事を一緒にしたのは姉で、食材を差入れしてくれたり家事の仕方を教えてくれたのは祖母や近所の人だった。母はシングルマザーで子供二人を懸命に育ててる。だから迷惑掛けたり困らせるようなことはダメだ、黙ってお母さんの言うことを利かないといけないと、何処かで思い込んでいた気がする。それは正論なのだけれど、過剰に思い込まされていたのではないだろうか。

 何だか一つ目から鱗が落ちた気がした。

「これは俺の体験ってより、グレてた時の仲間の話聞いてて思ったんだけどよ。お袋さんの周囲には人が居つかねぇんじゃね?てめぇの拘りだとか独善的な奴なんかにありがちなんだけどよ、そういう奴は自分が支配出来る子供を中々手放そうとしねぇんだ。自分は悪くねぇって証明にてめぇの考えに無理矢理従わせようとすんだよ。そりが合わねえなら適当に距離取んねぇと決定的に拗れちまうぞ。そういう親の支配から抜けんのには苦労すんだ。正しかったはずの親が化け物になるから心がボロボロになる。固定観念を根本から覆すことになるからな」

「お…思い当たる節がとってもある…。母さん友達いないし、お祖母ちゃんとも妹の秋葉さんとも仲が良くないし、自分以外みんなバカだと思ってる…」

「今から親孝行なんざしねぇでいいからな。親孝行ってのは出世払いでするもんだ。有難味が出るように出来る内に思いっ切り親不孝しとけ」

 異議ありな顔の裕太だったが所見は述べなかった。代わりに食べかけのチョコレートを見せる。

「兄貴、これ何?」

「それはグラスホッパー、まあバッタだ。バッタのチョコ掛け。コオロギ嫌いだろ?シルクワームとスーパーワームも混ざってる」

「げっ」

 となる裕太の隣で悠斗は一つ抓んで口に放り込み、思案顔で咀嚼する。

「お前、何で喰えんだよ、虫だぞ」

「え~、チョコが掛かってるしみんな食べてんだろ?食えるもんなんじゃん」

「だからって、自分からよく食おうって気になるな」

「昔近所のお祖父ちゃんが、人間が喰う物喰ってる虫は食える、って。だから母さんが無職になって金もなくなってさ、腹が滅茶苦茶空いてた時に、野菜についてる虫、取って食ったら怒られるかなって、どんな味かなって想像してた」

 瑠珂は悠斗の頭を抱いた。

「ふ、不憫な奴ヨ悠斗ぉ。どうして俺んち来なかったんだよ、うちで食べさせてやったのに」

 裕太は唖然としていた。

「家出するなら言えよ、トラック走らせてやっから」

「その時はよろしくお願いします」

 素直に頭を下げる。そうなる確率が高い気もしてきた。

「裕太の兄ちゃんは好い人だな。やっぱグレた経験があるからかな」

 だが親友は中身の解からぬチョコ掛けを黙って咀嚼した。

「おう、親に言えない悩みがあったら相談に来いよ。色んな経験積んだ兄ちゃんが相談に乗ってやるぞ」

「はい、遠慮なく」

「よし!」


 悠斗が帰らぬ間に家ではまたもや母娘喧嘩が勃発し、穂那実は小雪を連れて家を飛び出した。

 親子関係を悪化させると裁判で千夏の分が悪くなる。弁護士は譲歩して共同親権とし面会日を制限するので我慢するように諭すが、千夏にとっては飛んでもない、それは譲歩でなく惨敗だ。そして母への裏切りを画策している穂那実を目にすると、苛々して小さなことで怒りが誘発された。

 吐き出したくてもそんな友達はいなくて妹に電話する。

「はい?」

「お母さんの所為でうちはバラバラよ」

 何の前置きも挨拶もない。

『何があったの?』

「私に反発して穂那実が度々家出するのよ。父親の所は遠いからお母さんのところよ。けどそこだってそんなに近くはないから、家出用にマンションを借りてやるって話をしてるらしいの。何故すぐにその気になるバカな子にそんな話をするの?まだ十四歳なのよ穂那実は」

『十四いうたかてあなたよりはしっかりしてるから大丈夫やん』

「また!私の家族ってどうしてそう考え無しなのかしら。家出を助長して、十四歳で一人暮らししていい訳ないでしょ」

『お母さんは考え無しやないで。お母さんがそう判断したいうことは、お互いに距離を置かせて頭を冷やさせた方がええって判断やろ。穂那実ちゃんは頭良くてしっかり者やし』

「お母さんにそう訊いたの?」

『正直に言うたらお母さんからも穂那実からも話は聞いてる。一〇〇%自分の主張を呑ませようとせえへんで、優先順位を付けて譲れるとこは譲ったらどうなん?遅かれ早かれ子供は巣立っていくもんやん。うちらかてそうしたやろ?』

「けど…前にも話した俊平さんが」

『あの男前ね』

 恋人が出来てルンルンの千夏から画像を送られていた。

「そう、彼が親子は仲良くしないとって、思春期だから母親がついてた方がいいって…」

『ああ、その男も反吐が出そうな親子神話の信奉者なんや』

 毒でも吐きそうな声が聞こえた。

「何よ」

『よう考えてみ?千夏さんが穂那実ちゃんとおんなじ年頃のこと。母親と仲良くせえて言われて出来た?今はどうなん?』

「それは…」

 支配されたくなくて支配したい千夏には痛い所だ。

『家族やろうと姉弟やろうと一人の人間やん。そりの合う合わへんはある。それを一緒くたに人の心を無視して仲良くせえて、家族で一括りにするやなんて、それこそ相手のこと考えてへん証拠やん』

「……でも…」

『千夏さんは田舎に家が建てたいんやろ?けど子供達には学業があるし将来の夢もあるんやん。せやったら子供達の未来の為に手を放してやる決断も親にはいると思うで』

「そうだけど…」

 千夏の心が揺れている。彼女もそこまでは譲歩の用意があったのだ。

『第一、家が遠くなったら俊平さんとの付き合いかてどうすんの?千夏さんは財産があるからええけど、お相手は一級建築士として働いてはるんやろ?あんなええ男手放してしまうん?』

「そこまで遠くはないわよ!」

『けど今程気軽には会われへんのとちゃうん?ええ男やもん。きっと手近でキレイな人に乗り換えるで』

「俊平さんに限ってそんなことはないわ」

『じゃあ向こうの家族さん、お子さんいはるんやろ?紹介されたことある?』

「ま、まだそこまで…」

『でしょ?大人の付き合いって、身体だけで深みまでハマらへん付き合いを言うねんで。別にいいな思う女性(ひと)が出来たら、サヨナラも言わんとフェードアウトすんねん』

「……」

『その時に千夏さんが独りぼっちやったら、面倒になるかもしれへんやん?千夏さん美人やねんし、美人で金持ちなクライアントを横取りされへん為の枕営業やないて言える?』

 あんまりな言い様だが千夏の心は揺さぶられた。

「…言えない…でも…でも…」

『俊平さんに限って?まあええけど、姉ちゃんかて大人なんやから、割り切った関係で、その先を望んでへんのやったら要らん事言うてもうたね。せやけど穂那実ちゃんや悠斗は行きたい学校行かしたらなあかんで。せやないと私やお母さんが口だけやのうて手ぇもお金も出すことになるからね』

「分かってるわよ」

『反吐が出そうな綺麗な家族像押し付けられたら、お母さんや私のこと思い出して。うちらは自立心の強い女達やってこと思い出して』

「そうね。己の考えを持って引かないもんね」

 仲が悪い、ではなく自立心が強いと表現する。我が道を行く女達だと。耳障り良い言葉を与えてやると一もにもなく飛びつく。

「でも、もし俊平さんが…」

『千夏さんがその気になる位イイ男なんや』

「ま、まあね。一級建築士だし、それを鼻に掛けたりせず私を対等に扱ってくれるの」

『ティーンエイジャーの頃から千夏さんの男を見る目は高かったもんね』

 昔から白馬の王子様しか狙わない。だから貧乏なシングルマザーを口説くようなレベルの男に靡かなかったのだ。個性も人柄も愛情も眼中にない。先ずは王子様でなければいけないのだ。

「バカな男に引っ掛かって泣きたくないでしょ」

『あ、泣いてもいい位イイ男な訳だ!』

 クールな妹がこんなに理解してくれてるなんて驚きだった。恋バナは女の大好物だということか。

『じゃあ訊いてみたらええねん』

「何を?」

『千夏さんの家を設計してくれるんやろ?「部屋数もう少しいるかな?あなたの部屋とか…」って。その反応で二人に未来があるかどうか判るから』

「――いいかも、それ」

 その気になれば姉を操るのは容易い。考え方は少女の頃にたくさん傷付いて覚えた。耳に心地いい言葉を紡いでやればすぐにその気になる。

 しかしそんな簡単なことだとて、姉が生んだとは思えない程気性の良い穂那実や悠斗の為でなければしたくない。家族とは不思議なもので、話せばムカつくだけの姉やその子でも、折々気に掛かり幸せであって欲しいと思うのだ。人にはこんな心があるのだから、無理に仲良くする必要は全くないではないか。

 家族には家族単位の小さな文化があるように、それぞれの家族に良い距離感がある。家族だから親だから兄弟だからと、正論の枠に嵌められるのは真っ平だった。

「そういえばあんた、夜の仕事は辞めたんでしょうね?」

 だから姉とは仲良くなれないと思う。千夏が夜の仕事というのは水商売のことだ、確かに秋葉は怪談師のサポートで夜のイベントを主催したり手伝ったりしていて、千夏はそれを勘違いしていているのだ。何度か訂正したのだが、いかがわしいことは同じだと考えを訂正してはくれなかった。

 今はもうどう思われようと大事な物を傷付けられないならそれでよくなってしまった。

『手伝ったりはしてるかな』

「平岡のおじさんの初盆に行く前にはそっちに寄るんだから、子供達に説明出来ない暮らしをしてないでよ」

『私はいつかて人に言えんような仕事はしてへんで』

「仕事に貴賤はないなんて建前でしかないんだからね。お母さん以外の唯一の親戚なんだから、私に恥をかかせるようなことだけは止めてよ。それだけは念を押しとくからね」

『はいはい』

 適当に答えて通話を切った。

 これで十分だろう。もし千夏を毒親と認識して、穂那実達が母の下を逃げ出したいとなったら受け入れるだけだ。


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