狂愛の果ての〜蒼穹の記憶〜
あれは僕が五つにもならない頃だった。この小さくしかし幸福な生活に亀裂が走ったのは。そう、世間知らずで我が儘なお嬢様が僕の目の前に現れた日だ。
向かいのおばけ屋敷が騒がしくなって一月もしない内にその屋敷は白亜の美しい屋敷に成り代わった。教科書の挿絵でみた古いヨーロッパのお屋敷のような外観に色とりどりに咲き乱れる薔薇等の美しい花たち。この屋敷にはさぞかし美しく大人しい所詮深窓の令嬢とか言う奴が住み着くのだろうかと胸を踊らせたあの頃が懐かしい。そんな期待を今、僕の目の前でおかしな事を騒いでいる春灯院茜は紙ゴミをちぎって捨てる様に無茶苦茶にした。
出会いは彼女の親が僕のうちに挨拶に来た日だ。
「この子欲しいわ!!ねぇ!買ってちょうだい!!」
一目僕を見た時にそう言った。それはまるで欲しいおもちゃを買ってもらうかの様な気軽さで騒ぎ立てた。その数日後、僕は本当に彼女に買われた。…買われたと言う表現はおかしな気もするが、母親がおかしな契約を彼女の両親とした。今思うと母は脅されていたのかも知れない。時折ヒステリックな程に周囲を確認していた事を思い出した。
茜は黒い黒檀の腰まで伸びた癖のないサラサラな髪に赤く深紅に燃える少しつり目がちな大きな目をした所詮美少女だ。僕の望んだ深窓の令嬢とは程遠いが。眉目秀麗、文武両道。ただし、性格に難あり。対する僕は細くて柔らかい白金色の髪に薄い碧眼の至って普通の少年だ。
とにかく茜は凄い。僕と同じ学校に通いたいからと言う理由で学校に行くのを辞めた。そのお陰で僕は彼女の家のお金で私立小学校に編入し、そのままエスカレーター式で私立大学まで出てしまった。他には、僕が彼女以外の異性と関わる事が嫌だからと長期休暇は必ず彼女の部屋に監禁され挙げ句の果てに粗相した僕を抱き締めて泣いて喜んだ。
僕等が私立大学を出て数年後彼女のお母さんからおかしな提案?命令をされた。彼女のお母さんはあの、白亜の屋敷から一歩も出ない。下手したら部屋からさえ出てこない時の方が多い。不自然な程に白い肌に歳の分からないその見た目は大切に、大切に守られたフランス人形の様で時折不気味になる。
そんな、彼女の母親からの命令はこうだ。
『小さな屋敷と僕の勤務先をやるから茜を監禁しなさい。』と言う命令だった。拒否権は僕に無い。心理・社会的モラトリアムを終えてもなお僕の人生は茜に縛り付けられるのか。いったい、僕の母親はどんな契約をしたのか。
その日からだ。おかしな監禁生活が始まったのは。窓一つ無い真っ白な部屋に彼女の好みそうな家具を買い揃え、彼女の望むままに食事や洋服を用意させられた。よっぽど優秀でもなければ面接にこじつける事さえ難しそうな大企業に就職した。家から一番近いからと言う理由で。皆が夜遅くまで残業したり、飲み会を開いたりしている中僕はただ1人彼女の両親の命令で定時帰宅を徹底していた。時折彼女が部屋に飽きただなんて言うからイメージの違う部屋を屋敷内に作り、その部屋へ彼女が寝ている間に運び込んだ。時折会いに来る彼女の兄や父親に最近の彼女の様子を報告する事も忘れてはならない。そんな毎日に嫌気がさしてきた。
ある日僕は逃げ出した。警察に出頭し、彼女を監禁させられていると散々喚き散らした。誰も信じてくれない。会社に籠るようになった。再三彼女の家族から彼女の世話をしろと電話が来るようになった。最低限の世話はしている。食事も取らない僕はやせ細った。ある時から食事しても吐き戻す様にさえなってしまった。そんな僕を見かねた上司が病院に連れて行ってくれた。案の定拒食症と診断され暫くの間入院する事になった。もう、彼女を監禁しなくてもいい事が嬉しかった。入院して暫くは平和だった。ぬるま湯に足を浸して寛いでいる時の様な穏やかな気持ちだった。時折上司や同僚がお見舞いに来てくれた。そんな彼らをだまし続けていた事が苦しくなり洗いざらい全てを話した。全てを話しても僕のお見舞いに来てくれた彼らは聖人なのではないかとさえ思った。
そんな平和な日常にも亀裂が走った。彼女に見つかったのだ。家に帰ろう?と言うから必死で抵抗した。もう、あんな事したくない。彼女が何やら取り出した。その途端に僕の意識はぷつりと途切れた。
体の節々が痛い。手足には違和感がある。
「目を覚ましたのね!!アオくんは疲れちゃったんだね?大丈夫!!今度はアカネがアオくんを守ってあげるね!!」
折角逃げ出せたと思ったのに。まともに立てない。四つん這いになっても何かに遮られ進む事を許されない。必死に逃げ出そうと頑張っても逃げる糸口さえ見つからない。趣味の悪いふりふりがゴテゴテと着いた服を着せられた。こんなの嫌だ。食事は相変わらず喉を通らない。だが、通るまで注ぎ込まれる。閨を共にする様になった。
今日もまた食事は喉を通らない。今さっき茜はご飯を作り直しに行った。あぁいったい何時になったら僕は助けられるんだろうか。塔の上のラプンツェルを救い出してくれる王子様はまだ見つからない。