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リビングの時計が遂に十二時を回った。
朝からそわそわしていたアユミは、より一層浮き立つ心を抑えながら、エリオットの隣でソファに腰掛けて、お昼の定番と言われている情報番組を見ていた。
当然、番組の内容が頭に入っているわけがない。
「アユミちゃん・・今日はなんか、可愛いねぇ?」
ほわっと和む声で、エリオットが話しかけてきた。
今日は朝からきちんとお洒落していたので、それに気づいてくれたらしい。
「ありがとう〜♪エリオットさんは今日もカッコいいよ〜♪」
咄嗟に誉めて切り返した後、はっとする。こんな事を言ったらエリオットはまた赤面してしまうのではないだろうか。
しかしそんな心配を他所に、エリオットは嬉しそうに笑って頷くだけだった。
・・なんというか。今日のエリオットは全体的にゆるい雰囲気が漂ってる気がする。
「エリオットさん。もしかして・・眠い?」
首を傾けて、そう尋ねたアユミに対し、エリオットはやはりゆるく頷いた。
「うん・・。何でだろう。折角、久しぶりにアユミちゃんと一緒にいれるから、起きていたいのに。」
聞く人が聞いたら、その真意を深読みしたくなるエリオットの発言だったが・・
「そうかぁ・・きっと疲れてるんだと思うよ?」
アユミには、普段のエリオットとの日常会話の延長上にしか感じられず、ごく平凡な返答をしてしまっていた。
「疲れてる・・のかなぁ?よくわからないや。」
同時にエリオットも、自分がうっかり本音を口に出してしまったことに気づいていないらしく、目を擦りながら答えていた。
ちなみに今現在、リビングにいるのはエリオットとアユミだけだ。
カーティスはまだ眠っていて、ピアはずっとその傍につきっきり。
もうカーティスの容態は心配する必要はないのだが、ピアはまだ、彼の傍を離れたくないらしかった。
「なんかね・・俺たまに、あの二人に隠し事されてる気がするんだ。」
ぼそりとエリオットは呟いた。
ピアとカーティスの二人だけで話を進めて、自分だけが置いていけぼりになっている感覚があるのだと。
「そりゃ・・俺は二人に比べて、頭も悪いから・・ついていけないのは仕方ないのかもしれないけど。
それでも一応、俺が勇者だからさ。こんなんでいいのかなって、不安になるよ。」
眠いせいか、今日のエリオットはいつもに増して弱気である。
「まぁまぁ♪勇者ってのは皆のやる気引っ張るカリスマでさえあればいいんだから!
エリオットさんはムードメイカーだし、立派に勇者してると思うよ?」
二人と同じくエリオットに隠し事をしている身としては多少心苦しい思いもあったが、アユミはそうフォローした。
「うん・・。ありがとう。」
エリオットは再び、嬉しそうに笑う。まるで子供のような笑顔である。
・・・もしかしたら、エリオットは弱気になっていたのではなく、単にアユミに構って欲しかっただけなのかもしれない。
なんとなくその予感が胸を過ぎったが、流石にエリオットもそこまで子供ではないだろうと考え直した。
「エリオットさん。疲れてるなら、少し寝てるといいよ。
私、その間に買い物出かけてくるからさ。」
ちらりと時計を確認して言う。時刻はもう直ぐ十二時半を回りそうだ。
そろそろ、エリオットになんとか言い訳して、家を出た方がいいだろう。
「・・え。出かけるの?だったら俺も・・」
そう言って腰を浮かせたエリオットより早く立ち上がって、アユミはエリオットの頭に手を乗せ、押さえてみた。
どこかで一度、聞いたことがあったのだ。こう、真上から押さえられると、人は立ち上がりにくいものだと。
案の定、立ち上がれなくなったエリオットはきょとんとアユミを見つめ返した。
「駄目だよ〜エリオットさんは家にいないと。
今はカーティスさん戦えるような状態じゃないし、ピアちゃんを守れるのはエリオットさんだけでしょ?」
まるで子供に言い聞かせるよう、笑顔で言ってみる。
「・・そりゃそうだけど。アユミちゃんも一人じゃ危ないよ?」
エリオットがそう、唇を尖らせて反論してくる様子があまりにも可愛くて、アユミの罪悪感はより一層深まった。
「う・・。わ・・私は大丈夫だから!インフィニティは私を襲ったりしないし。
それに、ちょっと買い物してくるだけだから、ね?」
しどろもどろながらも、アユミは言った。買い物に行くなんて、当然嘘なのだが、エリオットに本当の話をするわけにはいかないのだから仕方がない。
「それにね、今一番危ないのはカーティスさんだと思うの。
カーティスさんはすごく弱ってるし、インフィニティが狙う絶好の機会じゃない。
エリオットさんは、カーティスさんの傍から離れちゃ駄目だよ。」
不機嫌に眉を寄せて、アユミを見上げてくるこの少年に、アユミは決め手とばかりに言った。
一応、これだけは嘘じゃなく、本当のことである。
大賢者が言っていたのだ。インフィニティも自分も、殺すとしたらカーティスのみを狙うと。
だから、エリオットにはカーティスの身を守って欲しかった。
「・・わかった。」
病床で眠る仲間の名前を出され、エリオットは渋々頷いてくれた。
「でも、直ぐに帰ってきてね?危ないことしちゃ駄目だよ?」
不安そうにそう付け足す、少年の純粋な瞳に、アユミは心の中の何かが鈍く痛み始めたのを感じながらも、
「オッケーオッケー。夕方までには帰ってくるから♪」
空元気でそう伝え、テーブルに置いていた白いポシェットを首から提げた。
「じゃ・・行って来ます!」
ちらりと時計を再確認。ちょっと駆け足で行かないと、間に合わないかもしれない。
「・・行ってらっしゃい。」
不安そうなエリオットに手を振ってから、アユミは急いで家を出た。
また因果律の壁のせいで、ふらりと意識が揺らいだが。三回目ともなれば慣れたものである。
直ぐに姿勢を整えて、アユミはアパートの階段を降りて行った。
エリオットが先程誉めてくれた今日の服装は、黒いシフォンフリルのワンピース。
過去に伊藤のお姉さんと母親の三人でショッピングに行った際、二人から似合うと絶賛され、購入に至ったものだ。
ふわりと豊かなシフォンの襞が腰から下を覆い、細い四肢を持つアユミの少女性をより高めるように感じられた。
今日はピンク色のカジュアルパンプスを履いている。
滅多にしないお洒落をしてしまうと、まるで自分が自分でなくなってしまうような気がするが、今日だけは我慢しようと思う。
普段とは違う自分の格好が、普段とは違う今日この日を迎える自分に、少しだけ勇気をくれるような気がするのだ。
「・・よし。」
階段を降り終えたアユミは、深呼吸を一つして、歩き始めた。
アスファルトは充分に熱されていて、吸い込む空気は温かった。
その炎天下を、相変わらず汗一つ掻くことなく、アユミは進んでいく。
――・・トウヤさんってどんな人だろう?変な人じゃなければいいけど・・
今更ながらも、アユミにそんな不安が襲い掛かってくる。
メールを通してのみ、トウヤのことはよく知っているつもりでいたが、実際の彼がメールの印象通りの人間だという保障はないのだ。
「・・突然メールのテンションも変わっちゃってたし。
もしかしたら、全然別の人が来てるのかもしれないんだよね?」
考えに考えると、そんな心配まで生まれてきてしまう。
アユミは歩きながら、昨日やりとりしたメールを何度も読み返した。
今までの丁寧な文章からかけ離れた、端的で粗雑なメール。
・・・もし、相手が妙な人っぽかったら、直ぐに逃げよう。
そんな決意をしているうちに、気がつけば約束の店、カフェCOLEUSに着いていた。
再度深呼吸をしてから、店の扉を潜る。
店内はわりと広く、ニ十人程度の客を収容することはできるだろう。
見渡してみれば、夏休み中とはいえ、制服姿の女子高生の姿がちらほら見えた。
部活帰りとか、夏期講習帰りとか、そんなところだろうと思う。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
ウェイトレスのお姉さんが声を掛けてくれたので、待ち合わせしてるんですと、案内を断り、客席を見渡しながら歩いていく。
冷房の効いた風が、アユミの身体から熱を奪い取ってくれて、心地よかった。
「・・どこにいるんだろう?」
あまりキョロキョロしてしまうのも変かと思いつつも、アユミは相手の顔も知らないのだから仕方がない。
喫煙席で新聞読んでるあのスーツ姿の人だろうか?隣に座る女子高生にやたら絡んでいる黄色い頭のお兄さんだろうか?
・・まさか、実はトウヤは女性で、窓際に座っているポニーテールのお姉さんなのかもしれない。
「・・・っ!」
そうやって店内をきょろきょろしていたアユミは、ある一角に気づいて息を呑んだ。
思わず客席間の衝立の裏に身を隠してしまう。
「な・・なんで・・あの男が・・?」
窓から離れて、店の一番奥に設置された二人掛けのテーブル。
コーヒーカップ片手に、文庫本を読みふけっている一人の青年がいた。
その頭は・・明らかに銀髪。見覚えがありすぎるほどに銀髪。
加えてまた今日も随分、美しい顔をしていらっしゃった。
「大賢者様・・よね?」
衝立越しに覗きながらぼそり呟くと、まるでその声が聞こえたかのように、男は顔を上げた。
視線が合うのを恐れて、再び衝立の中に身を潜めたアユミは、震える手で携帯を取り出した。
とりあえずトウヤに連絡を入れよう。
そして出来れば店を変えてもらおう。そう考えていた矢先である。
アユミの携帯がメールを受信しだした。
「・・っひ?」
驚いて、受信音が鳴る前にメールを開封する。
送信相手はトウヤだった。そしてメール本文はたったの一言。
『はじめまして。トウヤです。』
アユミはその一文を読んだ。何度も何度も視線でその一文をなぞり、そして恐る恐る、衝立の向こうに視線を遣った。
銀髪の男は、にっこり微笑んで、アユミに向けて自身の携帯を振って見せた。
色々と信じたくないアユミは、一度自分の携帯に視線を落とした後、再度銀髪の男を見る。
――そうそう。それが、私。
口パクと手真似で示しただけだったが、アユミには充分過ぎる程、男の言葉が伝わってきた。
・・間違いない。彼こそが、トウヤだったのだ。
「そんな・・嘘・・。」
その場に座り込みたい勢いのアユミに、トウヤは笑顔のまま、手招きをした。
逆らう気力もなく、ふらふらと彼の待つ席まで歩いて行く。