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「――・・っカーティス!!」
遠く後方へ弾かれる彼の身体に、エリオットは急いで駆け寄ろうとした。
しかし、
――・・・グルルルル・・
低い唸り声と共に、エリオットの行く手を遮る白い獣が居た。
「魔・・王・・。」
弱り、痩せ細った獣は、その身体の中で唯一力強さを感じさせる漆黒の瞳で、エリオットを睨み、立っていた。
「・・殺しなさいよ。」
いつの間にかエリオットの背後に立ったインフィニティは、囁くように言う。
「魔王が生き続ける限り、貴方の国民は魔王の瘴気に苦しむわ。
それを救えるのは・・貴方しかいないのよ?」
剣を掴んだ手が震えた。インフィニティを振り返る勇気もなく、エリオットはただ、目の前の獣を見つめる。
「魔王は貴方に殺されることを望んでる。魔王は今、とっても苦しいの。どうか・・助けてあげて。」
インフィニティの言葉の最後の方は、僅かに震えていたように聞こえた。
「・・っ!!」
突然、白い獣が・・魔王がエリオット目掛け牙を剥いた。
「・・やめて・・!」
最初の攻撃を必死でかわし、次の攻撃は剣で弾くしかなかった。
触れた剣の切っ先が、ハラリと白い毛をそぎ落とし、エリオットは恐怖に震える。
「やめて・・!!俺は君を・・殺せない!!」
魔王とエリオットの攻防を見つめるインフィニティの唇から、哀れむような声が漏れた。
「それでも貴方は・・魔王を倒さないと・・」
そう呟いた彼女の身体を、一陣の風が貫いた。
風圧に千切られ、数本の蔦が彼女から身体を離す。
「・・ピア?」
今自分に杖を向ける少女を振り返った彼女の上空に、刀を振りかざしたカーティスの姿。
「・・っ!」
少し驚いたが、それでもヒラリと身をかわしたインフィニティは、再度地面に降り立ち、自分に怒りを向ける二人の人間と対峙した。
「ピア・・貴方も彼を手伝ってくれるのね?」
目の前で構えを正す少女の姿に、インフィニティは微笑む。
ピアが続けて放った炎の矢を避け、カーティスの刀を片腕で受けた。
また数本の蔦が身体から離れ、インフィニティは自分の死が近づくのを感じた。
「・・それじゃあ二人とも、精々頑張って頂戴。」
そう言い、再度微笑んだインフィニティは、自身が纏っていた全ての蔦を、二人目掛けて放った。
「カーティス!ピアちゃん・・!!」
二人の危機を察し、エリオットは叫ぶ。
しかし、こちらも今、油断のできる状況ではない。
弱りきっているとはいえ、魔王の力は充分強く、足も速い。
気を抜いてしまえば、エリオットの命もないかもしれない。
しかしそれでも、目の前にいるこの獣を殺す勇気はなかった。
「嫌だ・・なんで俺が・・アユミちゃんを・・!」
涙を堪えなくては。視界が滲めば、状況はより危険だ。
不意に、魔王の前足がエリオットの腰を掠めた。
「・・・あっ!」
油断していたエリオットの足元を、魔王の鋭い爪が切り裂いた。
腿の肉が切り裂かれる感触と共に、エリオットは視界の端へ何かが飛び去ったことに気づいた。
青いはぎれに赤いリボン。エリオットがポケットに入れていたアユミのお守りだった。
咄嗟にそれを拾い上げようと身体を屈めた瞬間、エリオットの身体に大きな影が落ちた。
「・・・っ!!」
飛び掛る魔王の姿に、エリオットは思わず剣を構えた。
魔王の攻撃を食い止めるのが目的で、魔王を傷つけるつもりは一切なかった。なのに・・
――ザク・・
血飛沫が上がった瞬間、エリオットは魔王の瞳がとても澄んでいるのを見た。
「・・・え・・」
エリオットには何が起きたのか理解出来なかった。
魔王は自ら、エリオットの剣に首を任せたのだ。
高く夜空を跳ねた魔王の首は、弧を描き、森の木々の狭間に落ちた。
力尽き、地面に落ちた魔王の胴体は、大量の鮮血を噴出しながら、ゆっくりとその身体を縮めていった。
「・・や・・そ・・んな・・」
手が足が、激しく震えて立っていることが出来ない。
地面に膝を着いたエリオットの目の前に落ちていたそれは、もう既に白い獣の姿をしていない。
血に濡れ、瞼を伏せた華奢な少女の姿に成り果てていた。
「・・エリオット!」
事態に気づいたピアが、インフィニティの攻撃を避け、こちらへ駆け出して来た。
――アユミちゃんが・・アユミちゃんが・・・!
『私たち・・絶対にいつか離れちゃうんだよ?
・・それなのに好きになるなんて・・辛いよ。』
泣き出しそうな顔で、それでも真剣にエリオットに応えようとしてくれた可愛い少女。
誰よりも近くにいたい。誰よりも大切に守ってあげたい。そう願っていた筈なのに・・自分は・・何を!
「うああああああああああああああ!!」
エリオットの叫びは、夜の空気を震わせ、響き渡った。
「・・っアユミ!?」
その声にようやく事態を察し、カーティスもインフィニティの攻撃から逃れようと身体を動かす。
途端、
「・・っ!!」
血飛沫が、カーティスの身体を覆った。
しかしそれは、彼自身のものではなく・・
「インフィニティ・・!!?」
自らカーティスの構える刀に飛び込んだ彼女は、噴出す鮮血にその胸を真っ赤に染め、笑った。
「これで・・終わりね?」
ふわりと地面に落ちた彼女の体は青白く、服の隙間から見える体は全て骨が浮き上がるほどに痩せていた。
既に彼女は、弱りきっていたのだ。
生きることもままならないような身体で、それでも自分たちと戦い続けていたのだ。
空を仰ぐインフィニティの瞳に、満天の星が映りこんでいた。
「・・お前・・」
ずっと目の敵にしていた女の、あまりにも哀れな姿に言葉を失う。
インフィニティはこんな瞬間でも、勝気な笑顔を絶やさなかった。
「終わったのよ。全部。これでもう・・私は・・」
呟いた彼女は、そのまま安らかに瞳を閉じる。
「・・っ!!」
耐え切れず、抱き寄せたインフィニティの身体は軽く。カーティスの胸を寂しさで埋めた。