防御構造について 何を重視するか
近年、城跡が公園として整備されバリアフリーの城跡が増えてきているが、本来は城とはバリアである。
とはいえバリア100%では困る城もある。それは城塞都市や館としての城である。
市民の生活がある城塞都市は言うに及ばず、安土城など多くの人間を招き見せつける城においても過剰なバリアはNGである。加藤清正の熊本城と安土城の史跡予想図を比べてもらいたい。
熊本城がこれでもかと言うほどの通路を曲げて曲げて曲げまくっているのに対して、安土城は真っすぐである。素直に見える方に歩けば天守閣に辿り着けそうである。でもまあ熊本城を言ったことがある人はわかるかもしれないが、階段一段一段にまで相手を疲労させる工夫が凝らされた大変健康に良さそうな城である。貴人を招こうというのに相手を疲労させて不機嫌にさせてはマズイでしょう。
城塞都市の場合は市民の移動に物資の供給と普段から大量の荷物が運び込まれるので、いちいち流通が止まるような門の構造は採用しにくいのだ。特に日本の城において石垣に並んで特徴的なのがコの字に折れ曲がった入口である。だいたいの城は直接門を攻撃できないように小さな門と直角になるように大きな門が建設されている。
秀吉の朝鮮出兵の際に武将たちは朝鮮各地に城を建設したのであるが、これらの城は大変な防御力を発揮したので加藤清正は絶望的な包囲下にあっても救援軍の到着まで耐えきれたのである。戦後、朝鮮人も日本様式の城を研究し取り入れた城を多数建設した。それ以前の朝鮮の城の様式では直線の城であったようだが、戦後に台形の石垣を採用したとのことであるが、城門の様式は取り入れなかったようである。これは恐らく朝鮮の城の大半が城塞都市の形式であるため流通の鈍化を嫌がったためでないかと考えられる。