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時刻は二十一時二十分を回っている。
トウヤは、今晩も時間通りにコウノスケに電話をかけ、そして既に一時間以上も話し込んでいた。
コウノスケとの電話がこんなに長引くなんて、今日が初めてかもしれない。
『・・で、結局ミチコちゃんは振っちゃったわけだろ?
もったいねぇなぁ。俺ならそんな可愛いコ絶対キープしとくのに!』
「バーカ。俺はお前と違って一途なの。」
・・というか寧ろ。コウノスケと恋の話で盛り上がってること自体、今日が初めてかもしれなかった。
『それにしたって、つくづくリカちゃんってのは不思議なコだな。
女の癖にハーレーってのも凄いけど、催眠術かあ・・』
コウノスケには既に昨日体験した出来事は話してあった。少し考え込むような間を空けた後、コウノスケは言う。
『その・・今のお前はどんな感じなんだ?
リカちゃんにかけられた術の中で、お前は大賢者とかいう、別の存在になってたんだろ。この時の記憶は、今もあるのか?』
偽の自分の記憶を、何故か本物と確信してしまうことは、夢の中なら誰もが体験するだろうと思う。
しかし、そういう記憶は、大抵の場合、目を覚ますと同時に失われてしまうもの。
覚醒した頭には現実の自分の記憶がたちどころに呼び戻され、夢の中の記憶など、直ぐに忘れてしまう。
・・しかし、今のトウヤの状態は、それとは少し違った。
「不思議なんだよな。俺、今もその大賢者としての記憶持ってるんだ。」
トウヤは言った。
奇妙な感覚なのだが、今の自分の中には、本来の自分の記憶と、大賢者だった時の記憶が両方収まっている。
この瞬間だって、トウヤと大賢者の脳が別々に考え、感じているのだ。
一気に自分が二人になってしまったようで、トウヤは戸惑っていたが、特に困ることがあるわけでもなかった。
あえていうならば、今の状態は、一気にドラマの台本を暗記し、役に入りきっているようなものだ。
トウヤはやはりトウヤであり、同時に大賢者でもあった。
『ふーん。やっぱり、催眠術ってのはその後にも影響出て来るんだな。
お前、そんなにひっかかりやすいんだから、悪用されないように気をつけろよ?』
相変わらず心配してくれる友人の声に、トウヤは笑って答えた。
「大丈夫だよ。何かあっても、きっとリカさんが助けてくれるから。」
そのリカに騙されたらどうすればいいのかまでは、トウヤは考えていなかった。
今の彼は、それだけ彼女に夢中になっていたのだ。
『あはは。まあ、恋は盲目になるっていうからな。
俺は人の女にケチつける趣味はないが、一応お前、俺にだけは隠し事するなよ。』
少しでも怪しいと思ったら、直ぐに教えろ。とコウノスケは言う。
トウヤは苦笑いでこれに答えた。
全く、この友人は自分のことは棚にあげて、いつも他人の心配ばかりする。
「おう。お前も女子高生と付き合ってるんだろ。
相手は一応十八歳未満なんだから、変な噂立つようなことはするなよ?」
たまにはトウヤからも、心配をしてやると、電話の向こうで照れたように笑う声が聞こえた。
『大丈夫だよ。アユミちゃんって見た目凄い大人びてるから。
言ったろ?最初見たとき、高校生だとは思わなかったって・・』
・・・ん?
初めて聞く相手の名前に、トウヤは眉根を寄せた。
「ちょっと待て。相手のコ、アユミちゃんっていうのか?」
『・・へ?そうだけど・・・ああ!そうか、少女Iの本名もそれだったな!』
トウヤの驚きに合点言ったように、電話口の声のテンションが上がった。
「まぁ。アユミなんて名前、珍しくもないんだけどな。」
冷静に考え直して、トウヤは言う。なんとなく反応してしまった自分が馬鹿らしい。
『まぁね。それに俺のアユミちゃんの方が絶対可愛い!』
何の根拠もない断言に、トウヤは思わず噴出した。
「・・ってか。そういえば今日もブログは確認してくれたか?」
『ああ、そうだったな。ブログに変化はないよ。というか、既に二週間は更新されてないな。』
「ふーん・・」
既に、トウヤの中にはある予感が蠢いていた。
『お前・・あれだろ?昨日術に掛かってる間に見た女子高生のことが気になってるんだろ?』
コウノスケの指摘に、相手に見えるわけもないのに頷く。
「そうなんだよな・・。ただの幻覚だったのかもしれないけど。妙にリアルで、気になってさ。」
『でももしそれが現実だったらよ。多分既にその女子高生は死んでるんだぜ?』
コウノスケの言葉にトウヤも同意する。
あの時、あの少女は木の根に腹を貫かれたのだ。
意識を失い、地に臥した彼女を見て思った。ああ、これは死んだな、と。
しかしその反面、トウヤの中の大賢者は言うのだ。
あの少女を、彼が死なせるわけがないと。彼はそういう男だと。
あいつ・・あの男の名は、確かカーティスとか言ったか。
トウヤは首を捻った。大賢者とは違って、トウヤはあの男を全く知らない。
「まぁ・・それは置いておくとしても。少女Iとはあれ以来連絡取ってないし。
彼女の今の状況が心配だからね。今日あたり、メールしてみようかな?」
ふと、そんなことを思いついた。
『マジか。まぁ、確かに気になるよな。
一応、学校には顔出していたらしいけど、事件が解決したのかどうかもわからないし。』
電話の向こうの声も、僅かながら心配しているようであった。
間接的とはいえ、この事件を知ってしまったことで、コウノスケ自身にもある種の責任感が生まれているようである。
やはり誰かが困ってるとわかったら、助けてあげたくなる性質が、人間にはあるのだろう。
トウヤはコウノスケにまた明日、経緯を報告すると伝えて、微笑ましい気持ちのまま電話を切った。
「・・さて。少女Iにはどう切り出そうかな・・。」
携帯を閉じ、天井をぼんやり見つめながら呟く。
当然、自分が石川亜由美に関して独自に調査を進めていたことや、催眠術中に見た光景の話などできるわけがない。
「・・ブログの更新あたりから、やんわり聞き出してみようか。」
そう無難なラインを見極め。トウヤはメールを打ち始めた。