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直に正午になるという時間帯。
「・・あれ?」
暇つぶしにネットサーフィンをしていたアユミは、とあるサイトに辿りついた時、驚きに我が目を疑った。
『SYNAPSE FANTASIA』
忘れかけていた懐かしいその文字列は、見慣れぬ出版社から発行された文庫本のタイトルとして、再びアユミの前に現れた。
文庫本の表紙画像と共に掲載された物語のあらすじに目を通して、アユミは確信する。
間違いない、これはゲーム『SYNAPSE FANTASIA』と全く同じ内容だ。
「嘘・・!なんでこんなところにあるの!?」
まさか、ゲームから小説へ、媒体が変わっているとは予想もしていなかった。これも因果律の歪みなのだろうか・・。
とにかく、本屋に行ってみようと思い立ち、席を立った瞬間、背後で勢いよく部屋の扉が開かれた。
「アユミちゃん!カーティスが目を覚ましたよ!!」
入ってきたのはエリオットで、その言葉にアユミの頭から件の小説の事はすっかり吹き飛んでしまう。
「本当!?」
驚きと喜びで、焦る気持ちに急かされるままに、アユミはエリオットに付いてカーティスの元へと向かった。
カーティスは今、ピアに支えられ、ようやく上半身を起こしたばかりのようだった。
「・・・アユミか。無事だったようだな。」
まだ身体に力が入らないのか、部屋に入ってきたアユミに対するカーティスの声は、幾分と細かった。
「うん!全部カーティスさんのお陰だよ。」
弱々しいカーティスの様子に、まだ心の中は不安でざわついていたが、アユミは極力明るく答えた。
カーティスの身体から手を放し、そっと椅子に座りなおすピアの隣に立ち、アユミは改めてカーティスを見る。
長い時間を悪夢の中で過ごしたせいか、その瞳に憔悴の色が見られたが、顔色自体は悪くない。
「・・本当良かった。カーティスさんがあのまま目を覚まさなかったらどうしようって、心配してたんだよ。」
アユミの言葉に、カーティスは琥珀色の瞳を細め、アユミを見た。
「俺はお前に助けられたようだな。
ピアに聞いた。こいつらが俺の夢に入ってこれたのは、アユミの案があったからだと。
・・・本当に感謝している。」
そう言ったカーティスの表情は、アユミが抱いていた彼のイメージを覆すほどに、柔らかく、穏やかなものだった。
「カーティスさん・・・まだ寝惚けてます?」
驚きの余り、そんな言葉が口から零れた。アユミの隣にいたエリオットが、堪えきれず吹き出したのがわかった。
普段の彼ならこんな時、一睨みを利かせる筈なのだが・・
「そうかもしれないな。」
カーティスはただそう言って、微笑んだだけだった。
この反応、まるで別人である。悪夢のせいで彼は変わってしまったのだろうか?
「・・アユミさん。カーティスは夢の中で幼い子供の姿をしていました。
まだその時の感覚が抜け切れていないのだと思います。」
まるでアユミの心内を読んだかのように、ピアが教えてくれたので合点がいった。
しかし・・子供の頃のカーティスか・・
「へぇ・・それは私も見てみたかったな。」
好奇心を素直に口にすると、ピアは少し悲しそうな顔をして、俯いてしまった。
「・・カーティス。」
エリオットに意味深な視線を向けられ、彼は瞼を伏せると、頷いた。
「全て、紛れもない俺の過去だ。一族で唯一、魔の力を持たずに生まれた俺は、出来損ないとして扱われていた。父上も俺を処分したがっていた筈だ。」
淡々とした口調で言う。
カーティスの見た悪夢について何も知らないアユミだが、この言葉でなんとなく夢の内容が予想できた。
どうやら、カーティスの見ていた悪夢とは、過去に体験した苦しい思い出の世界だったらしい。
カーティスに辛酸を舐めるような時代があったことは意外だったが、その過去がどれだけ無惨なものであったのかは、カーティスを見つめるエリオットとピアの表情が語っている。
多分これは、部外者であるアユミが触れて良い話題ではないのだ。
「・・なんか・・ごめん。」
咄嗟に謝罪が口をついた。エリオットの手は、癖がついてしまったのか、自然とそんなアユミの頭を撫でてくれた。
「カーティス・・俺たちは何も知らなかったよ。国内であんな酷いことが起きていたなんて、思いもしなかった・・。」
まるでそれが全て自分の責任でもあったかのように、エリオットは泣きそうな声で言った。
そんなエリオットの様子に、カーティスはゆっくりと首を横に振った。
「お前が気にする必要はない。父上には確かに、俺に対する殺意があったとは思うが、それでも、俺は自分が実験体に選ばれて、良かったと思っているんだ。」
異空間移動の技術を発展させるためには、本来ならば何人もの実験体の命を犠牲にしなくてはならなかった。
しかし、その実験体に紅鴉一族の血を引く自分が選ばれた事により、全ての犠牲を自分一人で担う事ができた。
「あの研究には、俺の存在こそが適役だったんだ。そうじゃなければ、代わりにどれだけの人間が死んでいたかわからない。」
だから結局、父上の判断は間違っていなかったのだ。そう穏やかな口調で、カーティスは言った。
「でも!それにしたって・・あれはあまりにも酷すぎる!」
残酷な過去の事実。その全てを受け入れようとするカーティスの様子が耐え切れなくて、エリオットは叫んでしまった。
「・・・ルーファス公爵の行動は間違っている・・。
自分の息子を・・あんな酷い目に遭わせて良いわけがないのに。」
琥珀色の瞳に真っ直ぐ射られ、耐え切れずエリオットは視線を逸らして言った。
「父上は何も間違っていないさ。出来損ないが生まれたことは、一族の名誉を地に落とす。
例えそれが実の息子でも、処分しようと思うのは、紅鴉の長として当然の判断だ。」
相変わらず穏やかなカーティスの言葉に、今度はピアが反応した。
「それではあなたは・・ルーファス公爵を恨んでいないのですか?」
少し驚きを滲ませたピアの声に、カーティスは迷い無く頷く。
「むしろ・・感謝しているよ。
あの研究が成功したからこそ、国王自らが俺を正式な一族の人間として認めてくれた。
あの経験があったからこそ、俺は一族の誰よりも生きることに固執した。
そのために、俺は誰よりも強くなれたんだと、そう思っている。」
そう言って僅かに瞼を伏せたカーティスの上半身が、ふらりよろけた。
「・・カーティス!」
咄嗟に立ち上がり、カーティスの背を支えたピアの声には、彼女にしては珍しいくらいはっきりとした感情が表れていた。
心配しているのだ。カーティスが再び倒れてしまうのではないか不安でしかたがないのだ。
「・・大丈夫だ・・。少し、疲れただけで・・もう何とも無いから・・」
薄っすら開いた唇でカーティスは呟く。ピアはそれに対して何か答えることも出来ないまま、ゆっくりと彼の上半身をベッドに寝かせた。
その手が、僅かに震えているのがわかる。
「エリオット・・」
力の無い声で、カーティスは呼んだ。
「何・・?俺にできることなら・・何でも・・」
震える声で言うエリオットに、カーティスは僅かに微笑んでみせた。
「お前に一番、感謝している。助けに来てくれて・・ありがとう・・」
見開いたエリオットの瞳から、一滴の粒が零れた。
そのぼやけた視界の中で、カーティスはゆっくりと瞼を閉じてしまう。
「・・・カーティス!?」
力の抜けた彼の手を掴み、必死で呼びかけた。もう二度と目を覚まさないのではないかと不安に駆られたエリオットの耳に、カーティスの静かな寝息が聞こえ出した。
「・・大丈夫。もう体内の瘴気は消えています。今はただ・・眠ってるだけです。」
冷静なピアの声に、エリオットは安堵の息を零して、握っていた手をベッドの上に戻した。
静かに眠るカーティスの上に、毛布を掛け直してやる。
「・・すっかり、聖人君主みたくなっちゃってたね。」
ぼそり、アユミは呟いた。カーティスの過去の話題に置いてけぼりになっていたアユミが、唯一抱けた感想はこれだった。
明らかに空気の読めていないこの発言に、エリオットが僅かに笑ったのが見えた。
「そうですね・・。でも次に目を覚ました時は、きっと元の無愛想なカーティスに戻っていますよ。」
そう言ったピアは、まるでそのことが最大の幸福であるかのように、微笑みを浮かべていた。
今、三人の視線はカーティスに注がれている。
寂しく暗い幼少時代から開放されたカーティスは、もう孤独ではなかった。
そのことに気づいた彼の頬を、今一滴の涙が伝って消えた。