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■■第二十三章■■
「・・くそっ。ここもか。」
日差しに苛つきながら、トウヤは再び携帯を閉じた。
今居る場所からは、学校校舎も小さく見える。随分と離れた場所まで来ていたようだ。
「もう・・反応しないのかもしれないな。」
ぼつりと呟く。魔法陣が反応することを期待して、校舎の裏庭に向かったトウヤは、そこで深く肩を落とす羽目になった。
一昨日と同じように、校舎の壁に歩み寄り、高まる期待を抑えながら携帯の画面を向いたトウヤの目は、変化することのない画像ファイルを見ただけだった。
その後も、携帯片手に校舎の周囲を回ったが、相変わらず画像には変化なし。
今は、校舎から離れた位置。少女Iのベランダが確認できる範囲の建物を一つ一つ確認する作業をしている。
その作業は一昨日も感じたように、面倒くさいし、しんどい。
加えて、もうこの魔法陣が反応することはないのではないかという可能性に気づいた時点で、トウヤのモチベーションは下がりまくっていた。
というか、既に今確認している建物は、先日確認し終えたものなのだ。
一昨日魔法陣が反応しなかった建物は、やはり今日も反応を示さないわけで、一々確認してる自分が馬鹿らしくなってきた。
「魔法陣の効果が切れた・・ってことも考えられるな。」
もしくは、一昨日トウヤが見た魔法陣の変化が幻だったのか、だ。
そう考えてしまうと、徐々に自分の記憶が信じられなくなってしまう。
やはりただの画像が変化するわけないのだ。一昨日も今日と同じように強い日射に打たれていたし、もしかしたら暑さで頭がヤられて幻覚でも見てしまったのかもしれない。
今現在、変化を見せないこの画像ファイルを見ていると、どうもその可能性のほうが高いような気がした。
次の建物に近づき、その影に足を踏み入れると、トウヤは再び携帯を開く。
「オカルティックな模様をいきなり見せられて、少女Iからは意味深な指令を受ける。
俺は熱射を浴びながら、ひたすら単調な作業を続けた・・」
考えをまとめるよう、呟いてみる。
――・・こうして単調な確認作業をさせられているうちに、俺は強く期待するようになった。この魔法陣が、何らかの変化を見せることを・・
「洗脳される条件は満たしている気がするな・・」
トウヤは溜息をつき、足を止めた。
銀色の前髪が一房、自分の視界を遮るのを感じて、片手で自らの額を払う。
そこにはじんわりと汗が滲み出ていた。
暑さには強いつもりだったが、流石に炎天下をこれだけ動き回ってると辛いものがある。
・・・そろそろ引き上げようかな。
帰ってから新しい策を練ったほうがいいかもしれない。
今日は少女Iについて多くの情報を得ることができたが、それらはどれもがトウヤを混乱させるものだった。
とりあえず、全ての情報を整理したい。そう思い、携帯の画面から顔を上げたトウヤは、濃い花の香りを嗅いだ。
「・・あの?」
背後からかけられた細い声に、驚いて振り向く。
緑色のエプロンに袖を通した、一人の女性が立っていた。
エプロンには白抜きで、「Flower Shop 花曇」の文字。
「榊をお探しでしょうか?こちらは姫榊と呼ばれるもので、本榊とは異なりますが、よろしいですか?」
目の前の女性の言葉に、慌ててトウヤは自分の居る場所を確認する。
道路沿いに立てられた四角い看板には、女性のエプロンと同じく緑地に白抜きで「Flower Shop 花曇」の文字。
今、トウヤに影を落としているのは店頭に並ぶ花々を日差しから守るための屋根だったらしい。
そして、その下に立ち尽くして携帯に目を落としていたトウヤの姿は、店内に居たこの女性から見れば、商品を選んでいる様子に見えたと。
「・・あー。いや、あの。」
トウヤは先程まで気にもしていなかった、足元に群がる葉の群れに目を遣る。
褐色の枝に、淵に凹凸のついた葉っぱ。この植物には見覚えがある。
確か、神棚によく供えられてるアレだ。
トウヤはポリポリと頭を掻くと、再び女性店員に視線を戻した。
――客ではないんです。お騒がせしました。
そう言って、その場を離れるつもりだった。しかし、
「・・あれ?」
次の瞬間には驚いて、目の前の女性から視線を離せなくなった。
「どうかしました?」
綺麗なアーモンド形の瞳を見開いて、女性は首を傾げる仕草をした。
女性の顎のラインで切り揃えられた明るい茶色の髪が、サラリと彼女の肩に掛かる。
トウヤは気づいた。自分はこの女性を知っていたのだ。
「あなたは確か・・コンビニで・・」
雑誌を買って、巨大なバイクに乗って去った人。そう言おうとして言葉を止めた。
これはただトウヤが一方的に覚えていただけなのだ。
それをここで言ってしまえば、ただの変な人に思われてしまう。自粛せねば。
「いえ、何でもないです。」
そう笑って誤魔化そうとした矢先、目の前の女性はその口の前で両手を組み合わせると、言った。
「ああ!あの時隣にいた人!」
「・・え?」
女性の意外な反応に、トウヤは固まってしまう。
女性はほんのり頬を上げると、嬉しそうに続けた。
「あの時は帽子被ってらしたから、一瞬わかりませんでしたが。
私たち、近くのコンビニで一度会っていましたね。」
どうやら、トウヤと並んで立ち読みしたことを、女性は覚えていたらしい。
普通ならそんな相手、一々覚えてもらえるわけがないのだが、ここに来て、トウヤの人目を引く性質が一役買ったようだ。
「珍しい髪の色が似合ってる方でしたから、印象的だったんです。」
女性はそう笑った。トウヤは照れ隠しに、その珍しい色の髪をクシャリと掴むと、軽く頭を下げて礼を言った。
一応今、誉められたのだと思う。
「俺も覚えてました。あの・・バイクが凄かったから。」
加えて貴女が好みのタイプだったから、なんて言えるわけがなく。トウヤは返す。
女性はうんうんと頷くと言った。
「あのバイク見られちゃってたのね。驚いたでしょ?」
この付近で、ハーレーが走ってる姿なんて滅多に見られないもんね。と笑う。
「・・というか、貴女みたいな人があんな大きいバイクに乗ることに驚きました。」
トウヤは苦笑い気味に言った。相変わらずの女性らしい華奢な見た目。
店のエプロンの下は、今日は、淵に白いレースが扱われた黒ドット模様のTシャツに淡い桃色のロングスカートで、彼女が歩くたびに、裾がふわりと舞う。
あんなゴツイバイクは決して似合わない姿をしているのに・・。
「そうでしょ。周りからも言われたわ、変わってるって。」
女性はそう言われたことがまるで自慢でもあるかのように、明るく言う。
「でしょうね。でも、カッコいいです。」
そう返すと、女性は嬉しそうに頬を染めた。
「ありがとう。あなたみたいな本物のカッコいい人に言われると光栄だわ。」
右手を頬に当てて、女性は少し首を傾ける仕草をした。
――やっぱり可愛いな。
と、トウヤは思う。彼女が自分の好みにヒットしていることを改めて思い知らされた。
トウヤが本名を教えると、女性もリカという名前なのだと教えてくれた。
リカはトウヤの本名が意外だったようで、少し噴出すと、言った。
「・・面白い。見た目は西洋の人って感じなのに。名前は思い切り日本人なのね?」
「一応俺、純粋な日本人なんですけどね。」
そう苦笑すると、リカは驚いた様子でぽかんと口を開けた。
「ハーフでもないの?」
「ハーフでもクオーターでもありませんよ。父も母も普通の黒髪黒目です。
なのに、俺は生まれつき髪の色も目の色もコレ。不思議でしょ?」
トウヤは自分を指差して言った。リカはそれに頷くと、
「本当不思議ね。神秘的だし、やっぱりカッコいいと思うわ。」
そう笑った。幼い頃ならこんな誉め言葉も不快に感じたものだったが、大人になった今、しかもリカのような女性に誉められるのは素直に嬉しい。
トウヤは再び照れながらも礼を伝えた。
その後もしばらくの間、トウヤと梨花は話をした。
客があまり来ないので、リカは暇を持て余していたらしく、トウヤからのどんな質問にも快く答えてくれた。
リカはこの花屋の娘で、普段は外の会社に勤めているのだが、現在、諸事情によりそっちの会社から休暇を貰っているらしい。
「実は母が倒れちゃってね。もともと血圧に問題がある人だったから、しばらく入院が必要なの。私は店の手伝いに、父に呼び出されたってわけ。」
そういうことまで簡単に教えてくれるところを見ると、リカは根っからオープンな性質をしているようだ。その性質は、トウヤにとって好感が持てるものだった。
リカは見た目だけなら妖艶で、どこか冷たい雰囲気を持っているにも関わらず、話してみればとても明るいし、とっつきやすい。
これは男にモテるだろうな。と、軽い嫉妬交じりに思う。
「あらごめんなさい!貴方がお客さんだったのすっかり忘れてたわ!」
話の途中、リカは思い出したように謝った。
「あ、そうか・・」
トウヤも思い出す。リカはそもそも、トウヤのことを客と勘違いして近づいてきたのだ。
今更そのことを否定する気にもなれず、ついでにリカとの話のタネを増やしたい気もして、トウヤは尋ねた。
「先程これは本榊じゃないって言ってましたが、どういうことですか?」
「これは姫榊っていう種類で、正式な榊とは異なるの。
普通この地方の人たちが神棚に供えるのはこの姫榊ね。
本物の榊は手に入りにくいから、こっちで代用してるってわけ。」
「へぇ・・。」
トウヤはそっと姫榊の葉に触れてみた。トウヤの実家にも神棚はある。
普段から見慣れていたこの葉っぱが、実は本物の榊ではなかったことが、少しショックだった。
「それで、こっちが本榊。」
リカはしゃがみこむと、姫榊を並べた棚の上から、一本の枝を抜き出した。
見れば、その枝が刺してあったバケツは、他の姫榊の群れが刺さったバケツとは少し距離が空けてあり、このバケツだけ、中に入っている枝の量が十本もなかった。
トウヤは目の前に差し出された本榊の葉に触れてみる。
こちらの葉には、姫榊に見られた凹凸が見当たらない。葉全体が滑らかな曲線を描いていて、姫榊との違いは明らかだった。
「うちの店、姫榊は外来品を使ってるけど、本榊は自家栽培してるのよ。
基本的に本榊は近くの神社に売ってしまうから、あまり在庫がないんだけど。どれも今切ってきたばかりだから、新鮮でしょ?」
「なるほど・・。」
トウヤは受け取った榊の枝を改めて見直した。
艶のある深緑色。枝にも張りがあり、並んでいる姫榊と比べて生き生きして見えた。
「姫榊と値段が変わらないから、買うなら本榊のほうをオススメするわ。」
そうにっこりと笑うリカに、トウヤは苦笑いを噛み殺して頷いた。
「・・じゃ、そうしようかな。」
このムードなら買うしかないように思えた。
どうせ神棚はあるのだから、無駄にはならないだろう。
トウヤが本榊は二本購入すると告げた。
「わかったわ。じゃあ、包んでくるから待っててね。」
リカはバケツの中から二本の榊を選び出すと、そう言い残し、店の奥に入っていった。
「・・はぁ。」
予想外の買い物をする羽目になって、思わず溜息が出た。溜息ついでに手に握りっぱなしだった携帯に目を遣る。
そういえば、リカと話すことに夢中で、携帯をたたむのを忘れていた。
既に画面は省エネのために落ちていて、真っ暗ではあったが、この長時間携帯を閉じ忘れていたという自分の無用心さには呆れてしまう。
トウヤは携帯を畳もうとして、そして異変に気づいた。
「・・何だ?」
真っ暗な画面の中で、一瞬何かが光ったように見えたのだ。
見間違いかとも思ったが、気になって、携帯を視線の先に掲げる。途端、画面の中に不定期に走る赤く細い光を見た。
言葉に出来ないほど強い予感に押されて、思わず適当なキーを押し、画面を復活させる。
まさか、と思った。一度は諦めていたものが、また再び見れることになるとは。
「・・幻じゃ・・ないよな。」
息を呑んで、その画面を見つめた。
ただの画像だった筈の魔法陣は、再び赤く変色し、中央の矢印はグルグルと回転を始めていた。
これは、一昨日、学校の中庭で見た光景と全く同じ。あれが幻でなかったという何よりの証拠だった。
しかし、だったら何故、先程は反応しなかったのだろう?
「懐かしいものを持ってるのね?」
不意に、背後から声が掛かった。リカの声だ。先程と全く同じシチュエーションにも関わらず、低く冷たい梨花の声に驚いて、トウヤは背後を振り向く。
ふわりと微笑んだ、梨花の姿があった。しかしその瞳に光がない。
「やっぱりそうだったんだ。貴方だったんだ。私、探してたのよ?」
淡々とした声でリカは意味のわからないことを言う。
その言葉は全く理解できなかった筈なのに、トウヤは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
はらりと視界の隅に何かが落ちたことに気づいて、トウヤは視線を向ける。
リカの足元に、一枚の枯れ葉が落ちていた。
姫榊とは異なる滑らかな曲線を持ったその枯れ葉は、間違いなくリカの手に抱かれた白い包み紙の中の本榊のものだった。
トウヤは我が目を疑う。あの榊は先程まで新鮮な葉をつけていた筈だ。その葉がこんなに早く枯れてしまうなんて考えられない。
なのにどういうことだろう、リカの手に抱かれた二本の榊の葉は、既に大半が変色し、また一枚枯れ葉が落ちていった。
「嘘だ・・ろ?」
トウヤは急激に喉が渇いていくのを感じた。
リカの足元に落ちていく葉に固定されたように、視線が剥がれない。
「嘘じゃないわ。私ずっと探してたのよ?」
穏やかで柔らかい、艶のある声。先程の明るい花屋の店員とは異なる声。酷く魅力的な声。
トウヤは気づいた。自分はもう逃げられないと。
再びトウヤの花は強い花の香りを嗅いだ。ゆっくりと自分に向かって指し伸ばされたリカの手を、避けることが出来なかった。
その指先に額を触れられた途端、トウヤの意識は真っ白く爆ぜる。
彼の携帯の中の魔法陣は今、ある一定の位置を指して、止まっていた。