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■■第十四章■■
時は八月八日の早朝である。
久しぶりに家の外に出れて。アユミもポチも感極まっているようだった。
「エリオットさん!早く行こう!」
すっかりポチに主導権をにぎられてしまったアユミが言う。
言いながらもポチに引きずられて数歩分既に進んでしまったようだった。
「じゃあ、行ってきます。あとはよろしくね、ピアちゃん、カーティス。」
振り返り、玄関に立っている二人に声をかける。
この家の因果律の壁を維持するために、ピアは家を離れることができない。
非戦闘員であるピアの身に何か起きては困るので、今回はカーティスがピアの護衛役だ。
ここはエリオットにとって未知の世界だ。一旦家の外に出てしまえば何が起きるかわからない。
本当なら、この手の探索はエリオットよりもカーティスのほうが向いていた筈だ。
今回カーティスがエリオットに探索を任せたのは、単にエリオットが退屈していることを危惧したからだろう。
エリオットたちにとって、この世界での退屈は、少々危険なのだ。
「ああ。気を抜くなよ。」
「気をつけて・・」
二人の言葉に頷き、エリオットはアユミを追って走っていった。
アユミにとって、これはほぼ一週間ぶりの外出である。
色々とやりたいこともあるのだろうから、今日はアユミには好きなように過ごしてもらうことに決めている。
それに、そちらの方が敵もアユミに近づきやすいだろう。
「ポチも一緒なんだねぇ。」
自分より数歩先でたたらを踏みながら歩いているアユミを、エリオットは微笑ましい気持ちで見つめていた。
「だって!ポチこの一週間ずっと散歩できなかったんだもん。可哀想じゃん!」
相変わらず嬉しそうに、アユミが言う。
ずっと外に出たかったのだろう。やっぱり、自分たちはアユミに無理をさせていたのだ。
アユミの笑顔に、エリオットは内心申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
今日のアユミは肩まで届く黒髪を、後頭部に高く結い上げていて、見た目にも涼しげだ。
明るい水色のTシャツに、細身のジーンズと、スニーカーとか呼ばれる紐靴といった様相は、羨ましいくらい身軽に見える。
一方自分はというと、相変わらずの鎧姿。パラレルワールドに入っているせいで、衣装のえり好みなどできないのだが、やはりアユミと見比べると、自分は暑苦しいなぁと思う。
「エリオットさんって、他の人からはどんな風に見えるんだろうね?」
くりっと大きな黒い瞳をこちらに向けて、アユミが尋ねてきた。
「そうだね。一応この世界で一般的な、どこにでもいるような人間に見えてる筈なんだけど・・」
エリオットは辺りに視線を巡らせながら答える。通りには疎らではあるが人の姿もある。
しかし、誰一人こちらに注意を示さないようだから、ピアの術は成功しているのだろう。
今、エリオットの身体の周りにはピアの張った因果律の結界がある。<この世界を監視する目>と、周辺の一般市民の目を誤魔化すためだ。
この結界に包まれたエリオットは、今、端から見たら「その人が無視するのに都合の良い他人」になっている筈だった。
「でも、私にはいつもの鎧姿に見えるんだよね。」
「アユミちゃんは、既に俺の姿を見ちゃってるから、結界の意味がないんだよ。」
アユミの問いに笑って答える。
「じゃあ、敵の目にはどう映るの?」
再びアユミの疑問が湧いた。エリオットは少し考えてから答えた。
「たぶん・・意味がないと思うよ。既に敵はこの世界に入った俺たちの姿を見ている可能性があるし。」
そのエリオットの言葉に、アユミは不安そうな表情を浮かべた。
「じゃあ、敵に見つかったら直ぐに戦闘になっちゃうの?」
「大丈夫。昨日カーティスも言ってたでしょ。アユミちゃんが一緒にいる間は、敵も攻撃できない。
例え俺の存在に気づいても、敵はあくまで、アユミちゃんの知り合いのふりを続ける筈だよ。」
エリオットがそう言うと、アユミはうーんと唸ってから、もう一度口を開いた。
「そこがね、わからないんだけど。どういう意味なのかな?
敵は私の知り合いというパラレルワールドに入ってるから、私に攻撃できないってことだけど・・
そもそパラレルワールドに入った人って、実体がないこと以外にも、普通の人との違いがあるの?」
「うーん・・そうだねぇ・・」
今度はエリオットが唸る番だった。
「普通の人は、自分の因果律の中だけで生きているでしょ?
自分の過去があって、未来があって、今がある。
でもパラレルワールドに入った人は、自分と他人、二つの因果律の中で生きていかなくちゃいけないんだ。」
「えっと・・どういうこと?」
アユミは困ったようにエリオットを見つめ返してくる。
「俺が今入ってるパラレルワールドって、この世界から生み出されたものでしょ。
このパラレルワールドには生まれた当初からの自我があるんだ。
つまり、俺の入ってるパラレルワールドはゲームの中の勇者なわけだから、当然、ゲームの中の勇者としての自我があるよね。
俺はこのパラレルワールドの元になったゲームを知らないんだけど・・ゲームの中の勇者にも性格とか、使命とか、色んな設定があったでしょ?」
「そうだね・・。確か普通の剣士だったんだけど、王様に呼ばれて、勇者として選ばれて・・そして魔王を倒すために仲間を連れて旅をする・・っていう設定だったよ。」
そう教えてくれたアユミに、エリオットは頷いた。
「そうか。やっぱり、境遇が俺と似てるんだね。
元の世界にいたころの俺もそう。普通の生活から国王の命令で勇者になった。
カーティスとピアちゃんを連れて旅をしてる。
俺はこの世界に行くために、自分と似た境遇のパラレルワールドを探して、そしてコレを選んだんだ。
このパラレルワールドにはゲームの中の勇者としての過去と未来、そして今がある。これがこのパラレルワールドが本来もつ因果律なんだ。」
「自分と似た境遇のパラレルワールド・・って、
エリオットさんが前に教えてくれた<共通するパラレルワールド>と同じ意味?」
アユミの問いに、エリオットは肯定の意味で頷いた。
「その通り。それで問題は、何故異世界に行くために自分と似た境遇のパラレルワールドが必要かっていうことなんだけど・・
さっきも言ったとおり、パラレルワールドには既に因果律がある。
その中に別の因果律を持った人間が入るわけだから、下手すれば互いの因果律同士打ち消しあってしまうことになるんだ。
そうなれば人は異世界で自我を失ってしまう。・・ちょうど、大賢者様がポチになってしまったようにね。」
そう言い、エリオットは視線をアユミの手に繋がれた白い犬に向ける。
アユミも一度、ポチに視線をやった。
「これを防ぐために、俺たちは異世界へ向かう際、自分と非常に近い因果律を持ったパラレルワールドに入る必要がある。
因果律同士が対立しない環境を整えれば、一応の自我を保つことができるから。」
「一応・・ってどういうこと?」
アユミの問いに、少し決まりの悪い気持ちで答える。
「つまりね。今の俺って、本来の俺の自我と、ゲームの中の勇者の自我のごちゃ混ぜ状態なんだ。
よく似た二つの因果律が、このパラレルワールドの中でぐちゃぐちゃに混ぜ合わさってるの。
そうして俺は自分らしくいられてる・・つもりでいる。
本当は・・本当の俺はこういう人間じゃなかったのかもしれないけどね。今の俺にはその判別はできない。」
「ふえ・・複雑なんだねぇ!」
アユミは素直な感嘆を表情に出した。
「敵も俺と同じなんだ。アユミちゃんの知り合いというパラレルワールドが持つ因果律と、本来の自分の因果律。
それを混ぜ合わせた状態で、この世界に存在している。
つまりね、敵は、俺たちの敵であると同時に、やっぱりアユミちゃんの知り合いでもあるんだ。
アユミちゃんは、自分の知り合いに、自分を傷つけるような人がいると思うかい?」
エリオットの問いに、アユミは少し考えるような仕草をした後、答えた。
「いないよ。そこまで悪い人とつきあったことないもん。」
きっぱりと言い切る姿に、エリオットは笑って頷いた。
「そう。だから、敵もアユミちゃんを攻撃できない。
敵の中にあるもう一つの自我がそれをさせない。
もしその自我に逆らったら、敵の中の因果律のバランスが崩れてしまうから、敵は必ずその自我に従うだろう。」
「んー。なんとなくわかった気がする。」
アユミはエリオットに背を向けて、二・三歩歩いた後、振り向いた。
「エリオットさんは、私に説明するの上手いね。いつもわかりやすく話してくれてありがとう!」
夏の日差しの下、アユミはとびきり楽しそうに微笑んでいた。
エリオットは一瞬、目の前に花が咲いたのかと思った。
「・・え!」
意識するよりも先に、顔が熱くなるのを感じる。多分今、真っ赤だ。
お礼を言われるとは思わなかった。嬉しいというよりも、自分が役に立てたという事実にびっくりだった。
「い・・いや。俺頭悪かったから、いっぱい勉強しててさ。
どうにかして解りやすくできないかって、いつも考えてたから・・アユミちゃんの役に立てたならよかった・・」
照れ隠しで、つい早口になってしまう。
アユミはそんな自分をどう思ったのだろうか。相変わらずニコニコ笑ってこう言ってくれた。
「なんか、エリオットさんって、教師とか向いてそう。
子供に勉強教えるの。絶対いい先生になれるって!」
「本当に?」
驚いて尋ねる。
「うん!生徒第一号として、保障しますよ♪」
そう自分の胸を叩いてみせたアユミに、エリオットは自分の顔が緩むのを隠せなかった。
「あのね、俺教師になるの夢なんだ。
旅が終わったら。国にもどって、子供たちに勉強教えたい。」
「へえ!いいじゃんそれ!」
嬉しそうに言うアユミの姿が、エリオットにはとても幸せなものに思えた。
「うん。いつか、絶対ね!」
力強くそう言ってやる。絶対に、自分は魔王を倒すのだという決意をこめて。
エリオットはアユミに遅れを取るまいと、少し大またに道を進み始めた。
しかしそうしていると、今度はアユミが自分に追いつけなくなることに気づいて、慌てて速度を戻した。
「折角だから、エリオットさんにこの町案内してあげるね!」
ポチと一緒に息を切らせながらエリオットを追いかけてきたアユミは、やっぱり楽しそうに、そう提案してくれたのだった。