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コズミックトラベラー  作者: 星野 ラベンダー
Chapter2「宇宙船で暮らす人々」
406/409

phase5.1

 幻の音がもたらした白い衝撃の後、頭の中が一切合切の「無」になった。今まで経験したことのないレベルで頭が働かなくなった。脳裏に宇宙空間が広がった。顎が外れそうなほど口が開く。


 全身をセメントで固められたかのごとく動けなくなっている穹を、声をかけてきた男性は何も言わず見下ろしていた。考えすぎか気のせいか、浮かべている笑顔が若干引きつっているように見えた。


 なぜだ。なぜここにマーキュリーがいるのだ。ダークマターの展示は別棟ではなかったのか。それともわざわざこっちへ来るくらい暇人なのか。


 会いたいときなどこの先一生訪れないと断言できるが、その中でも特に会いたくないときに限って遭遇するのはなぜか。いつもそうだった。自分はやはりそれだけの悪いことを気づかぬうちにしてしまっているのだろうか。


 永遠に思える硬直の時間が流れた。妙に目が痛いと思ったら、ずっと限界まで見開いたまま瞬きをしていなかったことに気づいた。ぱちり、と一回瞼を上げ下げしたとき、マーキュリーが軽く咳払いをしてきた。


「……あの」

「わ、わ、わわわたし、よう、ようじ、あり、あるん、で。あっち、むこう、も、もう行き」


 ここまで言ったところで盛大に咽せた。慣れない裏声を早口で使ったせいで、声帯がこんがらがったようになる。唾を飲み込もうとしたが、口の中が大砂漠になっていたせいで叶わなかった。


 これは良くない。誰が見ても満場一致でそう言う。逃げなくてはと、一歩後ずさったその瞬間だった。見計らっていたように、マーキュリーが少しだけ近づいた。


「……あなた。随分と顔色が優れないようですが、本当に大丈夫ですか? この人混みなら無理もないでしょうが」

「オワアア…………」

「……」

「わ、あっ、わ、わたし、ちょっと、休もうと思って……。だ、だから、ではもうさような」

「いえいえ、放っておけないくらいにお顔が真っ青になってますよ。医務室で休んだほうがいいかと思われます」

「わあそうですか……。うん、じゃあそうしようかな……」


 逃げるチャンスかもしれないと頷いた。が、マーキュリーはにこやかな笑顔で紳士的に申し出てきた。


「よろしければ、私がご案内しましょうか? ご縁というわけでもないですが、そちらのほうが早いでしょうし」

「い、いいです」

「大丈夫ですよ、お気遣い無く。今特に急いでいるというわけでもないですから」

「いーえ全然必要無いです大丈夫です、だって君なんかの情けなんて死んでも受けたくな」

「は?」

「あっ」


 ぶわあっと汗が噴き出た。結露のように冷たい汗だった。どうしようどうしようどうしようと、脳内が単語一つで溢れかえる。がたがたがたと体が大袈裟に震える。


 ふー、とマーキュリーが腰に手を当て、長く息を吐き出した。


「うん……。やはりそんなに具合が悪そうなのに、放っておくなんて私にはできません。さあ、私が《《医務室》》にお連れしますよ!」

「ど、どこに連れて行かれるのでしょう……?」

「何を言っているのですか、医務室は医務室ですよー! ほら、《《他のスタッフ》》も待ってますので早く行きましょう? ねっ!」


 いつの間にか、誘導するように背中側に片手を回されており、退路の消失をこの身で感じ取った。


 なんだこれなんだこれ、どうすればいいんだ。切り抜ける方法をがむしゃらに求める。


 いっそ渾身の力で思い切りぶん殴ってみようか。一瞬怯ませるくらいならできるのでは。善は急げと、右手をぐっと握りしめたときだった。


 ふいに、マーキュリーの目線が右の手首に移動したきり、止まった。何かあっただろうかと穹も見れば、そこにはメムリアド星でシアンから購入した、貝殻のブレスレットが嵌められていた。すぐ傍から、息を飲む音が小さく聞こえてきた。


「お前、それ…………」


 ふら、とマーキュリーは一歩下がった。黄色い瞳を瞠目して、ブレスレットを見つめている。かと思うと、目を伏せた。


「……そうか、会ったのか……。……なんで、よりにも……」

「は?」

「じゃあどこまで……。いや、そんなに口の軽い人では……」

「何、なんですか?」


 マーキュリーの台詞は小さく、また前後が不明で要領を得なかった。


 何にせよ今なら逃げられるのでは。退散しようとした瞬間、マーキュリーが地を這うような声で呟いた。どうしてお前が、と。次の瞬間、右手首を強い力で掴まれた。何をするんだと睨み上げると、マーキュリーは底冷えのする鋭い瞳で穹を見ていた。


「それ外せ、穹」

「わたしはそんな人知りませんが……」

「うざい、黙っていろ。いいから外せ。それはお前がつけてていいものじゃない。お前のような奴なんか、触ってもいけないものだ。……他の奴らならともかく、なんで穹なんだ……!」


 骨が軋みそうな程の力を入れられてぎょっとした。それ以上にかちんときた。

 何様のつもりで言っているのか。落ち着いた混乱が、怒りに代わっていく。


「……僕は今、寝言に付き合っている暇は無いのに……」

「……何?」

「――こうなったら」


 やけだ。穹はさっと視線を移動した。ちょうど傍を、先程の清掃用ロボットが通りかかった。穹は迷い無く、落とし物の鞄を無理矢理引ったくった。

 想定していたより中身が入っていたことにほっとする。全身に力を込める。


「離して下さい、この変態ーーーーー!!!!!!!!!!」


 高い声、というより金切り声を上げながら、力の限り振りかぶって鞄をマーキュリーの顔面に投げつけた。思ったより大きな音が生じると同時に、手首が解放される。


 穹はきゃああああと高い悲鳴を上げながら一気に走り去った。ざわざわと周囲のざわめきを背中で聞きながら、移動艇に飛び乗ろうとする。だが、なぜか扉が開かなかった。まるでロックがされたように、がたがたと揺れるばかりで動かないのだ。


 すぐに乗り物から離れ、別の場所へ逃げる。やはりダークマターは気づいていたのだ。穹が来ていたことに。


「ハルさん、緊急事態です!」


 穹は走りながら、コスモパッドでハルに事の顛末を伝えた。わかった、とすぐに聞き慣れた機械の音声が届く。


『救出プランを作動する。それまでソラはなんとか逃げ切ってくれ』

「了解です!」


 どう逃げようか、どうまくか。とにかく何が起こっても足を止めないようにしなければ……。


 穹は確認した案内板で非常用通路を見つけると、そこへ目的地を変えた。移動艇が使えないのなら、自分の足を使うほかない。飛び込むようにして通路に入ると、道なりに沿ってがむしゃらに走った。


 やがて出口が視界に入り、外の空気を全身に浴びた瞬間、安堵と同時に違和感を抱いた。


 なぜ、追っ手が来ないのだろうか。穹は振り返った。誰かが穹のことを追いかけてくる気配は全く感じられない。

 確かにマーキュリーに見つかったとき、わずかでも時間稼ぎにならないかと大袈裟に騒ぎながら逃げたものの、それにしても妙に静かだと思った。


 色々と考え事は展開されるが、しかしそれに身を委ねている余裕はない。穹は急いで、ハル達が待っている地点のもとへ戻っていった。


「あっ、穹!」


 穹の顔を見つけた美月が、真っ先に駆け寄ってきた。


「良かった、無事で……!」

「想定していたよりもかなり早い帰還だ。何かあったのか? それともソラは、向こうで何かをしたのか?」


 ハルに聞かれ、穹は首を振った。


「い、いえ、何もしていませんけれど……。むしろ、ハルさんが何かしたんじゃないですか? 全然追いかけられなくてすんなり逃げ切れたので、僕はてっきり」

「私はまだ何もしていない。ではあの煙はソラとは無関係ということか」

「煙?」

「あ、あれだよ!」


 未來が真っ直ぐ、左方向を指さした。穹はそちらに顔を向けた。他の皆も同じ方角を見た。え、と穹は目を見開いた。


 遠くのほうで、煙が空を目指して立ちのぼっていた。細いうえに薄いがそれは確かに灰色で、あの下で火の手が上がっているのは明らかだった。


「あの下にあるのは、展示会用の倉庫だ。距離などを計算すると、恐らくダークマター用の倉庫だろう」

「えっ?!」

「煙を発見したのは、ソラから緊急連絡の直前だ。その対応に追われ、結果ソラを追いかける余裕がなくなったのだろう」

「一体何が……」

「詳しいことは不明だ。しかし、逃げるチャンスなのには変わりない。追っ手が来ないうちに、急いで戻ろう」


 ハルに促され、とにもかくにもと出発する。どこか心に、後ろ髪を引かれるような気持ちがあった。普通に考えるなら、逃げ切れたのでラッキーなはずなのだ。幸運のはずなのだ。


 しかし、なぜだか素直にそう思えなかった。美月も未來も穹と同じように顔を強張らせているので、同じことを感じ取っているのだろう。


 冷たい風が吹き、音もなく通り抜けていった。



 正直マーキュリーのことは嫌いではないのだ。投げ飛ばしたいほど腹の立つときもあるし実際に投げ飛ばすこともあるが、合わない相手と二十年近く友人でいるような甘い性格はしていない。


 が、それは今までの話だ。現在は違う。一旦説明会から控えの部屋に戻ってきたビーナスのもとに、とんでもない話が飛び込んで来たのだ。


「ビーナスちゃんやめてえ!! マーキュリー君が本当に死んじゃうー!!」


 ジュピターが隣で泣き喚いているが、ビーナスはマーキュリーの胸ぐらを掴む手を緩めなかった。できるわけがなかった。ビーナスは怒りに染まりすぎて低くなった声を発した。


「子供に……嫌がっている女の子に迫ったって……。……どういうことかしら……?」


 会場でちょっとした騒ぎが起こったと報告があり、それが男性が少女に何かしようとして、少女が物凄い悲鳴を上げて逃げ去ったというものだった。しかもその男性が、目撃情報を聞く限り、どう考えてもマーキュリーなのだ。


 本当ならば生かしておくことなどできないと腹を据えたとき、緊急に呼ばれて部屋を退室していたというサターンが戻ってきた。


「急展開があった」

「こっちもよ……。サターン、この腐れ外道をどう処分したらいいかしら……?」

「話を聞けええええ!!!」


 マーキュリーが怒鳴りながら、ビーナスの締め付けから脱出した。意識が一瞬サターンのほうに向いていたせいで、少し力が緩んでしまったらしい。床に座り込んでげほげほと咳き込み続けるマーキュリーに、ジュピターが駆けつけて背中をさする。


「まず誤解だ、全てが間違いだ! さすがの俺でもそんなことはしねえよ! そもそもあいつは女じゃねえ、男だ! というか穹だ! 敵だ!」

「ああ……。そういう自己弁護だったわね……」

「文句があるならサターンに言え! 全てサターンに聞け! こいつが俺を行かせたんだからな!」


 マーキュリーはぜえぜえと息を切らしながら、辺り一帯にぶちまけるように訴えた。


 話しかけていた相手はハルの仲間だったというのはマーキュリーがずっと供述していたことだが、信じるに値する根拠がなかった。


 カメラの映像を見たが、どう見てもそれは見知らぬ女の子で、ハルの仲間には絶対にいない人物だったからだ。嘘ばかりつく昔馴染みだが、ここまで見え透いた嘘をつくほど落ちぶれたのかと思っていた。

 真実かどうか、サターンを見る。すると、サターンは無表情のまま頷いた。


「向こうの会場で、非常用通路を走って逃げる人物が一人、防犯カメラに記録されていたということだった。その人物というのが、マーキュリーが話しかけていた人物と一致していた。音声記録機能つきの防犯カメラに保存されていたマーキュリーとのやり取りから考えて、変装した宮沢穹と考えて間違いないだろう。最初にあの人間が通りかかったときに生じた違和感を無視せず行かせて良かった。マーキュリーをぶつければ、間違いなく本当の姿を現すと踏んだからな」

「……本当なの?」

「間違いないって言ってるだろうが! 鞄をぶつけるだけじゃなく、変態のレッテルを俺に貼り付けてわざとらしい悲鳴上げて逃亡しやがったんだ! あんな糞餓鬼は穹以外に有り得ねえ!」


 マーキュリーは引きちぎるようにネクタイを外すと、そのまま床に叩きつけた。ジュピターがあわあわと、「大変だったねえ、嫌だったよねえ。偉いよ、マーキュリーくんはよく頑張ったよ!」と宥める。


「……いつも嘘ばかり言うからてっきり。まさか本当のことを言ってたなんて」

「……」


 床に座ったままのマーキュリーに謝罪を入れてから、「それでサターン。見つかったのに、追いかけなくていいの?」と聞いた。いつもなら捕獲のための計画をすぐに練り、次々に指示を出すであろうサターンだが、なぜかそんな素振りを見せなかった。


「それについて、一つ考えていることがあるのだ」


 一体何なのかと聞こうとしたときだった。にわかにばたばたと足音が近づいてきて、間隔の短いノックの音が響いた。慌てふためいた様子の社員の声が聞こえてくる。


 ビーナスは自分だけ部屋の外に出て、何があったのか聞いた。血相を変えた男性社員と女性社員からの話を聞くと、ビーナスは碧眼を見開いた。


 ダークマター用の倉庫でボヤ騒ぎがあったというのだ。展示会側が貸し出しているものの中での専用の倉庫で、今回出展する製品のサンプルなどが保管されていた。被害者はいなかったとのことだし、大した火事にもならずすぐに消火されたという。


 この説明を聞いた時点でおかしいと思った。倉庫は耐火設備も防火設備も万全が極まっており、火が出たとしても、ボヤだとしてもそこまで燃え広がることは考えられなかった。更に話を聞くと、ボヤとはいうが、実際に見た人の話では煙ばかりがもうもうとしていて、火そのものは見られなかったという。


 直後受けた説明に、部下の前であるにもかかわらず、「なんですって?!」と声を上げていた。


 なんと、倉庫の中から自社製品の半分以上が消えていたというのだ。大型の機械は残されていたが、中型、小型のものは軒並みなくなっていたという。盗まれたのだと思われます、と。


 極めて濃い濃度の煙で倉庫のセキュリティシステムや感知機能の働きが鈍り、そこに隙が生まれてしまったらしい。警備用のロボットも破壊されていたという。しかし、倉庫の近辺で不審な人物は見かけられていないということだった。


 取り急ぎ話を聞いた後、控え室に戻った。話が聞こえていたようで、ジュピターは愕然と目を見開き、言葉を失っていた。しかし、サターンは無反応だった。


「サターン……。今の話」

「先程部屋を出ていたときに、既に聞いた。現場の状況などの詳細についてもな。それらを踏まえて考えると、例の電池を盗んだ宙賊と同一犯である可能性が高い」

「ああ、でもせっかくmindを取り戻すチャンスなのに、なんていうタイミングなのかしら。この大事なイベントのときにこんなことが起きて、訪れている幹部が出向かなかったら、周りの企業や団体も妙に思うわよね……」

「そうか? 俺は大きなチャンスだと考えている」

「えっ?」

「mindと、宙賊。二つを纏めて捕まえる、またとないチャンスなのではないかとな」

「どうせ二つとも、もう逃げられているんじゃないか? そんな上手く事が運ぶわけないだろ、この世の中」

「そうだとしても、二つともが事を起こしている以上、必ず何らかの手がかりを落としているはずだ」


 マーキュリーの投げやりな台詞に、サターンは冷静な態度を崩さず答えた。


「あとはそれを足がかりにダークマター技術の心血を全て注ぎ込んで、捕獲する。そうやって目にものを見せる。それだけの話だ。……情報及びデータ収集、追っ手の派遣、当局への通報、現場や下の者達、会場内全ての混乱の沈静と収束。全て遺漏なく執り行え!」

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