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■■第三十五章■■
冷房の効いた部屋。見上げるほどの高さの棚にぎっしりと詰まった書籍と、独特の匂い。
トウヤに誘われるままに、近所の図書館に入ったアユミは、トウヤの向かい側に座り、小説版『SYNAPSE FANTASIA』を読みふけっていた。
本棚を確認する限り、この小説は上中下の三巻構成になっているらしく、アユミは今ようやく、中巻に入ったところだ。
トウヤは既に下巻の後半付近まで頁を進めていて、先程からお互い黙々と本を読み続けている。
近く交わした会話といえば・・
『・・ねぇアユミさん。図書館に居る時に携帯に電話掛かってきたら、どうする?』
という脈絡の全く無いものだった。
『・・え?電話ですか。私図書館ではサイレントにしますし・・掛かってきても館内じゃ出ませんよ?』
アユミがそう、マナーに神経質になってしまうA型としては当然の回答をすると、トウヤは文庫からちょっと顔を上げ、にっこり笑った。
『・・そ。じゃ、切っておくね。』
トウヤはそう言い、右手をチョキの形に組んだ。
そこに息を吹きかけ、アユミの頭上の空を切る仕草をしていたのだが・・。これに何の意味があったのかはわからない。
結局その後、トウヤとは何の会話も交わすことなく、互いに沈黙が続いていた。
そんなアユミの手にある文庫本の中で、エリオットたちの冒険は佳境に入っている。
そう、この小説の主人公の名前は、やはりエリオットだった。
エリオットは王国の第一王子であり、第二王子のロナルドと王位継承権を争っていた。
ある日、魔王と名乗る凶悪な存在が現れ、指定する期限までに、二人の王子のうちのどちらかが自分の居場所に辿りつかなければ、王国を滅ぼすと脅してくる。
国王は、王国を守るために、二人の王子を旅に出し、魔王を倒した方を正式な王位継承者として認めると約束した。
実際のエリオットの過去とは随分異なると思うが、こうして彼らの冒険は始まったのだ。
エリオットが旅の共に選んだのは、幼馴染の魔術師ピアと、国内で最も頭が切れると言われていた盗賊のカーティスの二人だった。
エリオットはライバルであるロナルド王子と、時に戦い、時に協力しながら、魔王が仕掛けた罠を潜り抜け、その度に、魔王の所在に関するヒントを集めていく・・という展開だ。
ゲームだった頃も、パズルやクイズをメインとする内容だったが、小説になってもそれは代わらず、ファンタジー小説の癖に、随分とミステリー要素が強いようだ。
時々視点はエリオット側からロナルド王子側に切り替わり、読者側にはこの二つの視点から仕掛けの真相を推理する能力も求められているように感じた。
難解に感じる場面も多多あったが、それでも大筋は定番なファンタジーもので、ドラゴンに攫われた村娘を助けたり、魔王を倒すための聖剣を探して洞窟に潜ったり等、ファンタジーゲームなら、割とよく見かけるタイプのエピソードも含まれている。
「・・ふーん。SYNAPSE FANTASIAって、こういうストーリーだったんだねぇ。」
このゲームの序盤しか知らなかったアユミは、自分があの後プレイする筈だったその後の展開を今知った。
小説としても、それなりに面白いとは思ったが、こういうシナリオならゲームにしたほうが、やっぱり見応えがあっただろうな、と思う。
「エリオットたちは今、このパラレルワールドの世界に入っているんだな。羨ましい。
私も多分、この手のパラレルワールドを使ったほうが色々便利だったろう・・」
今の自分の身体は本来魔法の発動に適していないから、どうしても魔力が落ちてしまうのだと、トウヤは悲壮感たっぷりに言った。
そんなトウヤの発言に、アユミはふと疑問を感じて顔を上げる。
「・・ねぇ。不思議に思ってたんだけど。パラレルワールドって、平行世界って意味だよね?
エリオットさんたちの入ってるパラレルワールドって、この世界の平行世界とはちょっと違うんじゃないの?」
ゲームや小説の中の登場人物というのは、全て人の創作物であり、彼らの住む世界は誰かの空想世界だ。
トウヤやインフィニティの場合は、この世界の人間の平行世界にいるということがわかるが、エリオットたちの場合、いるのは平行世界ではなく、空想世界なのではないだろうか。
この疑問を口にすると、トウヤは文庫本から完全に視線を離し、面白そうに頷いた。
「良いところに気がついたね。この世界は異空間科学が発展していないから、この世界の人がこのことを知るのは、まだ少し先の話なんだろうけど・・
折角だから、アユミさんにだけ、教えてあげよう。」
にっこり笑ってトウヤは話し始めた。
なんだかこういう勉強会も、久しぶりのような気がする。
「この世界に、私たちがいた世界。世界はこの宇宙に膨大な数存在しているけれど、そこに住む生物の種族というのは住む環境さえ似通っているならば、一致するんだ。
例えば、この世界の野山に居るリス。これは私たちの世界の野山にも全く同じ種類が存在している。
世界は違えど、全ての生物は同じ一本の幹から広がる枝葉なんだよ。」
「えっと・・。つまり、生物の誕生の根本は、どの世界も同じってことなんですかね?」
アユミが尋ねると、トウヤは嬉しそうに頷いた。
「そういうこと。環境は違えど、魚はどの世界にいっても魚だし、人間はどの世界にいっても人間だ。
エリオットやピア、カーティスに私も、君と全く同じ人間だ。」
・・・全く同じ。アユミはその言葉にうーんと唸った。
アユミにとって、皆はやはりファンタジーな存在にしか感じられない。
同じ人間だとしても、やはりそこには決定的な違いがあるような気がする。
「・・それは何?」
トウヤに問われ、アユミは悩みながらも答えた。
「魔力の存在・・ですかね。私たちこちらの世界の人間には、そんなものないですから。
魔力を持つ人間と、持たない人間はやっぱり別の種族だと思います。」
以前カーティスと一緒に街中を散策した際に痛感したことだが、やはり、彼はこの世界の人間の一線を越えていた。
魔法を発動させ、人の記憶を操作したり、傷を治したり。そんなことが出来る人間は、やはりこちらの世界にはいないのだ。
「なるほど。つまりその理論だと、これほど機械工学や医療の技術を持つ君たちは、その手の技術を持たない私たちとは違う種族だということになるね。」
笑顔でそう言われて、アユミは一瞬頷きそうになったが、慌てて首を横に振った。
「いや・・違います。それはただ、技術の発展に差があるっていうだけで、そちらの世界の人々だって、研究を進めれば、この世界にある技術を手に入れることができます。
だから、これだけのことで違う種族として認識することは、できないと思います・・?」
――・・あれ?
そこまで言って、アユミは自分の口元に手を当てた。
何故か、今自分が矛盾する発言をしたような気がしたのだ。
そしてアユミのその予感は当たっていたらしい。トウヤは再び自分の計画通りに進んだことを喜ぶ笑みを浮かべ、言った。
「私たちも、元は同じ人間なんだよ。ただ、どの文明に力を入れるかで、備える能力に違いが生まれただけ。
君たちの世界だって、過去に我々の世界の人類と同じ文明を選択していたならば、人々は皆魔力を蓄えることが出来る体質を持ち、機械工学や医療よりも、魔法がスタンダードな世界になっていた筈だよ。」
「・・なるほど。」
まんまとトウヤの口車に乗せられてしまった感はあるが、おかげで納得がいった。
そんなアユミの言葉に、トウヤは満足そうに頷いて、アユミの手元の小説を指差した。
「さて、話を戻すけど。
これでもアユミちゃんは、その小説の出来事を、ただの空想世界の出来事として済ますことができるかい?」
「え・・。」
慌てて手元の文庫本に視線を落とす。
このファンタジー小説の出来事も、この世界の人類の選んだ文明次第では、現実に起こりえたかもしれないのだ。
「済ませられません・・。これは、ずっと昔の・・古代の人類が文明を選択した瞬間から発生した平行世界。
パラレルワールド・・なんですね?」
息を呑み、トウヤを見据えた。
「そう。正解。」
トウヤは笑顔で頷くと、もう説明は充分だというように、視線を元通り手元の小説に戻してしまった。
それに倣って、アユミも慌てて手元の文庫本を見つめるが、何故か全然、物語が頭に入ってこない。トウヤの話のせいで、すっかり興味が逸れてしまったらしかった。
この世界が、もしかしたらゲームの中と同じように魔法や冒険のスリルで溢れるものだったら・・なんて考えると、アユミは自分がすごくワクワクしてきたことに気づいた。