49p
■■■■
グラウンドでは今日もサッカー部が精を出していた。
遠くに見えるその様子にちらりと目をやってから、アユミはカーティスに向き直る。
既に二人は、校舎の入り口、アユミのクラスの下駄箱の前まで来ていた。
「じゃあ私は校舎内の聞き込みに言ってくるけど・・。
絶対、ぜーったい!聖剣盗んじゃ駄目なんだからね!?」
肩を怒らせて、アユミは強い口調で確認する。
「了解した。」
しっかりとした声でカーティスは答えた。ただし、アユミと目を合わせようとはしない。
男は相手の目を見て嘘をつくことができないという心理学は、どうやらあちらの世界でも通用するようだった。
カーティスの見え透いた嘘に、アユミは「うー!」と唸りながら頭を抑えて答える。
結局、アユミに彼の行動を止めることはできないのだろう。
カーティスからすれば、御神体を盗むことよりも、敵の存在のほうが恐ろしい筈で、敵を倒すために必要な聖剣を、簡単に見逃すとは思えなかった。
そんな彼の気持ちが理解できるからこそ、アユミは本気でカーティスの行動を止める気にはなれない。だから溜息が出る。
「じゃ、行って来るわ。なるべく早く戻ってくるから。」
そう約束して、アユミは校舎の中に入る。持ってた通学用鞄の中から上履きを取り出して履き替えた。
「ああ、俺は外で待ってる。くれぐれも気をつけてな。」
「・・それはこっちの台詞だよ。カーティスさん、絶対無茶しないでね?」
アユミがそう念を押すと、カーティスは肩眉を跳ね上げて可笑しそうな表情を作った。
どうやら、アユミに心配されたことが面白かったらしい。
・・おいおい。それがさっきまではあんなに弱りきってた奴の反応なのか?
アユミは眉を潜めてから、校舎内へと向き直った。
本当に食えない男だと心内で愚痴りつつ、歩き始める。
外とは明らかに違う、冷えた空気が廊下を包んでいて心地よい。
アユミはカーティスの姿が見えなくなる場所まで歩いた後、冷たい壁に背を預けてようやく一息ついた。
「今日は・・歩いたなあ。それに色々と危ない目にもあった。」
本日これまでのできごとを思い出しながら、ぶつぶつと呟く。
今までカーティスの前だから言わなかったが、一人になるとどっと疲れが出た。
久しぶりとはいえ、馴染み深い校舎内に入ると、ようやくただの女子高生に戻れたような気がして嬉しくなった。改めて、平凡な生活が懐かしい。
「・・さてと。」
一通り、疲れが癒せたところで、再び歩き出す。
目的は職員室。夏休みだが、そこに行けば多少の先生の姿は見られる筈だった。
補修とか、課外授業とかで、先生方はほぼ毎日、学校に来てるのだ。大変な仕事だなぁとは思うが、聞き込みをするのには都合が良くて助かる。
一階にある職員室に辿りついたアユミは、冷房の効いた部屋へ繋がる扉を開きつつ、口頭で自分の学年、クラス、出席番号、名前を告げ。誰かが入室許可を出してくれるのを待った。
・・一応、コレがこの職員室の入室時のマナーだ。
「はいどうぞー。」
奥の机に付いていた一人の男性教師が、座っていた椅子を傾けて、アユミの姿を確認した。
丸渕眼鏡に短く刈られた黒髪。白いワイシャツのボタンは上から三つほど既に解除されており、若干だらしない。
「野中先生・・だけですか?」
アユミは冷房の効いた空気を一歩一歩噛み締めながら、自分のクラスの担任であるこの教師、野中秀雄の机へ近づいた。
「そう。今他の先生方は出払ってるよ。俺も後二十分くらいしたら三年生の教室、行かないとな。」
野中先生は自身の左手首に巻かれた腕時計を確認しつつ、言う。
アユミは丁度良いタイミングで話しやすい先生がいてくれたことに内心感謝しつつ、早速本題に入った。
「先生私あの・・ちょっと聞きたいことがあって来たんですけど。教えてもらえます?」
「ん?数学の課題か?」
そう、数学は野中先生の担当教科だった。アユミも普段の学校生活では色々と質問することもある。
しかし、今日は違う。アユミは首を横に振った。
「いえ。勉強のことじゃなくって。最近この学校で行われたっていう、LIVEの取材のことです。」
直球に新しい理事長のことを尋ねると、野中先生も不思議に思うだろうと思い、アユミは変化球を打った。
「LIVEの取材?・・ああ、一昨日のやつ。」
野中先生はまるで今思い出したかのような口ぶりで答えた。
この興味の薄さ・・どうやら、この先生はこの取材に関わったわけではなさそうだ。
「それです。写真撮影あるなら私も行きたかったなーって思ってたのに!何で教えてくれなかったんですか?」
わざと不機嫌な顔を作ってみせる。野中先生は困ったように頭を掻いた。
「そ・・そうか。すまんな。今回の取材は理事長が勝手に進めたものだから、俺たち一介の職員にはあまり情報が回ってこなかったんだ。」
・・・キタ。と心内でほくそえんでおく。理事長というワードが出たのだから、これで理事長の話題を振っても違和感はあるまい。
「へぇー。理事長が取材なんて引き受けたんですかあ。
今までの理事長だったら絶対断ってましたよねぇ、LIVEの取材なんて!」
まるで初めて知ったかのように驚いてみせる。多少わざとらしい口調になってしまった気がするが、野中先生はそれに気づかず、頷いた。
「そうなんだよなぁ。新しい理事長は改革的な性格してるらしい。
ま、俺的には多少のアホな企画も学生が楽しむためにはいいんじゃないかと思うが、他の先生の中には、不満の声も多かったぞ。」
「あれ?先生は賛成派だったんですね。意外だ。」
アユミは少し驚いて言った。学校内での野中先生のイメージといえば、保守的なインテリ。
アユミのように校則を守る生徒には優しいが、校則違反者には結構冷たい態度を平気で取る先生だった。なので、野中先生の評価は生徒の仲でも二分している。
とりあえず、不真面目なものを根から嫌うようなタイプの先生だったので、LIVEの取材を好意的に受け取っているという事実は意外だった。
「ああ。だって俺も学生時代読んでたからな。LIVE。」
「マジっすか?あの手の雑誌毛嫌いしてそうなタイプだと思ってました!」
「いや〜。俺だってずっと真面目に生きてきたわけじゃないし。学生時代は結構、ああいうアホなもの好きだったぞ。」
野中先生はそう言うと机の引き出しの中から、古びた一冊の雑誌を取り出した。
「あっ!LIVEだ!しかも二十年も前のやつ!」
アユミは野中先生から雑誌を受け取ると、その年号に驚いた。
表紙を飾る人々のファッションが古い。とりあえず女の子は皆して眉毛が太い気がする。
「見ろ、百二十二ページの学校だ。俺出てる。」
「え!?」
意外なカミングアウトに、アユミは慌ててページを捲った。
百二十二ページには見慣れぬ私立高校の名前と共に、一昔前のヤンキーたちが横に並んで一斉に眼飛ばしていた。どれが野中先生なのかは正直わからない。
アユミは見たくないものを見てしまった気がして、静かに雑誌を閉じると、野中先生に返した。
「す・・凄いですね!カッコいいです!」
とりあえず誉めておく。
他に言う言葉が見当たらなかっただけなのだが、野中先生はその反応に満足したように頷くと、
「LIVEは俺にとっても青春だからな。ちょっと贔屓目に見てしまうよ。」
懐かしそうに、そう言った。
・・というかこの先生。こういう過去があった癖に何故学校の不良に厳しく当たるのか。
不良に何か嫌な思い出でもあるというのか。気にはなったが、今はその質問をしている場合じゃないと気づき、話題を戻した。
「え・・えーと。じゃあ理事長先生もLIVEが好きだったのかな?」
「ああ。らしいな。理事長も高校時代はLIVEのファンだったらしい。それで今回の取材を引き受けたという話だ。」
この情報もトウヤから既に聞いている。しかし、アユミはそれを初めて聞いたような振りを忘れない。
「へぇ!理事長先生もファンなんだ♪私なんか理事長先生と仲良くなれそう♪」
「そうだな・・。女性だし、結構若いし。お前らとも気が合うかもな。」
話の流れは順調だ。これなら何の問題もなく理事長の情報を引き出せる。アユミは確信した。
「前の理事長先生ってあんまり見たことないですけど、結構なおじいちゃんでしたよね?今回の人は幾つなんです?」
「んー。四十四か五歳くらいだと思うぞ。本当に、あの若さで理事長になるなんて大した人だ。」
――・・へ?
野中先生のその言葉に、アユミは思わず眉根を寄せてしまった。
四十代?思ってた程若くない気がする。少なくともインフィニティを彷彿とさせる年代ではない。
どうやら、アユミのイメージしていた若さと、この担任が言う若さは決定的な違いがあるように思えた。
アユミはトウヤの話から、若い女性が理事長に就任したのだと思っていたが、実際は、理事長になるにしては珍しい程度に若い女性が就任したということだ。
四十代ならそろそろ皺もたるみも出てそうだし・・
向こうの世界で若いの美女の姿をしていたというインフィニティが入るパラレルワールドとしては不釣合いだ。
「・・あ。もしかして、見た目的に凄い若く見えるとか?凄い美女だったりしません?」
ふと知り合いの伊藤のお姉さんの姿を思い出して尋ねてみる。
彼女も歳は三十路を越えているくせに、見た目だけは十代レベルに若い。
理事長もそんなタイプの女性なのかもしれないと予測したのだが・・
「いや、それはないな。見た目だけなら普通のおばさんだったぞ。美女・・って呼ぶにはちょっときついかな。ただし、優しい人だと思うぞ。」
野中先生は少し辺りの様子を伺いながら、小さな声でそう教えてくれた。
「そうですか・・・」
アユミは完全に自分の予想が外れたことを知り、がっくりと項垂れた。
下を向いた視界の中に、不意に先ほどのLIVEが飛び込んだ。二十年前のLIVE。
「あれ?この出版社って・・」
アユミは気づいた。表紙の右下に小さく銘打たれた出版社の名前。
『アルフ企画』それはアユミにとって、馴染み深い名前だった。
「お母さんの仕事先じゃん!」
そう、アルフ企画はアユミの母が記者として働く会社。まさかLIVEも発行していたとは気づかなかった。
「なんだ、お前気づいてなかったのか。俺なんかお前のお母さんの職業確認した時、真っ先にLIVEを連想してたってのに。」
野中先生はアユミの鈍感さに呆れたのか、露骨に肩を竦めて見せた。
「だ・・だって。お母さんは担当してる雑誌が違うから。家でLIVEの話題なんてすることなかったし・・」
ぶつぶつと言い訳してみる。
「そんなもんなのかぁ。しかしお前のお母さんも大変みたいだなあ。今海外出張中なんだって?」
思い出したように野中先生がアユミを見遣る。
「え!?お母さんから聞いたんですか?」
驚いて尋ねた。だってこの先生にアユミから連絡した覚えはない。
「いや、昨日校長から聞いたんだ。何か・・一昨日取材の打ち合わせに来てた記者の人がお前の知り合いだったみたいで・・」
「私のこと知ってる・・記者?」
アユミは必死で記憶を辿った。母の職場の仲間で、アユミのことを知ってる人・・。
直接面識がある母の同僚は伊藤のお姉さんしかいなかったが、母が仕事場でアユミのことを話していたのであれば話は別だ。
・・しかも、一昨日ならインフィニティもこの学校に来ている筈。この記者の正体が怪しいと思えた。
「そ・・その人って女の人でしたか!?」
思わず身を乗り出して、尋ねる。
野中先生はアユミの気迫に驚いたように上半身を逸らすと、答えた。
「いや・・ちょっとそこまでは。校長に聞かないとわからないかな?」
「校長先生は今どこに?」
「校長室にいらっしゃる筈だが・・。え?行くのか?」
わけがわからない。鳩が豆鉄砲食らったという表情だ。アユミの答えは決まっていて、頷いた。
「はい!聞いてきます!失礼しました!!」
それを言うや否や、短距離ランナーよろしくのダッシュで退室する。
もう校長というキーワードで頭がいっぱいのアユミは、職員室の扉を閉めることすら忘れて走っていった。
野中先生は一瞬呆けて、そして叫んだ。
「お・・おい!廊下は走るな!!」
しかしそれを伝えるべき相手は既に姿も見えない。溜息をついた。
仕方なく扉を閉めなおそうと立ち上がって、不意に壁に掛かってる時計を確認した。
「あれ?もうこんな時間か。」
三年生の教室に行かないといけない時間が来ていた。
アユミとの会話で気づかなかったが、既に授業終了を告げるチャイムは鳴っていたらしかった。
「こりゃ、ぼーっとしてたな。」
少し慌てて身嗜みを整える。自身の青春の思い出である雑誌を大事に引き出しにしまいなおすと、
早歩きに職員室を出、もちろん扉はきちんと閉めてから、深呼吸をした。
先程までのんびりしていた自分の脳を、受験生に向けての講義をする脳に入れ替える。
「しかし、石川の様子、なんかおかしかったよなぁ・・?」
普通、夏休みの学生があんなことを聞くためだけに登校してくるか?
野中秀雄はそんな疑問を感じながらも、三年生の教室に向かって歩き出す。
何にしろ、自分の生徒が校長先生に変な粗相をしないかが、気がかりではあった。