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「ふあぁ」と、目の前でアユミが大きく欠伸をした。
今日のアユミは白地ワイシャツに紺色のベスト、同色のプリーツスカート、胸元に赤いリボンといった出で立ちでいつものソファに腰掛けている。
これが彼女の学校の制服になるらしい。
エリオットは、テーブルに着き朝飯のパンをくわえながら、ケータイを弄ってるその目の下に深い隈を見つけた。
「・・・寝不足?」
心配になって聞いてしまった。
エリオットも生身の身体だったら今朝は寝不足だったかもしれない。
あまりにもリアルな夢を見てしまったもので、睡眠をとったにも関わらず、寝起きのエリオットは疲れきっていた。
夢の中で泣いたり、叫んだりしたツケが、現実の自分に回ってきたようだ。
「うーん。昨日はずっとヤヨイとメールしてたからねー。自業自得なんだけどねー。」
疲労のため、いつもの倍間延びした声でアユミは答えた。
エリオットは思い出した。そういえば昨日、アユミの友達のヤヨイがエリオットのことをアユミの恋人と勘違いする事件があったのだ。
確かアユミは、この誤解はメールで解くつもりだと言っていたのだが・・
その話し合いが夜通し行われたのかと思うと、非常に申し訳ない気持ちになる。
「あの・・俺のことで気まずい思いさせてたら、本当ごめんね。」
思わず、しょぼんとした声で謝ってしまった。
しかしアユミはそんなエリオットに首を横に振って見せると、ケータイ画面から視線をそらさないまま口を開いた。
「違うの。エリオットさんのこと誤解してる話とか、そういうの関係なくってね。夜通しオタトークしてたの。
ヤヨイ、少年漫画オタクだからさ。たまにやりたがるのよ。ゲームオタクの私と情報交換。
昨日は夜中にそのスイッチ入っちゃったみたいで。」
充実した時間ではあったんだけどね。と、アユミは続けた。
「そうなんだ・・じゃあよかった・・?のかな?」
エリオットには曖昧に答えることしか出来なかったが、それでも自然と顔には笑顔が零れた。
アユミは今日もいつもアユミらしくて、見てて落ち着くな、と思う。
「それにしても、メールって便利だね。
遠くにいる友達とも話ができるんだ。これなら寂しくないでしょ。」
「そうだねー。夏休みだから学校の友達にも殆ど会えないんだけど。
ブログとかメールとかでやり取りできるから、あんまり寂しくないんだよ。」
そう返答するアユミに、やっぱりな、と頷く。
「羨ましい文化だなあ。
アユミちゃんって今はお母さんと離れてるけど、メールの遣り取りはしてるんでしょ?普段どんな話してるの?」
確かアユミの母親は今この国の外、海の向こうの大陸に取材に行っているのだとか。
それなら、現地にいる母親からのメールはさぞかし新鮮な話題に満ちているのだろう。それがどんなものなのか単純に気になって尋ねてみる。
「・・え?」
途端、アユミは驚いたように、ケータイ画面から顔を跳ね上げた。
「え?」
戸惑うアユミの様子が理解できず、エリオットも混乱して返す。
アユミは目を見開いたまま、呟いた。
「・・ない。したこと・・ない。」
「どういうこと?」
アユミ以上に驚いて、エリオットは聞き返した。
「お母さんとメールしたことないの。
そういえば・・なんでだろう。一番したい相手なのに。メアドも知らないんだ・・私。」
アユミの不安そうな声にエリオットの中の何かが鷲掴みにされた気がした。
・・自分の母親と遣り取りをしていないなんてどういうことだろう?
何故、アユミはそれに今気づいたのだろう?
納得できない要素は多かったが、それ以上に目の前のアユミが可哀想な気がして、発作的にその黒髪を撫でた。
アユミはもう慣れたのか、大人しくそれを受け入れてくれる。
昨日からこの発作が多いな、と、自分でも驚いていた。多分、自分はアユミの髪の感触を気に入っているのだと思う。
「・・私の頭撫でるの、そんなに好き?」
アユミからの直球な質問に、エリオットはちょっと照れながら答えた。
「あのね、怒らないでくれると嬉しいんだけど。
アユミちゃんの髪の感じ、俺が昔飼ってた犬の毛並みに似てるんだ。撫でてると、凄い落ち着く。」
思い切って言ってみた。
これは、女の子に言っていい言葉じゃないのだろうが、アユミなら、正直に言っても怒らない気がしたので、言ってみた。
「あはは!マジで!私は犬か!」
案の定、アユミは怒らなかった。むしろ何故か嬉しそうにすら見える。
――やっぱりアユミちゃんは良いな。
しみじみとそう感じた。自分にとって一番の癒しになっているかもしれない。
ベランダに出ていたカーティスがこちらに戻ってくる気配がして、仕方なくアユミの頭から手を離したが、正直まだ名残惜しかった。
「準備はどうだ。そろそろ出発できそうか?」
カーティスに声かけられて、アユミの表情が強張ったのがわかる。
アユミはカーティスが苦手だ。そのことは恐らく、カーティスも気づいている。
仕方がないこととはいえ、彼はアユミに出会い頭、ナイフをつきつけ、脅したのだ。
鬼のような彼の姿を一度目にしておいて、よく今日まで平気な顔して付き合えたものだと、アユミの度胸には感服する。
「・・・は・・はい!行きます!」
裏返った声で返事をした様子から、アユミがとっても無理しているのがわかり、思わず溜息が零れた。
多分、アユミの目の下の隈の原因は、ヤヨイとのメールだけではない。
「カーティス・・優しくしてあげてね?」
一応そう忠告しておくことにする。
カーティスもアユミの緊張っぷりには流石に困った顔をしていた。
そしてその困った顔も、見る人から見ればやっぱり怖い。
とりあえず眉根の皺だけでもやめてくれれば、それなりに優しそうに見えるのに。
「重々気をつける。」
しかしエリオットの想いは伝わらず、相変わらず眉間に深い皺を刻んだまま、カーティスは答えた。
隈のできてる少女に、目つきの悪い青年。なかなか柄の悪いコンビが誕生したな、などと思いつつ。
先に玄関で準備していたピアと肩を並べて、二人を見送る。
「じゃあ、気をつけてね。危なくなったら、直ぐ逃げてよ?」
「心配するな。ピアと大賢者様のことは頼んだぞ。」
エリオットにそう返事して、カーティスはさっさと外に出てしまった。
「あ・・。行ってきます!」
アユミが慌ててその後を追いかけていった。
が、明らかにカーティスの歩幅がでかいので、距離がなかなか縮まらないようだ。
「はあ・・大丈夫かな?」
これは見ていて落ち着かない。
エリオットは歩いていく二人から目をそらし一思いに玄関の扉を閉めることにした。
「この機会に、アユミさんがカーティスに心開いてくれるといいですね。
いつまでも怯えたままじゃ、疲れさせてしまいますし。」
ピアの言葉には若干祈りの要素を感じた。エリオットも同意する。
「そうだね。あの二人が仲良くなってくれたらいいんだけど。」
何となく間延びした声を出してしまったエリオットに、ピアの表情が陰る。
「・・ねぇエリオット。あなた疲れてない?」
気づかれたらしい。エリオットは癖で頭をくしゃくしゃと掻くと、頷いた。
「うん。ちょっとね・・。珍しく夢見ちゃって。昔の・・大賢者様の夢。」
「夢ですか・・。」
ピアの表情はより暗くなったように見えた。
それも仕方がないことで、エリオットたちが自分の過去を夢に見ることは、この世界に馴染みすぎていることを意味し、同時に自我の消滅の危険性を表す。
「大丈夫。もう見ないようにするから。昨日は・・俺も疲れてたかな。」
そう笑って見せると、ピアは少し安心したようだった。
「大賢者様・・懐かしいですね。私もとてもお世話になりました。
国の研究室に入ることにならなければ、私もあのまま、あの方の下で働きたかった。」
懐かしそうに目を細めて、ピアは言う。
元々はエリオットと同じ学校に通っていたピアは、学内で神童と呼ばれるには充分の成績を叩き出し、早々にして、プロの魔術師内でも難易度が高いものとして扱われている転送魔法を覚えてしまった。よって国から目をつけられ、史上最年少の国家的研究職員として迎え入れられたのだが。
そんなピアに転送魔法を教え込んだのは、紛れもない大賢者様その人だった。
彼女は転送魔法や異空間科学に興味を持つと、真っ先に大賢者様への弟子入りの門を叩いたのだ。
大賢者様の下で学んだ期間は二年だけだったというが、それでも充分すぎるくらい、ピアは力をつけることができた。
二人は自然と、その足をポチのいるベランダに向ける。
ガラス戸を開けば、尻尾を千切れんばかりに振ったポチが出迎えてくれた。
「大賢者様・・覚えていらっしゃいますか?貴方の弟子のピアですよ。」
無表情の少女は今、ポチと視線をあわせたまま、そう呟いている。
ポチは相変わらず嬉しそうにじゃれついていて、ピアの言葉を理解しているようには見えなかった。
――不思議だな。
目の前の光景をぼんやりと見つめながら、エリオットは遠く、大賢者様への想いを馳せた。
あの夢から覚めた時、大賢者様から連想して思い出したのはポチではなかった。昨日街中で見た・・あの銀髪の男だった。
「何でだろう・・。」
知らない筈なのに。関係ない筈なのに。エリオットは、あの男がやっぱり気になった。
ふと視線をベランダの柵の向こうに広がる街並みに向ける。
この中で、あの男も生活しているのだろうか。そう考えると、急に今外出中の二人が羨ましくなってしまった。
またあの男に会いたい。
そんなことを考えてしまう自分は、やはり変なのだろうか。