phase1「冷たい宇宙人」
7月に入ったばかりの夜の山中は、蒸し暑さに包まれている。どこからか聞こえてくる虫や生き物の鳴き声以外に大きな音は無く、実に静かだ。ゆるゆると木々の隙間を吹き抜けていくぬるい夜風の間を、人影が一つ、歩いていた。
人影、ハルは、慎重に辺りを見回しながら、歩を進めていた。人工の明かりは一つも無い山の中を、ハルは懐中電灯も持たずにすいすいと歩けている。
ハルは今暗視モードに入っているので、暗いところでも周りがよく見えている。明かりを使わないのは、野生動物に気づかれないようにというのもあるが、もしかしたら偵察に来ているかもしれないダークマターに、なるべく存在を察知されないようにというのが大きい。
先日の強襲を受けて、宇宙船のクリアモードを更に一層強化したおかげか、あの日以降直接の船への襲撃は無い。
それでも用心するに越したことはないのだ。いつ、どこで、どんな方法で、敵が現れ襲ってくるかわからない以上。
抱っこ紐でしっかりと抱っこされているココロは、先程から眠そうにしていたが、歩く振動によって眠気が誘発されたのか、今は静かな寝息を立てている。
更にもう一つ、ハルに抱っこされている存在がいる。シロだ。
シロは最初、ハルの隣を歩いていたのだが、徐々に彼に怯えの感情が出てきたのを、ハルは確認した。恐らくこの暗さに、本能的な恐怖を抱いているのだろう。そう分析したハルは、シロに抱っこするかどうか何度か聞いた。シロは最初こそ強がって拒否していたが、ついに恐怖の感情が勝ったのか、抱っこされることを選んだ。
確かにこの山は暗い。それはわかる。けれどもハルに、怖いという感情は無い。
だからこのように、明かり一つ持たずに、山中を歩くことが出来る。
ハルは今、ココロが夜泣きをしたため、彼女の気分転換に有効と考え、こうして夜の散歩に出ていた。シロを連れているのは、まだ幼いシロを残しておくのは不安点が残ると判断したためだ。
ココロの状態が落ち着いてきたため、ハルは戻ることにした。ココロとシロもいるし、長居するのは危険と判断したのだ。そうして、きびすを返したときだった。
ハルのセンサーが、近くに生体反応を捉えた。その少し後、シロが耳を立て、鼻をひくつかせ始めた。
段々と、こちらに近づいてきているの。シロがある一点に向かって、耳をぴんと立て、警戒心を起こし始めている。センサーが捉えた、生体反応がいると考えられる方向と、同じ方角だった。
センサーの反応からして、虫や野生動物の類いではない。ロボットでもない。熱反応からして、人間である可能性が極めて高い。それも、波長などから、この星の人間ではない。
草の根をかき分けて進む音が聞こえてくる。相手はこちらに気づいているようで、真っ直ぐに歩いてきている。
ただでさえ静かな山の中。先程発したシロの鳴き声は、相手の耳にも届いているはずだ。けれども、向こうは急いでこちらに向かってこようとする意思を感じ取れなかった。足取りは速くなく、ゆっくりと、慎重に、一歩一歩警戒しながら歩を進めているのがわかる。
ぴたり、と途切れ途切れに聞こえてきていた足音が、止まった。
相手は、ハルを見ていた。呆気にとられているのがよくわかる。しかし、棒立ちになったまま固まってはいたが、ハルの姿を見ても、声一つあげなかったし、上げようともしていない。
ハルも相手を見ていた。シロも腕から見ていた。警戒心が和らいだのか、立てていた耳をいつも通り倒した。
ハルは、その人物に思い当たりがあった。正確にいうと、その人物の《《種族》》に。
ハルから、至急宇宙船に来てほしいとコスモパッドに短い連絡が届いたのは、ちょうど下校をしている最中だった。
美月は後ろからやって来る下校途中の生徒達の目を気にしながら、一体どういうことかと尋ねたが、来てから話したほうが早いと言われ、向こうから切られた。
そんな風に言われるものだから、気にしたくなくても気にせざるをえなかった。自転車をUターンさせ、急いで漕ぎながら、学校にとんぼ返りする。道中、同じように連絡を受けた未來と合流し、裏山のふもとで穹とも会った。
その穹は、今日図書室から借りてきたという本を、歩きながら読んでいた。美月が咎め、未來が優しく注意したが、穹はわかったと言いながらも、本を閉じるのをやめなかった。
「もう! 木に当たったりして怪我とかしても知らないからね!」
「いや、だってこれ凄く面白くてさ……」
「一体、何を読んでるの?」
未來が聞くと、穹はこれです、と本の背表紙を見せた。美月もその表紙を見た。
読んだことはなかったが、美月でも題名を知っている著作だった。黒死病という、かつて猛威をふるい人々を恐怖に至らしめた病が題材の、有名な文学作品だ。
「それにしても、ハルは一体どうしたんだろう?」
「よっぽどの事態が起こったのかな……。もしかしてパルサーが見つかったとか!」
「ええ、この前話聞いたばかりなのに? あ、穹は何かない?」
弟のほうを向いた姉は、その口のまま「穹、前!!!」と叫んだ。前、と穹が顔を上げた瞬間、鈍い音が響き、思わず美月は目を閉じた。恐る恐ると目を開けてみると、特に堅そうな肌を持つ木に、顔をめり込ませている穹の姿があった。
「だ、か、ら、言ったのに!!!」
未來にまあまあと宥められても、美月の怒りは収まらず、矛先が穹へと向け続けられている。
さすがに穹も懲りたのか、本を閉じてしゅんと小さくなっていた。
そういうやりとりをしながら宇宙船に着き、リビングに行くと、ソファの前にハルが立っていた。
「来てくれてありがとう。ん? 穹、鼻に打撲の跡があるな。どうしたんだ? 大丈夫か?」
「へ、平気です」
「歩きながら本を読んでいて、木にぶつかったのか?」
「見てたんですか?!」
当たりか、とハルはうんうんと頷いた。
「ハル、急にどうしたの?」
「うん。今日は突然呼び出してすまなかった。早急に、ミヅキ達に報告しておいたほうがいいであろう件ができてね」
「報告?」
そこまで言ったときだった。美月は、リビング内の空気が、いつもと少し違うことに気づいた。
周りを見回して、気がついた。ハルが壁になっていて、わからなかったが。ソファに、誰かが座っていた。
ハルが脇に逸れたことで、壁が無くなった。
美月は目をぱちぱちと瞬きした。穹はえ、と声を上げ、そのまま固まった。未來はあっと何かに気づいたような大きな声を出した。
「昨日の夜、この近辺の森の中をさ迷っていたところを、私と会ったんだ」
「あの、ハルさん、この人って……」
未來に対し、ハルは頷いた。美月としても、ハルから説明されるでもなく、直感した。
姿こそ人間と変わらない。けれども間違いなく、目の前にいるこの人は、地球の者ではない、と。
ハルと宇宙船にいるからとか、そのような事情もあったが、まずそう直感したのは、その見た目だった。
「……あっ!!!」
穹が大きな声を上げた。慌ただしい手つきで持っていた本を捲り始めた。
あるページを何度か行き来したところで、「これ!」と、あるページを開いて見せた。
そのページを覗き込んだ美月と未來は、穹と同じように、大きな声を出した。
そこには、挿絵が描かれていた。
蝋引きされたガウンに、帽子。
そして、鳥のくちばしのような特徴的な形状の、顔全てを覆う、ペストマスク。
挿絵に描かれている人物は、目の前にいるその人と、全く同じ外見をしていた。




