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「はじめまして。今日は随分、可愛い格好してきてくれたんだね?」
純粋な賞賛と、僅かな悪戯心を感じさせる口調で、トウヤはアユミに話しかけた。
何も考えられず、ぼうっと向かいの席に腰掛けたアユミに、先程のウェイトレスのお姉さんがお冷を持ってきてくれた。
「お昼まだでしょ?何でも好きなの頼んでいいよ。」
にっこり爽やかにメニューブックを差し出してきたトウヤに、アユミはようやく口を開き、言った。
「なんで・・貴方が?」
目の前にいる男に対する言葉は、それ以外には一言も思いつかない。
なんで大賢者がトウヤなんだ。なんなんだ、この状況は。全くもって理解が追いつかない。
「あれ・・?食事より先に、説明が必要?」
トウヤはさも意外と言わんばかりに眉を潜めてみせた。眉を潜めてみせてもその瞳に燈る愉快そうな明かりは消えない。
「必要です!だって貴方がトウヤさんって・・貴方はこないだ大賢者様だって言ってて・・
カーティスさんを殺そうとしてて・・えぇ・・???」
混乱で目が回りそうになる。そんなアユミの様子に、トウヤはクスクス笑いながら言った。
「私は大賢者であり、貴方のよく知るトウヤでもある。
異世界から来た大賢者が入り込んだが<共通するパラレルワールド>がトウヤだったというわけ。
・・・この意味、わかるかな?」ふと、アユミの様子を覗うよう瞳を光らせたトウヤに、アユミは頷いて答えた。
この手の話の説明は、頭がパンクしそうなほどピアやカーティスから聞いていたから理解できる。
理解できるからこそ、ショックだった。
「・・じゃあ・・トウヤさんは、こっちの世界の人間じゃなかったのね・・」
自分の中の何かが音を立てて崩れていくような気がした。
アユミは信じていた。信じていたかったのだ。
例えどんな妙な人物でもいい、トウヤだけはこちらの世界の人間であって欲しかった。
「・・おや。」
ぽつりテーブルに零れた涙を見て、トウヤの瞳から愉快そうな明りは消えた。
驚いたように、アユミの顔を見ている。
「・・また、私の知ってる人がこの世界の人間じゃなかった・・。
皆いなくなっちゃうんだ。ポチも、伊藤のお姉さんも、トウヤさんも・・。
皆私の傍から消えていくんだ・・・」
泣くつもりではないのに、両目からポロポロと雫が落ちた。
戸惑ったように、トウヤはポケットからハンカチを取り出し、アユミの涙を拭う。
「アユミさん。以前会った時にも言ったが、君は何も心配しなくていいんだ。
事態は君が何も気づかないうちに終結を迎えるだろう。
アユミさんは、ただ平和に生活してくれていればいい。」
先程の揶揄った様子とは打って変わって、真摯な瞳を向けてくるトウヤの言葉に、アユミは必死に頭を振って答えた。
「嫌だ。絶対にそんなこと、できるわけないんだ。
私、皆大好きなんだもん。伊藤のお姉さんも、エリオットさんも、ピアちゃんも、カーティスさんも・・
トウヤさんのことだって、大好きだったのに・・なんで・・!」
「私たちがいなくなれば、全てが元通りだ。君は全てを忘れ、君の心には何の不安も残らない。」
アユミを労わるように優しく、そう言って聞かせるトウヤに、アユミはやはり首を振った。
「嫌だ・・。なんでそんなこと平気で言えるの?私、絶対嫌だよ?
誰のことも忘れたくない。誰にもいなくなって欲しくなんかない!」
そう言い終えた後、随分と間があった。
「・・・優しいんだな。」
ぼそりとそう呟いたトウヤは、どこか悲しそうに微笑んでいた。
「あいつらも、アユミさんの思いを知れば涙を流すだろう。
インフィニティだってそうだ。皆、アユミさんのことを心から好いている筈だよ。」
・・勿論自分も同じ気持ちだ。トウヤは最後にそう付け加えると、アユミの頭を撫でた。
「・・・あのぉ?」
不意に上から声が掛かった。トウヤが見上げれば、そこに気まずそうな顔をしたウェイターの姿がある。
どうやら、注文を取りに来るタイミングを間違えてしまったらしい。
「ビッグタワーパフェ一つ。」
トウヤはアユミの髪から手を放すと、人差し指を立てて、笑った。
「・・・かしこまりました。ビッグタワーパフェ一つ・・で、よろしいですか?」
困ったように確認を取るウェイターに、トウヤは相変わらず爽やかに笑って頷いた。
そのウェイターが店の奥に消えた頃、ようやく顔を上げたアユミは呟いた。
「トウヤさんは・・最初からずっと、私たちのこと知ってたんですか?
知ってて・・色々手伝ってくれたんですか?」
その問いに答える前に、トウヤは少し考える仕草をした。
「うーん・・。そういうわけではないんだな。
私が大賢者としての意識を持ち始めたのはほんの数日前の話でね。
それまでの私はただの大学生。夏休みの帰省先で面白そうな事件を発見し、好奇心のままに事件に深入りしていった、愚かな男。トウヤだったんだよ。」
まるで自らの行為が道化であったかのように、そう言って胸に手を当ててみせたトウヤは、ケラケラと笑い出した。
「そうそう。トウヤは君に嘘をついていたんだよ。気づいていたかい?」
思い出したように話を振られ、アユミはきょとんと首を横に振った。
そんなアユミの様子に相変わらず笑いながら、トウヤは教えてくれた。
実は彼が一度も大学寮に戻らなかったということや、アユミに内緒で、独自にアユミについて調査を進めていたこと。
「・・そ・・そんな!!」
呆然と驚愕を口にしたアユミの脳内を過ぎる台詞があった。
いつか、サッカー部の大崎少年が言っていたのだ。変な男が、アユミのことを調べていたと。
・・・あれはトウヤのことだったのかと思い当たる。
「面白いよねぇ。あれだけ血眼になって調べていたアユミさんの事件の当事者が、トウヤ自身だったなんて!
彼自身がそのことを知っていたなら、どれだけ驚いたか知れないね。」
まるで他人事のようにトウヤの過去を語る目の前の男を、アユミは奇妙な気持ちで見つめ返した。
「トウヤさん・・。今の貴方はいったい誰なの?
私の知ってるトウヤさんとは、違う気がするし・・
こないだ会った、大賢者様の様子とも少し違う気がするよ?」
眉を潜め、そう尋ねると、トウヤは僅かに肩を竦めて答えた。
「エリオットたちと同じさ。こちらの世界のトウヤの自我と、あちらの世界の大賢者の自我が混ぜ合わせられた別個の新しい自我。それが今の私なんだ。」
今の自分になれたのはつい昨日の話で、それまでにはインフィニティの手違いで、トウヤと大賢者の二重人格状態に陥った時期もあったのだと。
トウヤは、笑い話上等で語ってくれた。
「じゃ・・じゃあ、トウヤさんはインフィニティに既に会っていたのね?」
驚いて尋ねる。全く接点のありようのないトウヤと伊藤のお姉さんが出会っていたことが意外だった。
「そう。恐らく無自覚に互いのマナが引き合ったのだろうね。
こちらの世界に我々を転送する際、魔法の発動者をインフィニティに設定したのがまずかった。
彼女は人間の都合も考えず、魔物に適応した手段で異世界転送魔法を使ったものだから、
大賢者は転送段階で、自我を失い、こちらの因果律に取り込まれた姿になっていたんだよ。
そうして離れ離れになってしまった大賢者を、インフィニティは探し続けていたらしい。
偶然にも、二人出会えた時は、彼女も相当焦っていたのか、その場で強制的に、大賢者の自我を呼び起こされたよ。
その結果が、二重人格もどきという有様さ。」
相変わらず可笑しそうに肩を竦めてみせたトウヤの姿を、アユミはやはり奇妙な気持ちで見つめていた。
メールで感じていたトウヤの印象は、紳士的なもので、同時に、大賢者から感じていた印象は、穏やかなものだった。
この二つの自我が混ぜ合わさった人格が、何故こんなにもふざけた要素を持ってしまったのだろうか。
理解できなくて、自然眉間に皺が寄る。
「お待ちどぉさまです。こちらビッグダワーパフェになりまぁす!」
不意にテーブルにウェイターが影を落とし、見上げる。
盆の上には高くプリンタワーが詰まれた巨大なパフェ。
「あ、それはこっちのお嬢さんにあげて。」
トウヤに促され、目の前に置かれビッグタワーパフェを前に、アユミは目を見開く。
「えええ!?」
「では、ごゆっくりどうぞ。」
そそくさと退散していくウェイターの兄ちゃんを横目に、アユミは戸惑いを隠せない。
いつの間に、トウヤはこんなものを注文していたのだろうか。
アユミは記憶を手繰り寄せたが、まったく覚えていなかった。
というか、よりにもよってこのサイズ。
この店のビッグタワーパフェは学校でもちょっとした話題になるほどの巨大サイズで、普通、女子高生が一人で食べるものではない。
ニ、三人集まって、両側から突付いて食べるような代物だ。
「・・・トウヤさん。悪いですけど、これ無理です。」
プリンタワーの高さに目を白黒させていると、トウヤは意外そうに眉を潜めた。
「あれ・・?アユミさんはプリンが大好きなんだって、インフィニティから聞いてたんだけどな?」
「いくら好きでも、この量は無理なんですよ!」
トウヤとインフィニティの妙な連絡網にちょっと感動しながらも、アユミは自らの許容量の限界を伝えた。
「・・へぇ。アユミさんは小食なんだなぁ。いいよ、残したら、私が食べるから。」
どうぞと手を差し出し、パフェを勧める仕草をした後、トウヤは暢気に読書に戻ってしまった。
「・・む〜・・。」
なんだか釈然としない心持だったが、パフェを前にぼーっとしてては中のアイスが溶けてしまう。
「いただきます!」
アユミは銀のスプーンを片手に、巨大パフェとの格闘を開始した。
生クリーム、果物、プリン、アイス、プリン、ウェハース、プリン!
「・・・美味しい?」
真剣にパフェと向き合ってるアユミの姿に興味を引かれたのか、トウヤが文庫本から視線を持ち上げて尋ねてきた。
「美味しいです!」
そこははっきりと断言するアユミ。量はアレだが、味は間違いなく美味しい。
もくもくと食べ進めてると、トウヤのクスクス笑う声が聞こえてきた。
「・・・何ですか?」
クリームのついた顔を不機嫌にしかめ、睨んで見せたアユミに、トウヤは愉快そうに言った。
「いや。アユミさんの食べっぷりが知り合いに似ててね。
そいつもプリンが好きで、タライ一杯は軽い。」
「・・ちょ・・その知り合いは特殊ですよ。」
そんなビックリ人間と一緒にされても困ると、アユミは口を尖らせた。
尖らせた後に気づく。
「・・・あれ?トウヤさん、何読んでるんですか?」
ふと、彼の手にある文庫本が気になった。その表紙・・見たことがあるような気がする。
「ああ、これ?」
嬉しそうに・・というよりも、計算通りといった笑顔で掲げて見せた文庫本のタイトルは・・
「シナ・・プスファンタジア・・!?」
SYNAPSE FANTASIA・・その英語の羅列を読み上げ、アユミは思わず身を乗り出した。
「何で・・トウヤさんが持ってるんですか!?」
驚いて、マジマジとトウヤの顔を覗き込んでしまう。
「何でって・・。図書館で偶然見つけてたのさ。
興味あったから、借りて読んでるんだけど・・これはどうも、私たちのいた世界と繋がっているようだね。」
にこやかにそう言い、再び文庫本に視線を落としたトウヤは、直ぐにアユミの熱視線に気づいて本を閉じた。
「・・・読みたい?」
真剣な眼差しと、にやりと笑う口元のあわせ技で、トウヤは挑発的に尋ねてくる。
「よ・・読みたいです!」
耐え切れず、頷いたアユミは、ふと思い立って、ナプキンで口の周りのクリームを落とした。
トウヤにマジマジと見られているようで、恥ずかしくなったのだ。
「・・じゃ、それ食べ終わったら一緒に図書館行こうか。私もこの続き、気になってたし。」
この男のことだ、どうせ最初からそのつもりでアユミを呼び出したのだろうと思ったが、アユミはあえてそれを口に出さず、頷き、視線をパフェに戻した。
とりあえずの課題は、この巨大パフェらしい。
「頑張れ頑張れ。」
文庫本に視線を落としたトウヤに応援されながら、アユミは戦いの舞台に戻っていった。