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『・・危険ですね。』
ピアのテレパシスが聞こえた。
『混乱の余り、自我を見失っている。元々二つの因果律の割合が合っていなかったようです。
このままでは・・死の因果が現れる・・』
当然その声が聞こえたわけがないのだが、次の瞬間、大賢者が立ち上がった。
「中止だ!被験者の寿命が縮み始めている。この実験は失敗だ。直ぐに戻せ!」
叫び、魔術師らに指示を出す。大賢者の言葉に、黒装束の集団は慌てて呪文を唱え始めた。
筒の中が光で満たされると同時に、そこに現れた一人の赤い髪の少年は、膝から崩れ落ち、地面に臥した。
青ざめた少年の肌に、次々と黒い傷が広がっていく。傷から肉が捲れ上がり、筒の中をたちどころに鮮血が埋めた。
『・・うっ・・』
ピアの嗚咽が聞こえた。
目の前で起きる変化が信じられなくて、エリオットは筒に駆け寄る。
真っ赤に染まっていく筒の内側は、少年の死を現実的なものに感じさせた。
「・・・カーティス・・!?」
目の前で、どんどん人間の形を失っていく少年に向かって呟く。
透明だった壁は既に赤黒く塗りつぶされていた。もしこの筒がなければ、辺りは血の海になっていただろう。
「・・また失敗か・・。」
今回の実験を率先して進めていたのであろう学者が呟き、腰を下ろした。
周囲に溜息が零れ、エリオットは、こんな状況で実験のことを最優先に考える老人の群れに吐き気がした。
「・・カーティスが・・死んで・・」
その事実に、涙が頬を伝った。助けられなかった、エリオットにはこの少年を助けることができなかったのだ。
「大丈夫。決して死なぬよ。」
場違いなほど穏やかな声に、エリオットは振り返り、尋ねた。
「・・何故。貴方はこんな実験に参加したのですか?」
我ながら、酷く震えた声だった。
「何故、失敗すればこうなるとわかっていて、何故?」
親愛の人に初めて湧いた怒りの感情は、凍りついていたエリオットの感情に大きな波を作った。
「貴方が何故こんなことをした!」
思わず掴みかかっていた。
『・・・エリオット!』
ピアの声を聞き取るよりも早く、周囲の魔術師がエリオットを捕えた。
「離せ!!」
怒りに目が眩んで、エリオットは自分を押さえつける人々を腕で弾き飛ばす。
周囲の魔術師が息を飲み、杖を構えたのが見えた。しかし、
「手を出すな!お前たちは早く被験者を元に戻せ!」
力強い大賢者の一言により、魔術師たちは次々とその腕を下ろし、中央の筒へと戻って行った。
「・・大丈夫だ。カーティスは強い。例え肉体が滅びても、魂は決して逃げ出したりはせん。
紅鴉の一族は、不屈の生命力を持つのだ。彼らが死ぬのは、王族に命じられた時のみ。」
再びエリオットに向き直った大賢者の声はやはり穏やかだった。
「・・本当に?」
呆け尋ねたエリオットは、大賢者に背中を支えられ、カーティスの方に向きを変えた。
集まった魔術師たちが、筒の中に散らばったカーティスの身体を再構成していくのが見えた。
あんなことをしても無駄なのに。出来るのはただの肉人形で、命のない抜け殻が生まれるだけなのに。
ぼんやりとそんなことを考えながら、目の前の光景を見る。
「・・・心配か?」
不意に、背後にいる大賢者から尋ねられ、エリオットは頷く。
「お前にとって、あの少年は大切な存在なのだな。」
再び頷いたエリオットは、次の瞬間大賢者が呟いた言葉を、聞き損ねた。
大賢者の言葉よりも先に、ピアのテレパシスが届いたのだ。
『・・エリオット。またカーティスの夢の舞台が変わる気配がします。』
――それでも、あの少年はいずれ・・
大賢者は一体、なんと言おうとしていたのだろうか?
「・・わぁ!!」
気がつけば、エリオットは再び、白い空間を真逆さまに落ちていた。
――あの少年はいずれ、お前を殺そうとするだろう。
最後に聞こえた大賢者の言葉を理解する間もなく、エリオットは再び、冷たい牢の前に立っていた。
「・・なんで、逃げないんだろう。」
今は牢の中で静かに寝息を立てている少年を前に、エリオットは呟いた。
『逃げることすら考えていないのでしょう。今のカーティスは全てを諦めて、受け入れている。
この出来事が・・現実のものであった可能性が高くなりましたね。』
ピアが答えた。夢があまりにも過去の事実とリンクしすぎて、カーティスは今、これが夢であることに気づけないのだと。
周囲に転々と出来ている血溜まりは、実験から返ってきたカーティスの身体から滴り落ちたものだった。
肉体の再構成に成功し、凄まじい生命力でその命を取り留めたものの、カーティスの身体には死の因果が刻み付けた傷はそのまま残されてしまった。
幼い日のカーティスは、こうして身体に傷を増やしていたのだろう。
知らなかった。こんな無惨な過去、普段の彼からは想像することも出来なかった。
「もう二度と・・カーティスにあんな思いさせたくないよ。」
エリオットは呟いた。
「これからは、俺が守る。守ってみせる・・」
通路から近づいてくる気配に、エリオットは振り返った。
既に傭兵姿になっているのを確認して、腰から剣を引き抜き、構える。
『・・エリオット!?』
一瞬、ピアに名前を呼ばれたような気がした。
しかしそれすら意識できないまま、身体は動き出していた。
「何者!?」
そう叫ぶ声が聞こえた。しかしそれに返答せず、エリオットは剣すら抜かないままの傭兵を一人切り倒す。
真っ向に戦ってしまえば、エリオットの剣では彼らに敵わないことは明らかだった。
未熟な技術を、スピードと体力でカバーする。
――・・残り三人!
暗闇の中に呆然と立ち尽くす男たちの顔を数え、確認する。
躊躇う暇はなかった。もう誰一人、この部屋に侵入させまいと決めたのだ。
「カーティスを傷つける人間は、俺が倒す!」
叫び、目の前の男の肩を喉を切りつけた。
今、暗闇はエリオットに味方してくれていた。男たちはエリオットの姿を確認する間もなく、次々と剣の前に臥す。
「・・お・・わったか・・」
息を切らせながら、倒れた四人の傭兵の背をつま先で突付く。反応はない。
奇襲は上手く行き、男たちは息絶えたらしい。
夢の中だからなのかもしれないが、不思議と罪悪感はなかった。
『・・エリオット・・こんなことをしては・・貴方もただでは済みませんよ!?』
震えるピアの声を、ようやく聞き取れたエリオットは、苦く笑って返した。
「カーティスさえ守れるなら、それでもいいんだ。俺・・怒ってるのかな・・?」
慣れない感情だったが、エリオットはそれに抗うことができなかった。
幼いカーティスの苦しむ姿が、それをただ傍観していた自分が、不快でどうしようもなく暴れたかった。
『・・っ・・気をつけてください!先ほどの傭兵たちが仲間を呼んでいたようです!』
ピアの言葉に、エリオットは視線を上げた。
通路の奥から沢山のランプの明かりが走り、こちらに近づいてくるのが見える。傭兵たちが集まってきたのだ。
先程は上手くいった奇襲も、あの人数相手にどこまで通じるだろうか・・
「・・本当に、やばいかもね。」
しかし、逃げ出すつもりはなかった。今エリオットの頭には、カーティスを守る思いだけがあり、その他の事はどうでもよかったのだ。
息を吐いて、剣を構え直した。目の前に掲げた刀身が、月の光を反射して鈍い光を放つのを確認して、エリオットは、迫る傭兵の群れに向かって、突進していった。
ここで生き延びる自信など、あるわけがなかった。