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「・・・アユミちゃん!?」
星の輝く平和な夜空に違和感を放つ黒い残像。
絡まりあっていた木々の群れが自らの身体を解き始めた意味に気づき、エリオットは駆け寄った。
長く太い気の幹が、蛇のように身体をうねらせて、そこからアユミの身体を掬い取った。
ゆっくりと地面に横たえられたアユミの身体は、寝室で着ていた寝巻き姿のまま。
捲れ上がった裾からは、アユミの細い四肢が見え、白く星明かりに照らされた。
相変わらず意識のない彼女の様子が心配で、エリオットはその横に膝を着き、彼女の身体に触れる。
「――・・エリオット!危ない!」
不意にピアが叫び、振り向いたエリオットは、自分に向かって突進してくる白い塊に気づいた。
「・・っ!!」
反応する暇もなく、草の上に跳ね飛ばされる。
急いで身体を起こしたエリオットは、自分を突き飛ばした者の正体に驚いた。
――ウォーーーーーー・・ン
細い月を見上げ、遠く響く一声を上げた白い犬は、今まで見てきた愛らしい様子と異なり、エリオットに向かい、牙を剥いて唸った。
「・・ポチ・・なんで・・?」
人懐っこく、誰かの姿を見れば尻尾を振って駆け寄ってきていたアユミの愛犬。
そんなポチに何故威嚇されているのか、意味がわからずに目を見開いた。
・・・不意に、エリオットは自分の上に被さる人影に気づく。
少女は立ち上がり、虚ろな瞳でポチを見ていた。
「ア・・ユミ・・ちゃん・・?」
何故アユミが動けるのかはわからない。一度死と対等の苦しみを知った筈の彼女が何故・・?
それでも、エリオットはアユミが起きたのが嬉しくて、立ち上がると彼女の髪に手を伸ばす。
「・・っ!!?」
瞬間、アユミの身体が輝き、激しい風圧と共に、エリオットは後ろに弾かれた。
辛うじて体勢を保ったが、眩しさのあまり、目が開けない。
「・・エリオット!」
不意に、エリオットの背を支える腕が現れた。カーティスだ。
何が起きているのか理解できないのはお互い様らしい。
彼の目はアユミの姿を捉えたまま、呆然と見開かれていた。
「・・どういう・・ことでしょうか?」
カーティスの背後からピアが呟く。
風圧は徐々に収まり、エリオットたちの前には光り輝く獣の姿だけが残った。
「・・・あれ・・は?」
薄っすらと目を開き、エリオットはその獣を見る。
白い毛並みに身を包んだ巨大な獣。一見すると、犬によく似ているように見えるその姿は、エリオットたちに強いデジャヴを与えた。
「・・魔王・・」
カーティスがそう呟いたのが聞こえて、息を呑む。
エリオットの知っている魔王は確か、漆黒の毛並みを持ち、逞しく、威厳に満ち溢れていた。
目の前にいるこの白い、痩せ細った獣とは似ても似つかない筈なのに、その獣の持つ黒い真珠のような瞳は、確かに魔王のものなのだと、エリオットの意識が告げた。
「そうよ。」
そしてそのエリオットの予感を肯定するように、
獣の横に立ったインフィニティは、エリオットを見つめ頷いた。
「これが貴方たちがアユミと呼んでいた少女の真の姿。
魔王は今、自らの死を望んでいるわ。」
「・・そんな!?」
信じられるわけがなくて、エリオットは叫んだ。
「アユミの正体が・・魔王だと!?」
戸惑うカーティスの声が聞こえた。
「・・馬鹿な・・私は何も・・聞いていない!」
震えるピアの言葉に、インフィニティは軽く肩を竦めて見せる。
「当たり前でしょ。貴女にそこまで知らせる必要、ないもの。」
そう言い、愛しそうに魔王の毛並みを撫でた彼女は、ゆっくりとエリオットに向かい、歩いてきた。
「エリオット・・勇者である貴方が・・魔王を殺すの。」
優しく微笑み、近づいてくるインフィニティから、一歩身体を引きながら、エリオットは頭を振った。
「嫌だ・・!できるわけが・・・!!」
――アユミちゃんを殺すなんて、絶対にできるわけがない!
優しくて可愛くて可哀想で。心から愛していた少女を殺すことなど、エリオットに出来るわけが無かった。
それなのに、インフィニティは残酷なまでに優しい口調で、エリオットに言い聞かせる。
「国民が貴方の帰りを待ってるわ。
貴方は魔王の首を持ち、彼らの前に立つの。
人々は魔王の呪いから解放され、貴方の功績を称えるでしょう。」
――魔王はそれを・・望んでいるのよ?
そう微笑むインフィニティの前に、背の高い影が飛び込んだ。
キィンと高い音がして、カーティスの刀とインフィニティの腕が交差する。
「・・止めろ・・!それ以上余計なことを言うようなら・・俺がお前を殺す!」
琥珀の瞳を怒りに染め、自らの主を守るために刀を抜いたカーティスの姿に、インフィニティは僅かに目を見開き、そして笑った。
「・・そうね。貴方は私を殺せるわ。今の貴方になら・・」
その声に僅かに滲んだ寂しい色に、カーティスは気づかなかった。
一旦身体を離し、再びインフィニティに切りかかる。
その切っ先が、インフィニティの身体を覆う蔦の束をザクリ切り払った。
辺りに飛び散る自身の一部に目を遣り、インフィニティは幸せそうに瞳を細める。
「魔王は城を抜け出し、全てを失ってしまったの。
今の魔王はただの抜け殻で、永遠の命すらもう持っていないわ。」
そう言って刀を受け流し、ヒラリと舞い跳んだインフィニティに、カーティスは牙を剥き、問うた。
「・・何が言いたい。」
「私の名前はインフィニティ。魔王の娘であり、魔王の永遠。
王族が魔王に求めた永遠の命、王国を治める力の象徴として扱った魔王の威厳。
私はかつての魔王が持っていたそれら全てなの。」
インフィニティは微笑んだまま、ふわりと宙を跳び、カーティスに向けて蔦の剣を放った。
「・・っ!!」
咄嗟にそれを交わし、続けざまに狙いを定めてくる蔦を刀で切り落とす。
「王族の繁栄する傍らに、紅鴉の一族は常にいた。
魔王が威厳を示す傍らに、私は常にいた。
・・・私たちの関係って、似てると思わない?」
インフィニティとの間合いを詰め、彼女の首目掛けて刀を突き立てる。
硬い音がして、再び切っ先はインフィニティの操る蔦に食い止められた。
「・・お前は・・何を・・?」
僅かに戸惑いが滲んだ瞳で、カーティスはインフィニティを睨んだ。
「私・・気づいたの。魔王が私を生み落とした理由。
本来一つだった筈の命が、二つに分かれてしまったそのわけ・・。
私を生み出した魔の力の源は、王族ではなく、貴方の一族よ。」
・・そしてインフィニティは大賢者から聞いたのだ。
紅鴉の一族に生まれ、唯一魔の力を持たなかった悲運の男の存在を。
「・・貴方は、紅鴉一族の持つ全ての負の感情を一身に受けている。
一族の中で唯一魔の力を持たずに生まれた人間がいると聞いて、私はときめいたわ。
・・貴方こそが・・私を生み出した張本人。私の魔の力の主!」
キラリと瞳を輝かせ、インフィニティは腕に巻きついた蔦の剣で、カーティスに切り掛かった。
「・・っく!!」
辛うじて刀で防いだものの、細い体からは想像もつかない程の強い力で押され、カーティスの刀を持つ手が震える。
不意に、対峙する彼女の瞳から涙が零れたことに気づいた。
「カーティス・・貴方が今、エリオットと共に生きていくことを選んだように。
私は魔王と共に死ぬ事を選んだの。どうか・・私を殺して・・・?」
「・・っな!?」
驚愕に目を見開いたカーティスは、次の瞬間、インフィニティの力に跳ね飛ばされていた。