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僅かに時を遡る。時は青かった筈の空に急速に灰色の雲が広がりつつある頃だ。
アユミは変わる天候に不安を覚えながら、校舎を出た。
このままだと雨が降り出してしまうかもしれない。出かける前に洗濯物を取り込んでいなかったのが気がかりだ。
しかし、家に帰りたくても、一緒に帰るべき相手が見つからない。
「・・・ったく。待ってるっていった癖に。」
アユミは、ぶつぶつ独り言を呟きながらグラウンドを歩いていた。カーティスの姿を探しているのだ。
「折角敵の正体も予想ついてきたってのにさ。」
唇を尖らせつつ、言う。
そう、先程向かった校長室で、アユミは素晴らしい成果を得ていた。
『LIVEの記者・・?確かに、女性だったよ。・・ああそうか、君が彼女の知り合いの・・石川さんだね。』
西日の差し込む窓を背に、机に向かっていた温和な老人は、太い指先で眼鏡の端を持ち上げなおすと、アユミに向き直った。
この人が校長で、アユミも朝礼なんかで良く見かける顔だ。
・・・とはいえ普段から面と向かって話す機会など早々ないので、少々緊張してしまう。
『は・・はい。その人が誰だったのかがちょっと気になって・・』
アユミは素直にそう尋ねる。校長先生は少し待ってとアユミに言うと、机の引き出しを探し、一枚の名刺を取り出してくれた。
『はい、この人だね。向こうは君のお母さんの友人だと話してくれていたけど・・』
アユミはそっとその名刺を受け取り、表にある名前を確認した。
その名を確認するまでの間も、アユミの脳は目まぐるしく働いており、先程からインフィニティの可能性の高まる一人の女性の名前を浮かび上がらせていた。
実は、アルフ企画の記者を疑い始めた時点で既にアユミの中に答えは出ていたのだが、個人的な理由でそれを認めたくなかった。
それでも、名刺に自分の想像通りの名前があったことを確かめると、勇気を出して、全てを受け入れることにした。
これは既に、自分一人の感情で判断して良い問題じゃないのだ。
アユミは名刺を校長先生に返しながら尋ねた。
『つかぬ事を伺いますが、一昨日この人が学校に来た時・・何かこう・・植物的なものを持っていませんでしたか?』
『ん。もう何か聞いていたのかな?
そうなんだよ。その前日に打ち合わせに来て頂いた時に、彼女、この部屋にある神棚の榊が傷み始めていることに気づいてくれてね。
わざわざ一昨日、新しい榊を持ってきてくれたんだ。今時珍しいくらい、信心深い人だったようだね。』
のんびりした声で、校長はアユミの背後を指差す。
その示す方向には、確かに。この学校の安全を祈るための神棚があった。
左右に備えられた白い陶器の壷に刺してあるのは艶のある深緑色の葉で、それは先程森の中で見つけた木々の葉と一致していた。
これでもう、疑う必要はない。やはり彼女こそがインフィニティだったのだ。
そう考えれば全て納得がいった。確かに彼女ならエリオットたちが現れる以前からアユミの家を知っていたし、カーティスが指摘していたように、個人的にアユミと毎日会いたがる理由もあった。彼女はアユミの母からアユミの世話を任されているのだ。毎日アユミの家に向かって移動魔法を放ったのは、アユミの様子が気になっていたからかもしれない。
――・・なんで今まで気づかなかったんだろう。
そう唇を噛みしめる。こんなに簡単に予想つくことだったのに。自分の鈍さに腹が立った。
アユミは目の前の穏やかな老人に頭を下げると、今度は落ち着いて廊下に出た。
早歩きに学校を出る。一刻も早くカーティスに知らせたかった。
・・・なのに。
「いないん・・だもんなぁ。」
きょろきょろと辺りを観察しながら歩く。校庭にいるのは運動場で練習に励む運動部の人々くらいで、どこを見てもカーティスの姿が見当たらない。
「これは・・一人で神社に行っちゃってるのかだね。」
溜息をつく。まぁ、予想はしてましたとも。
アユミはくるり方向変換をした。ここを探すのはやめて、神社へ行ってみようと思ったのだ。
しかし、そんなアユミを引き止める声があった。
「ちょ・・!おい!まてよ!」
一回目の呼びかけは気づけず、二回目は無視。三回目でようやく後ろを振り向いた。
「・・なんの用かね、オザキっち?」
苛立っていたアユミは、自然と不機嫌そうに睨む形で答えてしまった。
しかし、彼はそんなアユミの様子に何かを感じる余裕すらない程、やたら背後を気にしながら話し出した。
どうも大崎少年は、こっそり練習を抜けてやって来たっぽい。
「お前、何かやったのか?変な男がお前のこと、調べてるみたいだったぞ?」
「へ?」
きょとんとなった。全く身に覚えがない話だ。
「その様子だと・・知らなかったんだな。」
大崎少年は教えてくれた。つい先程、校庭に現れた変な男にアユミのことを色々と尋ねられたのだと。
「なんとなく、エリオットに似た雰囲気だったから、同じ国の人なのかもな。心当たりはないのか?」
尋ねられて、アユミは首を横に振る。「全然知らない人だよ。誰だろう?」
少々不安に感じながらも言う。大崎少年はアユミの不安が移ったのか、少し眉間に皺を寄せた。
「わかんねぇや。でも、そいつ奇妙なこと言ってたんだよ。
アユミ・・お前の教室、三組だったよな?」
大崎少年が確認すると、アユミは不思議そうな顔をした。
「そうだけど・・?どうしたの今更?」
何で、このタイミングでその質問?と思う。
しかしアユミの回答に、大崎少年は露骨に嬉しそうな顔をした。
「だ・・だよな!やっぱり俺間違ってなかった。
なんかさ、その男、お前のクラスの人にお前のこと聞いたらしいんだけど、そいつ、お前は三組には居ないって答えたらしいんだ。」
「えー!ひどーい!誰だよ、私の存在忘れるなんて失礼な。」
口を尖らせて言ってみる。
「ま、とにかくお前はやっぱり三組なんだよな。
どうせそいつがたまたま、お前のこと知らなかっただけなんだろ。
一クラス四十人もいるわけだから、たまにはこういう勘違いも起きるさ。」
事実が確かめられたことで安心したのか、大崎少年は余裕ある口調だった。
一方、アユミは府に落ちない。そりゃ・・確かに自分は目立つ生徒ではないけども。
「やっぱり忘れられたってのはショックだなー。もう一学期経過してるってのに。私ってそんなに存在感ないかな?」
尋ねてみる。大崎少年は困ったように頭を掻いた。
「いや・・別に、俺はそうは思わないけど。」
「いいよねぇ。オザキっちは目立つから。一年の時からサッカー部のレギュラーに選ばれたし、こんな凄い、特技があって羨ましいや。」
自分なんか、と肩を竦めて見せる。
大崎少年は自分は誉められたことに喜ぶべきか、アユミをフォローするべきか悩んで、結局無意味に「おう。」と返答した。
アユミはふと思い出す。昨日エリオットが竹平先生から聞いたという話だ。
「・・そういえば。オザキっちはなんでこの学校を選んだの?」
そのことが急に気になって、尋ねてみた。
「・・は?」
唐突な話題転換に付いていけず、大崎少年が間抜けな声を出した。
アユミは少し首を傾げると、もう一度言い直した。
「あのね、昨日エリオットから聞いたんだけど。
竹平先生が不思議に思ってたらしいよ、オザキっちがこの学校にいる理由。
本当なら、もっとサッカーの強い学校に行けた筈なのに・・って。
そういえば中学三年の時、オザキっちにスポーツ推薦の話持ち上がってたよね?」
二年も前の記憶を辿り寄せながら、アユミは言う。
サッカーの功績が著しい高校への推薦入学、一度持ち上がったその話を大崎少年は何故か蹴り、この学校を受けたのだ。
偏差値も、部活動の功績も平凡なこの公立高校をあえて選んだ理由が気になって、アユミは尋ねた。
「あ・・そういや、そうだったよな。」
曖昧な返事をしつつ、大崎少年は何故かアユミから目を逸らした。
心なし、その耳が赤い気がするが、理由はわからない。
「もしかして、今一ぱっとしない凡々なサッカー部を、自分が引っ張って強くしたい!とか、そういうスポ根なノリだったりする?」
ものは試しと、適当な予測をしてみる。大崎少年は少し驚いた様子で顔を上げると。
「あ、それはある。」
まさかの肯定発言をした。
「うは!本当に?オザキっちらしいっちゃらしいけど!」
テンプレートなスポーツ少年っぷりが微笑ましくて、アユミは笑った。
そのアユミの笑顔に、大崎少年は何故か一層頬を赤くした。
「それもあるけど・・でもこの学校選んだ理由は・・それだけじゃねぇよ。」
ぶつぶつ言う。まるで愚痴でも零しているような口調で、アユミは眉を潜めた。
「じゃ、他にも理由あったんだ?」
尋ねてみる。大崎少年は完全に真っ赤な顔で、まるで怒鳴りつけるように言った。
「んなの・・お前が居たからに決まってるだろ!」
「・・っへ!?」
一瞬、自分が大崎少年にとてつもなく悪いことをしてしまったような気がして、テンパった。
アユミは思わず自分の周囲を確認する。幸い、今の怒鳴り声を他に聞いた人はいなかったようだ。
「なんか・・ごめんね?私のせいなんだ?」
とりあえず大崎少年に向き直って謝った。何を謝ればいいのかは、自分でも解っていなかった。
大崎少年はアユミの戸惑う表情をじっと睨みつけた後、
「・・はぁ。」
溜息をついて、視線を横に逸らした。
大崎少年の内心が読めなくて、アユミは再び首を傾げてしまう。
「・・俺さ、十三日の県大会予選レギュラーで出るから。」
視線を合わせないままの大崎少年の声は、先程と違って随分穏やかで、アユミはほっとした。
「そっか!凄いじゃん!頑張って、今年は優勝だ♪」
拳を振り上げて応援してやる。大崎少年は再び深い溜息をついた後、急に真剣な表情でアユミの目を捉えた。
「いいからお前、当日絶対試合見に来いよ。試合終わったら、話あるから。」
「え・・?」
全く冗談の通じそうにない様子に、アユミは反射的に頷いた。
それを確認した大崎少年の顔には、不安なのか嬉しいのかよくわからない感情が流れていた。
「会場はこの学校。十時からキックオフだから、遅れるなよ。」
先程よりもずっと気の抜けた声で、そう言うと、大崎少年はアユミの返事も待たず、踵を返してサッカーコートへ走って行ってしまった。
「・・なん・・なのよ。」
その後姿をしばし見つめた後、ようやくそう呟く。大崎少年の今のあの様子が理解できなかった。
いつもの彼らしくないのは解るのだが、どう違うのかまでは解らない。
アユミは唸りながら首をコキコキ捻り、とりあえず今はそんな事考えてる場合じゃないと、頭を切り替えた。
「カーティスさん・・探さなきゃだったわ!」
思い出して、駆け足で裏門に向かう。彼が聖剣を盗んだとしてももう責めるつもりはなかった。
ただ、一人でまたあの森に向かうとか、そういう無茶をしていなければいいと思うのだが・・
ぶっちゃけ、今アユミはとても悪い予感を感じていた。
「はぁ・・はぁ・・」
息を切らせて、神社へと繋がる石段を上る。
鳥居を潜り、辺りを見渡すがそこに人の姿は見当たらない。
ただ、賽銭箱の前に散らばっている例の枯れ葉の塊が見えた時、悪い予感は益々強まった。
息を呑みなおして、アユミは再び走り出す。
境内の裏の薮に足を踏み入れる。カーティスの魔法の効果は切れてしまったのか、凄い薮蚊がアユミの視界を遮ったが、気にならなかった。
走る、走る、走る。走れば走るだけ不安が高まって、スピードは増していく。
アユミは一瞬、自分が森の獣になったような気がした。
足元に群がっていた草は、気がつけば自分の背を追い越しており、今のアユミは四足で駆ける一匹の獣。主人を守るために必死で走る大きな犬なのだ。
何故かアユミは今、そんな錯覚に囚われていた。
「は・っあった・・!!」
切れる息の隙間で、なんとかそう叫んだ。
鬱蒼とアユミに押し寄せていた木々が、一斉にその身を離し、アユミの視界は開いた。ここが敵の魔の力を封印した場所。間違いない筈だった。
なのに、何かがおかしくて眉根を寄せる。
アユミは再び、開けた草地に生える、背の低い木々の群れを目にしていた。
しかし、その木々の群れの周りを、見覚えのない何十本もの木の根が、地面を蛇行するような姿で覆っている。
しかもその木の根それぞれが、まるで生き物のように脈打って見えるのだ。
「何事・・?」
呆然とその場に腰を下ろす。
本能で感じた。今あそこに行くのはマズイ。
アユミは近くの薮に身を隠すよう背を縮めると、様子を伺うことにした。
自在に伸び縮みしている謎の木の根をじっと視線で追ってみる。
それら全ては、その先の尖った先端を、ある一つの方向に向けていた。まるで、獲物の隙を狙う牙のようなその姿に、アユミはぞっとする。
先端の先に視線を向ける。やはりそこには青髪の青年、カーティスの後ろ姿が見えた。
カーティスは魔の力を封印した木々の群れに向かって、何事か話しているように見えたが、アユミの位置からだと、その話してる相手の姿が見えない。
しゃがんだ体勢のまま、いけるところまで首を傾けたら、ギリギリ相手の履いてる黒いスニーカーが見えたので、一応、話してる相手が人間であることだけ確認できた。
――誰・・?インフィニティなの?
眉根を寄せてから、アユミは少しだけ腰を浮かせた。相手の姿をもっとよく見たいと思ったのだ。
そしてその瞬間、アユミはカーティスが腰を抜かしたようにその場に座り込む姿を見た。
「・・っえ?」
普段堂々としてる彼の、らしくない姿に思わず声が出た。
先程から違和感があったのだが、カーティスは酷く震えている様子だった。
いつも人を見下している彼の、臆病な姿は見ていて不安を煽られた。
どういうこと?もしかしてこの状況、かなりヤバイ?
瞬間、アユミの中を激しく恐怖が駆け巡った。恐怖が喉に詰まって、声すら出せない。
カーティスが地面に臥したおかげで、アユミは今までカーティスが話していた相手の姿を見ることができた。
インフィニティではない。それは男だった。この世界の平凡な若者が好むようなシンプルな服装に、極めて整った顔立ち。
アユミはこの男を、どこかで見たことがあるような気がした。
しかしそれがいつ、どこでだったかを思い出す前に、アユミの身体は動き出していた。
見えたのだ、カーティスを囲む木の根が、一斉に彼を串刺しにしようと動き始めたのを。
「カーティスさん!!」
震える声を絞り出して叫んだ。
その行動が正しかったのかはわからない。ただ無我夢中でカーティスの身体を突き飛ばしたアユミは、次の瞬間、木の根の鋭い牙が自身の身体を貫く感触を味わった。
見える景色は全てがスローモーションで、不思議とアユミは冷静になれた。
アユミはまず、自分が突き飛ばしたカーティスの無事を確認する。
生気が抜けたように放心した琥珀色の目が見えた。目の前で起きていることが理解できていない目だ。
その身体に酷い怪我なかったようで、安心した。
僅かに微笑もうとしていたのに・・気がつけばアユミは、自分の喉詰まっていた恐怖の塊を吐き出していた。それは真っ赤な血液だった。
――これは・・やばいな。
朦朧とする意識の中で思った。これはヤバイ。死ぬかもしれない。
『・・ッユミ!!?アユミ・・!??』
目の前が真っ暗になるその瀬戸際に、アユミは誰かが自分の名を呼ぶのを聞いた。
でももう、何もわからない。わからなくなってしまっていた。