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「・・いやあ。いいもの見せてもらえたよ!本当に!」
サッカー部顧問の竹平先生に両手を鷲掴みにされながら、エリオットは満面の笑みで応える。
「どうも。こちらこそ楽しかったです!」
試合は当初誰も予想できなかったくらい、白熱したゲームとなった。
試合が終わった今も、エリオットと共に戦った部員たちは、チームの敵味方関係なく、興奮した口調で、エリオットの決めたシュートについて語っていた。
唯一、大崎少年だけが、そんな集団から離れ、一人歩いて行った。
「・・あれれ?」
どこに行くのかなと思い、アユミは全ての人の視線がエリオットに集中していることを利用し、寝てたポチを起こすと、大崎少年の後を追った。
彼は、運動場の外れに設置されている、水飲み場にいた。
そっとその背後に回ってみる。大崎少年は今、上向きになった蛇口から噴出す水に、無言で顔を当てていた。
彼の褐色の首元を、幾筋もの水滴が流れていく。その様子に我慢できなくなって、アユミは大崎少年の背中を軽く押した。
「うわっ!」
驚愕の声と共に、大崎少年の上半身は跳ね上がる。その見開かれた目は、直ぐにアユミを見つけた。
「なんだよ・・お前か。犬連れて歩いてるんじゃねぇよ・・。」
普段より幾分情けない声でそう言ってくる。アユミはその台詞を無視して、口を開いた。
「あのね、やっぱりオザキっち凄いわ。改めて思った。皆とレベル違うもんね。」
それは素直な感想だった。
大崎少年を前にすると、つい毒を吐きたくなってしまうのが常だったが、今はとても、そんな気分ではなかった。
だからアユミは珍しく、素直に彼を誉めた。
「・・ふっざけんなよ。なんだよアイツ・・。」
大崎少年はアユミに顔を見られたくないのか、顔についた水滴を拭う仕草を、随分長いこと続けていた。
「エリオットさんは・・あの。ちょっと違う人だから。
オザキっちが丁寧に教えてくれたから、できたんだと思うし・・」
上手く慰める言葉が思いつかず、アユミは自分のグダグダさに腹が立った。
「だから・・あのね?」
「もういい。」
大崎少年の少し怒った声。
「もういいから、今日は帰れよ、お前。」
アユミは言葉を失った。大崎少年は未だにアユミに顔を見せないし、これでは従うしかない。
「・・わかった。」
アユミがそう言って、その場を去ろうとした瞬間だった。
「あ!居た!」
少し息を切らせて、エリオットがこちらに走ってきた。
その声に、流石に大崎少年も顔を上げる。
「あのね!今日はありがとう!すっごい楽しかった♪」
屈託のない笑顔で、大崎少年に手を差し伸べるエリオット。
――ああ・・今のオザキっちにそんな神経逆撫でるような真似しちゃ・・ダメだよ。
エリオットの無邪気さに、アユミは頭を抱えた。これじゃ、大崎少年が怒ってしまう。
「いや。こちらこそ久しぶりに良い試合できた。ありがとう。」
しかしアユミの心配を他所に、大崎少年は突然笑顔を作って、エリオットの手を握った。
ぽかんとしてるのはアユミだけで、二人はまるで親友にでもなれたみたいに楽しそうに会話を続けた。
「お前みたいに吸収が早い奴、初めてみたぜ。
足の力も凄いし・・・お前、何かやってるんだろ?」
「うん・・。格闘技とかね、小さい頃からやってた。それに走るのは好きだったんだよ。」
「・・好きとかいうレベルじゃねぇだろ。お前、プロになれよ。できればサッカーの。」
・・・そしたら、俺の良いライバルになる。大崎少年はそう言って、エリオットの肩を叩いた。
エリオットはそれに、少し悲しそうに笑って首を振った。
「駄目なんだ。俺には、やらないといけないことがあるから。」
エリオットのその笑顔は複雑な事情をも内包しているようで、大崎少年からいえば、全く底の読めないものに見えたことだろう。
しかし、事情を知ってるアユミにとっては、とても切ないものに見えた。
「エリオットさん、そろそろ行こうか?」
エリオットの気持ちを汲んで、アユミはそう声をかける。
大崎少年が何やら、エリオットを引き止めるために抵抗しようとしたが、
「ごめんね?でも今日は本当に楽しかった。」
エリオットは最後にそう笑いかけると、アユミを追って踵を返した。
聞こえるのは自分たちが踏む砂の音と、遠くから聞こえてくる興奮したざわめき。
エリオットはアユミの手からポチのリードを受け取ると、並んで歩き始めた。
「・・また・・!」
不意に、背後から大崎少年が叫んだ。
「また絶対、試合しような!今日の試合だって、引き分けなだけで、俺は負けてないんだからな!!」
俺を負かすまでは、何度でも遊びに来いと、
アユミには、大崎少年がそう言ってるように聞こえた。
なんだかんだで彼はエリオットのことが気に入ったのだ。
「・・・わっかんないやつぅ。」
ぼそっと呟いた。先程までのアユミに対する態度と、エリオットに対する態度のこの違いはなんなんだ。
男にしかわからない世界というやつなのか。だとしたら、エリオットを紹介した自分がのけ者にされたみたいで悔しい。
「あのね、あのタケヒラっていう先生は、オザキっちをすごく大事に思ってるんだよ。」
サッカーコートから少し離れた辺りで、アユミのつけた渾名をそのまま名前と認識していたのか、エリオットが大崎少年について語り始めた。
どうやら、エリオットは先程サッカー部顧問の竹平先生から話を聞いてきたらしかった。何故今日、エリオットが試合に出させてもらえたのか、その理由を。
『大崎はな、あいつは天才だ。
正直、何でこんなサッカーの戦績も今ひとつな学校にいるのかわからん。
あいつならもっと、サッカーで有名な学校に入れた筈なのにな。』
竹平先生はどこか悔しそうにそう言い、続けた。
『・・・どうしても、あいつは、このサッカー部じゃ浮いてしまうんだ。
他の部員との力の差が激しすぎる。この学校じゃ、あいつにライバルを与えられない。
こんな状態じゃ、あいつも直に嫌気が指すだろう。』
いつも真面目に練習をしている大崎少年の姿に、竹平先生はそんな心配をしていた。
『だから、ライバルが欲しかったんだ。』
竹平先生は、そう言ってエリオットの目を見た。
もし良かったら、また大崎少年の相手をしてやってくれと。
「・・・なんて答えたの?」
アユミが尋ねると、エリオットは悲しそうに笑った。
「わかりました・・って。言っちゃった。」
アユミは思わず頷いた。そこで断りきれなかったのは、エリオットらしいと思った。
「そうかあ・・」
「無責任だったかな。俺、どうせ無理に決まってるのに。」
この無理という言葉に含まれる重みに、アユミは耐え切れなかった。
「無理じゃないよ!早く敵を倒して・・そしたら元の世界に戻る前に、もう一度来よう?
カーティスさんやピアちゃんも連れてさ!」
そんなことを言ってしまって、無責任なのは自分だと気づき、顔が熱くなった。
「・・・そうだね。その通りだ。」
しかし、エリオットは嬉しそうな笑顔を作った。だから、アユミもこれでいいのかな、と思う。
なんだか今、アユミはエリオットのことを普通の、同世代の男の子として見てしまっているのだ。
大崎少年と同じように、魔王討伐なんて使命の関係ないところで、思い切り好きなことに没頭することができる、ごくごく普通の少年。
・・いつか、エリオットが普通の少年になれる日が来るといいと思う。
アユミはエリオットに少し歩み寄ってから、言った。
「頑張ろうね!」
頑張って、元の世界に戻ろう。そして、魔王を倒して、世界を平和にして。普通の生活に戻って欲しい。
「ありがとう。」
アユミの思いがどこまで届いたのかわからないが、エリオットはアユミのその一言がとても嬉しかったらしく、そう笑うと、アユミの頭を軽く撫でてくれた。
「・・・!」
なんの気のない仕草だったのだろうが、アユミはちょっと驚く。
エリオットから触れてきたのは初めてだった。
思わずエリオットに撫でられた箇所を、手で確認してしまった。
「どうしたの?」
きょとんとした顔で聞かれて、アユミは慌ててそこから手を離す。
「な・・なんでもないよ!それよりも、敵を探さなきゃね!」
無理矢理な話題変換をした後、むしろこっちが本題だったことを思い出す。
「そうだね・・」
エリオットは真剣な眼差しで辺りを見渡したあと、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、さっきのタケヒラって先生が言ってたけど、この学校、最近経営者が変わったって。
・・なんていうんだっけ・・り・・りじ・・」
「理事長のこと?」
アユミが尋ねると、エリオットは「そうそう」と頷いて答えた。
・・・そういえば、確かトウヤからの報告にもあった。
アユミは既に知っていた情報なので、つい無視していたが、この学校は今年に入って理事長が変わっている。
アユミはその姿を見たことはないが、確か・・若い女だという話だ。
「・・・もしかしたら、ありえるかもしれないわね。」
アユミは校舎を見上げてみる。
相手が理事長にしろ、誰にしろ、学校内に出入りした人物を調べるには、やはり校舎内に入る必要があると、改めて感じさせられた。
「ポチ連れてきたの失敗だったかなあ。」
今更、後悔してみる。
「まあ、今日は探りを入れるためだけに学校に来たんだし・・敵に遭遇しないで済んだんなら、それに越したことは・・」
エリオットがそうフォローした矢先だった。
――シュィン
奇妙な気配が二人の周りを覆った。
「・・・何これ!?」
それは気配というにはあまりにも露骨で、冗談じゃなく、目の前に現れて、手で触れられそうなくらい濃密なものだった。
当然、アユミは今までこんな感覚に襲われたことはない。
「・・・ピアちゃんの・・魔法陣が・・。」
エリオットは何やら呟きながら、自らのズボンのポケットに手を突っ込んだ。
よくよくその気配に集中してみれば、それらは全て、エリオットのポケットから発信されているのだと気づく。
そうして、エリオットが取り出した一枚の紙切れを覗き込み、アユミは驚いた。
そこにあるのは一昨日アユミからトウヤに渡したのと同じ・・いや、微妙に違うだけの魔法陣だった。
円形に並べられた文字列は今や真っ赤に発光しており、中央に描かれた、昨日のとは若干デザインの異なる矢印は、ひっきりなしにグルグル回っている。
「・・これは・・魔法陣?」
エリオットはアユミの言葉に頷くと、教えてくれた。
「家を出る前にピアちゃんに渡されたんだ。
敵は毎日魔法を発動させているようだから、もし、その発動のタイミングに敵の近くにいることが出来たら、この魔法陣が反応する筈だって・・。」
敵がたまたま近くにいて、たまたま魔法を発動させるなんて、確率的にかなり低いことだからと、ピアからすればこれは消極的な案だったらしい。
だからエリオットも、まさかこの魔法陣が発動することがあるとは思わなかった。
「敵は・・今この近くにいる・・!」
中央の矢印が、一際強く輝いたかと思うと、ある一定の方向を指して静止した。
「・・・!!」
息を呑み、二人は顔を見合わせ頷いた。敵がこの近く、この魔法陣の指す方角にいるのだ。
・・本当に、戦う羽目になるかもしれない。
正直、アユミは怖かったが、エリオットの真剣な眼差しを受けて、そんなことが言えるわけがない。
「行こうか。」
勇気を出して、アユミは自らその言葉を発した。
魔法陣は今や、敵の確かな居場所を示している。
二人はそれに導かれて、校庭の外、裏門を目指して歩き始めた。