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・・・気がつけば。カーティスの舞台は謁見の間に移っている。
赤い絨毯の上で、玉座に腰掛ける国王と王妃。その二人の前に跪く少年と魔術師姿の女を、カーティスは取り囲む人々の群れに紛れて見ていた。
粛々と、国王は少年に勇者の任務を任せる旨を話している。その姿を横目に、カーティスの隣に立つ黒装束の男が囁いた。
「・・まずいです。エリオットと共にいるあの女・・。
確か、一度大賢者様の元に仕えていたという研究職員・・」
焦りを滲ませた声のその男。深く被ったフードの下から覗く髪には白髪も混じっている。
ラスという名のこの男は、王室に仕える魔術師であり、カーティスの友人でもあった
「・・ピアか。彼女は大賢者様の命令か?」
ぼそり囁き返すと、隣でラスが頷いたのがわかった。
「今や国民の目を代表する大賢者様からの命令で、エリオット様の旅の共には大賢者様が指定する人間を付けなくてはいけなかったのです。
国王陛下もただ一人くらい、この計画の問題にはなるまいと高を括っていたようですが・・」
「彼女の存在は・・少々厳しいな。あの天才を、俺が出し抜けるだろうか・・」
呟くカーティスの周囲で、人々が熱狂の歓声を上げた。エリオットが今、勇者の剣を天に掲げたのだ。
小さく舌打ちをしてその光景を見つめる。
勇者の剣を高く掲げるのは、本来ならば王位を継ぐ人間のみが許される行為。
事態が事態だけに、国王も無視を決め込んでいるようだが、あんな事をしてしまえば、見物人はエリオットに期待を寄せるに決まっている。
こういう舞台に慣れない彼が、自らこの姿勢を取ったとは思えない。確か、エリオットは普段から大賢者と親しくしていると聞いていたが・・
無自覚な少年の裏で瞳を光らせている食わせ者の影に気づき、カーティスの胸を不安が埋めた。
「・・・カーティス。そろそろ出番だ。」
横から袖を引かれ、カーティスは慌てて自分の使命を思い出す。
ラスに黒い布の包みを手渡され、カーティスは頷いてみせた。
「気をつけろよ・・。こっちば万全抜かりないつもりだが。
相手はあのピアだ。仮面の呪いに気づかれる可能性がある・・」
不安を滲ませたラスの声を遮るように、国王が自分の名を呼ぶ声が聞こえた。
「それでも・・行くしかないだろ。」
振り返ることなく、友人にそう言い聞かせ。カーティスは人の群れから一歩踏み出した。
ロナルド王子と同じ蜂蜜色の髪と、恐らく母親に似たのであろう蜂蜜色の瞳を持った少年を見据える。
あえて彼の背後で顔を伏せているピアには気づかないふりをし、驚いたように自分を見上げている無垢な少年の前に跪いた。
「我が名はカーティス。王妃様の命を受け、旅の道中を襲う全ての危機から貴方をお守りすることを誓う。」
瞳を伏せ、形式通りの台詞を言う。
エリオットは少々肝を冷やしたようではあるが、それでもふわりと笑って、カーティスに立つよう促した。
「よろしくね。俺は何もわからないから、君みたいな人がいてくれて心強い。一緒に、頑張ろう!」
まるで子供のような、無邪気な言葉に、胸が痛まないわけがない。
顔には何の感情も表さないよう気をつけていたが、その手は思わず、マントの裏に隠した黒い包みを強く握り締めていた。
――エリオットを勇者にしては、ロナルド王子の次期王位の身分も危うくなるぞ。
エリオットが魔王を倒せば、国民の支持はエリオットに集まる。
ロナルドが王に即位する際、反乱が起きる可能性があるのだ。一体これをどう始末つける?
最初、王妃がエリオットをロナルド王子の代わりに旅立たせるよう提言した時、真っ先に国王が言った言葉はこれだった。そしてその言葉に周囲の大臣が皆して頷いていたのを覚えている。
――それに関しては問題ありません。エリオットには旅の道中、ロナルドと名乗るよう命じるまでです。
旅に出たのがエリオットである事実はあくまで隠し、勇者はロナルドであると国民に告げるのです。
そう王妃から視線を向けられたロナルド王子は、待ってましたとばかりに、国王に向けて自分の計画を話し始めた。
国民と共に生活していたエリオットは、ロナルド王子が病弱であるという嘘の噂を信じきっている。
その噂に付け加えて、ロナルド王子が遂に魔王の呪いを受けてしまったのだということにすれば、エリオットはそれを疑わないだろう。
人の良い彼は、そんなロナルド王子の代わりに魔王を倒すという任務を快く引き受けるだろうし、国民に晒す外観上の問題であれば、エリオットとロナルド王子は背丈も近いし、髪の色も一致しているから、精々顔を仮面で隠しておけば、国民に正体がバレる心配はないだろう。
――あとはエリオットを監視する役を一人つけておけばいいだけです。
ロナルド王子の言葉に、なるほどと頷いた国王の視線は、自然と自分に注がれた。
にやりとロナルドが笑みを向けたことにも気づいていた。
そこでカーティスは、ロナルドに支持された通りの台詞を言う。
『その任務、私が引き受けましょう。』
そして、カーティスは遂にこの日を迎えたのだ。
「エリオット、お前には旅の道中その正体を隠すために、仮面をつけてもらうことになる。
以降、外部の者に会う時は必ずロナルドの名を使うよう、誓いを立ててもらおう。」
「はい!」
再び国王に向き直り、正式な誓いの言葉を述べ始めたエリオットの背後で、カーティスはマントの下から黒い包みを取り出した。
何故か、包みを掴む手が震えている。冷や汗が流れ、これは何事かと自分の身体を見回す。
一族の立場上、王族に命じられればどんなに汚い仕事にも手を染めた。
確かに、これからエリオットに着けてもらう仮面には呪いが施してある。
一度でもあれを装備させてしまえば、呪いは永久的に有効だ。
もしエリオットがカーティスの目を盗んで自らの正体を他人に知らせたならば、その時点でエリオットは自我を失い、ただの人形に成り果てるだろう。
確かに残酷な呪いだが、別に王族の命令ならば珍しいことでもない。
呪いの実行に気が引ける要因など何もない筈なのだ。なのに、何故手が震える?
「・・っ!!」
不意に鋭い視線に気づいて視線を向ける。
大賢者と同じ銀髪を持った魔術師、ピアがこちらを睨んでいた。
――・・やはり気づかれていたか。
王室に仕える上級の魔術師により、呪いの力を人に感知させないよう、厳重な封印を施してある筈なのだが、この様子じゃ、彼女は既に仮面の正体に気づいている。
カーティスはピアの視線から逃げ切れないまま、乾いた喉に唾液を嚥下させたが・・
「・・カーティス。仮面を。」
王妃の言葉に逆らえず、ピアの視線を感じながらも、エリオットに向き直った。
なんでこんなに手が震えるのだろう。
「・・カーティス?」
エリオットは、透き通る蜂蜜色の瞳で自分を見上げている。
何も知らないこの少年に、カーティスは仮面をつけなくてはいけない。
・・・なのに、なんでこんなに手が震えるんだ?
「・・こんな筈じゃ・・!」
耐え切れず、手に持った仮面を投げ捨てた。
銀色の仮面は硬い音を立て、地面を転げる。
こんな筈じゃなかったのだ。本当は、もっと上手くやれていた。
「カーティス・・やっと・・」
頭を抱え、地に臥したカーティスに、エリオットの声が聞こえた。
驚くようでも、戸惑ったようでもない、穏やかなエリオットの声。
息を呑んだカーティスの目の前で、エリオットの足が地に落ちた仮面を踏み潰した。
シュゥと何かが溶けるような音がして、割れた仮面からは黒い煙が上がった。
驚いて顔を上げる。そこには透き通った瞳。何もかもを見透かした薄桃色の瞳。
いつの間にやら、カーティスの前に立っていたのはエリオットではなく、ピアだった。
『カーティス、やっと会えましたね。』
美しい微笑と共に、ピアの手が自分の元へ伸びてくる。
急に怖くなった。ピアは全て知っていたのだ。そして自分は、自分はこの時・・
「・・う・・あ・・」
目を覚ましたカーティスは、まだ夜の気配が抜けない部屋の中で、じっと自分を見つめるピアの姿に気づいた。
「カーティス・・起きましたか?」
ピアは心配そうにそう尋ねながら、握っていたカーティスの手を放した。
彼女は、自分が眠ってる間、ずっとこうしていてくれたのだろうか。
ずっと、心配して、傍にいてくれたのだろうか。
「・・なんでだ・・?」
震える声で尋ねた。ピアが不思議そうに首を傾けてみせる。
「なんで・・知っていて止めなかった。
俺は、あの時、エリオットに呪いをかけたんだ。」
カーティスが言うことができたのはそれだけだったが、ピアはこれで全てを察したらしい。
途端悲しみに表情を曇らせて、頷いた。
「貴方だって、気づいていたのでしょう?
私が王族の手からエリオットを守るため、大賢者様から使わされていたということを。」
「それは・・」
気づいていた。本当はあの謁見の間で出会った時から気づいていたのだ。
しかし気づいたところで、カーティスにどうにかできるものでもなかった。
ピアは、大賢者の命令でエリオットの旅の共をする立場。
自分は王族の命令でエリオットの旅の共をする立場。属する勢力が違う上に、表向き、この二つの勢力は友好を保っているように見せないと、国民の反発を買う。
だからカーティスは、ピアの目的に気づかないふりをし続けたのだ。
「私も貴方と同じです。あの時は、気づかないふりをしました。」
淡々と告げるピアの瞳を、カーティスは真っ直ぐに見つめ返した。
「・・しかし、あの所為でエリオットにはもう・・」
その事実が辛くて顔を歪めた。エリオットにはもう、呪いが掛かってしまった。
旅の道中、一度でも国民にその正体をバラせば、彼の自我は死んでしまう筈だったのだ。
「全て、エリオットは知っていたのですよ。」
自責の念に苦しむカーティスを哀れむように、ピアは言った。
そしてその言葉があまりにも意外で、カーティスは目を見開いた。
「なんだ・・って?」
ふらつきながらも、何とか上半身を起こし、ピアを見る。
ピアは一瞬心配そうにカーティスに両手を伸ばしたが、自力で起き上がることができた様子に安心したのか、再び淡々と、話し始めた。
「王室の魔術師たちがこぞって、特殊な仮面を作っていることを、大賢者様はご存知でした。
貴方たちの企みのことは、私やエリオットは事前に知っていたのです。」
ピアは言った。事実を知った時、ピアはエリオットに仮面を断るよう提案したのだと。
しかしそれでも、エリオットは仮面を受け取る道を選んだ。
「・・・何があっても、国王に逆らうつもりはないと。
エリオットはそう言って笑ったのです。
国王が望むなら、呪いくらい平気なんだと・・。
私がいくら説得しても、彼は折れませんでした。」
どこか悔しそうに目を細め、ピアは言った。
「馬鹿な・・」
エリオットのあまりの純粋さに、眩暈を感じた。
人が良いにも程がある。なんて愚かな男なのだろうか。
・・いや。
「愚かなのは・・俺だったのか?」
エリオットは何も知らないのだと信じていた。
知らないから、平気な顔で仮面をつけていられるのだと。
でも違ったのだ。何も知らなかったのはエリオットではなく、カーティスの方・・
悔しかった。騙されていたのは自分の方だったのだ。
「カーティス・・。貴方が自分を責める必要はないんです。
我々は全て承知の上で、旅を続けてきました。
エリオットは決して国王に背かない。彼は旅を終えるまでずっと、ロナルド王子であり続けるでしょう。」
仮面の呪いが発動することは、絶対にありえない。だからカーティスは何も心配しなくていいのだと。
ピアはそう言って、俯くカーティスの背を撫でた。
それでも、カーティスはピアの顔を見ることができなかった。それができないままに、呟き始める。
「俺は・・俺は大賢者様に殺されかけたんだ・・。」
ぽつりぽつりと語り始めた。一昨日の戦いの話を。自分と対峙した大賢者が話した内容を。
「大賢者様は言った・・。俺は死ぬつもりで旅をしているのだと・・
魔の森が襲ってくるのは、そのせいなんだと・・」
「カーティス・・」
ピアの泣き出しそうな声に耐え切れず、カーティスは片手で顔を覆った。
「貴方が不安なのはわかります。
貴方は幼少期に死の因果を体験してしまった。貴方は既に死んでいる筈なのです。
肉体に死の記憶が刻まれているのに、魂はそれに逆らって存在している。
貴方の中に死を望む気持ちがあるのはそのせいなんです。仕方が無いことなんです。」
何も怯える必要はないのだと、ピアはカーティスに言い聞かせた。
「貴方はいつも、私たちを守り、戦ってくれた。
でももっと、私たちを頼ってください。私もエリオットも、貴方の力になりたい。
一人で全てを背負い込まないで・・。お願いだから、死のうなんて、考えないでください。」
ピアの声は震えてた。カーティスが指の間から覗いた彼女の瞳は、涙に濡れて、とても綺麗だった。
――・・ちがう・・んだ。
唇だけでそう言葉を紡ぐ。それだけでも伝わったのか、驚いて首を傾げるピアの瞳から、涙の雫が零れ落ちた。
「俺は死ななくてはいけない。俺が死ななければ、エリオットが死ぬことになる・・・」
搾り出すように言ったその言葉に、ピアは大きく目を見開いた。
「・・どういう・・?」
「ロナルド王子が願いは、エリオットに呪いをかけるだけでは済まなかった。
俺がエリオットの旅の共に選ばれたのは、エリオットを監視するためだけじゃない・・」
呆然とピアが見つめるなかで、カーティスはゆっくりと顔から手を放した。
自分が今、どんな情けない顔をしているかなんて、考えたくもない。
それでも、言いたかった。
目の前のこの少女にだけは、カーティスの本性に気づいていても尚、カーティスの味方でいてくれようとしたこの少女にだけは、知っておいて欲しかった。
「例え仮面の呪いが発動しなくとも。
魔王を倒し終えたエリオットは死ななければならない。
反乱分子になりかねない存在を、結局王室は望まないんだ・・」
その言葉に、ピアが息を呑んだのが解った。
「・・まさか・?」
怯えたような少女の瞳に、胸が痛んだ。でも、言わなくては。
「俺はエリオットを殺す役割を、王族から任されている。
俺は生きている限り、この命令に決して、逆らうことはできない。」
・・・だからせめて、目の前の少女が、いつか必ず動き出すことになる自分の運命を、断ち切ってくれたらいい。
祈るような気持ちで告げたカーティスの前で、ピアは透明な涙を流し、両手でその顔を覆ってしまった。