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■■第二十九章■■
辺りは真っ暗で、物悲しくて。エリオットはここがカーティスの住む世界であったことに改めて胸を痛めていた。
あれからピアの指示を受け、エリオットはカーティスの入っている牢の向かい側の壁に蹲る暗闇の中に隠れた。
牢の鍵は、現在、通路に繋がる入り口に一番近い武器棚の上に置くことにした。
こうして、この部屋に入ってくる人の様子を観察することにしたのだ。
まず姿を現したのは、傭兵姿の男二人組みだった。
既に酒を飲んでいるらしく、一人は既に足取りも危うい。
「おいおい〜お前飲みすぎだろ?そんな状態で仕事してんじゃねぇよ〜」
そう咎めるもう一人の男の方も、大分鼻にかかった声をしている。
・・随分だらしない傭兵もいたものだな。エリオットは息を潜め、その様子を伺った。
「大丈夫らよぉ。どぉせ、監視の仕事なんて餓鬼ひっぱたくだけなんだから。」
真っ赤な顔した男が、へらへら笑いながら壁に向かって歩いていく。
そこに掛かっていたボロボロの革の鞭を取り外して、手招きでもう一人を呼ぶ。
「・・たく。イサクのやつ、確か先に一人ここに来てる筈だって言ってたんだけどな?鍵もそいつに渡したとか・・」
エリオットは男が自分のことを言っているのだと気づき、息を呑んだ。
その男は、手にランプを持っている上に、酔っ払いの仲間の元へ歩み寄りながらも、チラチラ辺りを見回しているので、いつエリオットの姿に気づくかと気が気じゃない。
一度ランプの明かりが近くの壁を掠めた時など、息を止めて、壁に張り付かなくてはいけなかった。
「・・どこ見ても、誰もいねぇじゃねぇかよ。あいつ鍵なくしたから嘘ついたんじゃねぇだろうな・・・」
幸い、エリオットに気づくことなく、男はぶつぶつ呟き始めた。
「鍵ぃ〜?鍵なら入り口んとこにあったろ?」
酔っ払いに指摘され、男は再びランプをエリオットのいる壁の方に向ける。
生きた心地がしないまま、エリオットは必死で光を避けた。
「・・お。あったあった。こんなところに置いていきやがって全く・・」
男が再び仲間に向き直ったお陰でランプの光が逸れ、エリオットはそっと息を吐く。
『大丈夫、相手は気づいてません。その調子です。』
不意に聞こえたピアからの応援メッセージに、エリオットは苦笑いで返した。
一応、男たちは鍵も手に入れたようである。問題は、彼らがカーティスをどう扱うかだ。
明らかに片方の男が鞭を手に取ったところから察するに、これから行う行為はカーティスに対する体罰だろう。
男たちが牢に近づき、鍵を差し込んだのがわかった。
「・・正直、あいつらが鞭振り上げる前に、俺止めたいんだけど。」
ぼそりとエリオットが呟く。ピアが困ったように答えた。
『気持ちは私も同じですが、しばらくは様子を見ましょう。
ここで飛び出してしまっては、騒ぎになりますし、最悪エリオットの身が危険です。』
その冷静な言葉に、エリオットは反論することができなかった。
固唾を呑んで、視線の先にある牢屋を見守った。
男の持っているランプのお陰で、エリオットにも牢の中の様子はよく見えた。
近づいてくる二人の男の影に怯えるように、今、赤い髪の少年が壁際に這っていく。
少年が立ち上がらないのは、恐怖のために腰が抜けているのか、はたまた、歩くこと自体、不可能になってしまっているのか。
そう考えると、エリオットの胸の中を苦いものが埋めた。
可哀想に。カーティスは一体どれだけの間、こうして虐げられていたのだろう。どれだけの間、一人で耐えてきていたのだろう。
「やれやれ・・あんまり逃げないでくれよぉ〜・・。こっちも腕が痛くていやになっちまうんだ。
早く終わらせようぜぇ。うろちょろするんなら、その目玉跳ね飛ばしちまうかもしれねぇぞ。」
酔っ払いの男は面倒くさそうというよりも、ある種の歓喜に目覚めた声色で少年に語りかけた。
自分の言葉に、目の前の少年が青ざめるのを楽しんでいるのだ。
「いいか。一人二十回だぞ。終わったら代われよ?」
ランプを持った男は、まるで玩具を使う順番でダダを捏ねる子供のように、念を押した。
「わ〜ぁってるって!」
酔っ払いの男はいい加減な返事をして、手に持った鞭を高く振り上げた。
エリオットは思わず眼を閉じる。バチィ!と、とんでもない音が聞こえた。
恐る恐る瞼を開けたエリオットが見たのは、鞭の衝撃に、幾度も弓なりに身体を揺らす少年の姿だった。
壁に縋るようにもたれ掛かった少年の背を、男は無茶苦茶に鞭で打ちつけていた。
カーティスは既に悲鳴さえあげない。俯き、唇を噛んでいるのか、彼の足元に涙と共に数滴の血液が零れるのを見た。
「・・・やめろ・・」
耐え切れず、エリオットは駆け出した。
『・・・エリオット!駄目!!』
震える声で、ピアが制したが、既に聞く気はなかった。
鞭を振り上げる男に体当たりをかまし、男と共に倒れこんだ瞬間、ランプを持つ男の足も蹴っ飛ばしてやった。
「・・う・・あわ!?」
「な・・何者!?」
二人とも酔っ払っていた所為か、簡単に倒れてくれた。
「カーティス!!」
突然の乱入者にその場に凍りついたカーティスを、エリオットは抱き締めた。
今度は何の抵抗もしなかった少年からは、濃い血の匂いと、膿んだ肉の匂いが漂ってきた。
何の手当ても受けることの出来ない、重症患者の匂いだ。
「・・酷い・・。」
身体を離し、少年の目を見る。暗闇の中で燃え盛って見えた赤い瞳は今、ただ涙を湛えてエリオットを見上げるばかりだった。
「・・おい。ふざけんなよ・・?」
先程へらへら笑っていた男たちの、冷たい声に振り返る。
エリオットの目の前には抜き身の剣が二振り、突きつけられていた。
「人の仕事の邪魔しやがって・・死にてぇのか、あぁん?」
エリオットは自分を見下す四つの瞳に、噛み付く勢いで叫んだ。
「うるさい!何が仕事だ、こんな・・こんな子供を虐待していいわけがないだろ!!」
『虐待・・?なんの騒ぎだ?』
不意に、男たちの背後から声が聞こえた。
途端、目の前に立っていた男二人が、両脇にはけるのが見えた。
入り口の方から歩いてくる背の高い影を確認して、エリオットも立ち上がる。その足元で、カーティスは怯えきって震えていた。
「・・貴方は・・」
思わず、その目を見開いた。
現れたのは一人の男。緋色のマントをたなびかせるその姿は、見上げるほどに巨大で、厳しい顔立ちの中で、二つの真っ赤な炎が燃え盛って見えた。
鎧に描かれた紅鴉の紋に語られる間もなく、彼の身分は明らかだった。紅鴉の名の示す通り、人を恐怖に陥れる赤い瞳を持って生まれる事こそが一族の証。
「貴方は・・ルーファス公爵!」
エリオットはその名を呼ぶ。紅鴉一族前代の長、この王国で最強と謳われていた男の名を。
ルーファス公爵は今、一際厳しい面持ちで、エリオットに視線を注いでいる。
赤い瞳が放つ人間離れした威圧感に、エリオットは冷や汗が流れるのを感じた。
『・・エリオット!』
ピアに言われて、エリオットは慌てて他の二人と同じよう、敬礼の姿勢をとる。
「・・父上・・。」
足元にいたカーティスが、弱々しくその場に立ち上がり、一歩後ろに引いた。
そう、ルーファス公爵こそ、カーティスの父親だったのだ。
そんなルーファス公爵に対して恐怖を露にしているカーティスに、エリオットは眉を潜めた。
自分の父親を、ここまで恐れる理由がわからない。
ルーファス公爵は、そんな実の息子に蔑むような一瞥をくれると、まるで興が冷めたとでもいうように、エリオットに視線を戻した。
「・・さて。こやつらの仕事を、虐待と評したのはお前か。」
酷く冷たい声でそう言う。エリオットは頷いてそれを肯定した。
「兵を雇う前に、きちんと説明をするように言っておいた筈なのだがな。
たまに現れるのだ、お前のような愚か者が。」
ルーファス公爵は眉間に刻まれた皺をより深くし、吐き捨てるように言うと、自身の両脇に立つ二人の男に視線を向けた。
「この愚か者を反省房へ。教育し直しておけよ。」
「・・は!了解いたしました!」
公爵の言葉に、二人の男は酒の気配を悟られまいとするように、妙にはっきりとした口調で答えた。
ルーファス公爵はその様子に満足そうに頷き、一歩、牢に近づいた。
「・・っ!」
牢の中を、公爵の巨大な影が覆い、カーティスは再び腰を抜かして倒れた。
「カーティス・・!」
慌てて少年を抱き起こそうとしたエリオットを、二つの太い腕が捉える。
気がつけば、エリオットは二人の傭兵にその両腕を掴まれていた。
「大人しくしろ!お前は反省房だ!」
公爵の命令に忠実に動く二人の傭兵からは、相変わらず酒の匂いがした。
「離せ!!」
眉をしかめて、エリオットは抵抗する。しかし、男二人はビクともしない。
腐っても彼らは兵士なのだと、痛感した。
「・・さぁ、カーティス。先生方がお待ちだ。行くぞ。」
そんなエリオットを無視して、ルーファス公爵は自分の息子に話しかける。
その声に、一切の優しさもない。カーティスは震える唇で必死に言葉を紡いだ。
「何で・・?父上は先程、今日の実験はもう終わったって・・。休んでいいって・・」
赤い瞳を大きく見開く。ルーファス公爵は、そこに自身の影が歪んで映りこんでいるのを見た。
「今日は年に一度の満月の日だと言っただろう。
魔力も高まり、先生方の研究には最も適した日。研究はどんどん進んでおる。
研究が進めば、新しい実験体が必要になるものなのだ。」
淡々と説明し、公爵は巨大な手を我が子に伸ばした。
「・・・そんな!嫌だ!」
抵抗も空しく、幼いカーティスは掴み上げられる。
巨大な男は、幼い少年を荷物のように脇に担ぐと、少年の悲鳴に何の反応を見せることもなく、部屋を出て行った。
「やめろ!!カーティスを連れて行くな!!」
エリオットは叫んだ。しかしその声は届かず、今、ルーファス公爵の巨大な姿は、通路の暗闇に飲まれて消えた。
カーティスを追いかけないとと思うのに、傭兵たちは自分を解放してくれない。
「馬鹿か!傭兵の分際で公爵様に逆らってどうする。
カーティス坊は公爵様の息子だぞ。父親が息子をどう扱おうが、自由だろうが!」
赤ら顔の男に怒鳴りつけられた。
「うるさい!お前らだって、なんで子供にあんな酷いことを!!」
怒りを込めて、エリオットは言い返した。
途端、エリオットの腕を掴んだ男二人が、一瞬互いに目を合わせ、大声で笑い出したのがわかった。
「ふはははは!そうかそうか、お前は本当に何も知らないんだな!」
ランプを持った男が言う。
「俺たちがカーティス坊を引っ叩いていたのは、公爵様からの命令があったからだぜぇ?
そりゃ、俺たちだって小さい子供痛めつけるような真似、したくないさぁ。
でもなぁ、これがカーティス坊の修行になるっていうんだ。しかたねぇだろ?」
赤ら顔の男はそう言うと、何が可笑しいのか、再び大声を上げて笑った。
「修行・・だって・・?」
意味がわからず、眉根を寄せる。
不意に、ピアの声が聞こえた。
『・・エリオット。カーティスの夢の舞台が変わった気配がします。
ここに居ても仕方がありません。飛ばします。』
「・・・え?」
飛ばすって・・どういう意味だ?エリオットがそう尋ねようとした矢先、目の前の景色が一気に砕け散るのが解った。
暗い牢も、窓の向こうで丸く輝く月も、エリオットを捕えていた二人の男も、たちどころに崩れ落ちていく。
足元の地面までも・・!
「うわぁ!」
一気に、何もない真っ白な空間へと落ちていく。エリオットは、宙を落ちる自分の衣装が、元の藍色の鎧に戻っていることに気づいた。分厚い手袋も消えている。
『・・カーティスが見えてきました。次のシーンに移ります。』
冷静にナビゲートするピアの声が聞こえて、気がつけばエリオットは椅子の上に座っていた。




