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■■第十九章■■
目の前には施錠された巨大な門。すべての景色はモノクロで。
幼い日のエリオットは薄暗い門の向こうに吸い込まれていった馬車に向かって、必死に何か叫んでいた。
ここはエリオットが昔住んでいた場所。国王の城だ。
住んでいた当時は、優しくしてくれた筈の門番のお兄さんたちは、もう笑顔すら投げかけてくれない。
中に入れてくれと必死に訴えたエリオットを、彼らは今日も無情に追い払ったのだ。
町を走る王室の馬車を見つけては追いかけ。
城に入らせてくれと、一度でいいから会わせてくれと門番に訴えかけ、追い返される。その繰り返し。
毎日毎日、凝りもせず毎日。エリオットはこんなことを繰り返していた。
このままでは、涙も悲しみも、悔しさも。全てが枯れてしまいそうだった。
辺りは既に冬で、相当寒いのか、モノクロの世界の中の幼いエリオットは、幾度も小さな掌に息を吹きかける仕草をした。
色がないからわからないが、多分その手も、鼻の頭も、耳の先も、かじかんで真っ赤になってる筈だ。
見てるだけで辛いな。と思った。
これは夢だと、十六歳になったエリオットは理解している。なのに覚めることができないのだ。
『入れて!中に入れてよ!会わせてよ!』
諦めが悪いのか、まだ門に向かって叫び続けてる幼い声に、耳を塞ぎたくなる。
エリオットは覚えている。結局、この幼い少年は城の中に入ることはできないのだ。
その・・会いたがってる誰かに会うことも、もうできないのだ。
起きろ起きろ起きろ。なんで寝てしまったんだろうと後悔した。
暗闇の中、柔らかいベッドに横たわって、少し瞼を閉じてみたらこの様だ。
もう二度とこんなことはやめよう。だから今は目覚めさせて・・!
『なにが悪いんだろうなぁ?』
不意に、エリオットは幼い自分の隣に立つ、背の高い影に気づいた。
深い皺の刻まれた顔の中で、海のように青い瞳がキラキラ輝いていた。
その老人の長い銀髪も、モノクロの世界にも関わらず、鮮やかに色づいて見えた。
黒い帽子に黒いローブという、まるで影そのもののような衣装に身を包んだその老人は、幼いエリオットを見下ろして、ううむと唸った。
『この国の城に入るためには、まず役場で手続きをせんといかん。
坊主はそれをしていないな。それでは城に入れなくて当然。・・・いや。』
目の前に突然現れた老人に、幼いエリオットは寒さを忘れるほど驚いていた。
ぽっかり口を空けて老人を見上げるエリオットに、その老人は悪戯っぽく笑って言ったのだ。
『そうだな・・それ以上に、服に問題があるようだ。その格好は、王様に会う格好じゃない。そうだろ?』
慌てて、幼いエリオットは自分の格好を見直す。
エリオットは、冬にも関わらず、薄い麻の服を数枚重ねて着ているだけで、城に居る他の人々と見比べてもとってもみすぼらしい。
でも仕方がないのだ。お母さんも頑張って働いてくれているし、エリオットだって靴磨きの仕事をやっているのに、ウチは貧乏だった。
自分の腕よりも随分長くあまる袖をぎゅっと握り締めると、幼いエリオットはポロポロ泣いた。自分が情けなくてしょうがなかった。
『なにが悪いんだろうなぁ?』
老人はもう一度そう言うと、幼いエリオットを優しく抱きしめた。
『・・・え?・・あ?』
何が起きたのか解らない。ただ、温かい。混乱と安心が同時に押し寄せてきて、エリオットは老人に抱きしめられたまま動くことを忘れた。
『時代が悪かったんだな。うん。そうだ。残念な時代に生まれてしまっただけだ。
だがな、お前はまだ終わってないんだぞ。こんな城のことで、苦しむくらいなら忘れちまえ。
お前はこんな城に収まらないでかい人間になって、楽しんで生きろ。』
老人の言葉は半分も理解できなかったが、幼いエリオットは気づいた。
この老人は自分のことを知っているのだと。そして、こんな自分のことを大切に思っていてくれたのだと。
嬉しくて、嬉しくて。幼いエリオットは瞳にいっぱい涙を溜めたまま、何度も頷いた。
――この人が・・大賢者様だったんだ。
十六歳になったエリオットにはわかっていた。
この時の自分を救ってくれた老人。彼こそがこの国の大賢者と呼ばれる男性だった。
大賢者様は城で起きた出来事を全て知っていた。
そしてきっと誰よりも、王室に見捨てられたエリオットと、母親のことを心配してくれていた。
結果を言えば、エリオットの家族が人並みの生活ができるようになったのも、エリオットが学校に通うことができたのも、全て大賢者様の力があったからだ。
夢の中とはいえ、久しぶりに見ることができた恩人の顔に、エリオットは懐かしさで胸がいっぱいになった。
『お前はずっと、真っ直ぐな目をやめないな。』
夢の中のシーンは変わり、今度はフルカラーだ。
これはエリオットが学校に入学してしばらく経ったころだろうか。
久しぶりの休日、大賢者様の住まう東の塔を訪ねた時の記憶だ。
『どういう意味ですか?』
大賢者様の言葉を理解できず、エリオットは湯気の立つコップから口を離すと尋ねた。
東の塔には沢山のお手伝いさんもいたのに、エリオットへ出すお茶はいつも、大賢者様が自らの手で淹れてくれた。
それが、他のどんなお茶よりも美味しく感じたのを覚えている。
『そのままの意味さ。お前は強い人間だ。
私がお前を拾い上げたあの冬の日からずっと、お前は挫けることなく真っ直ぐ歩き続けてきたな。
貧しさも、屈辱も、寂しさも。何もお前の道を歪めることはできなかった。』
誰にでもできることじゃなかったんだぞ。と、大賢者様は微笑んだ。
『それは・・大賢者様が傍に居てくれたからです。
俺、あの日まで一人きりだと思ってた。
城から追い出されたら、生きる価値がなくなるような気がして、怖かった。』
震える声でエリオットは言う。
今はもう、あの日のように凍える思いをすることはなくなった。
温かい家も、温かい服もある。
学校では友達も夢も沢山出来て、心が凍えることももうない。
『母さんも俺も、大賢者様に感謝しています。
俺たちを拾ってくれた大賢者様を。』
エリオットの言葉に、大賢者様は俯いた。
『違う・・』
そう呟いた声は、とても疲れているように聞こえた。
『どうしたんですか?』
驚いて尋ねる。
『何もかも時代が悪かったんだ。時代が・・』
自分を否定するかのように頭を振り、呪文のように呟く大賢者様の姿に、急に不安になって立ち上がった。
何が原因かはわからないが、大賢者様が苦しんでいるのがわかった。
大賢者様は恩人だ。エリオットは何に変えてでも、このお方を守り抜くことを己の使命と感じていた。
『大丈夫ですか!?』
急いでその傍に駆け寄る。項垂れた姿はくたびれた老人そのもので、エリオットは泣きたいほど心配になった。
『俺がついてます。俺がついてますから。』
そう言って、そっとその背中を撫でる。
『・・ありがとうよ。』
そう呟いた大賢者様は、やはり少し泣いていたようだった。