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■■第二十八章■■
午前零時。アユミは寝たきりだった体を慣らすように、涼しい夜風を浴びて伸びをする。
「ごめんねぇ。こんな時間に散歩させて。」
足元をちょこちょこ歩くポチに向かって言う。
空色の丸い瞳で「ワン♪」と振り返る姿は、まるで人間の言葉がわかっているようだ。
そんなポチが一緒だから大丈夫と自分に言い聞かせ、アユミは今一人外を歩いていた。
・・そろそろお邪魔して大丈夫かな?
とか思いつつ、カーティスの眠る部屋に戻ったのが半時前。
そこには数時間前から変化の見られない三人の姿があって、アユミは一人孤独感を味わった。
いや、慣れてはいる筈なのだ。あの広い家で一人生活することは。
でもエリオットたちが現れてから、すっかり誰かの居る生活に馴染んでしまったアユミは、今のように話す相手のいない状況が少し寂しかった。
何というか・・得意だった筈の一人遊びすらやる気が起きなくなる程、退屈だったのだ。
「まぁ・・だからって軽率な行動してるとは思うよ?」
言いながら、アユミは片手に持った茶色い紙袋の中身を確かめる。
そこには紅色の鞘に収められた聖剣、もとい神社の御神体が入っていた。
ポケットの中にはいつ記憶飛んでも大丈夫なように、事のあらましを書いたメモを入れてある。
最初紙袋に御神体入れて、家を出た途端何をすれば良いのか混乱し、結局帰宅してしまったので、
苦肉の策のつもりでメモを持っていくことにしたのだが、意外とこれは便利だった。
記憶は飛んでも、メモが消えてなくなることはないらしい。
ちょっとしたお使い気分にはなってしまうものの、これでアユミは一人で外出しても自分の目的を理解することが出来た。
アユミの住む付近は、繁華街からも離れているので、深夜にもなれば人気は少ない。
車の通りはそこそこあるが、一人犬の散歩をする少女に気を止めるような相手はいないだろう。
とはいえ一応、目立たないように今は黒いパーカーを羽織っている。
こんな時間、一人で外を出歩く目的は唯一つ。この刀を神社に返却することだった。
「まだ騒ぎになってないだろうし・・今のうちに返却しておけば、大事にはならない筈よね?」
自信のない口調で呟く。
とりあえず刀の表面は携帯画面の曇を取る道具で丁寧に拭いたし、今も手に軍手をはめてるし。誰が刀を盗み、返却したかの足は付かない筈だ。
とはいえ、高まる心臓の鼓動は抑えきれない。
・・あーあ。やっぱりピアが目を覚ますまで、大人しく指示を待っていればよかっただろうか。
「戻ろうかな・・。いやでも、ピアちゃんも結構困ってたみたいだし・・」
先程からアユミはそうして、歩いては立ち止まり、また歩いては立ち止まりを繰り返していた。
「く〜ぅ?」
その度にポチは不思議そうな顔をこちらに向ける。
そしてアユミは、その愛くるしい姿に勇気付けられながら、夜道を進むのだ。
「え〜い!ままよ〜!」
気の抜けた雄たけびを上げながら、遂にアユミは神社の石段を上りきった。
高い木々に辺りを囲まれ、長い月影を落とす夜の境内は、思ってた以上に不気味である。
「あ〜・・私こういう雰囲気苦手だわぁ・・」
恐怖から身を守るために背中を丸め、ブツブツぼやきながら、アユミは周囲に人影はないか見渡す。
こんな時間だ、案の定誰もいない。いける!
そっと社殿に歩み寄る。紅白の綱の向こうに、この社殿の入り口らしき扉が見えるから、多分、この刀は元々あの向こうの部屋に納められていたのだろうと予測する。
賽銭箱の前にポチを待機させて、アユミはカーティスを横たえたあのスペースに靴を脱いで上がりこんだ。
「多分・・鍵が掛かってるよねぇ?」
そう思いつつも社殿の扉に手をかけた。そしてそれは以外にも開いた。
「えぇ!無用心!」
盗みを働いた側の人間が言うには不釣合いな台詞だったが、アユミは思わず零した。
御神体を盗むような輩はいるわけないと、神社側も高をくくっていたのだろうか。
しかし社殿内部に入ってみると、アユミも合点した。
社殿の奥には祭壇がこしらえてあり、そこには札で封印してある木製の箱が掲げられていた。
箱は南京錠で固く閉じられ、神棚にしっかりと固定までされていた。
「あぁ。盗もうと思っても盗めないわけね。本当は。」
・・というか、普通の感覚で盗もうと思える物品では決してないのだ、
これを見事に盗んでしまった、職業盗賊のカーティスのことを考えると、アユミは苦笑いが零れた。
軍手をつけた手を紙袋に入れ、中から御神体の刀を取り出す。
「とりあえず・・刀は祭壇に返しておきます。
本当にごめんなさい。そして、カーティスさんを守ってくれてありがとうございました。」
札で封印された箱の上にそっと刀を戻し、アユミは手を合わせて礼を述べた。
ふっと顔を上げたアユミの前で、刀は奇妙なほど、差し込む月光で輝いて見えた。
「・・?」
不思議な心持になりながらも、アユミは立ち上がり、もう一度神棚に頭を下げてから、社殿を出た。
社殿に背を向け、靴を履き替えた途端、アユミは目の前がグラリと揺らぐのを感じた。
「・・・あれ?」
眩暈かと頭を押さえる。しかし揺れは一瞬で収まり、くるりと社殿を振り返り見たアユミは、そこで息を呑んだ。
「・・・え?鍵が・・?」
社殿の扉に、先程まではなかった筈の南京錠が掛かっている。
まるで、アユミを迎え入れるために、社殿自ら鍵を外して待っていてくれたかのようだ。
なんだか神がかった心持になり、アユミは再度手を合わせた。
「・・そうだ。折角ここまで来たんだから。」
顔を上げて、アユミは呟く。足元で待てを続けているポチを覗き込んだ。
「一緒に、森の中まで付いて来てくれるかな?」
「わん♪」
お任せあれとばかりに力強く、ポチは鳴いた。
アユミはポチの反応が嬉しくて微笑む。
今のうちに、昨日の戦いの跡地を見ておきたい気がしたのだ。
あの変な木の群れは、結局どうなってしまったんだろう?インフィニティは確か、昨日の戦いで木の群れは大分失われてしまったとか言っていたが・・
戦いの途中で意識を失ってしまったアユミには、彼女の言う意味がわからなかった。
カーティスはあの後、あの木々を始末できたのだろうか?
ザクザクと薮を踏み分けて森に入っていく。
神社側から森に入れば、舗装された道も、月明かりもあるので、迷う心配はなかった。
「ついたーー!」
人の気配があるわけがないので、堂々と叫ぶ。
ほんの数分足らずで、アユミは昨日の戦いの跡地、森にぽっかり開いた魔の力専用スペースに辿りつけたようだった。
急に、リードの先のポチがはしゃぎ始めたのがわかった。
初めて来る場所、大自然。そしてこの広いスペースはポチの野生の本能を刺激したようだった。
「しっかたない。ちょっとだけだからね?直ぐに戻ってきてよ?」
アユミは肩を竦め、ポチのリードを手放した。
ポチはアユミに返事をするように、一声鳴いてから、月明かりに照らされる草地に駆け出していった。
「やっぱ、犬だなぁ。」
などと、意味のないことを呟いてみる。ポチが楽しそうに走ってるこの場所が、昨日はあんな凄惨な戦いの場になっていたとは、今になると信じられない。
アユミはそっと中央の木々の影に近づいて行った。
地面にはまだ、幾つもの穴の跡が残されていたので、ぞっとした。
恐ろしかった木の根。しばらくはあのトラウマで、植物の根をまともに見れない気がする。
問題の木々に近づいたアユミは、じっくりとその様子を見回した。
確かにインフィニティの言うとおり、その木の数は随分減っているように見える。
というか、生えている木の形自体が変形しているあたりを見ると、焼け落ちた・・といったところか。
暗くて解りづらいので、手を伸ばし木の表面にある焦げ跡を確認する。
「カーティスさん・・燃やしたんだ。」
息を呑み、呟く。
炎の回りやすかった葉っぱは、既に殆どが失われていて、この榊の木たちは、今では大変哀れな姿になっている。
正直、この姿は見てて罪悪感が湧いてくる。植物だって生きているのに、申し訳ないことをした。
「でも・・君たちが悪いんだからね?あんな風に人を攻撃して。」
鋭い木の根の応酬を思い出しながら、眉をしかめ、木に話しかける。
夜中、誰も見ていないからこそできる奇行である。
――ピピピッ♪
「・・お?」
不意に、パーカーのポケットの中で、携帯が光った。こんな場所でこんなことしていても、メールってのは届くらしい。
非日常の中で日常の灯火を放つ小さな機体を、アユミはポケットから引き抜くと、相手の名前を確かめた。
『FROM:トウヤ』
「・・・!!!」
その名前を見るのは何日ぶりだったろうか。もう二度と接触することはないように思っていたので、アユミは肝を抜かれて、呆然と続きの文章を読んだ。
『SUBJECT:久しぶり
そちらの状況がどうしても気になってメールしました。
毎日更新してたブログの方も、最近全然書いてないようなので、心配しています。
事件に関わるのはもう止めるつもりだったのですが、
やはりアユミさんのことは気になります。未だ監禁状態は続いているのですか?』
どうやら彼は、アユミのことをまだ心配してくれているらしい。
考えてみれば、アユミがこうして外を出歩けるようになったことすら、トウヤは知らないのだ。
「・・伝えとくべきだったな。」
魔法陣のことがあった直後に、トウヤが逃げるように地元を離れてしまったということもあったし、魔法陣のことを深入りして尋ねられることも怖かったので、アユミはあれから二日間、自らトウヤと連絡を取ろうと思わなかった。
あの後、トウヤのほうからの連絡も来なかったし、アユミも色々と忙しく過ごしていたので、忘れていたが、トウヤはまだ、こちらの様子を気にしてくれていたのだ。
考えてみればこれは当然かもしれない。アユミからトウヤに伝えていることだけで判断すれば、これは立派な女子高生監禁事件なわけだし、トウヤはちょくちょく、アユミと一緒にいる相手・・つまりエリオットたちなのだが、彼らに犯罪者の疑いがあると忠告してきていた。
彼が真剣に、この事件の解決を考えてくれていたことを思い出せば、監禁状態から開放された時点で報告をするべきだったのだ。
この二日間、ずっと心配していてくれたと思うと、トウヤに申し訳なかった。
アユミは、近くに横たわる木の幹に腰掛け、携帯を持ち直す。
言うべき言葉をゆっくり考えながら、丁寧に文面を作成していった。
『TO:トウヤ
SUBJECT:お久しぶりです。
トウヤさんには随分お世話になっていたというのに、今日まで何の報告もせずに、失礼しました。
こちらの現状ですが、トウヤさんの報告のおかげで、二日前から外出ができるようになりました。
本当に感謝しています。
遂に今日、探していた相手とも会うことができました。
全てはトウヤさんの力添えあってこそです。ありがとうございました。』
彼を安心させるためにも、そうメールを送信する。
返信は相変わらず早かった。
『FROM:トウヤ
SUBJECT:Reお久しぶりです。
教えてくれてありがとう。一度事件から離れた身で尋ねていいものか悩みましたが、
おかげで安心しました。本当よかったです。
ただ、ブログの更新がないことから邪推してしまったのですが、
事件自体はまだ解決していないんじゃないですか?
もし、まだ困った事態が続いているのであれば、教えてください。
色々あってしばらく連絡もできませんでしたが、
事件から離れても、俺は変わらずアユミさんの味方でいたいと思っています。
俺はアユミさんにとって、顔も声も詳しいそちらの事情も知らないような曖昧な存在かもしれませんが、
それでも一度は事件に関わった身です。俺に嘘はつかないでくださいね。』
「・・・っつ・・」
届いたのは長い文面だった。丁寧な、相変わらず細部に気配りの感じられる文体の筈なのに、その最後の言葉はまるでアユミを責めているように感じられた。
一瞬、彼はこちらの状況をわかってて言ってるんじゃないかと怖くなる。
バレているのだ。先程のメールでアユミが肝心な箇所をぼかそうとしたことが。
アユミはもう、本音を言わざるには得なくなった。
そして一度防波堤を崩すと、波はアユミの今まで抱え込んでいた不安全てを巻き込んで、溢れ出した。
『TO:トウヤ
SUBJECT:Re2お久しぶりです。
優しい言葉ありがとうございます。トウヤさんの察しの通りです。
こちらの問題は解決していません。
それどころか、今仲間の一人が怪我をして、意識もない状態です。
他の二人も今日はずっとその人につきっきりで、
私には何も出来るようなことがなくって、不安です。
このままじゃ、死んでしまう。どうすればいいのか、わからないんです。』
震える指でそう打った。
打ち終えた途端、何も考えられなくなって、そのまま送信する。
涙が溢れていた。
メールに書いた怪我をした仲間というのは当然カーティスのことだ。
しかし、アユミが死んでしまうことを心配しているのは、既にカーティスだけじゃない。
エリオットも、ピアも、アユミの大好きな伊藤のお姉さんも。
このままでは死んでしまうかもしれないのだ。
そしてアユミは、それを食い止める術を持たない。
どれだけアユミが抵抗しても、彼らは戦うことになるだろう。
自分の大切なものを奪う運命が、運命に奪われるものを、何も知らずに大切にしてきた今までの自分が、悔しかった。胸が苦しくなって涙が出る。
涙越しに、携帯のランプが光って、メールの受信音が鳴った。
勝手に口から零れる嗚咽を必死で飲み込んで、アユミは新しいメールを開く。
そこにはたったの一行しか書かれていなかった。
そして、アユミがそれを読み終えた瞬間、近くの薮を踏み分ける足音が聞こえた。
「・・・!!」
近づく人の気配に、アユミは思わず立ち上がる。
小声で名前を呼ぶと、ポチは機敏に反応して、アユミの近くに駆け戻ってきた。
そっとそのリードを拾い、息を潜めて、森の中の一点に視線を集中する。
暗い木陰を潜り抜けて、今、一人の男が姿を現した。
月光は煌めき、現れた男を美しく照らし出した。
銀色に輝く髪、整った顔に、藍色の瞳を持った青年。
「・・貴方は・・?」
既に涙のことなどすっかり忘れているアユミの頬を、一滴の雫が伝った。
焼け落ちた魔の力の森をじっと見つめていた青年は、ふとアユミに視線を向け、そこに優しい笑みを浮かべた。
驚いて、男から一歩退く。
アユミの手の中では未だ開いたままの携帯が淡い電子の光を放っていた。
そして、そこに表示されている文字はただの一言だけ。
『アユミさん、今どこにいますか?』
「・・・やっぱり、ここに来ると思ってたよ。」
そう言うと、銀髪の青年は一歩、アユミに近づいた。
天使のように美しいその男を、アユミは見たことがあった。
それに気づいて、また一歩後ろに下がる。唇まで震えて、まともに言葉も紡げない。
「君がアユミさん。それで間違いないね?」
アユミに影を落とした青年は、そう言うと、指先で軽くアユミの黒髪を掬った。
アユミは目を見開いた。何故この人が自分の名前を知ってるんだ?
恐怖のあまり、また一滴の涙が落ちた。その瞳を上に持ち上げる。
そこにはカーティスを殺そうとした、あの男が立っていた。