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八月六日、早朝である。
相変わらずうるさいばかりの蝉の声。鬱陶しい夏の暑さに囲まれた、平和にしか見えないとあるアパートの一室。
アユミは先程からずっと、台所で食材と格闘していた。
「俺も何か手伝うよー。なんかないの?」
今日もエリオットは心底嬉しいそうな顔でアユミに付いて回っている。
自分より頭一つ分は大きい図体をしていながら、子供のように無邪気なこの鎧少年と一緒に過ごす時間が、アユミは楽しかった。
「じゃあね、この野菜と肉、そっちのミキサーに入れてね。」
そう指示を出す。アユミの家にある電動ミキサーは、ボタンを押している間だけ容器の中の刃が回転する仕組みなのだが、これが今のところ、エリオットの一番お気に入りの機械らしい。それを知ってから、アユミはあえて、料理にこのミキサーを使う過程を取り入れるようにしている。
「わかった!任せて!」
ふにゃりと笑い、エリオットはアユミから野菜と肉の入った器を受け取った。彼はとにかく、この世界の機械を触れることが嬉しくて仕方がないらしい。
床に置いたミキサーの容器の中に、慎重に野菜と肉を入れていくエリオットの様子をアユミは微笑ましい気持ちで見つめた。
アユミは一人っ子だったから、こういうのは弟が出来たみたいで嬉しい。
いつも仕事で帰りの遅い母のために、アユミは一人で食事を作っていた。
料理中、誰もいないこの家はとても静かで、寂しいから、テレビをつけたり、ラジオをつけたりして誤魔化していた。
・・・こんな風に、誰かと一緒に料理ができるなんて、何年ぶりだろう。
アユミは父と一緒に暮らしていた頃のことを思い出した。
母に代わって台所に立つ父に、アユミはいつも付いて回っていた。
作業を邪魔してしまうこともあったのに、父は一度もアユミを叱ることはなかった。
それどころか、いつもニコニコ笑って、アユミの話を聞いてくれていた。
たまに、幼いアユミにもできるような作業を手伝わせてくれることがあった。
大半は小麦粉をこねたり、卵をかき混ぜたりするような簡単なものだったが、
当時のアユミにとってはどの作業も難しくて、力いっぱい頑張ってしまった。
結局それで大半の具が飛び散ってしまって、食材を台無しにしてしまうことも多かったが、
どんな時でも父はアユミを誉めてくれた。父と一緒に料理をする時間は、幼いアユミにとって至福のひと時だった。
だから、父のいなくなった今も、アユミは料理が好きだ。
――小さい頃の私も、こんな感じだったのかな?
そんなことを考えてたら、床に座り込んでいたエリオットと目があった。
「どうしたの?俺、なんか間違えた?」
急に不安そうな声を出すエリオットを、可愛いと思った。
ゴツイ鎧を着てはいるが、この少年自身からは、むしろ繊細な印象を感じる。
青い瞳はいつも無邪気に輝いていて、赤茶色の髪は見た目にも柔らかそう。
そんな、思わず守ってあげたくなるような要素を持ってる癖に、鎧から覗いて見える彼の両腕は、細身ではあるものの、硬い筋肉に覆われていて、やっぱりこの人は戦いの中に生きる人なんだな、と思わせた。
「なんでもないよ。」
アユミは笑ってそう言った後、ふと思いついて、疑問を口にした。
「ねぇ。エリオットさんたちは、食事は摂れないの?」
「え?別に摂る必要はないよ。」
きょとんとした表情で自分を見上げてくるエリオットに、アユミは首を横に振って言った。
「いや、折角こうやって一緒に作ってるからさ。一緒に食べれたらもっといいな・・って思ったの。」
「ああ。そういうことかぁ。」
納得いった表情でエリオットが笑う。
「食べることは可能なんだけど、異世界の食べ物が、俺たちの体内でどう変化するかわからないからね。
無警戒に口にするのは危険かなって思われてるんだ。」
「そうかぁ・・」
残念だな、と肩を落とす。
「でも俺、手伝わせてもらえるだけで楽しいから!」
焦点のずれたフォローをしたエリオットに、良かった、と笑ってみせてから、アユミも自分の作業に戻った。
突然異世界から現れた勇者パーティが家に滞在することになり、
驚くことも、慣れないことも多かったが、アユミにとって、そんな渦中のオアシスは、エリオットの存在だった。
カーティスやピアはいつも小難しい顔をして、気楽に話しかけるのをためらう雰囲気があったが、エリオットに関して、そういう心配は不要だった。
彼は気さくで、明るく。この世界やアユミに純粋な好意をもって話しかけてくれるので、アユミにとって一番話しやすい存在になっていた。
この数日の大半の時間、カーティスはゲームの研究のため、母の部屋に篭ってるし、
ピアはベランダにあるらしい因果律の壁と睨めっこしている。
必然的に暇な時間を持て余すアユミの相手をしてくれてるのは大体エリオットだった。
なので、エリオットとは随分仲良くなれたと思うのだが、他の二人との距離は相変わらず縮まらない。
「ねぇ。皆って歳は幾つくらいなの?」
なんとなく、他の二人の情報が知りたくなって、聞いてみる。
「んー?俺たちの世界とこっちの世界じゃ、時間の数え方が違うかもしれないけど・・一応、カーティスもピアちゃんも十八歳だよ。」
「へぇ!結構若い。二人とも落ち着いてるからもっと歳上だと思った!」
フライパンに油を引くのを一旦止めて、アユミはエリオットを振り返った。
「だよねー。二人とも、若いけどそれぞれの道で名を上げた人たちだから。他の同年代の人とかと比べると、やっぱり違って見えるんだ。」
どこか誇らしさを滲ませた声で、エリオットが言った。
「うんうん。オーラがあるというか。近づきがたいというか。」
「あはは。確かにちょっとそういう感じあるかもね。でも本当に良い人たちだから、仲良くしてくれると嬉しいな。」
「そうだねぇ。早く仲良くなりたいなぁ。」
溜息混じりで、アユミはフライパンに向かい直した。
「アユミちゃんは?何歳なの?」
後ろから投げかけられた問いに、コンロの上でフライパンを傾けながら答える。
「んー。十六歳だよ。エリオットさんは?二人と一緒?」
そう言った後、しばらく待っても何の返事もないことに気づいたアユミは、再び、エリオットを振り返った。
ミキサーから手を離して、何か考え込むように俯いた彼の姿があった。
「・・どうしたの?」
心配になって声をかけると、エリオットは小さく息を呑んで、アユミを見上げた。
「あ・・いや・・。そうか、同じだったんだね。俺も十六歳。」
戸惑ったようにそう笑う。どうやら、その事実は彼にとってショックなものだったらしい。
「そうなんだ・・。エリオットさんもかなり大人びて見えると思うよ?」
「うん・・。そうだと・・嬉しいな。」
フォローするつもりで言ったアユミの言葉に、エリオットはあまり嬉しくなさそうな声で答える。
ちょうどその時、油の焦げる音が聞こえたので、アユミは慌ててフライパンに向き直った。
なんとなく、話題を変えたほうが良い気がして、わざと明るい声を出した。
「じゃあさぁ。エリオットさん、ピアちゃんのことはどう思う?」
「へ?」
虚をついた質問に、背後のエリオットが固まる気配がした。
「だってさ。ピアちゃんって凄い美人じゃん?
一緒に旅してきたんでしょ。ここだけの話、なんか思うとこあったりしないの?」
ちゃかすようにそう尋ねてみる。勇者とはいえ、エリオットだってそういう年頃の筈だ。
この手の話題なら、食いつきもいいんじゃないかと思っていたのだが・・
「・・・。」
・・あれ?返事がないぞ。
アユミは思わず振り返った。
今度は先程と違って、耳まで真っ赤になりながら、金魚のように口をパクパクさせたエリオットの顔が見れた。
「ありゃ・・ま。」
どうやら、彼は結構な純情者だったようだ。アユミは自分の不躾な質問を反省せざるを得なかった。
「いや・・あの。ピアちゃんは、違うから。
幼馴染だったんだ。小さい頃は家が近くて、一緒に遊ぶこともあったけど、
でもピアちゃんは天才だったから、直ぐに国家職員を教育する学校に入れられちゃって・・
それでそれっきり。今まで会う機会もなかったし。」
まるで言い訳でもするみたいに小声でまくし立てるエリオットに、そうかそうかと頷いて相槌をうつ。もうこの話題は簡便してあげようと思った。
「そうかぁ。じゃあ今回の旅で一緒になったのはたまたま?」
「うん。偶然だったんだ。俺は驚いたけど。ピアちゃんが俺のこと覚えてたのかどうかはちょっとわからないな。」
色恋沙汰から話題が逸れて、少しほっとしたように、エリオットが笑った。
「ピアちゃんは大賢者様からの指示を受けて、この旅に同行することになったらしいんだ。
彼女は国内最年少の国家的研究職員だからね。本当だったら、俺が会うこと出来ないくらい、凄い人なんだよ。」
「へぇ!」
思わず、アユミはエリオットの後ろにある食器棚越しで、リビングのテーブルを見た。
ピアは今、そこで昨日の報告書や、建物の外観の写真と睨めっこしていた。
恐らく、こちらの会話内容には気づいていないだろう。
「もしかしなくても、ピアちゃんってお偉いさんなんだ。そりゃそうだよね。勇者の旅のお供だもん!
・・・ってことは、カーティスさんも?」
「うん。カーティスはもっと凄いよ。
カーティスの家は代々、王室に仕えているんだ。
その一族の中からは多くの大臣も輩出しているくらい、優秀な家系でね。
カーティスはあの若さで、一族の長の身分を与えられた、凄い奴なんだ。
いつも自分のことを王室の便利屋だとか、雑用係だとか言ってるけど・・
この旅が成功すれば・・カーティスは正式に大臣に選ばれるんじゃないかな。」
まるで自分のことを話すみたいに、自慢げなエリオットの口振りに、アユミは興味を持って尋ねてみた。
「勇者に選ばれた上に、そんな凄い二人をお供にできるんだもん。
やっぱりエリオットさんも凄い剣士だったんだよね?」
当然、誇らしそうなエリオットの返事が聞こえるものだと思っていた。しかし・・
「・・全然。剣士といっても、少し剣技を学んだことがあるくらいで、
試合なんて殆どしたことがないし・・
カーティスもピアちゃんも、俺が不甲斐ないからお供に選ばれたんだと思うよ。
俺は、魔王を倒すには力不足なんだ。」
エリオットの声は暗かった。
思わず、その瞳を覗き込んだアユミに向かって、エリオットは気まずそうな笑いを浮かべた。
「あはは。ごめんね。なんか俺、こっちの世界に来てから弱気になっててさ。
不思議なんだ。向こうにいたときには、こんな風に考えたことなかったのに。」
・・なんでだろうね。もっと自分に自信もってた筈なんだけどね。
エリオットは、まるで自分自身に言い聞かせるように、そう呟いた。
「仕方ないよ。だって、知らない場所に居るって、それだけで不安になるじゃない?
エリオットさんの場合、知らない場所どころか、知らない世界にいるんだもん。
弱気にならないほうが、不思議なくらいだよ。」
これで慰められるとは思えないが・・アユミは言ってみる。エリオットは少し驚いた顔をした。
「そうかな・・?だって、俺と同じ立場なのに、ピアちゃんもカーティスも、平然としてるし。
俺ばっかり弱気になってて、情けなくって・・」
「確かに。あの二人は落ち着いてるよねぇ。」
そう言いながら、アユミはエリオットの手から、野菜を砕き終えたミキサーを受け取る。
「でも、ピアちゃんだって、表情に出ないからわからないだけで、
本当は不安なのかもしれないし・・
カーティスさんは過去に異世界旅行を経験してるから今は落ち着いていられるだけで、
やっぱり一番最初に異世界に行ったときは不安だったと思うし・・
私は、エリオットさんが弱気になるのは、普通だと思うなあ。」
自分だって、エリオットと同じ立場だったら、やはり不安でしかたがなくなると思う。
勿論、実際に経験があるわけではないから、想像できる範囲での仮定なのだが・・
自分の本来いた世界から離れてしまうのだ。その時に感じる孤独感は、ホームシックとよべる範囲を軽く上回るのであろう。
「本当にそう思う?」
エリオットの問いに、ミキサーでみじん切りにした野菜をフライパンに移しながら答える。
「思う!私だってエリオットさんと同じ立場になったら、凄い弱気になると思うもん。
私もエリオットさんも同じ歳でしょ。だからこれが一般的十六歳の反応なんだって!」
根拠はないけど力強く言ってみる。フライパンの上の野菜がジュウと香ばしく跳ねた。
少し間があいて、エリオットは言った。
「そうか・・そうだよね。これが普通なんだよね・・」
心なし、嬉しそうな声色だった。普通を強調したエリオットの言い方を、アユミは深読みせずにはいられなかった。
もしかしたら、エリオットは普通であることに飢えているのかもしれない。
「ありがとう。アユミちゃんに話して、楽になったよ。」
アユミの後ろから、エリオットは言った。アユミには、エリオットの表情まで見えないが、きっと、いつもの無邪気な笑顔を取り戻しているのだと思う。
「この家にいる間くらいはさ。普通のエリオットさんでいなよ。勇者とか関係なくさ。」
フライパン上での作業を休めずに、冗談交じりな口調でそう言ってみる。
「それは困るな。」
そして帰ってきた言葉は、エリオットのものではなかった。
アユミは慌てて振り返る。戸惑うエリオットの横に立っていたのは、将来大臣候補だというカーティスその人だった。
「アユミ、トウヤへの指令内容を変更してもらいたい。こちらに来てもらえるか?」
断れるわけがない。アユミは無言で頷いた。
コンロの火を一旦消し、エリオットと共にリビングへ向かう。
カーティスに促され、エリオットはカーティスの隣の椅子へ、アユミはピアの隣のソファに腰掛ける。
ここ最近、テーブルに着く際はこれが定位置になっていた。
「トウヤさんを利用した探索の件ですが・・
少し彼の活動範囲を広げてもらいたいと思うのです。」
HNトウヤを利用した探索は、昨日は周辺の様子を観察してもらうだけに留めた。
勿論、今日も昨日と同じように活動してもらうつもりだった。
しかしピアは、その報告だけでは敵の居場所の手がかりが得られないというのだ。
「それって・・つまり、敵の居場所を突き止めるための作戦があるってことよね?」
「そうです。」
ピアは頷くと、一枚の紙を広げた。そこにはピアの手書きであろう、地図が描かれていた。
「・・・これは・・うちの周りの地図?」
アユミは地図を指先で辿りながら確認する。
描いてある文字は読めないが、中央に赤い印がつけられている建物がこの家なのだろう。
近所のコンビニに、立ち並ぶ民家。アユミの通う学校まで、丁寧に記されていた。
「こちらのベランダから見える範囲なのですが、地図に描き起こしてみました。」
ピアから視線を送られ、カーティスが口を開いた。
「・・ピアは、その地図の範囲に敵が潜んでる可能性が高いと考えてるんだ。」
「どういうこと?」
ピアの描いた地図を見つめたまま、エリオットは尋ねた。
「敵はこのベランダに向けて移動魔法を放っていました。
移動魔法を発動させるためには、移動先の場所を強くイメージしなくてはなりません。
そしてそのためには、移動先を直接目視しながら呪文を唱える必要があるのです。
よって、敵はこのベランダが見える位置から呪文を唱えていた可能性が高い。」
「つまり・・逆に考えれば、敵はうちのベランダから見える範囲で魔法を使ったってわけなのね?」
アユミの言葉に、カーティスが頷いた。
「そういうことだ。加えて、魔法の種類によって多少の差はあるものの、
魔法の発動というものには必ず光が伴う。道端で行っては、確実に人目をひくだろう。
敵は、魔法の発動の際適当な建物の中にいたと考えるのが妥当だ。」
そう言い、カーティスは地図に目を落とす。
「条件は、この家のベランダが目視できる範囲の建物だ。
トウヤへの指令には、この範囲の建物の観察も加えてもらいたい。」
「でも・・敵がまだその建物の中にいるとは限らないんじゃない?
魔法の発動のときだけそこに入っただけで、住んでる場所は別の場所かもしれないよ?」
アユミの疑問にはピアが答えた。
「それでもいいのです。
敵がこちらに向けて魔法を発動させた位置を知ることができれば、我々にも敵への対処の仕方がわかります。」
そう言い、ピアはアユミに一枚の紙切れを渡した。
正方形で、アユミの手のひらに収まるサイズの小さな紙。
その紙の中央には複雑な文様の入り組んだ円形の魔法陣と、それを貫くように描かれた、一本の矢印。
「我々の世界のマナとこの世界のマナは種類が違います。
敵が魔法を発動させた場所には、未だに流れることなく、我々の世界と同じマナが残っている筈です。
この魔法陣は、その残ったマナのありかを教えてくれます。」
「へぇ・・。」
本物の魔法陣というものを目にするのは勿論初めてだった。
アユミは掌に乗った小さな紙切れをマジマジと見つめた。
「アユミ、その紙をどうにかしてトウヤに渡して欲しい。
それを持っていれば、トウヤは敵が魔法を発動させた建物を見つけることができる。」
カーティスの言葉に、アユミは少しだけ考えると言った。
「了解!任せてくださいよ♪」