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■■第七章■■
八月五日、その日も無事朝を迎えた。
「・・本当に、危険な賭けなんだがな。」
悩み疲れた様子でカーティスがぼやく。アユミは落ち着かないのか、先ほどからリビングをウロウロしてるし、
エリオットは、緊張してるのか、困ってるのか判別し辛い表情を浮かべて、アユミを目で追ってる。
――なるようになるしかない。
ピアはもう、覚悟をしていた。
二日前の話だ。その前日から引き続き、ゲームの世界とやらについて勉強会を設けていたピアたちを、アユミはリビングに集めて、非常に奇抜な企画を発表した。
どうやら、アユミには一度も会ったことのない友人がいるらしく、その友人に魔王の配下を探し出してもらうつもりだというのだ。
「その人は私のことを殆ど知らないから、その人から私の情報が漏れる心配はないわ。
加えてその人は大人の男性だし、通ってる大学から察するに、頭もいい。」
当然、カーティスは反対した。
「無茶だ。その相手にどうやって現状を理解してもらうつもりだ?
作戦を立てるにしろ、結局一度はアユミと顔をあわせる羽目になる。
この家に相手を呼ぶことは以前も言った様に無意味だし、アユミ自身が相手の元に向かうのは、ただ危険なだけだ。
もし上手く話し合いが進められたにしろ、その男がアユミのことを知らないまま、作戦に加担することは不可能だろう。」
ピアから聞いても頷けるカーティスの理論。反論の余地はないように思えたが、意外にも、アユミの瞳は待ってましたとばかりに輝いた。
「この世界の人間にはね、メールとインターネットという便利なものがあるのよ!」
自信満々に、彼女は言った。そして、メールとインターネットとやらを知らないピアたちに、丁寧にそれらを説明してくれた。
「つまり・・この世界では直接会うことなく、相手と連絡を取れる手段は溢れていると。」
「へぇ!凄いや!」
カーティスと対照的に、エリオットは素直に驚きと好奇心を剥き出しにした。
エリオットはこの数日間、この家で暮らしているうちに、この世界でしか見ることのできない「キカイ」というものに、興味を持つようになっていた。
それは単に、彼がまだ、少年らしい好奇心を持ち合わせているからなのだろう。
見るもの全てが珍しくて面白いらしく、よくアユミの後をついて行っては、彼女が家にあるキカイを動かす姿に歓喜していた。
この世界を純粋に楽しんでいるエリオットはピアにとって眩しい存在だった。
「我々の世界で便利さを求めた結果、魔道や魔術が発達したように、この世界にはこの世界の便利を追求した技術があるのですね。」
ピアも、表情には出にくいが、アユミの話しに驚いていた。
直接顔をあわせずに相手と連絡を取り合う方法といえば、彼女たちの世界にはテレパシスというというものがあったが、これは魔力を用いてマナを振動させ、
特定の相手の脳に直接語りかけるというものだった。
よって、この方法は、ある程度レベルの高い魔術師であれば、容易に盗聴することができた。
ピアはここでアユミに、自分の考える不安を伝える。
「大丈夫!相手に盗聴なんてできるわけないんだから。」
やはり自信たっぷりに、アユミは答えた。
「メールはね。文字を使った遣り取りなの。
貴方たちの誰も、この世界の文字を読めなかったじゃない。
魔王の配下だって同じだと思うの。文字をつかった遣り取りりじゃ、例え盗み見たとしてもそいつには理解できないわ。」
アユミはその事をピアが漫画本を眺めている姿を見て思いついたらしい。
確かに、ピアには勿論のこと、人並み筈れた学習能力を備えるカーティスにすら、この世界の文字は難解で、理解できなかった。
この世界の文字はまるで迷路のように複雑な記号があったかと思いきや、ただの横線を一文字と数えたりもする。
これならば確かに、魔王の配下にとっても難解だろう。ピアにはアユミの案はとても良いものに感じられた。
それはエリオットも同じらしく、三人の視線は自然とカーティスに集中する。
「・・・う・・ん。」
彼は珍しく、戸惑った声を出した。反論の余地が見つからないのだろう。
「しかしそれはつまり。我々の問題にアユミが巻き込まれる可能性が高くなる。
その顔も知らない相手とやらもそうだ。その覚悟はできているのか?」
苦し紛れなカーティスの言葉に、アユミは嬉しそうに頷いた。
「勿論よ!それに、私と、その友達の危険を避けるために、良い方法を考えたの!」
そう言った後、アユミはいつの間にそこまで考えていたのかと舌を巻いてしまう計画を語り始めた。ピアたち三人は、もう、黙って彼女に頷くしかなかった。
そして今日が遂に作戦決行の初日。例のアユミの友人がこの付近に初めて近づくことになっている日だった。
ここまで来てもピアたちには、アユミの友人が本当に信頼できる人間なのか、確証する術はなかった。それどころか、その友人に対する指示ですら、アユミに一任する形になってしまっている。これでは、カーティスの顔色が悪いのも頷けるだろう。
目の前のこの平凡な少女は今も、我々のために、我々の見えないところで活動している。その状況は、やはり不安を掻き立てられるものだった。
アユミは先ほどから朝食代わりのミルクを注いだコップを持っているが、見た感じ、それに口をつけた様子はない。アユミも不安なのだ。
本来ならば、この決行の日は、敵の目を欺くためにも、極力普段どおりの生活を保ちたかった。しかし、今見たところ、それが可能なほど余裕のある人間は誰一人として、いない。
刻々と時間だけが過ぎていき、気がつけば昼も過ぎたころ。
――ピピピッ♪
「!!!」
アユミの持つ、ケータイと呼ばれる小さなキカイが鳴った。
三人の視線が一気にアユミに集中する。そんな三人の前で、アユミは震えながら、今しがた着信した文章を目で追っていた。
今、作戦が始まったのだ。ピアは祈る気持ちで、彼女の固くケータイを握り締めた右手を見つめていた。
■■■■
日差しが温かさを増した頃、トウヤの乗るバスはようやく故郷に辿り着いた。
トウヤはアユミに、今地元に到着した旨をメールする。
アユミとは、この三日の間に大量のメールを交換していたが、そのどれもがまるで謎かけのように曖昧で、意味深なものだった。
トウヤが人探しの件を了解すると、少女から感謝の言葉と共に、奇妙なルールを提示した文面が届いた。
『まず、トウヤさんに私の本名を教えます。
石川亜由美といいます。HNは本名です。
トウヤさんは私に本名を明かす必要はありません。
また、面倒くさいかもしれませんが、今後も連絡はメールのみで行ってください。
電話は、声を聞かれるととても危険なので、番号は教えません。』
・・実に奇妙なことを言う少女だ。
トウヤは首を捻った。これで少女が彼を口説き落とすつもりでないことだけは確かになった。
少女はトウヤ以上に、相手と距離を置きたがった。
その様子は明らかに異常で、トウヤは少女の現状の事件性について真剣に考えることにした。
『TO:アユミ
SUBJECT:了解
それだけ深刻な問題なのであれば、条件は守ります。
ところで、我々は顔つき写メの交換が必要ではありませんか?
俺はアユミさんの顔をあまりはっきりは知らないし、
アユミさんにいたっては、俺の顔なんて見たこともないでしょ。
お互いに認識しておく必要はあるんじゃないかな?』
トウヤのメールに、アユミは相変わらず早い返信をした。
『FROM:アユミ
SUBJECT:Re>了解
真剣に話を聞いていただきありがとうございます。
先程の条件を守らなければトウヤさんの身の危険に関わる可能性があります。
巻き込んでしまってすいませんが、充分に気をつけてください。
そして、写メの件ですが、これは現段階で不要です。
むしろ、お互いの顔を知らないほうが都合がいいのです。
私たちは、もしたまたますれ違うことがあったとしても、他人の振りができなくてはいけません。
最初からお互いの顔を知らなければ、その演技も自然にできるでしょう。』
・・・またしても奇妙な話だ。
トウヤはこの事態に、今まで身体の奥底に放置していた好奇心という本能が、ドクドクと脈打ち始めたのを感じた。
――ピピピッ♪
先程到着したことを告げたメールに、少女からの返信がきたようだ。
「・・・バス停を降りて・・公園のあるほうに交差点を曲がる・・か。」
これは少女からの指令だ。トウヤは少女がメールで出す指示通りに動くことを約束していた。
この数日の間に少女と交わしたメールのその大半が、トウヤの人物像に触れるものだった。アユミというこの少女は、自らのことは一切語らないくせ、トウヤについて、色々と質問したがった。実家のある場所に、通ってる大学の話。専攻科目や、大学生活について。少女はその詳細まで説明をねだった。どうやら、トウヤの性質を知ることが、指令を出す彼女にとって重要なようだ。
『私は自ら動くことができない以上、トウヤさんの身を守るためにも、トウヤさんの特性が知りたいのです。』
そう、少女はメールで言っていた。
自分の特性・・。トウヤは考えた。トウヤは人よりも目立つ外見をしている。
こそこそと動き回るなら、帽子を使わないと意味がないくらいだ。トウヤは少女にそう伝えた。
よって、少女はメールで、探索中は帽子の着用を願うよう指示を出してきた。
「まずは・・彼女の家か。」
旅行用のキャスター付き鞄を引きずりながら、トウヤは歩き始めた。
ガタンガタンと、熱されたアスファルトにキャスターが跳ねる。
トウヤが降りたバス停は、トウヤの実家に最も近いバス停から三kmほど離れた場所だった。少女の家とトウヤの実家は、結構近い位置にあったのだ。
この条件を生かし、今回トウヤはあくまで、帰宅途中にたまたま少女の家の前を通りかかった振りをすることになっている。
道中トウヤは持っていた赤いキャップ帽を被った。この帽子は、大学の友人からのもらい物で、この夏は割りと愛用している。
少女の家までどの程度歩く必要があるだろうか。この付近はあまり来たことはなかったので、トウヤは無事少女の家を見つけられるか不安だった。しかし、そんな心配は無意味で。トウヤは殆ど汗もかかないうちに目的のアパートを見つけた。
『最上階のベランダを見てください。
一番右端のベランダに、犬小屋が置いてあったら、うちです。』
・・・変わった家だな。と思った。
そのわかりやすい目印は直ぐに目に付いた。大通りの向こうにある8階建てのアパート。壁の色はクリーム色で、屋上には給水塔が見える。
建物の周囲には公園もあり、幼児とその保護者の姿がちらほら目についた。
洗濯物を干した民家がいくつも並んでおり、どう見てもここは、平和な住宅街である。
「本当に事件なんて・・起きてるのかな。」
ある程度殺伐とした風景を予想していたトウヤは、自分の目の前に広がる平和さに、肩透かしを食らいつつも、少女に家の前まで辿りついた旨をメールする。
『私の家の周辺を写メで送ってください。隣の建物も、地面も、空もです。
それと、周辺にいる人や物についての情報もお願いします』
トウヤは言われたとおり五枚ほどの写メを撮った。
電信柱に止まるカラスとスズメに、公園に入っていく乳母車をひいた主婦。営業周りに勤しむサラリーマンの姿。正直、不審なものは何一つ写っていない。
トウヤはあらかた写し終えると、日差しを避けたい気持ちで、近くのコンビニに入った。
店員の挨拶と同時に涼しい風が身体を包み、ようやく一息つく。
そのままトウヤは雑誌コーナーに向かい、雑誌を選ぶ振りをしながら外の道、少女の家付近を行き交う人々の様子を頭に書きとめていった。
報告をまとめようと、携帯を取り出した時だ、トウヤはふと花のような香りを嗅いだ。
思わず視線を移すと、トウヤの隣で女性雑誌を立ち読みしていた女性が今、気に入った一冊を選んでレジに向かうところだった。
トウヤが嗅いだのはその女性が振り返った際に揺れた、彼女の髪の香りだったのだ。
一瞬見えた彼女の顔は、おそらくトウヤより年上だとは思うが、可愛らしかった。色素の薄い長い睫に覆われた瞳は、アーモンド形に柔らかく開かれていて、女性らしい魅力がある。スキニーのジーパンに鎖骨の周りを大きめのレースで囲んだ、生地のふんわりした白いシャツ、そのシャツがなぞる華奢な肩に形のよいバスト、身長は百六十cmもないだろう。
その女性の容姿は正直、トウヤの好みにヒットしていた。
思わずボウっとした目で彼女を追うと、彼女は会計を済ませると外に泊めていた一台の大きなバイクに向かった。
――・・げ。
ちょっと驚いた。彼女はバイクの後ろからヘルメットを取り出すと、流線型の麗しいダークレッドのアメリカンバイクに颯爽と跨った。
あんな可愛い人があんなゴツイものに乗るのか。カッコいいような、ちょっとショックなような・・。トウヤの今の気持ちを一言で表すのは難しかった。
慌てて我に帰り、少女アユミに報告のメールをする。一応、先程すれ違った彼女のことも記しておくことにする。
それらを送信して一段落。トウヤが適当に掴んだ雑誌を読んでいると、携帯は再び、アユミからのメールを受信した。
『FROM:アユミ
SUBJECT:ありがとうございます。
写メと観察記録、確かに受け取りました。助かります。
今日はこれで充分です。また明日もよろしくおねがいします。
くれぐれも、気をつけてご帰宅ください。』
少女の年齢に不相応な、しっかりしたお礼の文面に、トウヤは苦笑した。
少女が今どんな問題に接しているのかについては、過去何度質問しても答えてはもらえなかった。トウヤはただ少女が動けない代わりに動き回るだけだ。
勿論、トウヤの脈打つ好奇心はこんな現状に満足などしていなかった。
――暇な時間はたっぷりあるんだ。絶対に少女の持つ秘密を探り当ててみせよう。
トウヤは野心にも近い思いを少女の住むアパートに向けると、今度は自分の実家に帰るために歩き出した。