シヴィマー(森の人)
シヴィマーはまだですか?←作者も戸惑いだした。
夜明けとともに彼は歩き始めた。あるひとつの決意を決めて、重たい足を強引に持ち上げて歩いてゆく。向かう先はリヴマーの村だ、ディアをはじめとする彼女らを傷つけてしまったことも自覚して、故にのしかかる重みを無理やり跳ね除けて一歩づつ確実に。
外に出ると世界で最も高い場所から見える朝焼けの眩しさに目をしかめずにいられなかった。日が出たばかりの一日で一番冷たい風がまだ覚めきらない眼を無理やりこじ開ける。無音の中に木霊する足音が鳥たちを驚かせてしまったようで飛び立つ鳥たちの羽音が晴天の空を覆い尽くすように、自分の足音しか聞こえない世界を急激にやかましくする。あまりにやかましいものだから、彼は思わず驚いてその心に抱えた重荷を落としてしまいそうになる。だけど、決して忘れないように、決して本当に落としてしまわないように、しっかりと抱えて空へと飛び立つ。魔法で、風の翼を広げて。
いい風が吹いていた、風を掴んで飛ぶ彼の羽に最適な追い風だった。飛びながらも彼の頭の中には様々な懸念がよぎる、リヴマーたちは自分を許してくれるだろうか。そんな些細でどうしようもない懸念が。答えなんてとっくに出ているはずだった、ベル・フェオ・ルーから答えを得たはずだった。それでも、それがほんの少しだけ彼の両翼にのしかかる。
風はまってくれない、彼が考えれば考えるほどリヴマーの村は近づいてくる。まるで、風までもが下らないと一笑に付すかのように。そのせいだ、覚悟なんて固まらないままリヴマーの村についてしまった。
でも、どうしていいのかわからない。解けた絆を結び直したことなんて一度もなかったから。だから、隠れて覚悟を決めようとしていた。
そんなことはお構いなしとばかりにとある少女に見つかってしまう、昨日見た少女だ、ディアだ。
「また来てくれたのだな? 昨日はすまなかった。悪気があるやつならあんなことしてくれるはずがないのに。」
思ってもみなかった、拍子抜けだった。ひどく責め立てられると思っていて、覚悟を決めようと必死に隠れていたのにかけられた言葉は謝罪だった。
「お……あ……その……なんだ?」
素っ頓狂な返事をしてしまった。
「あぁ、昨日あんなふうに言ってしまって悪かったと思ってな。考えてみれば、悪気がお前に……ラー・エル・ソナーに存在するはずがないなって思ってな。きっと本当のことなんだろう? だから悪かったとおもってな……許してくれるだろうか……?」
嬉しさと可笑しさで彼の中に笑いがこみ上げてきた。
「ははは、おんなじこと言おうと思って……謝りに来ようと思って、ふふっ……謝られて驚いたぞ……。」
意外にも簡単なことだった、絆を結び直すためにはもう一度顔を突き合わせて二、三言言葉を交わせばいいそれだけのことだったんだ。
「なぜお前が謝る必要が?」
ディアは不思議そうな顔をした。
「なんにせよ、俺はお前を傷つけたみたいだったから、その……悪いことをしたらごめんなさいだ! 龍族の約束だ!」
ディアは少し呆れたように笑った。
「ははっ、お前、自分がなんで謝ってるのかわかってないだろ?」
しかし、彼には分かっていた、わかっていたからわかってもらえるようにした。
「わかってる、だから本当だって証明する方法を自分で考えてみたんだ。気が利いたのは思いつかなかった、でもベル・フェオ・ルーがヒントをくれたんだ。」
そう言って、腰にくくりつけていた龍牙の剣を抜いてみせた。
「それは……龍の牙でできているのか? だとしたら間違いないな。訂正しよう、お前はアルマーではない、リベル、龍だった。」
それを口にするディアはどことなく嬉しそうに見えた。
「誤解が解けて嬉しいぞ。だけど俺は龍じゃない、龍と人間の間でその絆を再び結ぶための均衡の人だ。リベルマーだ!」
それを聞いてディアは大いに笑った。嬉しくて、可笑しくて。
「はははははは、均衡の人だったらリヴマーじゃないか。それじゃあ同族になってしまうぞ。」
彼は短く問を投げた。
「嫌か?」
ディアはそれに明確な答えを返した。
「むしろ光栄だ。誇り高き龍の心を持った同族なんて願ってもない。」
ディアは踵を返し、村に向かうと顔だけ振り返って言葉を付け足した。
「ついてきてくれ、話は村で聴こう。」
そう言って、歩き出した。
「みんなにも謝っておきたいからそうするぞ!」
そんな必要はないのに、そう思いながらディアは歩みを進める。
彼が隠れたのは、村のすぐそばだ、昨日ディアと通った道の途中だ。だからすぐに村についた。もう、覚悟なんて必要ない事が彼にはわかっていて、すぐ着いてしまうことも苦にはならなかった。
「あぁ、昨日は済まなかったな。」
村のものたちが口々に言う。何ということはない、誰も気にしていなかったのだ。それは彼の心の荷をすっかり降ろしてしまった。
「こっちこそ、ごめんな。気にすると思ってなかったんだ。」
おかげで、彼にも軽口を言う心の余裕が出てきた。
「ところで今日はどんな用事だ? 私たちリヴマーは、お前の手助けなら喜んでしよう。」
ディアが急に質問を投げた。
「あぁ、それなんだけど……。お前たちを襲撃しそうなのは何だ?」
荷が下りたせいか、真っ直ぐで単刀直入な問だ。
「それは……。お前に頼っていいことじゃない……これは、リヴマーの問題だ。」
ディアはそれに答えを出しかねていた。集落を飢えから救ってくれた英雄にこれ以上迷惑をかけていいものだろうか。それは、恥ではないのだろうかと。
「いいのではないかな? ディア、彼は我々の英雄だ。もう何年も我々だけでは手をつけられなかった問題をどこからともなくやってきて、解決してしまった。なら、もうひとつの我々では手をつけられない問題もきっとなんとかしてくれるかも知れない。それにディア、彼は龍と人の均衡の人リヴマーなのだろう。」
長いヒゲを蓄えた老人だった。きっと彼らの長老だろうか、聡明そうでそれでいて老獪と言わざるを得ない雰囲気を漂わせている。
「聞かれていたのですか……?」
ディアは額に冷や汗を浮かべながら問うた。
「年を取ると、話し声に耳を傾けることだけが生き甲斐になる。森の話し声も例外じゃなかろうて。」
リブマーにとって森の木々たちは絶えず言葉を発している。それは私念にも似た、至極曖昧なものであり、耳を澄まさなければ聞こえない小さな声だ。それらが、空間で重なり合い響き合い、ひとつひとつの言葉はリヴマーたちにも判別ができない程に混ざり合ってしまっているのだ。故に、長年それに耳を傾け続けてきた彼だからわかるのだろう。
「さて、龍の子よ、リベルマーと名乗るつもりだそうだな。だが、お前は森で我が一族と同じ種を名乗ることを厭わなかった。なら、族長として頼みごとをしても良いかな?」
そう、英雄に頼むのが気が引けるのなら、同族に頼んでしまえばいいだけの話。もちろん、彼は断る気がなかった。
「こういう時は、こうかな? “なんなりとご命令ください、族長殿!”」
まるでどこから借りてきたような言葉だった。彼が慣れていないことをあんに示している。
「気は確かか!? 本当に同族として話を聞くのか!?」
それも、最もな問だった。当たり前だ、彼はアルマーで、リベルマーを名乗ると豪語しているのだ。
「俺は、リベル、龍で、マー、人で、均衡を夢見るリヴだ。俺は、人間でもあるから欲張りなんだ。同族は多いに越したことはないぞ!」
本気だった、正気だった。彼の目は間違いなく、その言葉を全力で肯定していた。
「だそうだが、不満かね、ディア?」
老人は問うた。当たり前の答えを得るために予定調和の問を投げかけた。
「彼が、言うのであれば。彼が本気なら、何も依存はありません……ッ!」
自らの、無力と不甲斐なさを唇とともに噛み締めたような声だった。
「ならば、頼もう。我らが仇敵にして天敵足りうるシヴィマーにも楽園を与えてやってくれ。其方の手で水を与え、ともに畑を耕し。昔用に飽食の時代をも足らせてやってはくれまいか? きっとシヴィマー共も喜んで彼らの食物を振舞ってくれるだろう。」
彼は、それにひとつだけ注文をつけた。
「俺は、そのシヴィマーがどこにいるのかわからないからな。一人案内を付けてもらえると嬉しいんだ。それこそ隣にいる奴みたいな気のいいやつがいいな。できればメスがいいぞ! 同族のメスはどうにも目の保養になるみたいだ。」
彼はわかっていたのだディアの心も、気持ちもなんとなくでだいたいを。
「ほぅ……どうにも隣にいる我が同胞は腕が立つらしいな。英雄の護衛にはもって付けだろうて。ほれ、連れてゆけ。ディアも行ってくると良い、あとはわしに任せよ。」
ディアは嬉しいような困ったようなそんな表情だった。
「いいのですか? 族長様……。」
老人は明確な答えを出した。
「任せよと言った。若いものが気を使うでないわ。お前の留守くらいは何とかして見せよう。」
ディアの困惑は消えた。それはまるで自由を得たようなそんな清々しい顔をしていた。
「行ってまいります! 必ず、平和を持って帰ってまいります。」
老人は笑った、穏やかに、そして嬉しそうに。
「はっはっは、行ってこい。いつまででも待っておるわ! さて、お前さんの希望通りお前さんの隣におる娘が護衛兼道案内役だ、不満はあるか?」
彼、はあっけにとられたような表情で答えた。
「注文通りだ、あるわけないぞ!?」
老人は、いくつかの包を取り出すと彼にもたせた。
「同族の、リヴマーの料理が恋しくなったらディアに渡すと良い。きっといいものを作ってくれるだろうて。」
包の中身はリヴマーの料理に欠かせない香草の類だった。
「ありがとうな、えっと族長さんだっけ? ちょっと待っててな?」
そう言って彼は背中を向けて歩き出した。ディアよりも一足先に。
「行ってまいります。族長様。」
ディアはそれを一足遅れて追いかけながら自分でもわからないうちに照れ隠しのように無駄口を叩いた。
「待て! ラー・エル・ソナー! それとお前の名前は長い。ラエルでいいか?」
彼は笑いながら答えた。満足したように、嬉しそうに。
「いいぞ! 呼びやすいように読んでくれ!」
こうして彼はラエル、龍の言葉で願いや思いを意味する言葉で呼ばれるようになったのだった。
森の中では、度々方角がわからなくなってしまう。光さえも届かないほど鬱蒼と生い茂る森の中を行くのだ、当たり前だろう。その度に、ディアは森の木に向かって言葉を投げかける。一見するとおかしなようで、そのディアについてゆくと不思議と目印を見つけることができるのだからきっと彼女には答えが帰ってくるのだろう。
「森の木は何を言ってるんだ?」
ふと気になったラエルはディアに尋ねてみる。
「あぁ、道を教えてくれるんだ。道を知らない木は道を知っている木を。……そうだ、ここらへんに小さな溜池を作ってやれないか? どうにも、ここの木々も喉が渇いているらしい。」
それもその筈だ、土は乾いてひび割れてしまっているのだから。
「そうだな、お礼にもなるしな!」
ラエルは道を少し外れた木のそばに小さな穴を掘ってそこに水を流していく。それを何箇所か作ってようやくその森は潤いを取り戻していった。その行動が道端で嘔吐しながら懸命に家路に向かわんとする酔っぱらいの行脚のようであった。
そんな、旅を続けて気が付けばすっかり日は暮れていた。森の中の夜は思うよりも暗かった。
「さて、今日はここらへんで夜営しよう。ちょっと待ってくれ。」
ディアがそう言うと近くの蔦を一本掴んで何かを始める。瞬く間にその蔦は伸びていき、絡まりあって草でできたテントが完成する。いくつか落ちていた枝を拾い集めて即興のかまどまでこさえてみせた。
「すごいな……、すごいな!! 家ができたぞ!」
ラエルはそれを素直に驚いている。あの少人数で集落を維持できる理由に合点が行くとばかりに感心していた。
「多分シヴィマーも同じことができるが、これがリヴマー流野営術だ。さて、夕飯にしよう。火をおこしたい。」
ディアはそう言いながら、竈に火を起こすようにラエルに促す。
「お? できないのか?」
ラエルは、率直に疑問を投げた。
「枝同士をこすり合わせて火を起こすのは意外と骨が折れるんだ。ラエルだったら簡単にできるだろ?」
そういうことならとうなづいて、炎の魔法を嬉々としてみせる。
「これが、龍のファイアブレスだ!」
あまりの高温に、竈に使っていた石が解けて溶接されてしまった。ついでに、燃料としてくべていた薪も大半が灰になってしまった。
「もう少し抑えてくれ、これじゃあ火を維持できない……。」
ディアは頭を抱えながら文句を言う。
「それは、ごめんな……次はもうちょっと手加減するぞ。」
ディアはため息をつきながら、次の薪を入れる。
「もう一度、今度は消し炭にするなよ?」
ラエルはうなづいて、もう一度今度は加減をして火を吐く。
「このくらいか?」
今度はうまくいったようでしっかりと火がついている。燃料もまだ竈の中に残っており薪をくべ続ければ料理にも使えそうだ。
「いい感じだ……。よし、少し待ってくれ。夕飯を作る。」
鍋を火にかけると、そこにいくつかの香草や木の実、塩漬けの肉、それから根菜などを入れてしっかりと煮込んでいく。それらは、非常に芳しい香りを漂わせて二人の食欲を高めていく。
「なんだこれ!? この前食べたのとまた違うぞ!」
その直後、ラエルの腹が鳴る音が聞こえる。
「ははははっ、腹が減ったか? もうすぐだ、ちょっと待ってな。」
鍋の中は次第にグツグツと沸き立ち、少しづつとろみを帯びていく。
「うまそうな匂いで我慢できないぞ……。」
ラエルの我慢が限界に達した頃だった。ディアは鍋の中から料理を掬い、カバンの中から取り出した種を木の器に変形させて盛り付ける。
「出来上がりだ、ちなみにこれは私たちがキーマと呼ぶ料理だ。」
茶褐色の液体には具材として入れた肉の油脂が浮いており、それがまた、料理全体の香りに混じって微かに肉の旨味を直接鼻腔に届ける。
「おぉ、うまそうだぞ!」
今にも器に顔を突っ込みそうなラエルを静止しながら、ディアはカバンの中からさらに種を取り出し、発芽させて木製のスプーンを作ってラエルに渡す。
「使ってくれ。顔を突っ込むなよ?」
半笑いのディアからスプーンを受け取るとラエルは少し拗ねたような態度で答える。
「わかってるぞ……。にしても、便利だなこれ!」
次の瞬間にはすねていたことすら忘れているラエルを見てディアは自然と笑みをこぼす。
「ははっ、便利だろ? リヴマーもちょっとだけ魔法を使えるんだ。草や木を操る魔法、それから獣の言葉を聞くことだってできる。」
ふと感じた母性を悟られぬように自慢げに話してみせる。
「それは凄いぞ! でも真似できるかもしれないぞ!」
既に空になった器をディアに渡しながら少し考えてやってみせる。
「ん~、こんなもんかな。んぐ……。っぷはぁ……。」
確かにラエルの口の中からは木製のスプーンが出てきた。
「お前……なんでも口から出すんだな……。」
ディアは少し呆れたようだった。
「これじゃ、人には使わせられないな……。」
そう言って、ラエルはそのスプーンを火の中に投げ入れる。直後ディアが耳をふさいだ。
「まだ、生きてる木を燃やすなんてやめてくれ……。悲鳴が聞こえるんだ……。」
ディアの耳には断末魔にも似た悲鳴が、小さな小さな木の声が届いていたのだった。
食事が終わると本格的な野営。ディアの張った草のテントで一泊することになった。そのテントの一番外側の層を覆う植物からは刺激性の木酢液が微量に滲み出し、それによって狼などの猛獣を遠ざける効果があった。リヴマーの野営は見張りが必要ないようだ。
「さて、明日も早い早く寝よう。明日中にシヴィマーの村にたどり着きたいんだ。」
中には草のベッドがありおかげで夜の冷え込みも問題にはならなそうだった。
森の夜は静寂が深すぎて耳が痛いほどに無音である。そのおかげかふたりの眠りは深く、朝まで目覚めることはなかった。
太陽のぬくもりが頬をなでるように、二人は朝を感じた。目が覚めたディアはラエルを起こすとテントの外に出た。
「見ろ、朝焼けの木漏れ日がこんなに綺麗だぞ。たまには雲の下もいいものだろ?」
ラエルが龍であることを認めたが故の台詞だった。龍は空の上を謳歌する、なら人は空の下地上を謳歌する生き物。それぞれに与えられた特権があり、互いに誇り合う、それこそが古来の龍と人とのあり方だった。
「確かに、こんな朝焼けは見たことないぞ! ……ところでこれはどうするんだ?」
ラエルには野営の後片付けが少し心配だったようだ。
「それなら問題ない、こうすればやがて森に帰る……。」
そう言いながらテントを形作る蔓の一本に触れると、途端に編み草のテントは解け元からあった下草のようになってそこで野営したなどと思えない風景になる。ほとんど元通りだ。
「ディアはなんでも出来るな!?」
そう言って笑ってみせるとディアは笑って返した。
「なんでもできるのはお前だ、私は森と獣のことしか出来ないからな。さて、出発しよう、シヴィマーの村はもうすぐらしい。」
昨日のように、所々に小さな溜池を作りながら森を歩いてゆく。シヴィマー達がいるという森の奥地を目指して。
もうすぐで到着という頃だ、太陽は空の一番高いところにあって一日で最も暖かな時間だ。ディアは唐突に言葉を発した。
「すまない、シヴィマーの村では私たちはあまり歓迎されないかもしれない。特に私は……な……。だが! ……だが、話せばきっとわかるはずだ。きっと再び、絆を結ぶ事が出来るはずだ。お前と私ができたように。」
ラエルは脳天気に聞き返した。
「喧嘩でもしたのか?」
ディアはそれを聞いて思わず吹き出した。
「ぷっ……。お前にかかるとなんでも笑い話だな。そうだな、私たちは大きな喧嘩をしたんだ。本当に大きな喧嘩を……。でも、もう終わりにしよう。私たちは、喧嘩はうんざりなんだ。」
ラエルは満足そうにうなづいた。
「喧嘩はいいことないしな! 仲直りの手助けをしてやるぞ! うまくできるかわからないけどな……。」
ディアにとってはそれは心強い言葉だった。嬉しい言葉だった。人種で最も龍に近い心を持つリヴマーにとって今の状況は最悪だったのだ。それに、ディアはラエルが喧嘩の仲裁が絶望的に下手くそだからこそ最高の仲裁人になりうることを知っていた。
「さて、もう付くぞ……。」
そう言うディアとともに一歩踏み出した先には不思議な森が広がっていた。木の洞には扉が備え付けられ、木製の階段が葉の中へと続く、木と木の間には編まれた枝の生きた橋が架かり、いたるところに繭のような球体の部屋が点在する。その全てが生きたままの森であり、彼らを支える豊かなめぐみなのだ。しかし、それらは全てが一様に萎れつつありシヴィマーたちは自らの食料だけでなく住処までもを奪われようとしているのが手に取るようにわかる。
「止まりなさい!」
その声とともに何人かの武装したシヴィマーたちがディアとラエルを取り囲む。
「ここはシヴィマーの森です、リヴマーと……ヒューマーでしょうか? それがなぜ私たちの森に……?」
その、最奥から歩み寄ってくる長身で耳の長い透き通るような白い肌の男からはその口調とは裏腹の刺々しい雰囲気を感じた。
「ちょっと待ってくれ、私たちは何も危害を加えに来たわけじゃないんだ。頼むから弓を下ろしてくれないか?」
ディアが必死に弁明をすると弓を構えるシヴィマーのひとりが吐き捨てるように言う。
「少しは身の程をわきまえ給え! ここで、裏切り者の娘が口にして良い言葉などないのだ。」
ディアは反論しようとするがすぐに口をつぐんでしまう。代わりにラエルが怒鳴り散らす。
「だー! もう! お前ら少しはこっちの話聞けよ! 初対面の相手に弓向けるとか失礼だろ! それからそこのおっさんディアに辛くあたんな! 裏切り者の娘って、それ親の話だろ! ディアになんか関係あるのかよ!? あるなら言って見やがれ!」
一番奥の男はそれを聴くなり弓隊の前に歩み出ると弓を下げるように促す。
「失礼しました。確かにあなたのおっしゃるとおり。エスリ、挑発が過ぎます。もう少し、優しく?」
そのまま、先ほどディアを裏切り者の娘と罵った男を諌める。
「よし、話を聞いてくれるんだな? まずは話をしよう! また喧嘩するのもそのあとでいいだろ?」
それを聞いて、男は僅かに笑み答える。
「そうですね、まずは話を聞きましょう。では、ディアこの方はどなたですか?」
きっとこの男は聡明なのだ、もう何かに気がついているのだ。
「あぁ、彼はラエル。アルマーの力を持っている。きっと水が必要だと思って連れてきたんだ。」
一瞬、シヴィマーたちがざわめく。
「なるほど、私たちの窮地に駆けつけてくださったわけですね? 仇敵たるリヴマーのお嬢さん?」
それは、明らかな皮肉を含んでいた。
「含みのある言い方は嫌いだぞ? はっきり言えよ!」
ラエルはもう聞いてられなくなっていた。
「いえいえ……。私は、前に諍いがあった相手が敵に塩を贈るなどどういう風の吹き回しかと警戒しているだけですよ。この村の者として当たり前でがありませんか?」
それらは、ラエルを非常に苛立たせる言葉だった。
「いいか? 俺は別に、リヴマーに頼まれてきたわけじゃない。ディアに恩を売って道案内させて自分の意思できただけだ。」
ラエルにしてはかなり口の悪い言い方だ。それほどまでに彼は苛立っているのであろう。
「なるほど、あなたの言い分はわかりました。しかし、御好意を受けてしまえば我々に恩を着せる口実になってしまう……。」
男の言葉を、ラエルは遮った。
「いちいちめんどくさいな!」
男はそれを無視して続けた。
「なら、こうしましょう。ディアさん、その恩で我々シヴィマーと同盟を組んでくださいな。もちろん互いに争わないだけで結構です。なんなら、報いるため兵をお貸ししますよ?」
兵を貸すそれが、リヴマーにとって損にしかならないとわかっての提案だった。
「提案を受け入れよう、ラエルそれでいいか?」
ディアは、それでもラエルが力を貸してくれるのかを危惧していた。
「同盟……。つまり仲直りだな? じゃあ問題ないぞ!」
その危惧は、一瞬で杞憂に変わった。
「幸いです、なにせあなたの助力があれば我々は争う必要などないのですから。今後一切リヴマーの村と争わないことよ約束しましょう。」
ラエルは笑った。
「ははは! これで一件落着だな!? にしてもお前はいい提案をしてくれたぞ?」
男はそれにとぼけた顔をして答えてみせた。
「いえ、この提案は私も利がございますよ。だから当然の提案です。さて、族長に報告に上がりましょう。おそらく族長もお喜びになるかと。」
そう言って、男は踵を返し歩き出す。ついて来いと目配せをしながら。
少し歩くと村で最も立派な大樹がそびえ立っていた、その洞にはほかの木同様に家があり中には一人の若く見える女が佇んでいた。
「彼女が族長です、ああ見えて我々の中で最も長命です。彼女は森を知り尽くし、そのめぐみを用いて今のお姿を維持されております。」
男が、族長と呼ばれた女を紹介し終えると彼女は丁寧な一礼をして話し始めた。
「紹介にあずかりました、私がここの長でございます。何用か、伺ってもよろしいですか?」
その物腰は柔らかく、優しさに満ちたものだった。
「我が身晒す無礼をお許し下さい。此度参ったのは、我が友人ラエルを紹介するためでございます。」
ディアは跪き、深く礼をしながら緊張した面持ちで答えを返す。
「もう良いのですディア。それはあなたの話ではございません。私自身は気にしておりませんよ。だから顔をおあげなさい。」
手を差し延べ、ディアを立たせると彼女はラエルの方へ向き直った。
「ディアが紹介してくださるあなたは、一体どなたなのでございましょうか? よろしければお聞かせ願えませんか?」
尋ねられても、流石はラエルだ。礼儀などお構いなしに返答する。
「俺はラエル、アルマーだぞ! ここの土は乾いてるな? 水を出そうか?」
彼女は驚いたように目を丸くし困り果てた様子で答えた。
「ありがたいのですが、私はあなたの御恩に報いることができません……。」
黙っていた男は口を開き彼女に助け舟を出した。
「それに関しては私に考えがあります。お任せ下さい族長?」
困っていた彼女は男の提案に乗った。
「わかりました、任せますよ? ルイス。」
男は軽い一礼をしてラエルに向き直る。
「ラエルさん、少しの間借りにさせてください。すぐにお返し致しますので。」
ラエルは相変わらずの能天気だった。
「お返しなんていらないんだけどな……。まぁ、もらえるものはもらっておくことにするぞ!」
リヴマーはインド人だったんだ(驚愕)
ラエルはヒロインだったんだ(驚愕)