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■■第三十八章■■
時刻は十七時十八分。
花屋の二階、女性にしては随分と殺風景な様相の自室に佇み、インフィニティは笑っていた。
部屋に貼られていたバイクのポスターも、伊藤梨花が携わった雑誌の数々も、今では無惨に床に散っている。
−−・・そう、全て順調なのね。
大賢者からのテレパシスを受ける彼女の指の先には、水差しに生けられた榊の枝があった。
−−・・後は全て、私に任せて。きっと上手くやるわ。
大賢者が僅かに心配する旨を告げてきたが、インフィニティは直ぐにテレパシスを遮断した。
テレパシスで無駄話をするような魔の力は、もう今の自分にはないのだ。
「・・時が近い。」
座っていた椅子から立ち上がり、インフィニティは呟く。
ぐるりと部屋の壁を見渡せば、そこは全て、様々な種類の鏡で埋め尽くされていた。
これはインフィニティの半神、伊藤梨花が錯乱し、設置したものだ。
自分が誰だかわからなくなる回数が増え、少しでも自我をこの場に留めようと考えたのだろう。
愚かな女だと思う。伊藤梨花ももう、長くはないのだ。
自身の存在に執着したって無駄なことなのに、彼女はそれにすら気づかず、惨めにもまだ生きていようとする。
「・・ふふ・・」
そこまで考えて、インフィニティは笑いを零した。
自分だって伊藤梨花と何ら変わらないのだ。役目を果たすまでは、どれだけ惨めな姿になろうが、生きていたい。
すっと水差しの中の榊を引き抜いた。
狙いを定め、一枚の鏡に向けて投げつけると、鏡はまるで水面のように、榊を吸い込み、そして割れた。
「・・もう、時間がないのよ・・」
床に落ちた破片を一枚拾い上げる。
破片は、窶れた彼女の瞳を反射させて輝いていた。
それを確認したインフィニティは満足そうに微笑み、頷いた。
自分ならきっと、全て上手くやれる筈なのだ。
「・・魔王。貴方の最期の願いは・・私が叶えます。」
呟き、鏡の欠片を握り絞めた彼女の掌からは、幾筋もの赤い血が、零れ落ちていた。