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空では星が薄い明りを見せていた。
今日は色んなところに行って、色んな体験して、とっても疲れた。
台所に立っていたアユミは、食器を洗う手を止めて、一つ欠伸をした。
むにゃむにゃとベランダの方へ視線をやる。
アユミと同じく、すっかり疲れてしまったポチは、既に犬小屋の中でぐぅぐぅ寝ている。
その犬小屋の横で、何やら真剣に話しこんでいる二つの影があった。エリオットとカーティスだ。
エリオットは帰宅するなり、話したいことがあるとカーティスをベランダに呼びつけると、そのままずっと、こんなに暗くなるまで話し込んでいる。
「・・下手に声かけちゃいけない雰囲気よね・・?」
食器洗剤のシャボンがついた手を水で流し、アユミは近くのタオルで手を拭く。
今日の家事は、これで一応おしまいだ。
後は風呂に入って、寝るばかり。正直直ぐにでも寝たかったが、エリオットたちの様子が気になって、おちおち眠るわけにもいかない。
「ピアちゃんはアニメに夢中だしね・・。」
今度は視線をリビングに向ける。
そこにはソファに座ったまま、テーブルの前向こうにあるテレビを凝視しているピアの姿があった。
いつもなら、絶対エリオットたちの話に参加してる筈なのに・・そんなにこのアニメが面白いのだろうか。
DVDを買ってきた身としては、実に喜ばしい事態だが、同時にちょっと意外だ。
「ピアちゃんって・・もしかして単にこういうのが好きなのかも。」
そう感じてしまうしかない。この世界での自分たちに纏う因果律を知るためという建前に騙されて今まで見過ごしていたけれど、思い返せば、ピアは暇な時間を見つけてはアユミの本棚の漫画を読んで過ごしているようだった。
今はその漫画を原作にしたアニメのDVDを少なくとも三回は繰り返して見ているし。
テレビに釘つけになっている目は、アユミが初めて見るくらいにキラキラしてるし、頬も若干紅潮してて、子供みたいな顔つきになってしまってる。
「ピアちゃんって・・固いだけの人かと思ってたけど・・。これなら気が合いそうだわ。」
そう呟き、アユミはそっとピアの隣のソファに腰掛けた。
「面白い?」
答えのわかりきったことを聞いてみる。
ピアはテレビ画面から目をそらさずに頷いた。
「わざわざありがとうございました。
マンガではわからなかった、彼らの言葉もこれで理解できます。これで我々に関わる因果律についての手がかりが・・」
・・・しまった。このままじゃ、いつもの小難しい顔したピアに戻ってしまう。
それは勿体無いと感じたアユミは、咄嗟に話題をずらした。
「でさー。ピアちゃんはどのキャラが好きなの?」
「・・・え?」
振り返ったピアの顔は、少し間抜けで、ようやく歳相応に見えた。
アユミはテーブルの上に放置されていたDVDのパッケージの中から小さい冊子を取り出すと、それをピアの前で開いて見せた。
そこには、物語の背景についての説明と共に、メインキャラクターたちの全身図と、彼らの紹介文が載っている。
ピアはアユミが差し出したその冊子を、慎重に捲りながら、
それぞれのキャラクターを確かめると。
「これ・・・かな?」
その前のページに描かれていた戦士と、相当迷った挙句、
ピアが指差したのは、黒ずくめの魔道士だった。
このキャラは作中で解明されていない謎が多く、主人公の敵か味方かもはっきりしない。
黒髪長髪、ミステリアスな美貌を備えたお兄さんで、当然ながら、この手のキャラは女性受けが良かったりする。
ピアの好みも例外ではなかったことが、ちょっと意外だった。
「へぇ!私の友達にも、このキャラのファン多いんだよ。カッコいいもんね♪」
「そうですね。それに、同じ魔術師として尊敬できます。
火、水、風、土、雷・・自然界の全ての力を司るなんて、私たちのいた世界で最も地位の高い魔術師ですら、ここまでの能力はありません。」
ほう・・とため息をつきながらそう語るピアの顔は、どことなく夢見る乙女を思わせる。
このキャラを同業者として評価しているのが、流石異世界の住人というところだろう。
しかし、それでもちょっぴり女の子らしい表情を見せてくれたことで、アユミはピアとの距離が近づいた気がして、嬉しくなった。
「うんうん。そういえばこのキャラってどことなく雰囲気がピアちゃんに・・」
似てるような気がすると言いかけて、アユミはふと顎に手を当てて考え直した。
「いや、どっちかっていうと・・カーティスさんに似てるかもね?ちょっと怖い雰囲気あるし。」
「そうですね。確かに似てるかもしれません。余り自分のことを語りたがらないところとか・・」
ピアはそこまで言うと、思い出したように視線をアユミに向けた。
「アユミさんは・・まだカーティスが怖いですか?」
透き通った綺麗な瞳に、不安を宿らせて、そう尋ねてくる。アユミの心臓が一瞬大きく跳ねた。
改めて知った、彼女が美少女であること。落ち着け自分。相手は同性だぞ?
「う・・うーん。割と慣れてきたとは思うけど。まだ目を合わせて話す勇気はないなあ。」
照れ隠しに、そう冗談っぽく言ってみる。ピアは少し安心したように声のトーンを落とすと、
「不器用な人ですが、真面目な人ですから。もうアユミさんに危害を与えることはありませんよ。」
そう言った。
「うん。エリオットさんから聞いたよ。カーティスさんは任務のことでピリピリしてるだけだって。」
確か、カーティスは代々国王に仕えてる家系で、いずれは大臣になる人物なのだ。
この勇者パーティの中で、もしかしたら一番責任重大な立場なのかもしれない。
そう思えば、この家に来た当初の彼が、過剰なまでに攻撃的だったのも頷ける。
カーティスは、エリオットのこの旅を成功させなくてはいけないのだ。
アユミがそのことをピアに話すと
「・・もう、そこまで知っていたのですか。」
僅かに目を見開いて、ピアは言った。
「その通りです。彼がこの旅の最大の責任者といえます。
国王も、カーティスがいるから安心して魔王討伐という困難な仕事を任せたのです。」
そう聞くと、アユミは疑問に思わざるを得なかった。
「不思議だね。なんでカーティスさんが勇者じゃないんだろう?」
エリオットは言っていた、自分は剣術を少しかじったくらいの、未熟な剣士なのだと。
変わってカーティスは戦の経験も豊富らしいし、全体的に迫力がある。
魔王の討伐に向いているのは、どちらかといえばカーティスなのではないかと思う。
アユミがそう言うと、ピアはゆっくりと頭を横に振った。
「エリオットでなくてはいけないのです。
魔王を倒すことができるのは、魔王を生み出した一族のみ。エリオットはその一族の一人。」
「魔王を生み出した一族・・?どういうこと?」
唐突に知らされたエリオットが勇者である理由に、アユミは混乱した。
ピアはいつもの機械口調に戻し、慣れた様子で説明してくれた。
「生き物というのは大体、肉体と魂、霊体の三種でその命を保っています。
しかし魔物だけはそこに魔の力が加わる四種により成り立っているのです。」
「魔の力って・・魔力のこと?」
「いえ、一般的に私たちが魔力と呼んでいるのは、人間のもつ魔法の力を指したものであり、魔の力とは全く別です。」
魔の力というのは、魔物のみが持つ要素。霊体や魂と同じように、目で見ることはできないが、魔物にとっては生命を繋ぐ大事な要因なのだという。
魔物の場合は人間と異なり、この魔の力により魔法を発動させることができる。よって、魔物によっては生まれた時から魔法が使える種類も存在するらしい。
アユミの質問そう答えると、ピアは続けた。
「そして魔の力の魔とは、人間の邪念のことです。」
「えっと・・それって魔物は人間の邪念から生まれたと?」
恐る恐る聞いてみると、ピアは頷いて肯定した。
・・怖いな、と思った。そんな禍々しいものから生まれる生き物なんて、アユミは見たくもない。
アユミは少し肩を竦ませて、ピアに話の続きを促した。