カッパの物差し①
お食事中の方や胸やけ中の方は、用事がすんでからをお勧め致します。
クハァン……と、切ない喘ぎ声が、狭い洞窟内に響いている。
「も、もう少し下……」
「ここかの?」
「ひゃああんっ、ソ、ソコは……っ! ヒンッ!!」
「もうそろそろいいじゃろう……」
「ア、ハフゥ……」
最悪な絵面が、私の目の前で展開している。
一体どれほどの最悪な絵面なのかと言うと、カパ彦の突き出した尻にカパ郎が指を這わせ、その動きに合わせてカパ彦がピクンと身体を震わせているという誰の得にもならない絵面なのだった。
止めてよ……さっきまで雄々しく私を翻弄していたカパ郎に、そんな事させないでよ……!!
アホのカパ彦のアホは、わざわざこんなタイミングで、お尻に薬を塗ってもらいに来たのだった。
カッパの軟膏は万能薬らしく、私は知らなかったけれど、腕を切り落とされてもくっつける事が出来るとカパ郎が教えてくれた。
腕を切り落とされたカッパは、便所から手を伸ばして人妻を狙った変態エロガッパらしいから、もう治らなくても良いのに。独身を狙え、独身を!
万能薬の即効性にレンズ無しメガネが斜めにずれてしまっているカパ彦の顔が、幸せそうに緩まるのを、げんなりして眺めながら、私もカパ郎もムラムラと怒りを増幅させていた。
カパ彦め……友達ならポチャマッチョと女顔もいるだろうが!
なんでよりによってあんなに大事な時に来るんだ!
予言を早く当てさせてよ!!
まぁでも、カパ郎をチョイスした気持ちは分らなくもない。カパ郎は優しいから。
だから、邪魔されて怒っていても、何だかんだ言って薬を塗ってあげている。しかもお尻に。
カパ郎は本当に優しい男だ……。
「助かったのじゃ。昨日砂利が入り込んで気になってのう……。無理にほじくったら裂傷したのじゃ」
カパ彦は本当にアホな男だ……。
謎のドヤ顔がその証拠だ。
てゆうか、怪我の理由が最悪なんですけど。乙女の前なんですけど。
「全く、薬くらい自分でぬるのじゃ!」
「しょうがないのじゃっ、自分で触ると飛び上がるほど痛いのじゃっ! 誰かに一思いにやってもらわにゃ、到底無理なのじゃ!!」
「カパ彦は根性が無いのじゃ!!」
カパ郎がそう言って、カパ彦がまだ自分に向けているお尻をバチンと平手で打った。
良い音が洞窟内に響いて、私は胸がスカッとした。
「ぎゃんっ!! そう怒るでないカパ郎……」
「全くお前はどうしようも無いのじゃ!! せっかく……ま、まあいいのじゃ。ほれ、用が済んだら帰るのじゃ!! 今すぐ帰るのじゃ~!!」
カパ郎はそう言ってソワソワしてカパ彦を追い立てているけど……。
う~ん、無理だよカパ郎。今の光景見て直ぐに、またあのムードに戻れないよ……。
「冷たいのぅ、もう少し良いではないか」
イヤ、カパ彦、お前はどんだけ空気が読めないの?
もう再戦は無理だけど、君は帰りたまへ。
「イチャイチャするんじゃろ」
「う、うるさいのう!! いかんのか!」
「わざわざ人間に化けんと許してくれんオナゴの何処が良いのじゃ」
ん……?
な、なにそれ? カパ彦、一体何を……!?
カパ郎の顔に、サッと影が差したのを見て、私はカパ彦のアホがカパ郎の何か痛い所を突いたのを察知した。
「これはじゃ……カッパ祭りに行くから人間に化けただけじゃっ」
「カッパ祭りは明日じゃろ」
「皿と夏雪葛の用意をしたんじゃ、そのついでに見せたかっただけじゃ!」
何故か歯切れの悪いカパ郎に調子づいたカパ彦が、彼の顔をねめつけた。
「ほぉ~……で、そのついでに燃え上がっとったんか」
「……そうじゃ」
いやな感じのカパ彦に、怒るどころかちょっときまり悪そうにするカパ郎に、私はちょっと不安になる。
何? これは一体どういうやりとりなんだろう。
カパ彦がフンと鼻を鳴らした。
「ほ~……。ほうほう……まぁ良いのじゃ。どっこらしょ……」
「ちょっと、『どっこらしょ』じゃないでしょ! カパ郎んちだよ!」
私はそのまま居座ろうとするカパ彦に苛立って言った。
邪魔をするは、何だかカパ郎をしょんぼりさせるは、本当にロクなカッパじゃない!
カパ彦は私にちょっとビクッとしてから、渋々といった態で立ち上がり、
「りおなどん、山に住む決心はついたんかの」
と、今度は私の痛い所を突いて来た。
伊達にメガネじゃないな。
イヤ、イヤイヤ、待って。臆したら駄目里緒奈! コイツのメガネは伊達じゃないか!
だから私は言ってやったんだ。
「まだだよ」
「どういうこっちゃ、ほんならなんでここにおるんじゃ」
「人の話は最後まで聞きなさいバカ彦」
「りおな、カパ彦じゃ」
もう、カパ郎はいいの!!
思わず違う名前で呼んでしまったので、カパ彦は私の命令をスルーした。
「山で暮らせんなら、カパ郎を街にでも連れて行く気じゃなかろうな? そんな事は……」
「私はカパ郎を愛して生きていくって決心は、したの」
「それは解決策じゃなかろう」
「そうだよ。でも、問題を解く為に必要なものだよね」
私だって考えてるんだ。
カパ郎と生きる為には、色々な事を諦めなきゃいけない、色々な事を受け入れなきゃいけない、色々な事を……カパ郎を取り巻く、色々な事を、尊重したり、愛したりしなきゃいけない。
でも、こうしなければ『いけない』と思っている段階で踏み切っちゃ駄目なんだ。と、そんな風に思う。
取り繕った愛なんて、誰が欲しいと言うのだろう。
私はそんなモノをカパ郎に与えたくない。
カパ郎の瞳には負けちゃうけれど、私にだってあの百分の一くらいはそういう部分があったって良いでしょ。そして、それはカパ郎によって引き出されるのだから、カパ郎の為に使うんだ。
だから私は「色々な事」を、自然とそう出来る、そうしたい、と思える時を迎える為に、カパ郎の事をもっと知りたい。
本当はこんな風に思う様になってから、気持ちを伝えた方が良かったなぁ。
でも、決心して始める恋や安全を確信して始める恋と、無謀に飛び込む恋の成功率なんて、大して変わらないと思うんだ。
だって恋だから。
そもそも、成功する時っていつ?
結婚? そんな馬鹿な。離婚って言葉があるのに?
恋の成功者なんて、既にお互い死人か物語の中の恋人達だけだ。
「なんかのぅ、薄ぼんやりしとるのぅ」
「……え」
私の迫真の演説(演説だったのよ)を、カパ彦がたった一言で片づけた。
『薄ぼんやり』!




