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■■第三十二章■■

 木々はより一層、濃く緑の影を地に落としている。

トウヤは今、リカに促されるままに森の中を歩いているところだった。


「・・・どこまで行くんですか?」

 一体あれからどれくらい歩いたというのだろう。随分と森の奥まで来てしまった感はある。

歩いても歩いても変わり映えしない木々の群れに、一抹の心細さを感じながら、トウヤは尋ねた。

「私もわからないのよ。でもきっと、もう直ぐ着くわ。」

こちらを振り向くことなく、リカが答える。

 彼女は既に、自らの意思で歩いているわけではないようだった。

ただ森の中にある何かに惹かれるように、突き進んでいるだけなのだろう。その証拠に、先程から道らしい道を歩こうとしない。

 恐らく、リカが選ぶ道は、目的の場所に辿りつく最短ルートなのだろうが、それにしたって歩きにくい。

獣道でもまだマシだろうと思うくらい、足場の悪い道のりを、リカはひたすら進んでいった。

 トウヤは不意に、リカの首筋に止まる蚊に気づく。

反射的にそれを叩こうと手を伸ばしたが、同時にリカの肌に触れることに躊躇して、結局蚊を逃がしてしまった。


「・・あっちゃー。また刺されちゃったかぁ。虫除けスプレーもここまで来ると意味ないわね。」

 トウヤが間抜けに伸ばした手に気づいて、リカが溜息をついた。

リカは既に数箇所刺されてしまったらしく、あちこち痒いらしい。

 今まで虫に刺されたことがないトウヤには解らない苦しみだが、腫れた皮膚は見ていて痛々しい。

「蚊もですけど・・マムシも怖いですから、本当気をつけてくださいね?」

 先程から、無用心に薮に踏み込んでいくリカの足元を、心底心配しながらトウヤは言う。

本当なら、リカの安全のためにも、自分が先頭を歩いてやりたいのだが・・

「大丈夫よ。噛まれても平気なように革のブーツ履いてきたんだから。

 それに、私の中にいるもう一人が、心配ないって言ってるの。

 何かあっても、貴方が助けてくれるんだって。」

リカはそう言って、にっこり振り返った。

「・・確かに。俺はともかく、大賢者がついてますから、安全なのかもしれませんが・・

 それでも無茶はしないでくださいね?」

 リカの足元から視線を逸らさないように、トウヤが答えると、リカは再び視線を前に向けて言った。

「でもほら・・もう見えて来たわ。あそこが私たちの目的地。」

 そうリカが指で指し示す先を見る。遠く、鬱蒼と茂る木々の間から、キラリと輝くものが見えた。

一体あれは何だろうか?目を凝らしながら近づいていくと、徐々に、その輝きの正体が明らかになってきた。


「・・・湖だ・・。」

 森の中で、木々から唯一開放された空間に辿りついた時、トウヤは思わず息を呑んだ。

足元を柔らかく包み込む緑色の羊歯の葉、輝く藍色の湖畔には、辺りの木々の黒い影が映りこんでいる。

天を仰げば、どこまでも蒼い快晴の空が確認できた。そしてこの光景の全てに、トウヤは見覚えがあった。

 確かに、幻覚の中で見た湖と比べ、この湖は随分小さいし、周囲を囲む木々の背も低い。

しかしそれでも、この場所は催眠術にかかっている間垣間見た、大賢者の記憶する光景に良く似ているよう感じられた。

 ふと思い立って、トウヤは水面に映る自分の顔を確認してしまう。

そこに映っているのはあくまでいつもの自分であることを確認して、ほっと息をついた。

 大丈夫、また大賢者の意思に乗っ取られたわけじゃないらしい。


「懐かしいでしょう?私たちが出会った場所に似ているの」

 じっと湖に映る自分の姿に見入っていたトウヤの背後で、リカの声が聞こえた。

先程までのリカの声とは異なる、あくまでも冷たく、無感情な声。

激しいデジャヴを感じて振り向いたトウヤの視線の先には、予想通り、瞳から光を失ったリカが立っていて、いつの間にやら彼女の手には、一枚の枯れ葉が握られていた。

 見れば、リカの背後に一本の小さな木が生えている。

艶やかな深緑色の葉、間違いなく、この木は本榊の幼生なのだろう。そしてリカの手元にある枯れ葉は、この榊の葉と一致しているような気がする。

 トウヤは不意に思い出した。以前、リカと花屋で会った時、彼女の手元にある榊の枝から零れた、数枚の枯れ葉のことを。


 トウヤの視線が、背後の榊の木と、リカの手元にある枯れ葉との間を行き来したことに気づいてか、彼女はにっこり笑って見せた。

「そうよ。ここの榊の木は、うちの店に置いてあった榊、あの森で育てていた榊と全く同じものよ。

 私はこれがないと、本来の自分には戻れないの。

 あの森に何かが起きた時のために、こちらにも一つ植えておいたんだけど・・それが役に立ったようね。」

リカは言った。そしてその言葉で、トウヤは確信した。

 目の前にいるこの女性は、既にリカではない。


「・・貴女が・・インフィニティですね?」

そう問うと、彼女・・インフィニティは嬉しそうに頷いてみせた。

「そう、私はインフィニティ。魔王の娘。

 大賢者様、離れ離れになってしまった貴方を、ずっと探しておりましたわ。」

 再びトウヤの前に現れたもう一人のリカは、遂にその真の名をトウヤに告げた。

そしてその事が、トウヤの知っている大賢者の記憶により一層のリアリティを与えていた。

 大賢者は、トウヤの別人格という枠に留まらず、彼女、インフィニティとの繋がりを持つという、トウヤとは別個の存在意義を示していたのだ。

 同時に、リカにも同じ事がいえた。リカの中に潜んでいたインフィニティは、リカの別人格として片付けることが出来ないほどに、確固とした存在であった。

 トウヤとリカが本来知るわけがない記憶を、大賢者とインフィニティは共有している。

そして彼らは彼ら同士の会話を成り立たせるための端末として、トウヤやリカの身体を操っている。

 そう考えると薄気味悪いが、しかし最も的を得た表現のような気がしてきた。


「・・インフィニティ、貴女は・・貴女方は何者なのですか?」

 改めて、尋ねる。インフィニティは光のない瞳を細めて言った。


「それは私の台詞よ。貴方は誰なの?

 私が折角大賢者様の意識を目覚めさせてあげたのに、なんで貴方がまだいるの?」

その意味がわからなくて、トウヤは一瞬言葉を失う。

「・・え?」

 考えを巡らせた挙句、出てきた言葉はこれで、そんなトウヤの様子に、インフィニティは肩を竦めてみせた。

「じゃあ聞くけど。貴方は自分の存在を疑問に思ったことは無いの?

 他から明らかに浮いたその姿、こんな炎天下にこれだけ歩いたのに汗一滴もかかないその身体。

 どう考えたっておかしいのに、今まで何も感じてこなかったっていうの?」


 その言葉に、はっと息を呑む。まるで銃弾に心臓を貫かれたようなショックを覚えた。

当然、何も感じていないわけがなかった。そのことで散々悩んでもきた。

 しかし、結局のところ、これが自分の個性なのだという答えに辿りつき、それに甘んじて深く考えないようにしてきたのだ。


「・・・どういう・・意味ですか?」

 乾いた唇で、そう言葉を象った。顔が引きつるのがわかった。

インフィニティの言葉の意味がわからないわけではない。ただ認めたくなくて、聞き返す。

 しかし目の前に立つ女性は、実にあっさりと、残酷な答えを聞かせた。


「貴方は最初から、この世界の人間ではなかったの。

 貴方は異世界から来た大賢者様がこちらの世界に住まうために作られた、偽りの人格。

 その身体は最初から貴方のものではなく、大賢者様のものだったのよ。」

哀れむように、インフィニティは言った。


「そんな馬鹿な!!」

 当然、そんな話が信じられるわけがない。トウヤは声を荒げて反論した。

そもそも、大賢者の存在はインフィニティの催眠術によりトウヤに植えつけられたもの。

ごく普通に生活していたならば、トウヤが大賢者の存在を知る筈がなかった。

 自分の身体が本当は大賢者のために存在するもので、トウヤの人格こそが偽者だなんて、そんな無茶苦茶な話があるわけないのだ。


「俺の中に大賢者が現れたのも、リカさんが記憶を失って混乱しているのも、全ては貴女のせいなんだ。

 貴女こそ・・何者なんだ?何故俺やリカさんの中に、別の存在を植えつけた!?」

 全ての根源がこの女、インフィニティであることを、トウヤは確信していた。

その確信は、全てを知っているかのように聞こえる彼女の口振り以上に、トウヤの中にいる大賢者の肯定により裏付けされたものだった。


「貴方は勿論知ってると思うけど、私は人間じゃないわ。

 だから、人間の考えることなんて理解できない。」

 トウヤの言葉の裏にある大賢者の影に気づいて、インフィニティは口の端を歪め、冷たい微笑みを作った。

「人間って愚かで、陳腐な生き物なのね。

 見た事のあるものや、自分の知っている事じゃないと、その存在すら警戒してみせる癖に、ほんの少しでも知識があると勘違いしている分野なら、簡単に騙されてしまう。」

淡々と紡ぎ上げるインフィニティの言葉に、トウヤは眉を潜めた。

 一体、彼女は何の話をしているのだろうか。


「私本当は、催眠術なんて知らない。当然、使ったことも無い。

 私は貴方を騙していたのに、貴方は全く気づかなかったのね。」

そう言い、可笑しそうに笑う目の前の女性の姿に、トウヤは寒気を感じた。


「・・どういうことだ?だって、貴女ははあの日、俺に催眠術を掛けて・・」

「そして君の意識に大賢者の存在を植えつけた。そう信じていたのよね。」

そのトウヤの言葉の先を取って、リカは言葉を紡いだ。


「あ・・ああ。そうだ。」

思わず、頷く。リカはそんなトウヤの様子を鼻先で笑った。

「馬鹿みたい。社会的に認知度さえあれば、それがどんなに怪しいものでも、簡単に受け入れてしまうんだから。

 あれは催眠術なんかじゃないし、あの時の説明も全部嘘よ。

 私はただ、魔法陣を描いて、貴方の中にある大賢者様の意識を呼び覚ます魔法を発動させただけ。」


――・・・嘘だ。

 頭の中が真っ白になるのを感じた。

――・・・嘘ではない。本当のことなんだ。

 意識の中の老人が、そう言って首をもたげる。老人は悲しい瞳で、トウヤの全てを否定しようとしていた。


「貴方には悪い事をしたとは思っているわ。

 私が人間のことをあまりにも知らな過ぎたから、だから私はあの時、貴方にかける術を間違えてしまった。

 貴方は今、私が目覚めさせた大賢者様の意思と完全に分離した状態になってしまっている。

 今日私が貴方を呼び出した目的は、貴方に術をかけ直すためなのよ。

 今度こそは間違いなく、貴方を大賢者様に戻してあげるから。」


 凍るような笑顔のまま、そう説明するインフィニティの姿に、トウヤの目は眩み始めた。

「俺は・・。じゃあ俺は、一体どうなってしまうんだ?」

くらりと身体が揺らいで、もう真っ直ぐ立つこともできない。

朦朧と霧がたちこめてきた意識の中で、トウヤは必死に問いかけた。

「俺は・・消えてしまうのか?」

地面に膝をついたトウヤに、インフィニティはゆっくりと歩み寄りながら答えた。


「いいえ。消えるのではないわ。最初から、貴方なんて居なかったのよ。」


 額に冷たい掌が当てられたのがわかった。その細い指の先からじんわり広がっていく苦痛に、耐え切れず意識を手放したトウヤは、直に、新たな自分の目覚めに気がつくことになった。


「・・・インフィニティ・・お前は私に、何を求める?」

 目を開き、呟いた。目の前には人とは思えぬ、妖艶な笑みを浮かべた女性が一人。


「私には役者が必要なの。手伝ってくれますね。大賢者様?」


 同盟の誓いを立てた相手のその言葉に、トウヤが逆らうわけがなかった。

ゆっくりと頷き、立ち上がったトウヤの視界には、元の世界に居た頃によく立ち寄っていた湖畔に似た光景が広がっていた。





 

 



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