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■■第三十七章■■

「家まで送るよ。」

 喫茶店から出たアユミは、今度はトウヤの言葉を素直に受けることにした。

ほんの少しだけでも長く、この男と一緒にいたいような気がしたのだ。

 道に二つ影を並べ、歩きながらアユミは、僅かに腫れた瞼を擦った。

あの後アユミの口からは、堰を切ったようにこれまでの不安が零れ落ちた。

 母親のこと、インフィニティのこと。エリオットたちの前では決して言うことのできない、不安定になっていくアユミの心境の話。

トウヤは優しく微笑み、それらを全て受け入れてくれた。


『辛い思いをさせてしまっていたんだね。一人で今まで耐えてきてくれてありがとう。

 ・・でももう、大丈夫だから。』

もう決して、君は一人にならないから。そう言って優しく髪に触れてくれたトウヤの手は、アユミに今までに無い、安らぎを与えた。

 そうして存分に泣いたアユミは今、自らが癒されていることに気づいていた。

最初トウヤに出会ったときに感じていた鬱屈した緊張感や、警戒心も。今では既に取り払われている。

 アユミは自分を決して一人にしないと約束してくれたこの男の言葉を、心から信じていた。


「何か不安なことがあったら、連絡して。

 私はいつでもアユミさんの味方だし、協力するから。」

 隣でそう声を掛けてくれるトウヤに、アユミは黙って頷いて答える。


「どんなに辛くても、食事はきちんと食べて。

 食べ物は命をこの世界に繋いでくれる、大切なものなんだ。

 そのことを、忘れちゃ駄目だよ。」

アユミは再び頷き、そして思った。

 確かに、ここ数日アユミの食事の回数は減っていた。心配事が多くて何も食べる気がしなかったのだ。

元々、そんなに食べなくても支障のない体質をしているので、特に気にしてはいなかったが。

今日トウヤが過剰なまでにアユミに食べ物を与えようとしたのは、もしかしたら、そんなアユミの生活に気を使ってくれたからなのかもしれない。

「・・伊藤のお姉さん・・インフィニティからも、よく同じ事言われてました。

 いつも私のこと気に掛けてくれて・・一度私が眩暈起こした時も、私が食事を摂ってなかったんじゃないかって心配してくれて・・」

思えばあれ以来、伊藤のお姉さんが家に来たことはない。

 殆ど毎日、アユミの様子を見に家まで来てくれた伊藤のお姉さん。

幼い日々、アユミの母親の代わりに一緒に遊びに行ってくれた伊藤のお姉さん。

彼女との思い出は、一体どこまでが本当で、どこまでが嘘なのだろうか。

じわりと目の前が滲んで、アユミは慌てて瞼を擦った。


「インフィニティは・・アユミさんのことを誰よりも大切に思っているんだよ。

 あいつは人間に興味を持たない癖に、アユミさんだけは好いているようだ。・・・そういえば・・」

 思い出すことがあったらしく、トウヤはクスクス笑いながら言った。

「トウヤがアユミさんの指示を受けて、インフィニティの居場所を探っていたという事実を伝えた時。

 あいつはとても喜んでいたよ。アユミさんの指示は的確だったと、誇らしそうにね。」

まるで娘の出来を誉める母親のようだったと、トウヤは笑った。

「そう・・なんですか。」

 トウヤを見上げたアユミは、僅かに微笑んだ。

インフィニティは確かに魔物なのだろうが、彼女の半身である伊藤梨花はやはり、アユミの良く知る、優しい伊藤のお姉さんだったのだ。

自分と敵対している筈のエリオットたちの味方をしたアユミの行動を誉めるなんて、実に彼女らしい考え方だと思った。


「インフィニティは・・なんで戦わないといけないんだろう・・」

 あんな優しい女性が何故、エリオットたちと敵対しなくてはいけないのか、理解できなかった。

「あいつは魔物だ。魔物には人間にはわからない彼らの理がある。

 インフィニティは・・自らの理を守りたいのだろう。」

そう言うトウヤの横顔は、何故か少し寂しそうで。アユミは首を傾げた。

「理・・ですか?」

「そう。あいつは・・インフィニティは・・

 ただ、自分の親である魔王の願いを、叶えてやりたいだけなんだよ。」

そう答えて、アユミに向けられた眼差しはとても温かいものだった。

 自然、アユミは歩く事を忘れてしまう。

「私は・・」

アユミは震える声を紡いだ。

 足を止めたアユミに振り向き、トウヤは、首を傾けてその言葉を聞く。


「私は皆のために・・何をすればいいんでしょうか?」


 無力な自分が嫌だった。大切な人たちが戦わなければならないこの事態を、ただ傍観するだけの自分が嫌だった。

トウヤなら、アユミに何かしらの役目を与えてくれるのではないだろうか。

 そう期待して、トウヤを見上げたアユミは、彼の藍色の瞳の奥に、僅かな戸惑いが揺らぐのを見た。


「アユミさんは・・何もしなくていい・・。」

 トウヤは言った。その声が、僅かに震えていることに気づいて、アユミは驚いた。

「どうか、静かに、平和に。毎日を楽しんで過ごして。それがきっと、皆の願いだから。」

 アユミに近づいた彼の手は、優しくアユミの髪を撫でてくれる。そうすると何故かアユミの心臓は跳ねるのだ。

エリオットもこうしてよく頭を撫でてくれたが、彼に対してこんな気持ちになったことはなかった。

ぼうっとトウヤを見上げているだけで、アユミの鼓動はどんどん速くなっていってしまう。

 

「・・そういえばインフィニティから頼まれていたんだ。

 アユミさんに伝えるようにって・・・」

 不意にトウヤはその背を屈め、アユミの耳元で囁いた。

「え・・?」

そしてアユミがその言葉の意味を理解するよりも先に


――・・ダンッ!

 突然何かを弾くような音がして、気がつけばトウヤは地面に倒れていた。

何事か理解できない。倒れたトウヤに駆け寄りたいのだが、アユミの前を塞ぐ誰かの背が、それを許してくれない。


「・・・アユミちゃんに・・近づくな。」

 普段の彼からは想像できない程に低く冷たい声。それでもその声の持ち主が誰なのか、アユミにはわかった。

アユミは目を見開いて、目の前に立つその少年を見上げる。

「・・エリオット・・さん?」


 厳しい表情のエリオットが今、アユミを庇うように、トウヤと対峙していた。





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