そっけないカパ郎
遅めの昼ごはんが済むと、私とカパ郎は特にする事もなく、川岸の岩へぶらぶら歩いて行った。
いや、する(したい)事はあるはずなのだけど、カッパ達のわちゃわちゃや、お母さんの電話でお互いそんな雰囲気にならなかったのだった。
岩は私達のお気に入りで、初めて出会った時に一緒に昼酒をした岩だ。
太陽の熱でちょっと熱いけれど、そこに座って私たちは二人の時間を潰すのが好きだった。
川の流れをじっと見ていると、まどろんでいる様な気分になる。
そんな気分で、お互いにもたれながらふわふわした会話を交わすのは楽しい事だった。
でも、今のカパ郎は私のお母さんに興味津々で、いつもの「ほんわか」な感じにならなかった。
「りおなの母上は優しそうじゃの」
「うん……まぁ、優しいかもね」
「りおなに似ておるのかの?」
「私はお父さん似かな……」
「父上に。ほう~」
私は奥二重のカピバラみたいな目をしているけれど、お母さんは二重瞼で大きなパッチリした目で可愛らしい。
今でも「女子」を出して来る浮かれた感じといい、ナッチ時代はチヤホヤされていたに違いなかった。実際、学生時代の写真を見たら「マジか」という位可愛かった。
私はちょっとそんなお母さんがコンプレックスでもある。
「カパ郎のお母さんは?」
「俺の母上も優しいのじゃ」
「カパ郎に似てる?」
「どうじゃろうなぁ~……」
「この山にはいないの?」
「おらんのぅ。ある程度大きゅうなったら、別々じゃ」
カッパは子供が自分で魚を捕れるようになると、別々の山で暮らすらしかった。
子供がそう望む様になるし、親カッパたちも夫婦水入らずを存分に楽しむんだとか。
自立心を芽生えさせた小さなカパ郎は、山から山へ旅をし、この山を棲家に選び、同じく他所からやって来たバカ三匹と出逢い、仲良くなった……そんな昔話を聞きながら、カパ郎の小さな頃に思いを馳せる。
可愛かったんだろうな、カパ郎。
日に色あせた髪をふさふささせて、大きくて綺麗な丸い目と、きゅっと口角の上がるくちばし? の少年カッパ。
可愛い。
それ産みたい。
午前中に萎えたムラムラが猛烈に帰って来た私の脳裏に、『前夜祭』という三文字が浮かんで点滅した。
お嬢様と共に祭りを迎えられなかったのは無念だけれど、私の胸には聖火が灯っちゃったんだから、しょうがない。
「ねぇ、ロッジに戻らない?」
「ん、もう戻るのかの」
「うん。今日は暑いから、部屋でDVDでも観ようよ」
今日は曇りでそれ程暑く無かったし、DVDは観過ぎて飽きが来ていたけれど、私はそう言ってカパ郎を誘った。
「ようやく、二人っきりなんだし……」
「……そう……じゃのう……」
直ぐに首を縦に振ると思っていたのに、カパ郎はちょっと尻込んでいる様な、そんな微妙な表情を見せた。
え……? カパ郎、なにその表情。
―――まさか。
―――里緒奈の中に眠るケダモノに気付いた!?
朝のカパ郎の巣での事もあるし、ノリノリのカパ郎を予想していたのに。
あの時の強引さはどこへ行ったのカパ郎!?
カパ郎はまだ私達が結ばれる前の(って言うか、まだ結ばれてねぇぇ!!)奥手な紳士カッパに逆戻りしたかの様に、黙り込んで私から目を逸らしている。
―――照れている……?
―――否、だって、巣では……。
―――一体どういう事だ……?
ええい! 押しても駄目ならもっと押すまでだ!!
押して押しまくって、共倒れか、ひらりと身を翻されて一人倒れるか、それが私の生きざまよ!!
さぁカパ郎! 共倒れて……倒れて……なんかこう、ね?
「行こうよ、カパ郎」
私はカパ郎に横から抱き着いて、戸惑っている様子のカパ郎の頬に唇を押し付けた。
すると、カパ郎の身体がビクンと反応し、私を押しのける様にして立ち上がった。
残念ながら、立ち上がったのは彼自身だ。
彼自身とか言うと、そういうアレをアレしてアレな顔をする人もいるかも知れないけれど、正真正銘、カパ郎本体が立ち上がったのだった。
本体とか言うとまたややこしいアレなアレなのだけど、とにかく、彼は立ち上がった。
立ち上がって、私を見下ろし、少し陰のある感じで微笑んだ。
「あ、明日に備えて、俺はそろそろ帰るのじゃ」
「……え」
「昼頃来るのじゃ。夜通しの祭りじゃからの、りおなもよう寝ておくのじゃ」
「カパ郎……」
「ほ、ほんならの!!」
カパ郎は何故だか焦った様にわたわたと川に飛び込んでしまった。
「か、カパ郎~、もう少し一緒にいようよー!」
往生際の悪い私は川に呼びかけたけれど、一瞬の内にカパ郎は移動していて、遥か遠くの煌めく川面からこちらへ手を一振りすると、一目散に、という様子で泳いで行ってしまった。
「……」
な、なんで? カパ郎……。
しかも、ほっぺチューにあんなにビクンってしなくても……私の唇がスタンガンだとでも言うのだろうか。ある意味刺激的? いや、そんなワケない。
昼ご飯で食べた魚で、息が魚臭かったんだろうか。
でも、そんな事言ったらカパ郎の方が臭い。
なんかいつも濡れた犬みたいな匂いするクセに、私の息が臭いなんて思う筈が無い。
それとも濡れた犬より臭いって事? そんな馬鹿な。
私は若干心配になって、両掌で口元を覆い、ハァハァした。
臭かったかは割愛させて頂こうと思います。
それに、腕で押しのけられたのも悲しかった。
咄嗟に、という感じではあったけれど、『巣に上がった位で調子に乗るな』とでも思われているのだろうか。
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『魚臭い息の女め、俺様のヤリたい時にだけヤラせりゃいいんだよ』
「そ、そんな……カパ郎……」
『キメェんだよ、ホレ、さっさと今月分のキュウリ出せや』
「待って、そのキュウリは前借して貰ったキュウリ……」
『ウルセー! チッ、しけたキュウリだぜ! オラもっとキュウリ稼いで来いやー!』
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う~ん……カパ郎からは想像も付かないな。これは却下。
じゃあ……。
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『(う、りおな飛び跳ねる程魚臭いのじゃ)』
「ゲヘへゲヘヘヘ、カパ郎ぅ~」
『(しかも、よく見るとウーパールーパーに似てるのじゃ)』
「カパ郎~二人っきりだし、ね? ね?」
『(ううう、キショイのじゃ! 一時の気の迷いだったのじゃ! 息の臭いウーパールーパーなんか厭なのじゃー!!)』
「あ! 待ってカパ郎―――――!?」
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私は頭を抱え込んだ。
―――大いに有り得る展開だ。
マズイ。ご飯を食べたら歯磨きをしなきゃいけないのに、ゆるゆるのカパ郎に油断してた。
ウーパールーパーのクセに調子に乗ってほっぺチューなんかするからこうなるんだ!!
親しき仲にも礼儀ありって言葉を忘れていた。
「カパ郎……」
カパ郎に拒否られて、ショックで仕方ない。
本当に意味が解らない。
巣を出る前のカパ郎の「すまんのじゃ」というセリフが、心の隅っこで冷たい風の様に通り抜けて行って、私は震えた。
「すまん」ってナニ? 「やっぱりウーパールーパーに見えてしょうがない。すまん」って事?
明日、迎えに来てくれなかったらどうしよう。
―――馬鹿ね、リンリン。
ハッ、その声は……!
―――あれだけイチャイチャしておいて、カレを疑うなんて貴女の頭の中は最低なマーブルポップコーンマシーンね。
いや、どんな例え? 全然ピンと来ないんだけど……。
―――いい? カレはね、祭に全てを掛けてるのよ!! だって祭のタイトルは『カッパ祭』なんだよ!? ムードよ!! あのカッパ、スーパームード派なのよ! 花火と共に、自分も打ちあがりたいって思っているに違いないのよ!!
カパ郎、花火のある事しらな……
―――うるさい!! 貴女も素敵だと思わない? 出入り禁止の人気の無い神社の境内で、花火の打ちあがる音を聴きながらドーンドーンっとお互いをさらけ出す……。
中坊かよ!?
―――中坊上等!! 中坊の頭の中程、血肉沸き踊るロマンスを秘めているモンは無いわ!
そ、そっか、私……先走り過ぎたのね。
―――ふふ、そうよ、おバカさん。野獣にも程があるわ。オトコってのはね、繊細なのよ……。ちょっとなんかあるとすぐ機能しなくなっちゃ…ゲフンゲフン。話が逸れたわね。要するに、あのカッパは明日を勝負と決めてるのよ! 前夜祭なんかでコンディションを崩したくないのよ!! 取って置きの一夜にしたいわけよ!!
珍しく味方チックな正気の里緒奈に、私は感激した。
今まで私に小言ばかり言っていたのに……!!
おま、良い事言うじゃない……結局私の味方なんだね!?
―――アラ? いつ敵だった? アレもコレもソレも、全部貴女の為に言っただけよ。
ありがとう……。
―――やめてよ。落ち込んでいる貴女が目障りだっただけ。私はまだ、カッパなんて許していないんだから。
そんな事言って、黙って見てれば崩れたかもしれないじゃない?
―――フン、どうせならちょっとだけ楽しませてあげようと思っただけよ……。それから、どうせ楽しくなんてならないわ。カッパとメイクラブだなんて……ヤリ方違い過ぎたりして人間の方が良いってなるに違いないんだから。
ヤリ方って言うな!! ……そこ気になるんだけど、どう思う?
―――知らないわ。ま、精々ガッカリなさいよ。じゃあね。
いつもは居座りたがるくせに、正気の里緒奈は呆気なく消えてしまった。
我ながらむっつりドスケベめ、と思いつつ、私はわずかに気を取り直して、ロッジへ戻った。
フフフ、カパ郎、そっちがその気なら、私もコンディションつくりに全力を注ぐよ。
|そうじゃない《NOコンディションつくり》かもしれないケド、私に残された事はこれ位しかない!
だから私は必死でムダ毛処理をしたり、徹底的にムダ毛処理をしたり、ムダ毛処理をしたりした。遅すぎる感は否めないけれど、ツルツルのゆで卵肌で明日に挑むのだ!!
そして身軽になった身体で存分に祭を楽しむ! カパ朗にも楽しんでもらう! 私といると楽しいって思ってもらわなきゃ! 明日は芸人顔負けのコメディアン兼高級ホステス嬢となり、カパ郎を満足させなくては!!
私はそう思い付き、日が暮れるまでイメージトレーニングに励んだ。
イメージトレーニングに登場する私は、大変優秀なエスコートっぷりだった。
けれど、そもそも「お・も・て・な・し」等という概念が乏しいので、おもてなしの引き出しと集中力が途切れ始め「やっぱり浴衣だから、艶っぽくアップスタイルかな……ぐへへ……」などといつしかイメージトレーニングというよりかは妄想にトリップし始め、ハッとある重大な事に気が付いた。
私はソファから身体を起こすと(ダラダラ寝そべっていた)、狂った獣の様に旅行鞄へ駆けて行き、中身を引っ掻き回した。
「浴衣なんて無い……」
そうなのだ。
私は浴衣どころか、『汚れてもいい服』しか持ち合わせていないのだった。




