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■■第八章■■
自室にあるパソコンの前、アユミはプリンターが吐き出した用紙を一枚手に取った。
印刷された絵の画質にさほど問題がないことを確かめ、引き続き画像のデータをプリンタに送信する。
「・・・何か、手がかりが見つかればいいんだけど。」
プリンタの作業状況を表すタスクバーを見つめながら、アユミは呟く。
――インフィニティ。
それがエリオットたちの探している魔王の配下の名前だった。
『どう考えても、こんなことができるのは奴しかいない。』
エリオットの言葉に、他の二人も頷いていた。
話を聞く限り、インフィニティとは魔王の生み出した魔物なのだという。
『魔王の産み落とす進化の卵から生まれた魔王の唯一の配下。それがインフィニティなんだ。』
『進化の卵って?』
カーティスの言葉に問い返すアユミ。ピアが代わりに説明してくれた。
『そもそも魔王は、力の弱い獣の姿の魔物でした。
しかし、その魔物は自らの死に際に一つの卵を産み落とす習性がありました。
この卵は約一年程で熟成され、新たな魔物が孵ります。
新たな魔物にはその卵の母体であった過去の魔物・・つまり、過去の魔王の全ての能力と知識が引き継がれました。
魔王は新たな生を手に入れるたびに、その力を増していった。こうした理由から、我々人間は、魔王が生み出す卵を進化の卵と呼んでいるのです。』
『へぇ。それじゃあ、魔王って永遠の命を持ってるようなものなんだね。』
アユミの言葉に、ピアは頷いて続けた。
『その通りです。そしてそれが全ての魔物の王と呼ばれる所以。
我々の所属する王国では、魔王は国の象徴として国旗にも描かれています。』
――ん?
ピアの言葉にアユミは頭をひねった。今のピアの説明じゃ、まるで魔王は人間たちに好かれているように聞こえた。
『ちょっと待って!魔王って・・悪い奴なんだよね?』
『・・いや。魔王は今でこそ我々人間の敵として君臨しているが、本来、魔王は王国が指定する、最重要保護魔物の一種だった。
魔王は国民に・・特に王族に愛されるべき生物だったんだ。』
『ええ!?』
カーティスの言葉に、アユミは驚きの声をあげるしかなかった。
だって・・だって魔王だよ?世界の魔物を統一し、人間を滅ぼそうとするような基本設定がある名称だよ?
またしても、ここにゲームの世界での認識と異なる箇所があったようだ。
彼らのいう魔王とは魔物の王様的な存在感がある存在だというだけで、実際に魔物を統治するような勢力をもつものではないらしい。
つまり、こちらの世界でライオンを百獣の王と呼ふのと同じ意味なのだろう。
『本当はね、魔王は王室で飼われている・・ペットみたいなもので。性格自体も大人しいほうだったんだ。
それが突然様子が変わって・・国全体に協力な呪いをかけ、城から逃げ出したんだ。
人々は原因不明の病に次々と倒れていった。その呪いは王室の人間にももたらされて、国は今混乱状態に陥ってる。
俺たちは一刻も早く、魔王を倒さなくてはいけない。魔王を生かしておくことは、国民が決して許さないから・・」
苦い顔で、エリオットはそう教えてくれた。
『ふぇ・・そういう能力があるところがやっぱり魔王だね。怖いや・・』
ちょっと寒々しい心持がして、アユミは肩を竦める。
『城を抜け出す直前に、魔王は一つの進化の卵を産み落としたそうです。
王室で働くものがその様子を見ていたのですが・・
魔王は産卵後にも関わらず命を落とすことはなく、卵もその場で直ぐに孵ったのだといいます。
そこから生まれたのは、美しい女の姿をした魔物で、
その魔物は魔王を抱きかかえるように、城の窓から空へ消えて行ったのだそうです。』
ピアの説明にカーティスが続けた。
『魔物のなかでも人型の魔物は上級の力を持ち合わせるという。
進化の卵が魔王以外を生み出したのは歴史上例の無かったことだ。』
『謎の多い魔物・・インフィニティが最初に俺たちの前に現れたのは、俺たちが旅の途中に寄った宿で休んでいた時だった・・。』
そう言うと、エリオットはその目で遠くを見つめ、続けた。
『その時、俺は自分の部屋にいた。
旅の話し合いをしていたから、カーティスとピアちゃんも一緒だった。
外で風の音が随分うるさかったのを覚えているけど、その風が、突然部屋の窓を開けたんだ。』
開け放たれた窓からは、数枚の緑の木葉が舞い込んだのだという。
エリオットは窓の向こうに、若く美しい女性の姿を確認して、驚いた。
その部屋は二階にあり、湖沿いに建っていたその家の窓の向こうは、切立った崖だった。
人間がそんな場所に立っていられるわけはもちろんなかった。
――何者だ!?
エリオットが問うと、その女性は美しい微笑みを湛えて言った。
――私の名前はインフィニティ。魔王の娘。
魔王の命に従い、貴方たちに、魔王の居場所を教えにここに来た。
『凄まじい力を感じました。彼女の周囲に散らばるマナが、彼女の力に引き付けられて、辺りを黄金色の光で包んでいました。』
聞いていれば美しく思えるその光景に、ピアは恐怖を感じていたのだろう。そう言う彼女の顔はどこか青ざめて見えた。
そのピアの横で、同じく顔色の悪いカーティスが、俯いて口を開いた。
『インフィニティは言った・・魔王は魔の森を制圧し、そこにいた魔物を配下に加えたのだと。
そして今、大勢の魔物を大賢者様の塔へ向かわせているのだという。
大賢者様の塔には魔力の増幅にまつわる、この世の全ての道具が揃っている。
その塔を奪い、そこを魔物たちの拠点として、この世界を支配するのが目的だ。』
続いてエリオットも口を開き、語った。
『魔王を倒すためには、大賢者様の力がどうしても必要だった。
俺たちは魔王の手から大賢者様を守るために、急いで大賢者様の元へ向かった・・
しかし手遅れだった。先に魔王はそこに多くの魔物を送り込んでいて、そして・・』
後は言わなくてももうわかる。
すっかり弱気になってみえるエリオットの姿は、可愛そうでアユミには見ていられなかった。
エリオットは魔王が怖いのだ。勇者という肩書きに、彼は心を折られている。
『魔王は異世界の存在を理解できるほど賢くなかった筈なんだ。
なのに、そこにある転送魔法陣は魔王の手で描かれたものだった。
魔王は新たな進化の卵を産んだことにより、また何かしらの進化を遂げ、転送魔法陣を描けるほどになったのか・・
もしかしたら、その転送魔法陣を描いたのはインフィニティなのかもしれないんだ。』
そう言うと、エリオットはその不安そうな瞳をカーティスに向けた。
『インフィニティは魔王の進化の卵から生まれた、唯一魔王と別種の魔物だ。
しかし進化の卵の特性上、彼女は魔王の分身であると考えられる。
彼女が描いた魔法陣と魔王が描いた魔法陣の鑑定結果が一致する可能性は充分ある。
とにかく、彼女には謎が多い・・。明らかなのは彼女がとてつもない力を秘めているということだ。
そして、彼女程の力があれば、異世界移動の理論に関係なくとも、この世界で自我を保つこともできるだろう。』
カーティスの言葉に次いで、エリオットが苦く言い切った。
『魔王の配下の魔物のなかで、この世界に来ることができるのは彼女しかいないんだ。』
だから、アユミは今、トウヤの力を借りて、このインフィニティという魔王の配下を探している。
「それで、撮ってもらった写真がこれなの。」
アユミはトウヤの撮った写メをパソコンで拡大し、印刷した紙をテーブルに広げた。
時刻は17時を回っている。日はまだ明るいが、今このリビングに顔を揃えてる全員にとっては、もう既に、ようやく長い一日が終わったという感覚だった。
「写真か・・こっちの世界ではこんなに簡単に撮れるんだね。」
エリオットは目の前に並べられた五枚の画像に感動していた。
エリオットたちの住む世界にも、撮影という技術はあったが、まだ歴史は浅く、時間と技術の問題で、写真自体があまり一般的とはいえなかったし、こんなに短時間に何枚も撮影することは不可能だった。
そんなことで感動しきっているエリオットを横目にカーティスは、初めてみるこの家の外観に、何かおかしなところはないかと、手に取った一枚を丁寧に見ていた。
アユミはピアの隣のソファに腰掛け、トウヤから届いた周辺の観察記録を読み上げる。三人は、それぞれ写真に集中しながら、それを聞いた。
「・・って、わけですよ。今日の収穫は以上なんですが。これで何かわかることはあるのかな?」
少し気の抜けた声で、アユミは問いかけた。
正直、そこに提出したデータはアユミが思っていた以上に平凡なものだった。
――まぁ。そりゃそんなに簡単に怪しい影なんか写らないか・・。
溜息をつく。しかし、そんなアユミとは対照的に、目の前の三人は真剣な表情を崩さなかった。
「ピア、お前は今後、その観察記録をアユミから聞いて、別用紙にまとめていってもらえるか?
まずは何度もこの周辺に現れる人物を探そう。奴はあくまで、一般人に紛れて俺たちを観察してる筈なんだ。」
画像から目を離さず、カーティスは言う。
「了解です。」
ピアは頷いた。
「ねぇ・・カーティス、これって・・。」
ふと、エリオットが手を上げて画像の一部を指差した。その画像はこのアパートの外観、つまりベランダ越しにアユミの家を写した写真を拡大したものだった。
「どうかしたか?」
カーティスがエリオットの横から覗き込む。その横からピア、そして思わずアユミも連なった。
「このガラス戸の枠・・ちょっと歪んで見えない?」
エリオットの指の先にあるのは、ポチの小屋の奥に見えるガラス戸・・台所の奥とベランダを繋いでいる扉だ。
そしてそれは確かに、エリオットの言う通りの違和感があった。
本来真っ直ぐな筈のそのガラス戸のアルミ枠が、僅かだが飴細工のように捻れているのだ。
「・・・本当だ。こんな一箇所だけ歪むなんて、陽炎にしては・・変だよね?」
アユミが呟く。
「ここに因果律の壁ができてしまっているからでしょうか。しかし、普通なら因果律の壁は見た目に影響を及ばさない筈・・」
ピアは不思議そうに言う。ふと思いついたようにエリオットが顔を上げた。
「そこに因果律の壁があるから歪んで見えるんじゃなくて・・逆に部分的に因果律の壁が壊されたから、そこだけ歪んで見えるとか、そういう発想の転換はできないかな?」
「・・・なるほど。しかし、あえて因果律の壁を壊そうとした意味がわからないな。
因果律の壁を破壊すれば、確かに我々の存在は<この世界を監視する目>に見つかりやすくなる。
しかし、その前に確実に、壊した当人がこの世界から始末されるだろう。
異世界移動の知識があるものにとって、因果律に害を与えることが禁忌なのは常識だ。」
カーティスはそこまで言うと、眉根を寄せ、自分の考えをまとめるために再び、口を開いた。
「因果律の壁を破壊するのではなく、因果律の壁を越えようとして無理矢理空間を歪めた奴がいる。そっちのほうがありえる話だ。」
カーティスのその言葉に、ピアは息を呑んだ。
「つまり、この家の中に入るために、転送魔法を使った相手がいるということですか?」
「ありえないか?」
そうカーティスに視線を向けられ、ピアは僅かに眉を潜めた。
「ありえません。魔法の発動に私が気づかない筈がない。」
そう答えるピアの様子には、若干苛立ちが感じられた。
このピアという少女、魔法や魔術に関することに、結構高いプライドを持っているようだ。
「だったら、こう考えたらどうだ。この家の中に入るために転送魔法を使おうとした相手がいた、と。」
カーティスのこの説に、ピアは目を見開いた。
「使おうとした・・?つまり、魔法を発動させようとして、発動できなかったということですか?」
「そう。因果律の壁について研究を進めている学者から、一度だけ聞いたことがある。因果律の壁は、外部からの移動系魔法を弾く可能性があると。」
淡々と語るその様子に、ピアは自然と息を呑む。
「・・・その説は、聞いたことがあります。断定に繋がるような実験結果は出ていませんが、
移動先の異世界の種類によっては、移動系魔法の発動に連鎖する空気中のマナの動きと因果律の壁が纏うマナの動きが、類似している場合があると。
マナ同士が衝突し、魔法が無効化される事故が起きやすい状態になると・・・」
「事故・・か。もしかしたら、この世界だと、因果律の壁と転送魔法の衝突が起きてしまうのかもしれないな。」
途端、ピアとカーティスは同時に考え込むように黙り込んだ。
「・・・へぇ。」
一方、エリオットはきょとんとしていた。話が高度になりすぎて、付いていけなくなっていたのだ。
「・・・ぐぅ。」
アユミに至っては、半分夢の世界だった。
一日張り詰めていた緊張が解けたころに、この難解なトークが始まったのだ。誰も、彼女を責めることはできないだろう。
会話に没頭する自分たちを包み込む淀んだ空気に気づいたらしい。
ここにきて、カーティスがようやくアユミとエリオットに視線を向けた。
明らかに話に付いていけなくなっていた二人の姿がそこにはあった。
アユミの様子はともかく、エリオットが理解できないのはマズイと感じたカーティスは、エリオットに向かって、極力解りやすく説明した。
「俺とピアが話しているのはつまり。この写真に写っている窓枠の歪みの正体が、因果律の壁に魔法が衝突してしまった事故の跡だということだ。」
「あ・・ああ。そういうことか!」
ようやく話が理解できたエリオットは笑顔を零した。
「衝突事故ね。ということは、やっぱり今、因果律の壁は傷ついてるの?」
「そういうことになるな。傷の状態を調べれば、奴の元へ続くような、手がかりがみつかるかもしれない」
二人の視線はピアを向いた。ピアは静かに頷くと言った。
「時間は掛かるかもしれませんが、調べてみます。傷の修復も任せてください。」
抜け道の見えない状態からの脱出。三人はようやく今、それを実感した。
「・・アユミちゃんの作戦のおかげだね。」
しみじみとエリオットが言う。しかしアユミは、自分が役に立てたことにも気づかないで、相変わらず夢の中を漂っていた。