第188.5話 水の姫巫女
申し訳ありませんが、本編ではなくちょっとした短編です。
次回(10日)の更新も厳しいかと思います。
姫巫女ちゃんの事情です。
今日は学園の卒業パーティ。
学園生活最後の思い出となるべき場で響いた声は、私にとってあまりにも残酷な内容だった。
「アシュリー、貴様との婚約を破棄させてもらう」
私の王子様が、私に冷たい目を向けて言った。
その隣に居るのは、私ではない女性だった。
何がいけなかったのだろう?
永劫の苦しみの手向けとして、一時の幸せを望んだことだろうか?
あれは、10年程前の話になる。
「アシュリー様、そろそろアンジュリカ様の元へ向かいますよ」
そう言って部屋に入ってきたのは、護衛兼世話係のアナスタシアだ。
「分かりました。今、準備をいたします」
読んでいた本に栞を挟み、机の上に置いた。
幼い頃からずっと、私の趣味は読書だった。
乱読家ではあるが、特に物語が好きで、一番好きなのは恋愛小説だった。
「また、その本をお読みなのですね。いい加減、飽きたりしないのですか?」
「ええ、今はこの本が一番好きなのです。何度読んでも飽きません」
一番のお気に入りは王子様とお姫様が結ばれる物語で、何度も何度も読んだ。
実際のところ、内容自体はすぐに覚えてしまったが、本で読むのと思い出すのでは、感情移入の度合いが全く違う。本を読まなければ、感動なんて出来ない。
「この本を読んでいる時が、私は一番幸せなのです」
「アシュリー様……」
本の中では私は自由な一人の少女だ。
本の中でだけ、私は自由になれる。自由に恋が出来る。
「さあ、アンジュリカ様をお待たせする訳にはいきませんから、準備をしましょう」
出来るだけ、アンジュリカ様には平穏に過ごしてもらいたい。
私は急いで準備をして、アンジュリカ様の元へ向かった。
アンジュリカ様は厳重に警備された城に住んでいる。
城に自由に入れる者は限られており、後継者である私を除けば、数人しかいない。
それ以外の者は、非常に入念なチェックを受ける必要がある。
アンジュリカ様には護衛の兵や侍女以外が近づくことは無い。
彼女達は最低限の言葉しか発さない為、アンジュリカ様の周囲は常に音がしない。
今も、私達の歩く音しか聞こえない。
「おお、アシュリー。良く来てくれましたね」
「お久しぶりです。アンジュリカ様」
アンジュリカ様は私にとって師匠であり、第二の母であり、敬意と親愛を払うべき相手だ。
「本当はアシュリーと普通のお話をしたいのだけど、どうしても先に言っておかなければならない事があるの」
「何でしょうか?」
アンジュリカ様に呼ばれた時は、大体がお勤めの話か世間話だった。
世間話では無いと言う事は、お勤めの話なのだろう。
アンジュリカ様はしばらく無言で、涙を流してからこう言った。
「……私は、10年でお勤めを終えようと思っています」
「っ!」
私はもちろん、隣にいたアナスタシアも息をのんだ。
「本当はもうしばらく大丈夫だと思っていたのだけれど、思ったよりも負担が大きかったみたい。最後の力を振り絞って、10年は耐えます。でも、それ以上はもう無理なの。アシュリーには本当に、申し訳ないと思っているわ」
アンジュリカ様が産まれてから私が産まれるまで、非常に間が空いたと聞いている。
既にアンジュリカ様の精神は限界だったのだ。
「お心遣い……、ありがとう……ございます……」
幼い私の為、無理を押して10年耐えて下さると言うのだ。
大きな感謝と、一抹の恨みが混ざり、私の眼からも涙が出た。
当然、普通のお喋りが出来るはずもなく、その日はそのまま部屋に戻った。
「アシュリー様、心を強く持ってください。まだ、10年あります。正式に後継者となった今、大抵の望みは叶います。10年の間に、何でも望みを仰ってください」
「……………………」
アナスタシアが無言となった私を励ましてくれる。
しかし、今は何も考える気になれない。
「もう、寝ます……」
「アシュリー様……」
いつかは訪れると覚悟していたつもりだったが、実際に目の当たりにすると堪える。
思考の底なし沼にはまる前に、今日はもう寝よう。
翌日、寝起きなのに、やたら眼が冴えている。
ベッドから身を起こすと、アナスタシアが椅子に座って私の事を見ていた。
「……おはようございます」
「ア、アシュリー様、おはようございます。夕食は如何なさいますか?」
不思議な言葉を聞いた気がする。
朝起きたのに、夕食?
「朝食の間違いではないですか?」
「もう、夕方です。アシュリー様は丸一日お休みになっていました」
「…………」
思っていたより、はるかに衝撃的だったようだ。
しかし、良く寝たおかげか、頭がすっきりしている。
昨日は悲観的になっていたが、悪い事だけでは無いのだ。……そう思う事にした。
「アナスタシア。お勤めをする者には、あらゆる優遇措置が許可されているのですよね?」
「ええ、国内に限りますが、どんな望みも叶います。国外に関しては国から働きかけるので、確約は出来かねますが……」
「それだけ聞ければ十分です。1つ、望みを叶えて欲しいのです」
「何なりとお申し付けください」
そして、私は机の愛読書を手に取り、アナスタシアに望みを伝えた。
それから数日後、私の望みは叶うことになった。
「こちらが、パジェル王国の第一王子であるアストン様です」
「よろしくお願いします。アシュリーと申します」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
私の前に居るのは、サラサラとした金髪、凛々しい青い瞳を持った王子様だった。
「アシュリー様はアストン様の婚約者となられます。時期王として、姫様をエスコートしてあげてください」
「はい、分かりました。お手をどうぞ」
私は王子様の手を取り、微笑んだ。
まるで、物語の中に入った様な気分だった。
自分が望んだ事とはいえ、こうも思い通りになるとは思わなかった。
私の望みは、『残る10年間、王子様の婚約者になり、学園生活を送る』だ。
王族に私と同い年で理想的な外見の王子様が居たのは、嬉しい誤算だった。
最悪、ある程度在学期間が合えば良いと思っていたから。
……茶番なのは自分自身が一番理解している。
要は物語の登場人物の様になりたかっただけだ。
王子様を愛し、王子様から愛される。そんな幸せな少女になりきりたかった。
婚約者になったところで、実際に結婚出来る訳じゃない。
子供を産むなんて危険を冒せる訳もない。
本当に10年間だけのごっご遊び。
それでも、私はそれを望んだ。
私だけの『物語』を支えとして、永劫を過ごす覚悟を決めた。それだけのこと。
「アストン様、今日は天気が良いので、一緒にお散歩に行きましょう」
「アストン様、お菓子を焼いてきたのです。一緒に食べましょう」
「アストン様、パーティのエスコートをお願いしますね」
それからというもの、私の行動の中心は王子様になった。
出来るだけ多くの時間を王子様と共に過ごす事で、辛い将来から目を背けていた。
王子様は常に笑顔で私に付き合ってくれた。
アナスタシアにお願いして、婚約者は茶番である事を理解した上で付き合ってくれる王子に限定していたから、約束の10年間は幸せに過ごせるのだろう。
アナスタシア曰く、王子様にもしっかりと見返りがあるそうだ。
打算ありきで構わない。内心なんて問わない。ただ、私に一時の幸せを与えてくれるなら。
学園に入ってから、私と王子様の距離は少しだけ遠くなった。
当然、クラスは同じにしてもらったが、男女でカリキュラムが違うので仕方がない。
クラスでは話もするし、催し物ではエスコートもしてもらえるので、不満はなかった。
ただ、王子様の周りに、少しずつ人が増えていった。
対して、私には友達と言えるほど親しい人は居なかった。
私は他の子達と明らかに違うから、それは仕方がない事だと思う。
だから、不満はない。これは、当然の事なのだから。
状況が変わったのは、卒業パーティの一月ほど前だった。
私はアンジュリカ様に呼ばれ、城へと向かった。
「アンジュリカ様!」
「……アシュリー。よ、良く、来てくれたわね……」
アンジュリカ様は、酷く憔悴し、床に倒れていた。
周囲には、引き千切ったと思われるアンジュリカ様の長い髪の毛が散乱していた。
「もう、無理なの……。10年、耐えてあげらなくてごめんね……」
「そんな事、気にしないで下さい。準備も覚悟も、もうできています」
この9年、王子様と過ごしつつ、引継ぎの準備も進めていた。
最初は酷い物だった。
アンジュリカ様のお勤めに最初に同行した時、みっとも無く泣き叫び、嘔吐し、狂乱してしまった。
相当に心を強く持たないと、とてもじゃないが耐えられそうにない。
回数を繰り返し、慣れた事で、最初程見苦しい状態にはならないようになった。
もちろん、平気な訳では無い。辛いものは辛い。
私が耐えられたのは、王子様の存在があったからに他ならない。
覚悟と言うのは、王子様との思い出を胸に、王子様を守るための犠牲になる覚悟の事だ。
ここまで来れば、後は継承の儀式を行うだけで良い。
強いて言うのなら、アンジュリカ様との別れが辛いくらいか。
「ありがとう……。では、引継ぎを始めるわね……」
「はい」
少しよろけながらも立ち上がったアンジュリカ様と共に、継承の儀式を行った。
話に聞いていた通り、超常の力も引き継がれたようだ。
こんなもの、この城で暮らしている分には、何の役にも立たないというのに。
「それじゃあ……、私は行くわね……。悪いけど、城の引き渡しはしばらく待ってね……」
「はい。今まで、長い間お疲れさまでした……」
最期の挨拶をして、私は城を出た。
それからしばらく、城は慌ただしかったが、私に出来る事はもうない。
その慌ただしい間、私は学園を休むことになった。
正直、学園の単位など私にとって何の意味も持たない。
それに、自慢ではないが、成績のトップを譲った事もない。卒業資格は十分にある。
「アナスタシア、お願いします。卒業パーティだけは出してください」
「アシュリー様、それは無理です。もう、アシュリー様は少しの危険にも晒される訳にはいかないのです」
卒業資格はあるが、そもそも卒業パーティにすら出してもらえないとは……。
アナスタシアとは既に何度も同じやり取りをしているが、今回は昨日思いついた切り札がある。これがあれば負けないはずだ。
「でも、卒業パーティに来るのはこの国の住民だけですよね?国内では全ての望みが叶うのですよね?私が願えば、私の安全は確実なのですよね?」
「うっ……」
痛いところを突かれたという表情をするアナスタシア。
「たった1日の安全も確約できない国では、私は不安を感じ続けてしまうと思います」
「そ、それは……」
「私の任期は、思ったよりも短くなってしまいそうですね……」
「わ、分かりました!何とか、1日だけは学園に行けるように手配します!」
アンジュリカ様と同じく、私の心の平穏は何よりも優先される。
半ば脅すような形になってしまったが、これだけは譲れない。
これで、王子様からのお手紙の通り、卒業パーティに出席できそうだ。
卒業パーティ当日。
私は王子様にエスコートされ、パーティ会場へとやってきた。
アナスタシア達護衛はパーティ会場の外で待機だ。
これも大分無理を言わせてもらった。
パーティに出席できるのは1時間だけとか、料理などは絶対に口をしないとか、色々と条件が付いたが、アナスタシア達も限界まで譲歩してくれたのだろう。
その他、パーティの出席者には厳しい持ち物検査が課された。
料理なども手で食べられる物だけで、ナイフなどは用意されていない。
魔法に関しては、私には通じないので問題ない。
これで、大分危険は減ったはずだ。
他の参加者の方達には申し訳ないが、代わりに貴方達の事は私が守るから許して欲しい。
「アシュリー、踊ろうか」
「はい、アストン様」
そして、私達は最後のダンスを踊った。
そう、これが最後のダンスだったのだ。
一通り踊った後、私達は会場の隅で談笑することにした。
少し静かに過ごしたい人向けのスペースだ。
ここに居る者には話しかけないのがマナーとなっている。
「アシュリー、キミに伝えたい事がある」
「何でしょうか?」
私が尋ねた瞬間、王子様の表情が険しくなった。
「私は貴様が嫌いだ」
「え?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「王になるための勉強が忙しいというのに、いつも付きまとって来て、迷惑だった」
王子様は、いつも笑顔で付き合ってくれていた。
内心を隠してくれているなら、何の問題も無かった。
「私は甘いモノが苦手なのに、毎度毎度美味しくもない菓子を持ってくる」
王子様は、お菓子を美味しいと言って食べてくれていた。
内心を隠してくれているなら、何の問題も無かった。
「子供の頃はともかく、今の私と貴様では、身長に差があり過ぎて、エスコートではなく子守にしか見えない。そんな事も理解せず、エスコートを求めてくる。みっとも無い」
王子様は、いつも優しく手を取ってくれていた。
内心を隠してくれているなら、何の問題も無かった。
「時折、酷く憔悴した顔で会いに来る。正直、不気味で顔を見るのも嫌だった」
王子様は、お勤めの事を知らない。
内心を隠してくれているなら、何の問題も無かった。
「王子である私が護衛なしで学園に通っているのに、貴様だけは物騒な護衛が常に張り付いていた。物々しくて、学園生活を楽しむ妨げだった。距離を置こうとしても、構わずに近寄ってくる」
王子様が、ほんの一瞬だけ顔をしかめる事があった。
内心が隠しきれていない事が、あった。
「それほど嫌がるなら、最初に断って下さればよかったのに……」
そもそもの頼みが、茶番であることを承知で付き合ってくれる王子だった。
「時期国王の座が確約されると聞いたから受け入れただけだ。これ程、面倒な相手だとは思っていなかった。後で婚約を解消させてほしいと父上に言っても、それは無理だの一点張り」
婚約解消は、色々な意味で無理だろう。
婚約の後に聞いた話なのだが、現国王と第一王妃は王子様……第一王子を溺愛しており、次期国王にしたいと考えているそうだ。
私の婚約者役となった者には、私の一族が後ろ盾になるという特典が付く。
この茶番を好機として、第一王子を次期国王にするつもりだったのだろう。
しかし、婚約の解消なんてすれば、一族は第一王子を敵とみなす。
王族であろうと、一族を敵に回し、無事で済む訳が無い。
当然、婚約の解消なんて認められるはずもない。
……だったら、せめて最後まで本心を隠すように言い含めて欲しかった。
「ここまで、我慢をし続けてきて、後1年の辛抱で貴様から解放される。それは分かっているのだが、私にはその1年が我慢できそうにない」
そこまで、私の事が嫌いだったのか。
「私には、貴様の様な偽物ないではない、心から愛する人が居るからな」
「うっ…………」
王子様の言葉が衝撃的だったのか、私は強い眩暈がしてその場に崩れ落ちた。
よく見れば、倒れたのは私だけではなかった。
パーティ会場に居た人達が、次々と倒れている。
あっという間に会場内で立ち上がっているのは王子様と近づいてきた少女だけになった。
「遅くなったかしら?」
「アリア、待っていたぞ。……これで、役者が揃ったな」
アリアと呼ばれた少女は、王子様の隣に立ち、当然の顔をして腕を組んだ。
美しい少女だ。どこか、妖艶な色気がある。
「これは……一体……」
「これは、私が貴様と言う呪縛から解放されるための儀式だ。この日が来るのを、どれだけ心待ちにしていたか……」
王子様は冷たい目をして致命的な一言を私に言い放った。
「アシュリー、貴様との婚約を破棄させてもらう」
ああ、これが恋愛小説なら、最悪のバッドエンドだ。
私には、幸せな夢を見る事すら許されないのか?
「ようやく、貴方と結ばれるのね?」
「ああ、愛するアリア。もう少しで私達の望みが叶う」
2人は私の目の前で抱き合った。
もう、バッドエンドは止めて欲しい。
しかし、私のバッドエンドには、まだ続きがあった。
王子様は先程までの冷たい目とは異なる、見下すような目で私に語り掛けた。
「さて、貴様も気づいていると思うが、今この会場で意識があるのは私達3人だけだ。これは、アリアが持っていた秘蔵の魔法の道具で起こした現象だ」
「ええ、貴重な品で、かなりの広範囲に渡って眠りを与えるの。準備はとても大変なのだけど、上手く発動すれば、一時間は何をしても起きないわ。貴女の護衛達も、眠っていたわよ」
「当然、私達はそれを防げる。貴様は、話をする為に動けない程度に留めておいた」
そして気付く、この場には私を守る存在が居ない事に。
「ごめんなさいね。貴女が生きていると、邪魔なのよ」
「貴様をここで殺し、私達も眠るふりをする。賊の仕業に見せかけた、完全な計画だ」
そう言って、王子様は壁の死角から剣を取り出した。
「武器の持ち込みは禁じられていたが、会場の調査は甘かったみたいだな。ギリギリになって、貴様を呼び込んだ甲斐があったというモノだ」
最初から、殺す気で私を呼んだのか。
王子様が望むから、無理を通して卒業パーティに来たのに。
ガラガラ、と私の中で何かが崩れた。
「これで永遠の別れだ。言い残す事はあるか?伝える事はしないが、聞くだけ聞いてやる」
王子様、いや、アストンが剣を抜き、振り上げる。
アストンの行動には、実のところ何の意味もない。
私が死ねば、この世界は滅びる。
私が生き残れば、アストンは処刑される。
どちらにせよ、アストンの望みが叶うことはない。
じゃあ、私にとってはどちらが良いのだろう?
ここで死ぬか、生きてお勤めを果たすか。
お勤め?何のために?誰のために?
心の支えを失った私に、辛いお勤めをする気力なんてどこにも存在しない。
でも、ここで逃げ、一族に助けを求めた場合、お勤めから逃げる事は出来なくなる。
私の意思とは関係がなく。
なら、ここで死ぬのが良いのか?
永劫の苦しみを味わうくらいなら、ここで死ぬのも悪くはない。
私は、諦めて目を瞑ろうとした。
…………………………………………本当にこのまま死んで良いのか?
違う。絶対に違う。
私が死ぬのは良い。良くはないが、この際、良い事とする。
お勤めをしないのなら、どのみち、そう長くは生きられない。
だが、アストンよりも先に死ぬのだけは我慢できない。
アストンに、ほんの一時でも満足されるのが気に食わない。
アストンが無様に死ぬまで、死んでやりたくはない。
なら、やる事は決まっている。
「私は流れる水」
「……? 何を言っているのだ?」
アストンが怪訝そうな顔をする。
「流水は一か所に留まらず、常に動き続ける。毒を流しても、いずれは澄んだ水が再び流れる。それは、私も同じ。……私の回復力を甘く見ないで!」
「何!?」
私は立ち上がると、すぐに魔法を発動した。
「『コールエレメント』アクアウィンド!」
現れたのは流水の身を持つ乙女。
これは、アンジュリカ様から受け継いだ水と風の2属性を持つ珍しい精霊だ。
アンジュリカ様は、彼女をアイーダと呼んでいた。
ごめんなさい、アンジュリカ様。
世界を守るために貴女から受け継いだ力を、真逆の事に使います。
「な、何だこれは!?」
「これは精霊……。まさか、これほどの力を持つ精霊を従えていたとは……」
驚く2人を前にして、私は精霊に身体を包まれる。
精霊の力があれば、王子様を退けることは出来るだろう。
でも、アリアと言う少女は底が知れない。まともに戦って、勝てる気がしない。
だから、私は逃げる。
最後に渾身の力を込めて叫んだ。
「……こんな国、滅んでしまえばいい! ……こんな世界、滅んでしまえばいい!」
「逃がすか!」
私が身を翻すのと同時にアストンが剣を振るうが、それはアイーダに阻まれる。
「ぐっ……!?」
直後、流水の乙女に何かが刺さり、その痛みが私にまで届いた。
これは、まさか……呪い?
逃げつつ振り返ると、アリアが投擲を終えた格好をしていた。
その顔に堪えようもない喜びを覗かせて。
パーティ会場を飛び出した私は、無我夢中で進んだ。
走って、ではない。空を飛んで、である。
風も司る精霊であるアイーダは、魔力が続く限り空を飛び続ける事が出来る。
幸いと言って良いのか、アリアは私を追いかけては来なかった。
しかし、すぐにその考えが間違いだと理解した。
追いかける必要が無かったのだ。
何故なら、先程受けた呪いは、魔力霧散の効果を持っていたからだ。
呪いは、私だけでなく、アイーダも受けている。
どちらかというと、アイーダの受けた呪いに巻き込まれた形だ。
私はともかく、アイーダは魔力が霧散し続ければ、存在を保つ事が出来なくなる。
アイーダが居なくなり、私の魔力が無くなれば、私に戦う術は存在しない。
アイーダを癒すためにも、どこか魔力が豊富で、安全な場所に逃げないと……。
そんな都合の良い場所があっただろうか?
私はこの国の地図を思い出し、必死で考えたが、思いつかない。
私の一族は長寿で、記憶力がとても良い。
だが、それは祝福では無くて呪いでもある。忘れたい事も、忘れられないからだ。
特に、お勤めの辛さが癒えないのは致命的だ。
お勤めを終えた歴代達は必ず自害したと聞く。
アンジュリカ様も既に天に召された後だ。
そうだ。アイーダはアンジュリカ様が幼い頃に出会った精霊だ。
精霊は元々魔力が豊富な場所を好む。アイーダが元々居た場所なら、回復も可能なはずだ。
「アイーダ!貴女の育った場所に連れて行って!」
「!」
アイーダは私の意図を理解したようで、進行方向を変えてくれた。
私の記憶によれば、この先は無人島が多い海域だ。
私はアイーダの生まれ故郷に到着した。
アイーダの魔力は枯渇寸前、本当にギリギリだった。
そこは、国境近くの無人島で、大した資源もないため、誰も近づかない島だ。
ただし、魔力は豊富なので、アイーダは全力で魔力の回復を行った。
私達に掛けられた呪いは永続的な物ではなく、徐々に効果が弱まっており、回復量が霧散量を越えたため、アイーダも少しずつだが快方に向かっている。
アイーダほどの被害は受けていないが、私も相当量の魔力を失った。
しばらくは、魔法を使うのにも苦労しそうだ。
私も回復力には自信があるが、それは自然回復できるものに限る。
自然に回復しない類の呪いとは相性が悪い。
しかも、魔力の回復量に関しては人並みなので、その点も相性が悪い。
ある意味では、魔力を吸収できるアイーダよりも被害を引きずる可能性がある。
しばらくの間。ここで身を隠しておこうと思う。
多分、一月ほどで破滅が現れるだろう。二月経てば、この世界は終わるだろう。
アストンと国が滅びる様を見て、私も生を終えようと思う。
一族の者は、本当に危険だと判断したら、秘宝を使い空へ避難するだろうから、滅びる事は無いだろう。
お勤めは嫌だが、アナスタシア達に死んでほしいとまでは思っていない。
さて、そんな私の現在の格好だが、半裸と言って差し支えない状態だ。
具体的に言うと、シルクのパンツ一枚しか纏っていない。
木々が生い茂る無人島で、ドレスなんて邪魔以外の何物でもない。
島に到着した時点で脱いだ。
こうして、一人の少女が文明を失った。
アナスタシアに見られたら、何と言われるのだろう。
ただ、それ以外の生活環境を整える事は、それほど難しい事ではなかった。
魔力は大幅に減っているが、最低限の魔法は使えるし、図鑑で動植物に関する知識もある。
アイーダがこの島に関する知識をある程度持っていたというのも大きい。
雨風を凌げる小屋と、多少の食料の備蓄もある。
そもそも、雨も風も私にとっては害ではないのだが……。
問題があるとすれば魔物の脅威だ。
アイーダがこの島に居た頃には、かなり危険な魔物が居たそうだ。
今のところ遭遇していないし、存命かどうかも不明だが、楽観視はしない方が良いだろう。
楽観視しようが、悲観視しようが、出会う時には出会うものだ。
島に到着して一週間後、私はついにその魔物と出会ってしまった。
周囲から生き物の気配が消えたと気付いた時にはもう遅かった。
「これは……私にどうにか出来る相手ではありませんね……」
その魔物は様々な魔物が合わさった様なキメラだった。
一番大きな特徴は虎の様な頭だろうか。鳥の羽や植物のツタの様な物も生えている。
明らかに生物としての格が違う。他の生き物が逃げるのも当然だ。
アイーダと私が万全の状態でも勝てる気がしない。
万全でも勝てないのに、弱体化した私にどうしろというのか。
既に完全に捕捉されており、ゆったりと近づいてきている。
私に逃げる術がない事を理解しているのだろう。
あるいは、逃げ出そうとした瞬間に襲い掛かるつもりか。
アストンの死に様、見れそうにないな……。
それだけが無念だ。
既に生を諦めているせいか、足掻こうという気は起きなかった。
足掻いても無意味だという事は、私自身が一番理解している。
こんな時に助けてくれる王子様にも心当たりがない。
更にゆったりと近づいてくる凶獣。
虎の頭が口を広げ、鋭い牙が見える。
私は諦め、目を閉じ……。
「ギャウ!?」
凶獣は大きくその場から飛び退いた。
-ドン!!!-
次の瞬間、凶獣が居た場所に何かが突き刺さった。
「きゃっ!」
その衝撃で私も立っていられずに尻もちをついてしまった。
顔を上げると、そこに居たのは……。
「スライム?」
やたら透明度の高いスライムだった。
このスライム、どこからやってきたのだろうか?
「グルルル……」
しかし、そんな私の呑気な反応とは違い、凶獣が見せたのは明らかな怯えだった。
このスライム、それ程強そうには見えないけど……。
「グアッ!」
凶獣は怯えを見せたまま、自棄になったように跳びかかってきた。
私は目を離したつもりは無い。
それなのに、気が付いたら凶獣は縦に真っ二つになっていた。
ドサリと崩れ落ちる凶獣。
「え……?」
何も、見えなかった。
私が勝てないと思った相手が、何の抵抗も出来ずに殺されていた。
強そうに見えないけど、このスライムは尋常では無く強いのだ。
そして、そのスライムが私に跳びかかってきた。
「きゃあっ!」
死を受け入れたとはいえ、急に来られると驚く。
しかし、私に訪れたのは死ではなかった。
スライムは私の頭の上に乗って、ユラユラ揺れている。
見た目よりも軽く、全くと言って良いほど負担にならない。
触れている部分はプニプニしていて気持ちが良い。
これは、どう考えても害意の無い行動だ。
そもそも、私を殺すつもりなら、跳びかからなくても殺せただろう。
凶獣をその場から動かずに瞬殺できるのだから、私を殺すのはそれよりも簡単なはずだ。
考えられる結論は1つ。
このスライムは私を助けてくれたのだ。
「あは、ははは……」
あまりの状況に、口から乾いた笑いが漏れた。
まさか、王子様に裏切られ、魔物に殺されそうな絶体絶命の危機に、騎士が現れるとは思わなかった。
それだけ聞くと小説のようだ。
しかし、その騎士がスライムでは、恋愛小説にはどうやってもならない。
そもそも、王子様に裏切られている時点で、恋愛小説は難しいか……。
それから、私達の生活にスライムが1匹加わった。
スライムの定位置は私の頭の上だが、偶にふらりと居なくなり、魔物や獣を狩ってくる。
凶獣程ではないが、不意を突かれると危険な魔物も少なからず存在していたようだ。
スライムが居るだけで不思議と安心できる。
下手をすれば、一族の者に守られている時よりも。
スライムは何も語らないので、意志の疎通は出来ていない。
だが、その行動は雄弁に語っていた。
「お前を守る」
流行りの婚約破棄モノです。
王子様に裏切られ、世界に絶望した少女を救うヒーローの物語です。
うん、間違ってはいない。