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■■第十三章■■
アユミたちはピアに連れられ、ベランダへ出ていた。
外は日暮れに包まれており、家路を辿る人の姿がちらほら見える。
アユミは、エリオットたちが外の人間に姿を見られると、まずいのではないかと危惧していたのだが、当の本人らは涼しい顔で、ベランダに立つことに躊躇いがないのだから変に心配しても仕方ない、と、割り切ることにした。
「因果律の壁・・といってもそこには実体の壁があるわけではありません。あるのは空間同士の差だけです。
私はこれを目視できるようにできないかと、色々試してみたのですが・・
空気中のマナを発光させるのが一番見た目にわかりやすいようです。見ててください。」
ピアは、自分の後ろに並ぶ三人にそう言うと、手に持っていた白銀の杖を一振り二振り。
たちどころに、辺りには淡く白い光が舞い、ベランダの外に、光の壁を映し出した。
「これが・・因果律の・・壁?」
エリオットが呟き、
「き・・っれーい。」
アユミは思わず、感嘆の声を上げてしまった。
白く輝く粒に彩られ、赤い太陽に照らされ。それはとても幻想的な光景だった。
「そしてこれが、衝突事故の跡ということになります。」
ピアが杖先で指し示した場所に目を遣る。
均等に整列してる筈の光の粒が、何故かそこだけ、縦長の大きな楕円形に沿って渦を巻く形に流れていた。そしてその楕円形を取り囲むように、小さな円形に近い流れの渦が並んでいる。
「なるほど、乱れているな。」
カーティスが、その渦に近づいた。
「この渦が、昨日確認された傷ということになります。そしてこちらが今日つけられたばかりの傷です。」
ピアは、続いて犬小屋の上に漂う、小さな渦を指す。
「だいぶ・・大きさが違うんだね?」
エリオットが驚くのも無理はないくらい、この二つの渦の差は歴然だった。
最初の渦はアユミの両掌いっぱいの大きさがあったが、次のはアユミの親指ほどしかない。
「本来、一回の移動系魔法が与える因果律の壁への影響はこの程度な筈なんです。」
ピアは、杖先で小さな渦を指したまま、そう説明した。
「では・・昨日確認したこの渦は・・」
カーティスは目の前にある大きな渦の流れを目で追った。
一瞬、一つの流れが渦を巻いているだけに見えるが、よくよく見ると、その流れが幾つにも分かれ、指紋のように複雑に入り乱れていることに気づく。
「それは、幾度も連続して、魔法を発動させた形跡です。
おそらくインフィニティは、最初転送魔法が上手くいかないことに気づいて、焦って何度も試みたのでしょう。」
ピアの予想に、カーティスは無言で頷いた。
アユミは、そっと犬小屋に近づく。ポチは寝ているようだった。ポチは一度寝ると、なかなか起きない。今日は静かだと思ったら、こういうことだったのか、と、納得する。
「・・わあ、綺麗な渦巻きになってるんだね。」
上を見上げて、アユミは呟いた。
そこにあるのは正円形で、流れの幅も均等な小さな渦。渦にそって流れている光の粒の密度が、他の壁の部分と比べると若干薄い。そして粒同士の間の隙間を埋めようとでもするように、粒たちはぐるぐると流れを作って動き続けていた。見ていて目が回りそうだ。
「一回の転送魔法が与える影響は、結構シンプルなんだね。」
いつの間にやらアユミの背後に立ったエリオットが、なにやら感心したように呟いた。
「そうです。なので、因果律の粒が作り出す模様によって、そこに与えられた魔法の状態を読み解くことができます。それと・・・」
ピアがカーティスの隣に立ち、大きな渦の流れを指で辿った。
「魔法の発動からの経過時間も読み解くことが出来ます。時間が経てば経つ程、渦の形は正円形から離れていく。」
アユミは目の前にある小さな渦と、ピアの指す大きな渦を見比べた。確かに、形が全然違う。
「これが昨日つけられた傷で、これが一昨日のものだと思われます。」
淡々と、ピアは大きな渦の周りを囲む小さな渦たちを指で指し示した。
どれも、正円形から外れた形をしていたり、渦の流れる幅に統一性がなくなったものばかりで、アユミの目の前にある今日つけられたばかりの傷と比べると、歪んで見える。
「じゃあ・・一番古い・・その真ん中にある大きな傷がつけられたのは・・?」
エリオットの問いかけに、ピアは振り向いて答える。
「今から七日前、私たちがここに到着した日・・ということになります。」
「やはり・・インフィニティは俺たちがこの家に転送されること自体、予測していたのだな。」
カーティスは目の前の渦を睨みつけたまま、唸るように言った。
「それは予測できても、因果律の壁が転送魔法を塞ぐ効果は予測できなかったんだ・・。」
エリオットの呟きに、ピアが答えた。
「おそらく、彼女には転送魔法が使えなくなる理由もわかっていない。
移動系魔法と因果律の壁の衝突による魔法の無効化というのは、『移動先の異世界の種類によっては稀に起きる可能性がある』という程度の、 極一部の人間しか知らないマイナーな現象ですから」
「本来なら、この世界に転送されてきたばかりの、無防備な状態の我々を襲うつもりだったのだろう。
しかし、それは上手くいかなかった。
ピアの発動させた転送魔法に対する反術や、ゲームディスクを封印する魔法の発動は成功させられたのに・・だ。
繰り返し転送魔法を試みるのは、彼女が未だに混乱してるからなのか・・?」
真剣に考え込む三人の様子に、アユミは首を傾けて、素朴な疑問を口にした。
「なんで、そいつは直接玄関から入ってこようとか、思わないのかな?」
この世界で生きる人間からしてみれば、それはもっとも当たり前な思考だった。
いつだったか、彼らはその会話の中で、転送魔法というのは最も高度な技術の要する魔法の一つだと言っていたではないか。
何故、魔王の配下がそんな複雑な手段を、ただの民家の出入りのためだけに使うのか。アユミには理解できなかった。
「それには・・この因果律の壁の仕組みが関係してくるんだけど・・・」
そう言いながらちらりと視線を送ってきたエリオットに応えて、ピアが口を開いた。
「この因果律の壁は、私が作ったものです。私は、この因果律の壁を二層で成り立つよう設定しました。
表・・つまり、この家が外界に接する側を覆う因果律の壁と、その裏にあたる、この家の内部を覆う側にある因果律の壁。
今目の前にあるこの因果律の壁は、その二層でなりたっているわけです。」
ピアの言葉から、アユミはなんとなく、二枚重なった食パンを想像した。
今見えているこの因果律の壁は、因果律の壁二枚分の厚さがあるということになる。
「何で表と裏の二種類が必要になったの?」
「それぞれの因果律の壁に異なる設定が必要になるからです。
表側を囲む因果律の壁には、この家の中にいる異世界の人間たちを<この世界を監視する目>から隠す役目が。
裏側を囲む因果律の壁には、この家の中の空間を、我々のいるパラレルワールドの空間に近づけるための役目が必要となりますから。」
アユミの質問に、ピアはそう説明した。
相変わらず頭を抱えるアユミを見て、エリオットがこう付け足してくれた。
「つまり、外側の壁は<この世界を監視する目>から俺たちを隠すためにあって、
内側の壁は、俺たちがこの世界の因果律を壊そうとするのを防ぐためにあるんだ。
俺たちがこの世界に滞在する間はこの二つの壁が必要で、この壁の内側でなら、俺たちもこの世界の人々と同様に生活することができる。」
「このベランダも因果律の壁の内側にあるから・・今も平気なのね。」
アユミはようやく、彼らが平気でベランダに立てる理由に気づいた。
「そうだね。おそらく、外を歩く人たちが俺たちの姿に気づいたとしても、
この因果律の壁の内側にいる間は、この世界にいるごくありふれた人間が立っているようにしか見えない筈だよ。」
エリオットは眼下を歩く人々を見渡しながら、そう説明した。
「じゃあ・・皆がこの家から出たら、どうなっちゃうの?」
「一応、その際はピアが我々を覆う程度の因果律の壁を生み出してくれることになっている。
そうなれば今と同じように、見た目は、この世界の人間と変わらず、周囲に認識される筈だ。」
アユミの質問に、今度はカーティスが答えた。
「しかしながら、一人の人間がもつ空間が纏える因果律の壁の規模は知れてるからな。
その状態だと、多少なりとも、因果律に異常を起こしてしまうことになるだろう。
つまり、我々の今いるというパラレルワールドの要因が、この世界に僅かながら振りまかれることになる。」
「・・それが、どういう影響を及ぼすかは、実際外に出てみないとわからないんだけどね。」
カーティスに続いて、エリオットがそう苦笑した。
「・・それで、何故敵が扉や窓からの侵入ができないのかという理由ですが・・」
ここでピアが再び口を開く。
「扉や窓というものは、空間と空間を繋ぐ、境目にあたる要素です。
つまり、因果律の壁が最も敏感になってしまう場所。
この世界の人がこの家の扉や窓を使う分にはなんの問題もないのですが、我々と同じ異世界からの訪問者がこの家の扉や窓をくぐった場合、因果律の壁は混乱し、壁の部分的な破壊に繋がる小爆発を起こす可能性があります。」
「本来壁の内側にいるべき人間が外側にいる状態に、因果律の壁は耐え切れないんだ。かなり繊細なものだから。
因果律の壁をこの世界のキカイに例えるなら、本来の役目以外に使われたキカイが、エラーを起こして、ショートしちゃうようなものだよ。」
ピアの説明に、エリオットは手に入れたばかりの知識を使って補足してくれる。
「あー。なるほど。」
身近なものに例えられて、アユミはなんとなく理解できたように思えた。
「つまり、敵が扉や窓を使ってこの家に入ってきたら、因果律の壁は壊れちゃうのね。
そうしたら敵が<この世界を監視する目>に見つかり、消されちゃうと。」
アユミがそうまとめてみると、ピアは相変わらずの無表情で頷いて、続けた。
「もちろん、我々も条件は同じです。
異世界から来た人間は皆、因果律の壁に囲まれた扉や窓を使って出入りすることができません。
故に、魔法を使った、間接的な移動手段が必要になるのです。」
「だから、敵はこの家に入るために転送魔法を使わなくちゃいけないのね。」
アユミは納得して頷いたあと、思わず声を上げた。
「・・っちょ!じゃあ、因果律の壁がある限り、皆も外に出れないんじゃ・・?」
「それは大丈夫です。ここの因果律の壁は私が作ったものですから。多少の操作は可能です。
外に出る際は、因果律の壁に人一人通せる程度の空洞を作ります。」
アユミの疑問に、ピアはそう答えた。
「敵がこうした失敗をしてくれたおかげで、我々は自らの手で因果律の壁を傷つけるようなことをしなくて済んだわけだ。」
そう言うカーティスの横顔は、どこか愉快そうに見えた。
「そうとわかれば、我々も敵の目をかいくぐることができるな。」
カーティスの視線がピアの目を捉える。ピアは相変わらず無表情に頷いたが、その瞳には、親しい人のみが気づくような小さな煌めきが宿っていた。
「・・・?」
アユミとエリオットも互いに顔をあわせてみる。お互いのぽかんとした表情が確認できた。
どうやら、ピアとカーティスの思考範囲は、残り二人の付いていけない領域に行ってるようだった。
エリオットがその詳細を二人に問おうと口を開くその前に、
「決まりだな。」
カーティスが口を開いた。ピアはまた何も言わずに頷き、エリオットを見た。
次いで、カーティスの視線もエリオットを捉える。
「・・・え?」
二人の視線に戸惑うエリオットに向けて、カーティスは言い切った。
「エリオット。お前はアユミと一緒に、明日からは外に出るんだ。敵はきっと、アユミに近づいてくる。」
「・・は!?」
いきなり三人分の視線を向けられ、今度はアユミが戸惑う番だった。
・・敵を寄せ付けるのがよりにもよって自分だというのだ。
これは一体全体どういう理屈なのか、アユミには全く理解できない。
「な・・なんで?外に出るのは危険なんじゃ・・?」
もっともなエリオットの問いに、ピアが答えた。
「大丈夫。アユミさんがいる限り、敵は危害を加えることができません。」
続けてカーティスが口を開く。
「インフィニティは我々がこの家に転送されることを知っていたんだ。
彼女の入り込んだパラレルワールドがアユミに関連した存在である可能性が高い。
ならば決して、自らの手でアユミを傷つけるようなことができない筈だ。
入ったパラレルワールドの創造主を、内側から攻撃することなど出来るわけがない。」
「加えて、今回判明した、彼女の異常なまでのこの家に対する固執。
失敗するとわかっている筈なのに毎日転送魔法を試すほどの『焦り』は
我々を討つためのものと考えるよりも、彼女の入り込んだパラレルワールドの要因から、アユミさんに会わなくてはいけない理由があるのだと考えたほうが自然です。」
カーティスに続けてピアが説明する。アユミは思わず間抜けな声を出してしまった。
「ち・・ちょっと待って?それって・・敵は私の知ってる人のうちの誰かってことなの?」
「そういうことになるな。」
断定するカーティスの姿に、アユミは気が遠くなるのを感じた。
ポチが大賢者様だとか言い出したと思ったら、今度はアユミの知り合いが魔王の配下だと言うのだ。これでは、アユミの因果律は無茶苦茶だ。
「・・・もうどうにでもして。」
アユミの心からはそんな言葉が零れ落ちてしまっていた。
その場にしゃがみこんだアユミの足の下で、枯れた葉っぱがクシャリと音を立てた。