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73-1p

「・・凄いですよねぇ。人間の空想力って。

 この小説だって、ただの空想の中の出来事だと思ってたら、実際にありえちゃう話だったんだもんなぁ。」

ぼそり、夢見心地で呟いたアユミに、トウヤのクスクス笑いが聞こえた。


「それは人間の空想力が凄いわけじゃないんだよ。

 単に人間が空想できる範囲が限られているだけの話。

 人間は、人類の手で実現可能な範囲の出来事しか空想することが出来ないのさ。」

 文庫本から視線を離さず放ったその言葉に、何故かアユミは冷たいものを感じた。

「そう・・なんですか?」

胸に過ぎった僅かな寂しさの理由がわからずに、アユミは呟いた。

 トウヤはそんなアユミに視線も向けない癖に、一丁前にアユミの戸惑いを察したらしく、言葉を続けた。


「そ。でもそれは、人間の持つ空想の世界が、可能性の範囲に縛られてるっていうことではないよ。

 人間は無自覚に、自分の可能性を空想することができるということなんだ。

 そしてその可能性を、明確に空想できた人間は、世界に新しい文明を生み出すことができる。」

喋りながらも活字を読む脳は別に働いているらしい。トウヤは言葉途中で一枚小説の頁を捲った。


――・・なんか、言い方はやる気なさそうだけど。今この人、凄いこと言った気がする。

 アユミは何故か今、自己啓発セミナーよろしくの感動を覚えていた。

 

「・・・っちぇ。やっぱりここで終わってやがる・・」

 ぼうっとトウヤに見入ってしまっていたアユミは、そんな彼の舌打ちで我に返る。

「・・え?」

 この呟きは、自分が呆けていた事実に気づいて零れたものだったが、トウヤは自分の言葉にアユミが反応したものと勘違いしたらしい。

アユミに自分の読んでいた小説の文面を晒し、言った。

「ほら、この頁。大賢者がインフィニティに異世界に飛ばされる下りで終わってる。

 後の頁は、全部白紙なんだよこれ・・」

ペラペラと以降の頁を捲って、トウヤは項垂れた。

 確かに、アユミの見る限り、トウヤの指の下を潜って現れる新しい頁はどれも、インクの汚れすら見当たらない真っ白な物だった。


「・・肝心なところで・・終わっちゃうんですね、この小説。」

 アユミはちらりと自分の手元の一冊に目をやる。

こちらの小説ではまだ、エリオットは大賢者に会いに行こうと決意しただけの段階だ。

恐らくこの後、大賢者はインフィニティに攫われ、エリオットたちはそれを救いに行くのだろう。

 そこまでの展開はアユミも知っている。エリオットたち当人から聞いたのだから間違いない。


「問題は・・この後どうなるか・・なんだけどなぁ。

 多分この小説上の運命が・・私たちの身に降りかかる予定だろうから・・」

トウヤは大きく溜息をつき、本を閉じた。

「・・その小説。続きの巻があったりしないんでしょうか?」

そう思いついて口にしてみたが、トウヤは首を振ってみせた。

「あるわけないよ。やっぱり、この世界の因果律が歪んでるんだ。

 この小説の今後は、私たち次第ってことだね。」

それだけ言うと、まるで興味が薄れた様子でトウヤは椅子を立ち上がった。

 立ち上がりついでに欠伸を一つ。

「ふぁ・・。なんか・・ちょっと肩凝ったな。目も霞むし・・やっぱり私も歳が・・」

 ぶつぶつと彼の口から零れ落ちる年寄りくさい発言はあえて無視することにした。

アユミは掛け時計に視線を向けて、言う。

「あの・・。結構長居しちゃいましたけど・・私そろそろ帰らないと。

 エリオットさんには今日は私、買い物に行って来るだけだって嘘ついてましたから・・

 きっと、心配してると思いますし・・」

少々申し訳ない気持ちでそう伝えると。

「そっか。じゃ、仕方ない。」

トウヤはあっさりと承諾し、スタスタと歩き出した。

慌ててアユミもそれに付いて歩く。

 無言で図書館を出たトウヤは、炎天下の道路を渡り、手近な喫茶店に入ってしまった。


「・・・ん?」

 トウヤの背後で閉まった店の扉を前に、アユミは首を傾ける。

途中から違和感を感じていたが、もしかしてトウヤは既にアユミと別れて行動しているつもりだったのだろうか?

 それなら一言、別れの挨拶くらいしてくれないと解り辛いことこの上なかったのだが・・

「・・・帰るか。」

呟き、扉の前で踵を返そうとした瞬間。

「・・っちょ!アユミさん!」

扉から伸びた腕に、ガシっと肩を掴まれた。

「・・・っきゃ!?」

驚いて振り返れば、扉から半身を覗かせて、トウヤが立っていた。


「驚いたじゃないか。後ろから付いて来てると思ってたのに、消えてるんだもん。」

 いけしゃあしゃあと眉を潜めてみせるこの男に、アユミは言ってやりたい。

驚いたのはこっちのほうだ、と。しかし言えない。それよりも他に、言いたいことがある。

「あの・・トウヤさん、話聞いてました?

 私、皆待たせてるから、もう帰らないといけないんですよ?」

 改めて、そう言い直すと、トウヤはまるでアユミの言葉の意味がわからないとでも言いたげに、目を細めた。

「エリオットたちのことだろ?別に少しくらい心配させてもいいじゃないか。

 私が付いているんだから、あいつらが心配する必要は何もあるまい?」

――・・いえ。その心配する要因の一つに貴方の存在がありそうなんですけど・・。

 心内でそう呟き、アユミは露骨に顔をしかめて見せた。

 この男の考えが読めない。仮にもカーティスを殺しかけた当人の癖に、何故、エリオットたちの味方であるように振舞えるのだ?

「・・ほら。店の前で騒ぐと迷惑になるぞ。」

 そう言われてしまえば断ることも出来ず。アユミは強制的に店内に連行されてしまった。


「ホットコーヒー一つと、バニラプリン一つ。」

「・・・っちょ!?」

 席に付いて即、躊躇いもなく店員に注文したトウヤに、アユミは思わず裏手で突っ込む。

こっちは先程ようやく、プリンタワーを食したばかりだぞ。いくらなんでも、これ以上はきついってのに。これなんていじめ?

 注文を確認し、厨房へと引っ込んだウェイターを尻目に、トウヤは相変わらず爽やかな笑顔と共に言った。

「大丈夫さ。私の知り合いは一日でタライ三杯分のプリンを・・」

「だから!そんなわけのわからないビックリ人間と一緒にしないでください!」

思わず身を乗り出して訴えたアユミに、トウヤはケラケラ笑った。

「でも、さっきは一人であんなに食べれたじゃないか。私も驚いたよ。」

「・・だからあの後言ったじゃないですか。今日はもう限界なんだって・・」

 そう、確かに先程のあの巨大パフェはアユミ一人で食べきった。普段小食のアユミでも、やる時はやるのだ。

そしてもう、充分やるだけやったから、これ以上は勘弁願いたい。

アユミがその意を告げると。

「えー・・つまんないなぁ・・」

トウヤはわざとらしく唇を尖らせて、やってきたウェイターからコーヒーと、バニラプリンの乗った器を受け取った。

 見ればバニラプリンとは、焼きプリンの上にバニラアイスを乗せた品のようだ。この組み合わせは美味しいだろうな、と思うが・・


「・・・食べないの?」

「食べません!」

 トウヤに再度尋ねられても、アユミはぷいとそっぽを向いた。

仕方ない。そう言ってトウヤがスプーンを持ち、プリンを一口頬張ったのがわかった。

「あ。ヤバイ。これ美味しい。」

「そうですか。」

 嬉しそうにスプーンを動かすトウヤから目を離し、アユミは窓の向こうに広がる道路に視線を遣った。

 こんなことしてて大丈夫なわけがない。エリオットはアユミのことをとても心配してくれていたようだったし、今頃は、ちょっとした騒ぎなってるかもしれない。早く帰ってあげないと・・・

「・・アユミさん。」

「え・・?」

 唐突に名前を呼ばれ、反射的に振り向くと同時に。アユミの口の中にはスプーンが差し込まれていた。

スプーンはその上からアイスとプリンを口の中に残して、アユミの唇から離れていく。

 思わずもぐもぐと咀嚼して、飲み込む。甘い。ふわりと香るカスタードの香りが堪らない。いや、違うそうじゃない。

「ほら。美味しいでしょ?」

 にこにこ笑ってこちらを覗き込むトウヤと目が合った途端、アユミはかぁっと頬が熱くなるのを感じた。

まんまと図られたことが恥ずかしい。しかしそれ以上の問題は、今自分が咥えたスプーンにある。

――これって・・間接キスじゃないの!?

 そんなことを考えてしまう自分が何よりも恥ずかしくて顔に火がつきそうだった。

仕方がないことだとは思う。アユミはこれまで、男性と二人きりで食事をしたことがなかったのだ。

 しかもよりにもよって、その相手はずっと憧れていたトウヤである。

目の前にある余りにも美しい姿と、大賢者であることのショックですっかり忘れていたが、アユミはこうしてトウヤに出会う以前から、彼に対して淡い恋心を抱いていたのだ。

 一度そのことを思い出してしまうと、アユミの感じる恥ずかしさと戸惑いはピークに達して、目が回る。


「・・どうしたの?美味しくなかった?」

アユミの心情に気づいているのか、トウヤはわざとらしく眉を潜め、そう尋ねると。クスクス笑い始めた。

「・・・っ!」

ガタリと音を立てて、アユミは席を立つ。これ以上耐え続ける自信はなかった。

 嫌なのだ。これ以上目の前から消える人を好きになるのは。

トウヤにだって、そのことは伝えた筈なのに、何故こういう事をする?

 勘の鋭いこの男が、アユミの気持ちに気づいていない筈はなかった。

アユミの気持ちをわかってて、あえてやっているようにしか見えなかった。


「帰ります・・」

 低く呟いて、アユミはトウヤに背中を向け、店の出口に向かって歩き始めた。

途端、トウヤの顔色が変わる。

「・・・待って!」

 アユミは呼び止めるトウヤの声も無視して、そのまま店を出るつもりだった。なのに・・


「ごめん・・傷つけるつもりじゃなくて・・ただ、言っておきたかったんだ。」

そう囁く声は、アユミの直ぐ後ろから聞こえた。トウヤの胸元に収まっているらしく、自身の背中が温かい。

 目の前に回された二本の腕に気づき、アユミは目を見開いた。

人気の無い店内、今アユミは、トウヤに抱き竦められていたのだ。


「・・私の半分は、まだこの世界の人間だから・・アユミさんさえ良ければ、私が貴女を一人にしないと誓うよ。」

 つい先程までのふざけた様子を微塵も感じさせない、穏やかで、優しいトウヤの声。

途端、アユミの瞳から、ぽつりぽつりと零れるものがあった。


「・・・・・・っ・・!」

アユミは、小さく肩を震わせ、嗚咽を零す。

 自分でも何故かはわからない。ただアユミはこの瞬間、トウヤの温もりに縋るように、ほんの少しだけ泣いてしまっていた。

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