phase1「無理は禁物」
穹は自室で、机の上に置かれたコスモパッドと対峙していた。
その画面はいつものような真っ黒い色ではなく、白い背景に黄、赤、黒の星のマークが表示されている。
マークを押すと、黄色は美月、赤は未來、黒はハルに、それぞれ繋がるという。追加されたばかりのその機能を、穹は早速使おうとしていた。
だがいざとなると、妙に緊張する。心臓が早鐘を打つ中、震える指先で、黒い星をタップした。
ルルルルル、と電話のベルのような音が鳴る。その音は、しばらくの間、部屋の中で響き続けていた。
何コールかのあと、『はい』という声が画面から聞こえてきた。機械越しのその声は、いつもと少しだけ違って聞こえる。だが紛れもなく、ハルの声だ。
「えーと、ハルさんですか?」
それでも一応、条件反射のように、確認をとった。
『そうだ。……ソラ、君は今、少し緊張をしているようだが……?』
「えっ、わかるんですか? いやなんか電話のときって、緊張しちゃうんですよ……」
それも本当だったが、この変身のための機械を通話に使うということにも、緊張を抱いていた。
『それで、どうしたんだ? 何か用か?』
「あ、はい。気になることがあって、ハルさんに聞きたいなって」
ハルが続きを促すと、穹は口を開いた。
「未來さんは、僕や姉ちゃんよりも攻撃力や防御力が低いって言われてたんだけど、あれはどういう意味なんですか? 僕、てっきり全員同じステータスなのかと……」
今日、マーズが襲来したとき、そんなことを言っていたのだ。穹はその話を聞いたとき、疑問に思ったのだ。家に帰ってきた後、美月にも話して聞いてみたが、「どうでもよくない?」の一言で片付けられてしまった。
そのことか、とハルが言った。さすがにハルは、どうでもいいとは言わなかった。
『コスモパッドを受け取る前、能力の試験があっただろう。あの時の内容により、変身後の力が決まるんだ。全部のステータスが高いのは、バランスを崩してしまうことになるからな』
穹はテストだったという、あのシューティングゲームの内容を思い出した。
アタックで敵の宇宙船を攻撃し、ガードもしくは移動で宇宙船からの攻撃を防ぐ。
基本操作はこれだけという、オーソドックスでシンプルなものだった。
『ミヅキの場合、アタックのコマンドを多用し、反対にガードのコマンドはあまり使わなかった。だから、攻撃力が高く防御力が低い。
ソラの場合、ガードを多く使っていたから、防御力が高い。だが、敵の宇宙船を倒すアタックコマンドをあまり使わなかった為、攻撃力はミヅキよりも低いんだ』
ハルからの台詞に、穹は何度も頷いた。
確かに言われてみれば、穹の防御力は高いように感じる。今日、マーズの攻撃を受けてかなりの距離を吹っ飛ばされたというのに、意識が残っていたのだから。
『ミライの場合、どちらのコマンドもあまり使わずに、敵が発する段幕をほぼ避けて進めていた。だから、攻撃力も防御力もあまり高くない。だが、素早さや機動力は、ミヅキとソラよりもずっと高いんだ』
それで未來はあんなに動けたのか、と穹は納得した。それにしても攻撃を全部避けて進むという発想は、なかなか出来ない。
『このステータスは、後々のアップデート内容にも関わってくるから、覚えておいたほうが良い。ミヅキとミライにも……』
「わかった。ちゃんと伝えておきます」
先にそう言うと、液晶画面越しに、『そうか』と短い返しが聞こえてきた。
『他に用件は?』
「無いよ。突然ですみませんでした。おやすみなさい!」
『……ああ、お休みなさい』
この時、ハルの少しの間が気になった。だが、気のせいかと気にとめずに、そのまま通話を切ったのだった。
穹は窓の向こうを見た。
夜の闇に覆われる中、ガラス窓の外側に、幾つもの水滴が滴り落ちている。多くの雨が、窓に降りつける音がした。
闇の中に浮かび上がり、窓を伝っていく雫が、やや不気味に見えた。
違和感も、嫌な予感も、どちらも当たってほしくないときに当たるもの。
穹はこのことを、すっかり忘れていた。
6月も下旬に入ると、雨脚の強い日が増えてくる。マーズが退散した後に降り始めた雨。その勢いは段々と増していき、そして強い雨が三日ほど続いた。
小雨ならともかく、雨の日に山を登るなど、いくら行き慣れた裏山でも油断できない。
美月も穹も、お互い家の中で、大人しく過ごしていた。
その間、美月は自室で、新しく追加されたコスモパッドの機能を使って、未來と喋ったりした。
液晶画面越しの未來は、いつもよりものんびりとした声色に聞こえた。
嫌なまでに雨が降っているというのに、未來の調子はどこまでも明るく、美月まで元気を貰えるようだった。
ハルにも何度か通話を寄越したが、なぜかあまり出なかった。
一度だけ出たが、そのときのハルはいつもより返事が短く、いわゆる塩のような対応だった。
その際の通話の最後で、『今手が込んでいて、とても忙しい。緊急の用件ではないかぎり、あまり通話をかけてもらえないでくれると有り難い』と言われた。
以降、美月はハルに電話はしていない。素っ気ない態度に機嫌を悪くしたのもあるが、ハルの言うことももっともだと思ったのだ。
マーズに宇宙船を半壊させられ、今はその修理に追われている。更にハルは、ココロと、シロの世話までしなくてはいけないのだ。
下手に電話をかけて、作業の邪魔をしてはいけないなと、そう思った。
そのかわり、雨がやんだらすぐ行って、手伝わせてもらおうと考えていた。
降り続いていた雨がようやくやみ、灰色の雲の隙間から光が漏れ出した頃。
学校から家に帰ってきた美月は、そのまま穹を連れて、再び玄関に足を向けた。
未來とも約束して、そのまま裏山へ向かうつもりだった。
三日ぶりの宇宙船に、わくわくとした気持ちを抑えきれない美月と穹は、自然と足取りが軽く、早くなる。
その足を急停車させたのは、家と店を繋ぐドアから現れた浩美だった。
「待ちなさい、美月!」
ぴしゃりと打たれたかのような、鋭い声。反射的に、足が止まった。美月も穹も、この声音のときがどういうときか、よく知っていた。
浩美はドアを閉め、その前に仁王立ちになっていた。腕を組み、厳しい目を向ける姿はさながら、鬼のようだ。
名前を呼ばれてないのを良いことに、穹は足音どころか衣擦れの音一つ立てず、そのくせとてつもないスピードで、玄関から外に逃げていった。
どこにあんな足の速さを隠していたんだと恨みがましい視線を送る美月だったが、再び浩美の「美月!」という声に意識を向けなくてはいけなくなった。
「あなた、テスト勉強はどうしたの!」
ああ、きたか。
半ば予想していた言葉に、それでもいざ目の当たりにされると、身の竦み上がるような思いがした。嫌で嫌でしょうがない現実を見なくてはいけない、決定的な一言。
「お、お母さん、店はいいの?」
「美月も知ってるでしょ、この時間はあんまりお客さんがいなくて暇だって。誤魔化さない!」
美月は肩を縮み上がらせた。客の入店を告げるカウベルの音が鳴らないかと耳を澄ませたが、リンとも鳴る気配がない。
「中間テストのとき、あなた物凄い散々な結果だったじゃない。美月言ったわよね。期末は頑張るって。あの言葉はなんだったの!」
そんなこと言ったかなと美月は記憶を探ったが、該当するものは見当たらなかった。
浩美が記憶を捏造してるんじゃないかと疑ったが、そんなことを言おうものなら火にガソリンを注ぐようなものだ。
浩美の言うとおり、中間テストの結果が、どの科目も過去最高を記録した。悪い方の意味で。特に数学は、まずいかなと感じていた美月ですら青くなったほどだ。
とはいえこの成績なのも、美月なりの理由がある。
ダークマターの襲来だのなんだのが重なって、勉強する時間も意識もなくて、そんなものは頭からごっそり抜け落ちてしまうほど様々なことがあって……。
だがそんな言い訳など通用しない。信じてもらえないこともそうだし、美月よりも宇宙船に行ってる穹の成績がなかなかのものだったので、説得力に欠ける。
「特にこの数ヶ月、成績が軒並み落ちてきてるのはどういうわけ?!」
それにも理由はある、と美月は心の中で訴えた。
ハルとココロに初めて会ったのは、5月の上旬のこと。以降、それまでの日常や環境がらりと変わったせいで、どうにも勉強に集中できない。
いつも公園か施設に遊びに行くみたいな軽い感覚で、宇宙船に行ってしまうのが原因だ。
やっぱり楽しいので、そちらを優先せざるを得ないのだ。
「毎日表に行ってばかり。元気なのは良いことだけど、ふらふらしすぎよ!」
毎日じゃない、厳密には。
言いたかったが、言ったら今この場が爆心地と化すだろうから、呑み込んだ。
美月とて毎日ハルのところに行くわけではない。学校の友人と遊びたいときだってある。皆との都合がつかなかったときは、自分で行きたい場所に行く。
それだけのことだ。楽しいと感じることを、優先している。ただそれだけのこと。
「美月は昔から、やるべきことをやらない子だったわね」
声のトーンが少し落ち着いた。だが美月は、心の中で非常に深いため息を吐き出した。怒りの温度は冷えたが、粘度が上がってしまった。
「宿題は大体ぎりぎり。塾も習い事も、いつもサボるようになって、やめてしまう。店の手伝いも、やる気の差が激しい。家の手伝いも、掃除や洗濯は嫌がって逃げる」
指を折って数えるみたいに、つらつらと出てくる。
へえ、ちゃんと見てるんだなあ。
変なところで、感心の念を抱いた。
「美月。興味の無いことにも、全力とまではいかないから、せめて最低限はこなすようにしなさい。いずれ痛い目を見るのは……」
「あ、お客さんだ」
え、と浩美が振り返った瞬間、美月は一気に走り出した。体当たりするように玄関のドアを開け、外に出る。
背後から声が投げられた。
「痛い目を見るのは、美月自身なのよ!!!」
ちゃんと耳に届いた。が、振り向くことも、歩を止めることもしない。構わず走り続けた。
雨上がり特有の匂いが立ちこめている。大小様々な水たまりが出来ている。
ぱしゃん、とその中の一つを踏んでしまった。大きなものだったのか、靴下や服の裾が濡れた。
美月はちらりと、濡れて色が濃くなった部分を見た。
まあ、走ってる内に乾くだろう。
美月は走るのをやめなかった。立ち止まって拭くことなどしない。理由など一つで充分。面倒だからだ。この後冷えて風邪を引くかもしれないが、まあなんとでもなるだろう。
なんとかなる。美月の脳内には、いつもこの言葉がある。浮き沈みはある。表に出ているときもあれば、裏に潜んで眠っているときもある。けれど必ず、毎日、24時間、そこにある言葉だった。
どんな事態になっても、なんとかなるもの。案外。
結果が良くても悪くても、なんとかなればそれで万事OKなのだ。
現に、色々損なことは経験してきたけど、今この時まで引きずるような大事には、どれも至っていない。そんなものなのだ。
十字路で待っていた穹と合流するなり、開口一番「なんで助けてくれなかったの!」と詰め寄った。
「い、いやだって、とばっちりが来ると思ってさ……」
「冷たいもんね、私は穹の、たったひとりの姉だっていうのに……」
手を目に当て、めそめそと泣く演技をする美月に、穹は「姉ちゃんが助けてくれたことないじゃん……」とぼそりと呟いた。
「いや、私はいいのよ。姉だから」
「意味わからないよ!」
めそめそした雰囲気はどこへやら、けろりとしてふんぞり返る美月に、穹は盛大に息を吐き出した。
「でも姉ちゃん、テストは本当に大丈夫?」
歩き出した後、穹はやはりというべきか、聞いてきた。
「大丈夫大丈夫。なんとかなるよ」
「ならないでしょう。この調子じゃ」
「そういう穹は、人のこと言えるの?」
「一応人並みにはやってる。誤魔化しちゃだめだよ」
言い返せなかった。本人の言うとおり、確かに穹は毎日こつこつ、きちんと勉強している。
まずいかな、と美月は心の中で呟いた。
このままでは、姉としての威厳を保てない。中間テストのときなど、成績が良かった穹は美月のことを見て、ずっとにやにやしていた。そんな彼を完膚なきまでに叩きのめす資格を、美月は持っていなかった。このままでは、あのときの二の舞になる。
それに、と美月は友人の顔を思い浮かべた。
失礼なこととは承知の上だが、美月は実は、未來も道連れにできやしないかと、そんな願望があった。二人してひどい点数を記録すれば、一人のときほどの惨めさは無い。
あの未來の自由人ぶり。あんなにマイペースなのだから、もしかしたらあまりテスト対策をしていないのではないかと。底意地の悪い企みがあった。
だが、こともあろうに未來は、ちゃんとしていた。
コスモパッドでの会話中にテストの話題を切り出したとき、未來はいつも通りの明るい口調で言ったのだ。『万全だよ!』と。
万全。万全とは、どういうことか。
動揺しながら聞くと、未來は三週間前から既に準備し、毎日早朝に起きては勉強をしていたという。
『よく、そんなふうに見えないって言われるんだけどね!』と言った未來が続けたのは、テストに限らず、宿題も課題も、一度も遅らせたことがないのだという話だった。
「でももう時間が無いのよね……。7月上旬でしょ?」
「少しでもいいから、やっておいたら全然違うよ」
少し。その少しが、恐ろしく面倒なのだ。それを誰もわかっちゃいない。
言うのは簡単だが、やるほうの身にもなってほしい。
いつも面倒が勝つ。他に興味のあることのほうが優先される。
同じ時間を過ごすなら、嫌なことよりも好きなことややりたいことををして過ごしたい。それの何が、いけないことなのだろうか。
「やっとかないとだよなあ……」
そう言う美月の脳内は、宇宙船についたら何をしようかとしかで埋められていた。
シロをもふもふしよう。ココロを抱っこしよう。ハルから、何か旅の面白い話でも聞いてみよう。
そうだよ、頑張れという穹の声援は、まるで届いていなかった。
ふもとで未來とも合流し、三人は雑談をしながら山を登った。
宇宙船の前まで来た三人は、目を見開いた。
ぼろぼろの黒焦げで、マーズの手によって半壊させられた宇宙船は、半分ほど直っていたのだ。まだ焦げていたり、中の配線が剥き出しになっていたり、へこんでいたりする箇所もあるが、見栄えはだいぶ良くなっている。
この三日間の間、どれだけハルが修理を頑張ったか、よくわかった。
凄いなあ、などと言い合いながら、いつものように扉をくぐる。
廊下を進み、リビングの前まで来ると、「こんにちは~、ハル!」と言いながらドアを開けた。
部屋に入った三人は、そのまま固まった。
何かが、落ちている。
ブラウン管テレビが、ひっくり返っている。
そこから胴体がのびている。その胴体も、うつぶせになっている。
倒れ伏したまま、ぴくりとも動かない。
それは、どこからどう見ても、ハルだった。




