phase1.1
翌日。
学校を終えた美月は一人、帰路についていた。
今美月の頭の中を占めているのは、ハルとココロのことだ。
頼まれた件の、はっきりとした返事。それが出来ぬまま、ずるずると引き延ばしてしまっていた。それは駄目だと理解しているのに、踏ん切りがつかない。
迷うのは、反対の気持ちが二つ、存在しているからだ。
片方の気持ちは、助けたい、力になってやりたいという善意。もう片方にあるのは恐怖心なのか、それとも面倒ごとに巻き込まれたくないという思いか。
「……それは、自分が嫌だなぁ」
はあとため息をつきながら、突き当たりを曲がろうとすると。
「わっ!!!」
「おっと、危ない!」
眼前に現れた人影と、すんでのところでぶつかりそうになった。
回避したまま、「ごめんなさい!」と美月は頭を下げる。
見上げると、そこには物腰の柔らかそうな青色の髪の男性が立っていた。
「いえいえ。こちらこそ不注意でした。申し訳ありません」
「わ、私は大丈夫です。あの、そちらこそ平気ですか?」
「ええ。どこも痛くもかゆくもありませんよ。あなたのほうこそ、お怪我はありませんか?」
平気ですと、美月も笑みを返す。
良かったですと微笑む男性に、ふと美月は妙な感覚が沸いた。
知らない大人と話すときは少なからず緊張するが、この男性相手には、それがない。
男性は、見るからに“良い人そう”な雰囲気を漂わせていた。
そう信じて疑わなくさせるほど、強力なものだった。
初対面のはずなのに、リラックスにも似た感情さえ抱き始めていた。
少しお話をしてみたいとさえも。
とはいえそれは実に些細で微かなものであった。美月は普通に、「では」と立ち去ろうとした。
と、まるでそんな美月の考えが伝わったかのように、男性は「ちょっとお待ちを!」と早口で引き留めた。
「あなた、もしかして穹さんのお姉様ですか?」
「えっはい、そうですが……って、どうしてそれを?!」
驚いたと同時に、怖くもなった。
さすがに警戒して半歩後ずさった美月に、男性は合点したとばかりに目を大きくした。
「やはりそうでしたか! 昨日、穹さんに色々聞かせてもらったんですよ」
「穹に? じゃあ、もしかしてあなたが商人さんなのですか?」
「おや、そんなことまで伝わっていらしたとは! ええ、その通りですよ」
笑顔で頷く男性に美月は肩を落とし、後ろに下がった分、前へと歩んだ。
「穹さん、色々とあなたのことを話してくれましたよ。自分の姉は、いつも明るくて元気だって」
「え。や、やだなあ、穹ってば……」
まさか自分の知らないところで、そう思っていたとは。
照れ笑いを隠せない美月に、男性はクスリと何か企んだような笑みを浮かべた。
「えーとそれからですね、気が強くて怒りっぽくて、理不尽で我が儘で……」
「……」
「あ、怒らないであげてくださいな。仲が良くて、実に羨ましいです」
そのお願いは、今の美月にはとても聞けそうにない。
既に頭の中では、穹をどう追求し、どう落とし前をつけてもらうとしか、考えていなかった。
「あんのバカ……!!!」
「ふふふ、微笑ましいですねえ」
男性は目を細めて笑っていたが、美月としては実に恥ずかしいしそれ以上に怒りがある。
ふいに男性は、ああそうだと一人言を言いながら鞄の中を探り始めた。
ぎりぎりと人前であるにもかかわらず歯を鳴らす美月の前に、「まあまあ、これに免じて、あんまり厳しくしないであげてくださいな」と、握りしめた手を差し出す。
我に返った美月が片手を差し出すと、男性は手のひらの上に何かを置いた。
「わあ……!」
思わず美月は、感嘆の声を吐き出した。
それは、砂の入った星形の小さなボトルだった。
藍色のラメが入ったボトルの中に、銀色の砂。
よく見るとその砂の中に、更に色とりどりの、星形の砂が混じっていた。
小さな砂は外に漏れないよう、コルクの蓋できつく閉じられている。
チェーンがついているので、キーホルダーとして使えそうだ。
これ以上無いほど、美月の好みにぴったりの代物だった。
「穹さんに、姉は星が好きなのだとお伺いしましてね。お気に召しましたか?」
「は、はい! ありがとうございます! あの、おいくらですか? あんまり持ってないんですが……」
「いえ、差し上げます。昨日穹さんに商品を買ってもらいましたし、それに沢山お話を聞かせて頂きましたし。お礼と、お姉様に出会えた記念に、プレゼント致しますよ」
恐縮のあまり体を縮こませ、何度か払うと言ったが、男性は譲る気配を見せない。美月は、厚意に甘えることにした。
「ありがとうございます、本当に!」
「この中に入っている砂。実はですね、月の砂なんですよ」
男性の口調が、堅くなった。きりっとした真面目な顔でそう言われ、美月は驚いてその目を見る。
ふっと、顔が緩んだ。
「信じるか信じないかは、あなた次第です」
からかわれたのだ。しかし、なぜだか嫌な気持ちはしなかった。
美月はつい吹き出してしまい、もう一度お礼を言った。
「でもやっぱり悪いので、お代は穹からたっぷりといただいちゃってください!」
「あらまあ、厳しいお姉様ですねえ」
「私の陰口を言った罰です!」
「ふふ、ですがもしまたお目にかかりましたら、その時はもっと、様々な商品をお見せ致しますよ。楽しみにしていてくださいね」
「はい!」
美月は貰ったボトルを軽く振った。
中身が上下し、砂と砂がぶつかる音がかすかに聞こえる。
「あれ、そういえば、どうして私が穹の姉だって気づいたんですか?」
よくよく考えてみれば、穹は姉がいると言っただけで、姉がどういう背格好をしているのかまでは言っていないようだ。
それなのに、なぜ一目見ただけでわかったのだろうか。
「それはですね、お二人が似ていたからですよ」
「え? 似てますか? 私達」
美月と穹の顔は、正直そこまで似ていない。
もちろんちょっとは似通っている箇所もあるが、一卵性の双子というわけではないので、一目見てわかるほど同じではない。
そんなことは初めて言われたので、美月は首をかしげた。
男性はええ、と頷いた。そして、これ以上無いほど、にっこりと笑った。
「……同じものを、つけておられますからねぇ」
体に電流が流れる。使いこされた表現だが、まさにそのような衝撃が走った。
雷ほどではないが、弱くてもびりびりと痺れるような。
男性は美月の目でなく、左の手首を見ていた。
美月は、男性の目を見上げることしかできなかった。
その目は、笑っていなかった。
「……え……?」
「美月? どうしたの?」
「きゃああああっっっ!!!」
すぐ背後からの声に、美月は派手に悲鳴を上げた。
一回転しつつの飛び跳ねながら振り返ると、未來が人懐っこそうな表情で立っていた。
「み、未來? もう、脅かさないでよ…!」
「あ、ごめん! 美月、こんなところで何してるの?」
「い、いやちょっと……。あ、そうだ!」
未來との遭遇に今の状況が頭から抜け落ちかけていたが、思い出した。
慌てて振り向くと、やはり男性が、笑顔のまま立っていた。
目も、ちゃんと笑っていた。
「お友達ですか?」
「え、はい」
未來は事態が飲み込めていないようだが、それでもぺこりと小さく頷いた。
「そうですか、こんにちは」
男性が会釈すると、未來もきょとんとした顔を崩さないまま、それにならう。
男性は大きな仕草で腕時計を見ると、あ、と声を上げた。
「もうこんな時間だ。それでは私はこの辺で。また会いましょうね、美月さん」
にっこりと笑い、軽くお辞儀をすると、男性は美月と未來の隣を歩き去って行った。
男性の通った空気の温度が、やけに冷たかった。
「えーと美月、今の人は誰?」
「……セールスマンさん。……多分」
美月としては、あの男性がただのセールスマンでないことは決定事項だった。
そんなことなどつゆ知らない未來は、「ふうん」と言いながら、
男性の去って行った方向を眺めていた。
「なんていうか、今の人……。なんか、普通と違う感じがしたな。……なんだろう。ちょっと、怖かったかも」
未來にとっては、ただの一人言のつもりだったのだろう。
だが美月は、小さく、浅く、頷いた。
未來の言っていることは、間違いなく正しい。
美月も、未來と同じ方向を見た。
男性の姿は、もうどこにも無かった。
しかし、あの冷たい目が、まだどこかで自分達のことを見ているような気がした。
帰宅後、自室で今日の宿題と向き合いながらも、美月は先程のことが頭をちらついていた。そのせいで、集中できているとは言い難かった。
ごくわずかな時間の出来事にすぎなかったはずだ。
なのに、忘れられない。頭の中に、体に、張り付いている。
あの男性の目。そして纏った空気。あんなに恐ろしく冷たいものはなかった。
あれはどう考えても、普通の人間が持っているものではない。
あの《《気》》は、一体何だったのか。
考えれば末恐ろしいが、気にはなってしまう。
だがいくら考えても、わからなかった。
やめやめと美月は頭を振ると、立ち上がって部屋を出た。
美月は階段を下り、台所に足を向けた。
本来宿題が終わった後のお楽しみに食べるつもりだったおやつを取ろうと思ったのだ。
宿題ははかどらず、何か考えるにしても纏まらない。
こういうときは気分転換に限る。
何のおやつがあったかと記憶を探り出した時だった。
ガチャリと、レストラン側に通じているドアが開いた。
浩美が顔を覗かせ、「美月、今暇?」と少し困ったような面持ちで尋ねてきた。
「おやつ食べようかなと思ってたところだけど、どうしたの?」
「あのね、おじいちゃん今出かけてるんだけど、傘を忘れちゃってるのよ。これから少ししたら雨が降るみたいだから、美月迎えに行ってあげてくれない?」
美月はこれに頷いた。散歩も、気分転換にはなるだろう。
「おじいちゃん、どこに行ってるの?」
「科学館よ。連絡があって、電車で帰ってくるから、だから駅まで迎えに行ってあげて」
「あそこかあ……。うん、OK!」
ドアの向こうから、オーダーを知らせるベルの音が鳴り響く。
浩美はそちらに向かってはい、と大きく声を出し、本当にごめんねと美月に手を合わせた。
源七が乗る予定である電車の時刻を伝えると、ドアを閉めた。
美月は電車の時刻を頭の中で確認すると、早速傘を2本持ち、家を出た。
空を見上げると、確かに今にも雨の降ってきそうな程、暗い灰色の雲が立ちこめていた。
これは急がないとなと、美月は思った。
目的地の駅は、家から徒歩で15分から20分程かかる距離にある。
だが、電車はもちろんちょうど良いバスは無いので、車か自転車か徒歩で行かなければいけない。
早急の事態だが、帰り道に雨が降り出すかもしれないので、美月は自転車を使わず、歩くことにした。せめてもと、早歩きにした。




