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「・・来たわね・・」
夜空を背負い、突進してくるカーティスを見上げ、インフィニティが嬉しそうに呟いたのが聞こえた。
――・・キィン・・!
鋭い音と共に、カーティスのナイフは地面に跳ね落ちる。
インフニティは自分に向かって来る銀の光を次々と、その腕で払いのけた。
いつの間にか、彼女に絡みつく蔦は、彼女の右腕を覆い、鋭利な切っ先を生み出していた。
「・・・死ね!」
そう叫び、カーティスは宙で刀を振り下ろす。
その先が捉える筈だったインフィニティの身体は次の瞬間、ヒラリ宙に舞いカーティスの攻撃をかわした。
「・・カーティス・・貴方。気づいていたのでしょう?」
優雅に地面に着地し、インフニティはにやりと彼を睨む。
「大賢者様が貴方を殺そうとしたこと・・あれは大賢者様自身の意思だったんだって・・気づいてたのよね?」
「・・・黙れ!!」
牙を剥き、カーティスはインフニティに切りかかる。
ふわり宙に舞ったインフニティは、右手に絡む蔦で、カーティスの刀を払った。
硬い音と共に、刀ごとカーティスの身体が弾かれる。
「貴方程度が、大賢者様に隠し事できるわけがない。
エリオットを王にするためにはどうしても、貴方を排除しないといけないの。」
インフィニティの言葉に、カーティスが顔を歪めるのが見えた。
――・・え?
目の前で繰り広げられる戦闘を、呆然と見つめていたエリオットは我に返った。
「・・どういう・・こと・・?」
攻撃を避け、高く宙に舞ったインフィニティは、その呟きが聞こえたのか、声高らかに言った。
「カーティス。放っておけば貴方はいずれ、エリオットを殺すんでしょう?」
瞬間、エリオットは驚愕に目を見開いた。今・・インフニティは何と言った?
「・・・やめろ・・!」
インフィニティとの攻防を繰り返しながら、カーティスが唸ったのが聞こえた。
苦しそうな、悲しそうな彼の声に、エリオットははっとし、背中から剣を抜き出した。
「・・・っ!エリオット!?」
戸惑うピアが伸ばした腕を振り切り、次の瞬間、エリオットの身体はインフニティの前にあった。
呆然とするカーティスをその背に庇うよう、インフニティを睨んで立っていた。
「・・どんな理由があるにしろ・・」
低く、エリオットは言葉を紡ぐ。
「仲間を傷つける奴を、俺は絶対に許さない!」
「・・・本当に?」
鋭く言い放つエリオットに、インフニティはやんわりと微笑んだ。
「カーティスは裏切り者なのよ。貴方を監視するために送られたロナルド王子の手先。
魔王討伐を終えた貴方を殺すよう、命じられているわ。
貴方が王になるのを防ぐために使わされた、私たちの計画の足枷・・」
幼い子供に言い聞かせるように、穏やかな声。思わず、エリオットはカーティスを振り返った。
「・・・っ・・」
歯を噛み締め、俯くその姿は無言でもインフニティの言葉を肯定したようなものだった。
まさか。と、エリオットは目を見開く。
カーティスがエリオットの行動を見張るため、王室から使わされていたことには気づいていた。
エリオットの行動を制限できるよう、仮面に何らかの呪いをかけていたことも。
でもまさか、彼自身にエリオットを殺す意思があったとは・・思わなかった。
「彼は紅鴉の一族。どれだけ王族の命令に忠実か、貴方も知っているわよね?
彼は王族を裏切れないわ。必ずいつか、貴方を殺そうとする。」
・・それでも、貴方は彼を庇うの?そう言って、インフニティは笑った。
「・・お・・俺は!!」
インフィニティを振り返ったエリオットは、自分の声が震えるのを隠せなかった。
ショックだった。カーティスが、大切な仲間であるカーティスがいつか自分を殺すなんて。
でもそれでも。エリオットに彼を責める気持ちは微塵も生まれてこなかった。
「俺は・・王室に戻るつもりはない!王位だって・・最初から興味ないんだ!
ロナルド王子を裏切るようなことをするつもりはないし、俺を殺すことがカーティスの使命なら・・・受け入れるしかないよ。」
震える声でそう言ったエリオットに、カーティスは目を見開き、顔を上げた。
目の前にいるこの少年は、どこまで愚かなのだろうか。
エリオットはいつだってそうだ。愚かで、純朴で、優しくて・・
「カーティスは・・俺の大切な仲間なんだ。何があっても・・それは変わらない。」
はっきりとそう言い放つその姿に、琥珀色の瞳から涙が頬を伝った。
「・・随分・・お人好しなのね。」
ふと、インフニティの瞳に戸惑いが見えた。
「それでも・・私がカーティスを殺すわ。それが大賢者様の意思でもあるのよ。」
微笑んだままそう言うインフィニティの手の上で、数本の蔦が身を跳ねさせ、伸び上がった。
それは真っ直ぐに、カーティスの喉を捉え、貫こうとする。
「カーティス!!」
呆然とし、逃げる意思を持たない彼を庇い、エリオットは蔦を自らの剣で受けた。
「・・っ!」
両手を押し付ける、重い感触。それでも何とか踏みとどまり、蔦を剣先で払い退ける。
「インフィニティ・・貴女は俺たちに勝てない。」
唸るように、エリオットは言った。
「あら・・どうして?」
興味深そうに、インフィニティは眉を潜めてみせる。
エリオットはそんな彼女の瞳を睨みつけ、言った。
「貴女は既に、魔の力の大半を失っている・・!
俺たちは知ってるんだ・・貴女の力が既に衰弱していることを!」
確かにインフィニティは強い。しかし、その力は以前、元の世界の彼女と対峙した時と比べれば格段に落ちていた。
現に今も、攻撃のために魔法を発動させようとはしていない。
ただひたすら、カーティスの攻撃を避けるばかりだ。
攻撃する魔の力すら、今の彼女は持っていないのだ。
「・・・やだ。気づいてたんだ。困ったわね?」
インフィニティは僅かに俯いて、笑った。
「インフィニティ・・大賢者様はもういない。貴女は今、一人きりだ。
俺たち二人に敵うわけがない!」
――だから、降参して欲しい。できればもう、アユミの大切な人を傷つけたくないのだ。
そう願うエリオットの前で、インフィニティは肩を震わせ、直に声を上げて笑い始めた。
「あははは!!私が一人だって・・?何も知らないのは貴方の方じゃない!!」
可笑しそうに、馬鹿らしそうに、インフィニティは笑う。
「・・・何を・・?」
低く、呟いたのはカーティスだった。
インフィニティの言葉の意味がわからないのはエリオットも同じで、自然眉間に皺が寄る。
「大賢者様が異世界旅行の危険に気づいていなかったと思っているの?
彼は覚悟していたわ。この旅で自分の命が失われる可能性があることを。
そして既に、手を打ってくれていた。とても有能な仲間を、私に与えてくれていたわ!」
空を仰ぎ、笑い続けていたインフィニティは、不意にその視線をこちらに向けた。
黄金色の瞳を細め、にやりと笑みを象る。
その彼女の瞳が、ふとある一点を捉え、止まった。
「・・ね?ピア、笑えるじゃない?誰も貴女に、気づいていなかったんだって。」
――・・!!?
瞬間、エリオットとカーティスは振り返った。まるで雷に打たれたように体中が強張って、上手く、表情を作れない。
それでも、二人の視線はピアを捕らえていた。
俯いて震える、背の低い少女の姿を捉えていた。
「貴方たちをこの世界に連れてきたのも、貴方たちをこの世界に閉じ込めていたのも。
全部彼女の力だっていうのに、全然気づいていなかったのね?間抜けな人たち。」
インフィニティは愉快そうに笑う。
確かに、大賢者を攫った魔法陣を読み解き、エリオットたちをこの世界に導いたのはピアの力があってこそだった。
当然、元の世界に戻ることも、ピアなくてはできなかった。
一度エリオットたちがポチを連れて元の世界に戻ろうとした時、術が上手く行かないと言い、魔法の発動を止めたのを覚えている。
まさか・・あれも全部、嘘だったのか?
「ピア・・ちゃん・・?」
強張る唇で、ようやく彼女の名前を呼んだ。
何故なんだ。いつもこんなに近くにいたのに気づけなかった。
いつもエリオットたちのために一生懸命尽くしてくれている彼女の姿しか、知らなかった。
いつの間に、彼女はインフィニティの手に堕ちていたのだろう。
「・・・守りたかったんです。」
俯いたまま、ピアはぽつりと零した。
「私は王国を・・エリオットを・・見捨てたくなかった・・だから・・」
――大賢者様の命令に従ったのだ。
エリオットたちをこの世界に閉じ込め、インフィニティに従うよう指示した大賢者様の命令に。
そう言い、ピアは顔を上げた。無垢な、澄み切った瞳をエリオットに向け、そしてカーティスに向けた。
「ピア。貴女が戦って。」
柔らかい口調で、インフィニティは言った。
「覚悟はしていたのでしょう?貴女が・・カーティスを殺しなさい。」
優しく聞こえるその言葉は、ピアにとって決して逆らえない命令だった。
ガタガタと、ピアの身体が震えだしたのがわかる。怯えているのだ。
でもそれが、インフィニティを目の前にしたからなのか、カーティスを殺すよう指示を出されたからなのか、本人にも良くわかっていない。
ただその視線はまるで凍りついたように、カーティスの琥珀色の瞳を離さなかった。
青ざめた顔の少女の唇が、不意に呪文を紡ぎ始め・・
「・・・ピア?」
目を見開き、尋ねるカーティスに
――ボ・・ゥ!
一陣の風が、炎を纏って襲い掛かった。
「カーティス!ピアちゃん・・!?」
エリオットは咄嗟に名前を叫んだが、もう二人には何も伝わらない。
ピアの放った一発目を辛うじて避けたカーティスは、迫るニ発目を振り払うように、高く跳んだ。
止めろ・・止めてくれ・・。何であの二人が戦わなくてはいけない?
「・・面白いわね。紅鴉一族と、王国の誇る才女。どちらが勝つのかしら?」
凍りついたエリオットの意識に、インフィニテイの声が届いた。
余りにもふざけすぎたその言葉に、エリオットは反射的に剣を向ける。
――キィ・・ン!
固く阻まれる音がした。
インフィニティはただ自らの腕を突き出しただけで、エリオットの攻撃を防いでしまった。
「エリオット・・貴方じゃ役不足よ?」
挑戦的に笑うインフィニティの右腕の蔦は、不意に長く伸び、獰猛な牙のようにエリオットに襲い掛かった。
「・・・・!!」
目を見開き、蔦の動きを見極める。次の瞬間、エリオットの剣は薙ぎ、襲い掛かる牙を切り落としていた。
「・・あら。」
驚きと好奇心を含ませた声で、インフィニティは眉を潜めてみせる。
「・・止めさせろ・・」
彼女を睨みつけたまま、エリオットは言った。
「あの二人を・・戦いを止めさせろ!!」
再度、剣を構えてインフィニティに突進する。
「・・・馬鹿ね。そんな命令に従うわけないじゃない。」
溜息をつき、僅かな動きのみでエリオットの攻撃をかわしたインフィニティは、ふと、その口の端を持ち上げた。
「・・でも。貴方が私を倒したならば、話は別かもね?」
エリオットは地面を踏みしめると高く跳び上がり、インフィニティに切りかかった。
力の差が歴然としすぎている相手を倒すには、せめて数多く、攻撃を繰り出すしかない。
勢いに任せて、インフィニティへと剣を振り下ろす。
自分を見上げるインフィニティがにやりと笑ったのが見えた。
――・・タ・・ァアン!・・
途端振り上げられたインフィニティの腕に絡まる蔦が、大木のように大きく膨らむ。
一瞬のうちに横腹を叩きつけたその威力に、エリオットの呼吸は止まった。
空中という不安定な場所にいたエリオットは、溜まらずその勢いのまま横に吹っ飛ぶ。
「・・・っあ!!」
アユミの眠る朽ちた木々の砦に強く頭をぶつけたエリオットは、そのまま気を失って倒れた。