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卒業

作者: CLIP

                

「ねえ、いいでしょ?」

萌は後ろを歩いている和博に向かって笑いかける。

振りかえった拍子に、萌の長い長い髪が一緒に揺れ

それが日の光りを浴びて薄い茶色が更に輝いて見えた。

「なんで、床屋なんか行きたがるんだよ~女のクセに」

和博が不思議そうに不満気に萌に問い掛けると

萌は口を尖らせたような顔になった。

「だって~行ってみたいんだもん。今流行ってるんだよ~

顔剃りとかエステとか・・・」

萌はさっき和博が言った『女にクセに』と言う言葉に怒っているのだった。

「だったら、1人で行けよぉ」和博は突き放した様に言う。

「1人じゃ恥ずかしいの!だから付いて来てって言ってるんでしょ」

相変わらず口を尖らせたまま

(一緒に来てくれなきゃ意味がないのよ。だって、私・・・)

萌は胸の中でつぶやいた。

そう、一緒に来てくれなきゃ、意味がないの。


付き合い始めてもうすぐ2年バイト先で知り合って、

萌が和博にひとめ惚れしなんやかんやで付き合う事になっていた。

それでも明るく、可愛らしい萌と付き合って行くうちに和博の方も、

どっちが先に好きになったかなんて忘れていたのだけど・・・


結局、萌の希望通り、一緒に床屋に行く事になった二人

しかし、萌は希望が叶ったと思った途端、少し暗い顔になっていた。

「なんかドキドキするぅ~」

和博の手をぎゅっと握り締め萌がつぶやく

「そんなにドキドキするなら、辞めればイイじゃん」

和博の意地悪も、耳に届いてない様子だった。

ガラスの扉を押して、店内に入ると床屋独特の整髪料のニオイが鼻につく。

中にいた店員が、二人を見て一斉に声を掛ける。

「いらっしゃいませ」

その声になぜか萌はピクッと身体を震わせ

和博の手を握る自分の手を更に強く握りしめた。


「こちらにどうぞ」若い男の店員が、二人に向かってソファを指す

「こちらでしばらくお待ち下さい」

二人は言われるままに、黒いソファに身体を沈めた。

5分ほど待って、黒い制服を着たさっきの若い店員が近寄ってくる。

「今日は・・・?」

伺う様に二人を見ると萌が立ちあがり

「私・・・」と言った。若い店員は萌を見ると、

にっこり笑いこちらへとエスコートした。

「見ててね」和博は萌が向こうへと歩いて行く時、確かにそう聞いた。

「見ててね?待っててねの間違いだろ?」

和博はひとり言の様につぶやき、

側に置いてあったバイクの雑誌を手に取って読み始めた。


胸に「佐伯」と書かれたネームが付いていた若い店員に案内された萌は

ちょうど和博の座るソファから見える位置の椅子に座っていた。

佐伯は萌の顔を鏡越しに見て、

「今日はどうなさいますか?」と聞いた。

最近は女性客も増えているし、

ましてココの店の様に若い店員を揃えてる店は、

女性客を新しいターゲットにもしている。

エステやカラーリングをする女性のための個室も奥に用意されている。

萌は、喉の奥がくっ付いてしまったような気持ちでいた。

しかし、佐伯が不思議そうに自分を見ているのに気が付くと思い切って口を開いた。


「あの・・・切って下さい。短く、男の子みたいに」

それから佐伯が答えるまで、ほんの2~3秒だったと思うが

萌には1分にも2分にも思えたほどの沈黙だった。

ドクンドクンと心臓が高鳴り、それが他人にも聞こえてしまうんじゃないか

と思うほどだった。

「いいの?男の子みたいって、こんなに長いのに・・・」

佐伯が萌の背中をたっぷり隠すような長い髪に触れる。

それと同時に、佐伯はなぜか後ろめたい気分になって

後のソファに座っている和博の方をそっと振り返る。

しかし、当の和博は何もしらずにさっきの雑誌を読みふけっている。

その様子を鏡で見ていた萌は、大きく息を吸って答えた。

「いいんです。思いきりばっさり切っちゃって下さい」

そんな思い詰めた様子の萌を、佐伯は不可解な顔をしながら見つめていた。

「ほんとにいいの?後悔しない?」

今度は萌の顔をのぞき込む様に聞く。

「彼にも言ってあるの?いいの?」余計な事だと思いつつ、

佐伯は小声でたずねた。萌の目が一瞬潤んだ様に見えたが、

次の瞬間鏡の中の自分と、長い髪と、

そして佐伯の顔をしっかり見据えて

「いいんです。やって下さい」とはっきり答えた。

いいの、そのためにここに来たんだから。

萌は自分で自分に言い聞かせる様に、胸の中でもう1度つぶやいた。


和博がバイク雑誌を読んでいたのは、はずかしかったからだった。

付き合って2年も経つとは言え、

彼女が床屋で顔を剃ってもらってる姿なんか、

直視出来ないそう思っていたからだった。

雑誌を読むフリをしながらも、時折顔を上げて

斜め前に見える萌の方をチロチロと見てはいたのだが何を話してるかは

店内に流れるFMラジオの音にまぎれて聞こえなかった。

その和博が顔を上げた時、佐伯が萌に白いカットクロスを付けていた。

「あいつ、顔剃りじゃないのかよ」和博は心の中で呟きながら、

雑誌と萌の方と落ち付かない様子でちらちら眺めていた。


佐伯が白いカットクロスを萌の首に巻き付け

萌の長い髪をそっとクロスに外に引き出した。

白いクロスの上に、置かれた髪は、いつもより茶色ががって

見えキラキラと輝いて見える・・・

そうさっき日の光りに照らされた時と同じ肩からゆうに30センチは越える長い髪

佐伯は丁寧にゆっくりと梳かしながら、霧吹きでシュッ、シュッと濡らして行った。

萌は少し下を向いたまま、じっとしている。

時折、顔を上げて鏡の中の自分と、その後に映っている和博の姿を見たが、

その時は和博の方が雑誌に目をやっていた。

「じゃあ、切っちゃうよ」

佐伯は、さっきより少しくだけた口調になって萌に話し掛ける。

萌は、びくんと身体を震わせて、慌てて頷いた。

もう、切っちゃうんだ、ずっとずっと長かった髪大事にしてたんだよね・・・

和博も、長い髪が好きだった気がつくと、

さらさらと手で触ってはニコニコしてたもんね

萌は鏡の中に映った自分と、

その横にいつも当然のように揺れている髪を見つめていた。


佐伯が横に置いてあったワゴンから、銀に輝くハサミを取り

反対側の手で持っていた櫛でもう1度萌のサイドの髪を梳かした。

そしてその次に瞬間・・・

「ジョキッ・・・」

今まで聞いた事もないような音が萌の耳のすぐ横で聞こえたような気がした

はっと顔を上げた萌の目に映ったのは

肩の上5センチくらいで切り落とされた長い髪が

白いクロスの上を滑って落ちていくところだった。

「きゃっ」

思いがけず、声を出してしまった萌に佐伯が驚いたような顔をしたが

今度は後にまわりこんで、後の髪を梳かした。

何でもない様に、佐伯は切ってしまったが、萌には驚くほどの衝撃だった

物心ついてから、ずっと長かった記憶しかない自分の髪が

肩より上の長さに切られてしまった

自分で決めた事とは言っても、その衝撃は萌の想像していた以上のものだった。


FMのラジオの音にまじって、萌の声が聞こえたような気がした。

そう思って和博が目をあげると、サイドの髪が、切り落とされ、

泣きそうになっている萌の姿が鏡の中に見えた。

下には切り落とされた30センチ以上もある髪・・・

「お、おい」思わず大きな声が出て、そのまま和博は立ち上がってしまった。

その声に、佐伯と萌までも振り返り、和博の方を見た。

「お前、何やってんだよ」和博は、自分でも誰に向かって言ってるのか判らなかった。

身体中の血が逆流するような、妙な気分になっていた。

「いいの・・・」萌は、そんな和博に向かってそう言った。

「私が言ったの」その顔は、笑っているような、泣いているような顔だった。

その言葉で、とりあえず和博はまたソファに座りなおし

佐伯もホッとしたように前を向いた。

「ごめんなさい、続けて下さい」萌は佐伯にそう言って、しっかりと前を向いた。

鏡の中には、片方の髪だけ、肩上でぷつんと短くなって

少し泣きべそ顔のような自分が映っている。

佐伯が後に回り込んで、長い髪にハサミを入れる。

「ジャキッ・・・」

先程よりも更に音が大きく聞こえたような気がする。

萌の心臓は、早鐘のように打ち顔がかーっと赤くなってくるのが判った。

切り落とされた髪が、床に落ち大きく広がった。

頭が、すっと軽くなったような気がした。と同時に、

それほど短くされてしまったんだな、と感じた。


和博は自分が今見ている状況が信じられなかった。

あんなに長い髪を、萌はどうして切ってしまうのか・・・

子供の頃から、ずーっと長いの。短くした事1度もないんだよ」

萌はいつもそう言っていたのに・・・俺がふざけて引っ張ると、

いつもの膨れっ面で「痛いよぉ」と笑っていたのに・・・

その萌の髪が、今どんどん切り落とされていってる。

床に落ちた長い長い髪・・・和博はそこから目を離せなくなっていた。

鏡の中の萌は、少し笑ってるように見えるけどあれは笑ってなんかいない

自分には、それがわかるんだ、和博はそんな事を考えていた。


佐伯は、後ろの髪をざくざくと切り落とすと反対側に行き、

残っていた長い髪をそっと手に取った。

そして、呆気ないほど素早く、ハサミを入れシャキンと切った。

「軽くなったでしょ」何事もないように、そう聞かれて萌はとっさに返事が出来なかった

今まで、ずっとずっと長かった髪それが今では、肩より短いところでばっさり切られている。

「は、はい・・・」思いがげず声が震えた。

「どうする?このまま揃えておきますか?」

そんな萌の様子を見て、佐伯がとっさに言った。

萌は目を閉じて大きく息を吸うと、また目を開けて答えた。

「いいんです、もっと短く切っちゃって下さい」

「もう、これ以上は短く出来ないって言うくらい、ばっさり切って下さい」

萌は、震える声で、でもしっかりと言った。

それは、やはりかなり無理してる様に聞こえたが、

意を決したような言い方に、佐伯は少し笑ってハサミを握りなおした。

佐伯の持ったハサミが動く度に驚くほどの髪が、バサバサと切られ落ちてくる。

耳の上あたりに髪を持ち上げると「パチンとハサミが鳴り、

それと同時にパサッ、パサッと白いクロスの上に、髪が落ちる。

くしで持ち上げては切る、と言う動作を繰り返す度にバサバサと髪が切り落とされその度に、

萌の心臓は破裂しそうに苦しくなった。

もう、すごく短くなってる…もう辞められない

本当に切ってるんだよね、夢の中の出来事のようにパチンと響くハサミの音と、

髪が落ちる音を聞いていた。

でも、鏡に映る自分の姿が夢じゃない、現実のモノだと言う事を萌は思い知らされていた。

さっき、切った時は、肩より少し上だった髪が耳が全部見えるくらい短く切られている。

佐伯のハサミは、そのまま後ろの髪に移り、今度は後ろの髪を更に短く切り始めた。

生え際近くに、ハサミが当たり、それがひやっとして萌は思わず首をすくめた。

「大丈夫?」そんな萌の様子に気がついた佐伯が、少し笑いながら聞いてきた。

「はい、平気です」萌は慌ててそう答えると、鏡越しに和博の様子を伺った。


萌の長い髪が、ばっさりと切り落とされてしまったショックから

ようやく落ち付きを取り戻していた和博だったが更に、

どんどん短くされている萌の髪と、その萌の様子に新たなショックを受けていた。

耳がすっかり見えるくらいに横の髪が切られ後ろも、首があらわになり、

更にどんどん切っていってる。

萌は鏡の中の自分を、少し笑ったような顔で見ているけど

たぶん、笑っているのは、泣きたいのを必死に我慢しているから

大きい目が、いつもより更に大きく見開かれ、

涙が浮かんで来るのを必死に押さえてるようにも見える。

「何なんだよ~あいつは」

和博はひとり言のようにつぶやき、萌を見ていた。

その時、鏡の中の萌と、ふと目が合った。

『大丈夫だから、気にしないで、でもちゃんと見ててね』

無言で和博を見る萌の目がそう言っている。

声を出したい衝動を押さえながら、和博はそのまま萌の様子を見ていた。


萌の髪は、驚くほど短く切り落とされていた。背中までたっぷりあった長い髪も、

今は跡形もなく耳が見え、首もすっかり見えるほど横も後ろも短くなっている。

かろうじて、長く残った前髪を佐伯がくしで梳かしている。

「前髪も・・・短くていいんだよね」

前髪以外、かなり短くなってしまった今その質問は、無駄だと思いつつ、

佐伯は萌にそう聞いた。

「ええ・・・」萌が答えるとほぼ同時に、前髪が切り落とされた。

視界が急に広がったような、目の前が明るくなったようなそんな気がした萌は、

はっと顔を上げた。眉が完全に見える長さにぷつんと切られた前髪

佐伯は更にハサミを入れ、不揃いにしていた。

パチン、パチン、規則的な音を立ててハサミが動きその度に、萌の前髪は短くされていった。

「前髪短いのも可愛いよ」

佐伯が不安げな萌にそう話し掛けた。萌は何も答えずにただ少しだけ笑って見せた。

佐伯のハサミは動きを止める事無く前髪を短くしてしまうと、

今度はトップの髪をまた切り始めた。髪をすくっては『パチン』と音を立てて髪を切る。

萌の目の前を数センチの長さの髪がパラパラと落ちていくのが見える。

あんなに切ったのにどうしてまだこんなに切り落とされてくるんだろう

萌は雨の様に目の前をバサバサと落ちてくる髪を見てそんな事を考えていた

鏡にはまるで変わってしまった自分が映っている。

不安げに上目使いで見てはまた自分のひざの上辺りに視線を落とした。

そこにも髪がたまっていっている。萌はカットクロスの下からそっと手を持ち上げ、

たまっていた髪をそのまま下に落とした。


「こんな感じでどうかな?」

すっかりくだけた口調になった佐伯が萌に聞いて来た。

萌ははっとした様に顔を上げ、もう一度鏡の中の自分を見つめる。

前髪は額の真ん中辺りで不揃いにカットされトップも4.5センチだろうか

立ちあがる感じになっていた。サイドは…萌ちょっと斜めを向くようにして鏡に映して見る…

耳がすっかり見え、同時に襟足ぎりぎりまで切られたうなじが耳の後ろに見えていた。

かなり短めのショートヘアになっていた。

もういいよね、こんなに切っちゃったんだから

萌はそう思っていた。これでじゅうぶん…でも…

しばらく考えていた萌の様子を不思議そうにちょっと首を傾げながら佐伯は見ていた

「じゃあこれで仕上げに…」

そう言いかけた言葉を萌が遮った。

「もっと…もっと切っちゃって下さい」

佐伯は驚いた様に萌の顔を見つている、驚いたのは佐伯だけではなかった。

それを言った萌自身も…自分の口から出た言葉に驚いていた。

「もっと、って…これ以上切るとなると刈り上げにするしかないんだけど」

佐伯は短くなった萌のサイドや後ろの髪を触りながらそう言った。

「いいの…?」

萌は『刈り上げ』と言う言葉に一瞬ビクッと身体を固くしたがそのままこっくりと頷いた。

声にはならない声で「いいの」と言いながら。

徹底的に切っちゃうって決めたんだもの…萌はそう心の中でつぶやいた。


ようやくカットが終ったのかそう思って何となくほっとしていた和博は、

それでも変わり果てた萌の姿を複雑な気持ちで眺めていた。

長かった髪は跡形もなくなり、すっかりベリーショートになっている萌

「いったい、何考えてるんだか…」

萌の胸中をはかりかねている和博はそのまま萌の方を見ていた…

そこへ、佐伯が手にバリカンを持って近づいて行くのが目に入った

「!」和博は嘘だろ、と小さく呟いたがそのまま席を立つ訳にもいかず

ただ目を見開いて見ているしかなかった。


「本当にいいの?」

佐伯は今日何度目かの言葉で萌に確認するようにたずねた。

「うん、思いきりやっちゃって下さい」

萌はしばらく待っている間に覚悟が決まったのか

今度ははっきりと口に出して言う事が出来た。

その声は思ったよりもか細く、震えてはいたけれど…

「じゃあ、思いきってやっちゃうよ」

佐伯は手に持っていたバリカンをイスの下のコンセントにつなぐとスイッチを入れた。

『ウィ~~ン…』

と音がして動き出したバリカンを萌はちらっと振りかえって目の端で見た

あ、どうしよう…萌が自分の言った言葉を、少し後悔し始めている、その瞬間

「ちょっと下向いてね」佐伯が左手で萌の後頭部辺りをくいっと押し、

萌はそのまま下を向かされる形になった

そして次の瞬間、首筋に何かひやっと冷たい感触がしたかと思うと

すごい振動が首から頭全体に広がっていった。

「あ…」

萌は思わず小さな声を出してしまったが、

バリカンの音にかき消され佐伯の耳には届かなかった。

バリカンの冷たい感触がうなじから後頭部を上に向かって這い上がってくる。

『ジジ…ジ…』髪を刈り取って行く音がかすかに聞こえ、短い髪がばさっと落ちる。

刈り上げられている…私の髪が…

萌はくすぐったいような、怖いような不思議な感覚に

思わずカットクロスの下で手をぎゅっと握り締めた。手は驚くほど冷たくなっている。

佐伯の持ったバリカンは萌の後ろの髪を、ちょうど真ん中辺りまで刈り上げると

また下まで戻り、それを繰り返した。

後ろ、どんな風になっているんだろう…見えないが、感覚だけははっきりと伝わってくる

それがよりいっそう萌の不安を大きくしていた

何だか、すごく上の方まで刈られてる気がする…どうしよう

ようやく後ろを刈り上げ終わった佐伯は今度は萌の右側に立ち

櫛を使いながら耳の上辺りにバリカンを当てた。

後ろより更に近くで聞こえる大きなモーター音に萌は思わず首をすくめそうになった。

後ろと違って、今度は刈っている様子が鏡にはっきり映し出され

萌の心は『見えない恐怖』から『見せつけられる恐怖』へと変わっていった。

側頭部の上辺りまでバリカンは上って行き、容赦なく髪を刈って行く…

バリカンが通った後にはわずが1センチにも満たない髪が残されてるだけになった。

こ、こんなに…どうしよう…やがて右サイドを終え、次は左サイド…

同じように髪がどんどん刈られていった。


「じゃ、仕上げるからね」

バリカンを置いた佐伯は、またハサミを取り

出し刈り上げた部分と残った髪の間を整え始めた。

さっきより短くなった後ろやサイドに合わせてトップの髪も更に短くされていった。

そしてスタイリング…

「ココまで切ったら仕上がりも男の子みたいにしようか」

佐伯は楽しげにワックスを両手に伸ばしながら、

それを萌の前髪やトップの髪に付けてツンツンと立たせるようなスタイリングをしていく。

髪が立ち上がるくらいになってしまったなんて、萌は今でも信じられなかった。

そしてサイドと後ろは短くかなり上の方まで刈り上げられている。

「ハイ、出来あがり。可愛いよ、とても」

佐伯はそう言ってクロスを外しながら言った。

それは満更お世辞ではなく目の大きい、はっきりした顔立ちの萌に、

そのまるで男の子のような短い髪は似合っていた。

もちろん、普通の女の子がする髪型にしてはかなり短すぎるけれど。

この白いカットクロスを付けた時には、背中までたっぷりあった髪が

外される今は跡形もなくなっている。

萌はあまりの頭の軽さに首がフラフラするような感覚を覚えていた。

「何だか、自分じゃないみたい…」

ほんとに、さっきまでの自分と、今鏡に映っている私は別人…?

萌はイスから立ち上がりながら、そっと後ろを鏡に映そうとしたそして、

同時に刈り上げられたうなじに手を伸ばして、触れた。

「うわっ」

大袈裟じゃなく、つい口から出てしまった驚きの声だった。

こんな感触初めて…これが自分の頭だなんて…

「ホントに似合ってますよ。不思議とちょっと色っぽいし」

佐伯は萌にそう囁いた。なんだか共犯者みたいな親しげな言い方でもあった。


イスから立ち上がった萌が自分の方に向かって歩いてくる

和博はその姿を見ながらソファからゆっくりと立ち上がった

あれが萌?長かった髪はすっかり短くなり、別人のようになっている。

別人のように見えるのは髪形のせいだけじゃないのかもしれなかった。

甘えたような、ちょっと頼りなげな萌の表情は消え去りなんだか目の感じ、

いや、顔の表情全体に変化が見られた。


「お待たせっ」

和博の前まで来た萌は少しだけ恥ずかしそうに、でも誇らしげにも見えた。

萌は自分の髪型だけではなく、心の変化に驚いていた。

あんなに長かった髪を切って、別人のようになって和博の前に行く

それがどんなに恥ずかしい気持ちだろう、少なくとも切る前はそう思っていた。

でも…確かに恥ずかしさはあるけれど、それよりも新しい自分を見て欲しい

そんな気持ちの方が強い

「どう?変わったでしょ?」

萌はくるりと1回転すると和博の目をじっと見つめた。

(変わったなんてもんじゃないだろ…)

和博はそう思いながら、ただ頷くだけだった。


会計を済ませ、萌が和博の先に立って店を出て行く。

来た時は和博の手を握り締め、震えていたと言うのに…

「わかんねえな~」

店から出て、二人で並んで歩いた。萌は和博の方をチラッと見てまた前を向く

公園に付き、ベンチに並んで腰を下ろした時だった。

萌がいきなり髪を切った理由がどうしても判らなかった和博は聞いた。

「いったい、どう言う事なんだよ?いきなり、それもそんなに短く切ってさ」

「おかしい?似合わない?」

萌はその質問には答えず和博の顔をじっと見つめて聞き返してきた。

「おかしくないよ、似合ってると思うさ…でも、なんで…」

「変わりたかったの」

和博の言葉を途中で遮って萌が言った。

変わりたかった…?

「髪型を思いきって変えたら、変われるかなあ~って…」

萌は今度は前を見て話の続きをした。

「今までずっと甘えてた、守って貰ってた。和クンにも、長い髪にも…

それでいいんだって思ってたんだけど、やっぱりそれじゃいけないのかな~ってね」

和博は萌が言い出した事の意味が良く判らなかった。

萌がまた話し始める

「別れたいとかそんなんじゃないのよ。でもいつもいつも和クンに甘えて守られてたら、

自分で歩いたり、考えたり、悩んだ時に答えを見つけたりそう言う事、

出来なくなっちゃう気がしたの。いつも和クンといる私、じゃなくて、

私だけの私もいなくちゃダメなんだよね」

萌は和博に、と言うより、自分に言い聞かせてる、そんな感じもした。

「なんか良く判らないよ」

「いいの、判らなくても。これから少しづつね…この髪はその意志表示。

甘えん坊だけの萌ちゃんは卒業するのっ」

萌は立ち上がって大きく伸びをした


「あ~気持ちイイ~すっごい気持ちイイ」

「まあ、萌がイイならそれでいいさ」

まだ何とも納得出来ない様子の和博だったが、萌の晴れ晴れとした顔を見ていたら

理由なんてどうでもいい、と言う気持ちになって来ていた。

ひとあし先に歩き出した萌が振り返った。

もう揺れる髪はないけれど、その顔は輝いていた

「和クン!だ~い好きだよっ」

まわりにいる人が振り返るような大きな声だった。

「バカ、何言ってるんだよ」

照れてそう言った和博に萌はにっこり笑っていた。

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