2話
発端はインターネットの動画投稿サイトにアップされた、一本の動画だった。
その動画は、一人の青年が「自分は異世界に転生して、そして帰還した」と主張するだけのごくシンプルなものだった。
当然の事ながらその主張は一笑に付され、一部のオカルト系の掲示板やサイトで少しだけ話題になる程度で終わった。
動画の数少ない閲覧者たちも、そのほとんどが只のネタ動画だと思っていた。
数日後、青年の手によって新たな動画がアップされた。
それは青年が異世界転生で身に着けたと主張する、魔法やスキルの実演動画であった。
高度なCGを使ったと見紛うばかりの魔法の数々を駆使した動画は、見応えという点では前回のものをはるかに上回っていた。
ただのネタ動画と言うには、高すぎるクオリティの映像だった。
翌週、今度はスキルを用いて素手で岩を砕く動画がアップされた。それもまた、少なくとも素人が片手間で作れるようなレベルの動画ではなかった。
これ以降、週に一本程度のペースで動画はアップされ続け、そのほとんどが目を見張るような映像美に満ちていた。
必然、その度に反響は大きくなり、閲覧者とアクセス数は雪だるま式に増えていくこととなった。
2ヶ月もすると一連の動画はかなりの話題となり、大手のネットニュースやSNSでも話題になるようになっていた。さらには有志の手によって各国語の字幕が付いた動画も転載されるようになり始めていた。
とはいうものの、「【自称】転生者動画シリーズ」と誰ともなしに呼ぶようになった青年の投稿は、その呼び名が示すように本気で真実であると受け止めているものは少数であった。
厨二病の素人がすごい動画を公開しているらしい……というのが、ほとんどの閲覧者たちに共通した感想であったといえよう。
中には動画のクオリティが素人で作れるようなレベルをはるかに超えている事を見抜いた人間もいた。が、彼らにしてもゲームか映画の新作の宣伝の一種か、或いは本職の人間が遊びで製作ものだろう程度の認識でしかない。
この時点で本当に異世界から帰還してきたと信じていたのは、オカルト愛好家等ほんの一部の人間だけであった。
事態が次に動いたのは、その年の夏のことだった。
その日アップした動画の中で、青年は1週間後の正午にお台場に姿を現すことを宣言した。その場で自分が異世界から帰還した決定的な証拠を見せると彼が動画の中で語ると、閲覧者たちは色めき立った。
彼がどうやって素人離れした動画を作成し、何のために公開しているのか。
その謎がついに明かされようとしているのだ。
当日のお台場は普通の観光客に加えて、話題の青年を一目見ようとする人たちでごった返すことになった。
青年目当てで集まった人間たちの大部分は野次馬気分であったが、目ざとい動画配信者やマスコミの姿もちらほらと見受けられた。
まさか本当に異世界転生者なわけはないだろうが、あれだけの映像を作るだけの技術の出所と、公開した理由は知りたい……
そんな気持ちで集まっていた群衆は、次の瞬間に度肝を抜かれることとなった。
青年が空から現れたのだ。
夏らしく薄手のタンクトップとデニム姿の彼は、飛行するための機械をどこかに取り付けているようには見えない。
にもかかわらず、青年は自由に上空を飛び回っていた。
それだけであれば、まだ奇術の範囲の芸当と言えたかもしれない――とてつもなく高度ではあるが。
だが彼が地面に降り立ち、群衆を前にスキルと魔術の実演を始めると、空気は一変した。
いったいどれほどの技術があれば、全方位から監視されている中で透明になれるというのであろうか。あるいは全身を岩と化したり、瞬間転移したりなど。
この青年は本物ではないか、と誰もが思い始めていた。
決定的となったのは、青年が異世界で出会った仲間を呼んだ時であった。
竜とスライム。
ファンタジーなゲームやアニメではおなじみだが、現実世界には存在しえない生物。それが大衆の前に姿を現した瞬間だった。体温、呼吸音、そして独特の体臭。生物であるが故に発する様々な情報が、圧倒的な現実感となって彼らの存在を人々の脳裏に刻み付ける。
今度こそ信じないわけにはいかなかった。
目の前の人物は、少なくとも異世界からの訪問者であると。
この日を境として、世界は大きく変化した。
公式、非公式の問い合わせが、動画のコメント欄に殺到した。
青年とその仲間たちは、それらの声に可能な限り積極的に応じていった。
彼とコンタクトをとった専門家たちが口にしたのは、そのフェアな態度であった。青年は自分たちの主張が、常識的には受け入れがたい事であるのを認めたうえで、能力の検証に関して専門家たちの課した制限に基本的には従うという旨を伝えたのだ。
専門家達は自分たちの出した条件を完全に受け入れたうえで、テストに次々とパスする彼らの能力を本物と認めざるを得なかった。
青年がどういった思惑でこれらの行為に及んだのか。ついに明かされることはなかった。
そんな事よりも人々は、日毎に明かされる様々な秘密や、魔法という未知の技術、そして異世界の生物に夢中になった。
この時、転生者達の行動に懐疑の目を向けていた者もいなくはなかったが、その声はあまりにも小さかった。
青年の出現が引き金となったかのように、次々と異世界転生して帰還したと名乗る人物が現れだした。
そのほとんどは妄想や虚言癖、あるいはなんらかの詐欺の企みの産物であったが、ごく僅かながら本物も存在していた。
青年の最初の動画の投稿から1年も過ぎたころには、帰還した「本物の」異世界転生者の人数は数十人に達していた。
面白い事に彼ら、彼女らの転生先が被るケースはほとんど見られなかった。と、いう事は少なくともそれだけの数の異世界が存在し、独自に知的生命体が発生していたという事になる。
ある科学者は「コペルニクスが我々の住む大地を、世界の中心から一惑星の座に引きずり落としたのと同程度に衝撃的な発見」と称した。
このころになると、一般人の熱狂はやや落ち着いてきた感があった。しかし、大国や大企業達は違った。
これまでの経緯で転生者達が未知の技術、知識を保有していることは確認されている。それらを手に入れることができれば、どれほどの利益がもたらされるであろうか。
転生者達の人数がもっと少なければ、事態はまた違っていたかもしれない。幸か不幸か転生者達が世界中の様々な国で確認されていたこともあり、各国はまず自国の転生者達に協力を求めた。あるいは、強制もあったかもしれない。
ともあれ、国家レベルの支援を受けて彼らを取り巻く環境は大きく変化していった。
それからの数年は、夢のように過ぎていった。転生者の帰還は、毎年数人から十人余りが確認された。
転生者達のもたらす技術は様々な形で社会に反映され、日々の生活で一般人が目にする機会が増えていった。
転生についても原理は不明なものの、現象としては完全に存在することが証明され、教科書に載るレベルの常識となった。
異世界は今や宇宙よりも身近な人類の進出先と目された。現在の技術では非常に高いコストをかけて、数人が移動するのがやっとである。それでも将来は海外旅行に行くより少しだけハードルが高い、程度のものになると人々はささやきあった。
誰もが転生者達のもたらす恩恵を、大なり小なり享受していたのだ。そして、その先に待つ輝かしい未来を夢想せずにはいられなかった。
後から振り返ってみれば、この時代が人類の最盛期だったのだとわかる。
しかし絶頂期にあった人類は、忍び寄る破滅の足音に、この時まだ気づかぬままであった。
悲劇の前ふり、みたいな感じです。
どちらかというとバッドエンド系に分類される話になる予定です。