苦労性ヒーローの災難
「じゃあ俺達もう行くから、ここで解散な。お疲れ!」
ゲロ甘な雰囲気に身を包み、叔父と寵姫もとい姫乃はイチャイチャしながら帰って行った。
何なのよ本当に。やってられない。
私はマスクを外し、素顔を晒した。もう隠す必要もなくなったし。
「えっと……何かすみません」
立ち去る後姿を眺めて呆然としたままのNo.1に、一応謝罪をした。
阿呆な身内を持ってしまったからには、嫌だけどフォローしておかねば。
この人たちも振り回された被害者。
「いや……突然のことで、何と言ったらいいか……」
「心中お察しします」
「…………」
「…………」
「帰りましょうか」
「そうだな」
周囲の黒タイツも、No.1こと一井が動き出したことによって金縛りが解けたかのように、ぞろぞろと帰路へ着く。
黒タイツの皆さん、容赦なくボコってすみませんでした。
私も帰ろうかと歩き出したが、一つ大事なことを忘れていた。
爆弾回収しなきゃ。
踵を返し、捨てられた爆弾に近づく。
モニター部分を覗き込んで、一瞬で血の気が引いた。
「ウソ! 何で!?」
「どうしたんだ」
私の悲鳴に戻ってきた一井。
黒タイツたちも立ち止まり、数人がこちらへやって来る。
「爆弾のカウントが動いてる!」
「何だと!?」
カウントは五分を切っていた。
いつ? いつ動き出したわけ!?
「おい、どうするんだ」
「逃げてください!」
「お前はどうするんだ」
「爆弾を解除します」
「そんなことできるのか?」
厳しい口調で問う一井。
私は安心させるように大きく頷いた。
「もちろん。私、あの博士の姪ですよ? 頭脳明晰なんですから」
「しかし……」
「いいから早く! この辺に民家はないから大丈夫だとは思いますが、もし途中で人を見かけたら非難させてください」
「なぜ俺達を逃がす……」
そんなこと言われたって……。こう答えるしかない。
「だってもう敵じゃないですし。いくらいがみ合っていてたとしても、命のやり取りは重すぎます」
ま、私はこれまで何度も絶体絶命の危機に陥ったけどね。
立ち去るのに躊躇している面々を無理矢理促し、人けが完全に消えた時点で大きく息をつく。
「……どうしよ、これ」
大丈夫なんて大見得切ったが、私に爆弾を解除する知識はない。さっぱりわからない。
とりあえず、作った本人に訊こう。
叔父に電話すると長い呼び出し音の後、ようやく不機嫌そうな声で応答した。
『何だよ―、いいところだったのに』
「叔父さん! 爆弾のカウントが動いているの。解除方法を教えて!」
『えー、カウント入ってる? ……そうか。無理矢理剥ぎ取ったから制限装置が外れたか』
「そんなのんきなこと言ってないで、早く教えて!」
『ねー博昭、早く来てぇー』
甘えた女の声が聞こえてイラッとする。
こっちは命の危機だって言うのに、叔父は彼女とイチャイチャしている最中のようだ。
『待てよ姫乃。なんか爆弾動いてるらしーんだわ』
『えー、もう爆発させちゃえば?』
『そうだよな』
「ふざけないで! 爆発なんてさせて大ごとにしたら、手が後ろに回るわよ!」
『そりゃ駄目だ。これから姫乃との時間を取り戻さなきゃなんねーのに、ムショなんぞ入ってられるか』
咳払いし、ようやく真面目な口調に変わる。
『その辺に白衣あるだろ? そこにドライバーとニッパーが入ってる』
白衣を引き寄せてポケットに手を突っ込み、目的のものを手にした。
「あったわ」
『まずドライバーでカバーを外せ。基板と三本の導線が出てくるはずだ』
言われるままにカバーを外し、基板と導線を確認する。
「それで?」
『カウントを止める導線は一本だけ。残りの二本は起爆装置に繋がっていて爆発する』
「で、どれを切ればいい?」
『それは……っ、コラ姫乃やめろ!』
『ねー、もういいでしょー。我慢できない』
『バカ。そんなことしてる場合じゃ……ちょ、あ……』
「ちょっと叔父さん!」
『紫、お前の好きな色……あっ、待て、くっ……』
ブチッ、ツーッ、ツーッ……
電話はそこで途絶え、何度かけても繋がることはなかった。
「ウソでしょ……」
あの女……覚えていろよ。生きて帰ったら絶対復讐してやる。
カウントは三分を切り、言いようのない恐怖と緊張感が私を襲う。
「赤、黒、紫の中で、私の好きな色……」
どの色もそこまで好きじゃないんだけど。
正直言ってお手上げだ。はっきり何色か言ってくれればよかったのに。
「もう、一体どれを切れば……」
「またまたピンチだねー、パープルちゃん」
間延びした口調に苛立つ。
チッ、今頃お出ましか、No.2。
「今あんたに構っている暇ないの。消えて」
「酷い言い草だなー。助けてあげようか?」
「あんたにわかるの?」
「わからない、かな。パープルちゃんのことなら手に取るようにわかるんだけどなー」
「…………」
「えー無視しないでー。泣いちゃいそー」
「泣けば?」
この男の相手をしているとペースが乱れる。
無視してニッパーを手にし、ごくりと喉を鳴らす。
赤、黒、紫……赤、黒、紫……
迷いながらニッパーで一本、一本と導線を刃の間に差し入れたり、離したりを繰り返す。
ああ、もう一分半しかない。
「赤、黒、紫……」
ブツブツ呟いていると突然、
「そこ!」
No.2の大声に驚き、ニッパーを持つ手に力が入った。
そのとき刃の間にあったのは、紫の導線。
パチッと音を立てて導線が切れ、モニターのカウントが消えた。
それを見て、安堵で全身から力が抜けた。
「止まった……よかった……」
「止まったねー」
口元に笑みを浮かべ、嬉しそうな男に尋ねる。
「何で紫ってわかったの?」
「だってパープルちゃんの色でしょ?」
当たり前のように言う男に、全身が真っ赤になるほど恥ずかしくなった。
一体何よ、この男は……。意味わかんない。
さっきまでの緊張は嘘のように、何となくほんわかした雰囲気に包まれた。
ところが「ピーーッ!」という音の後、消えたはずのモニターが動き出した。
三十秒から再びカウントが始まる。
「えっ、嘘! また動き出した!」
「あーらら。じゃあ紫じゃなかったんだー」
「『あーらら』じゃないわよ! どうするのよ!」
「こうなったら解除は無理だね。ここでパープルちゃんと心中……アリだ」
「ナシよ!」
十、九、八、七……
逃げなきゃいけないのに、気が抜けたせいか、身体に力が入らない。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お義姉さん、甥っ子に姪っ子……先立つ不孝をお許しください……。
叔父さんたち、化けて出てやる!
ギュッと目を閉じると、身体がふわっと包まれた。
その瞬間、けたたましい爆発音と同時に爆風が全身を襲った。
吹き飛ばされて地面に叩きつけられ、息ができないほどの激しい痛みで喘ぐ。
「ゴホッ、ゴホ……っは、はぁ、はぁ……」
ひどく苦しいが、時間が経つと次第に呼吸も楽になる。
「はぁ……い、生きてる……」
そっと目を開けると、目の前が黒かった。
軋む体に鞭を打って身体を起こすと、私の身体に巻き付いていた腕がだらりと落ちる。
「っ!?」
見下ろし、目を見開いた。
黒いマスクの頭の部分に血らしきシミが浮かんでいる。
ところどころタイツが破れていて、そこから血が流れている。
傷だらけの男が、私のすぐそばに横たわっていた。
「あ、なん、で……」
頭が真っ白になった。
何で庇うの? あんた一人なら余裕で逃げられたのに。
あんなに酷い態度を取っていたのに……なぜ?
ピクリとも動かない身体を、恐る恐る揺する。
「ちょっと、ねぇ」
全く反応がなく、揺さぶる力は乱暴になる。
「ウソでしょ。ねぇ、目を開けなさいよ!」
視界が滲み、自分が何を口走っているかすら分からなくなる。
「何で助けたのよ! 馬鹿じゃないの! 私は敵なのよ! 敵なのに、ヒーローは私なのに……」
水滴がポタリと男の顔にかかる。
私は男の顔に近づき、頬に唇を押し付けた。
「起きなさいよ、バカ……起きたら、起きてくれたら私……」
一心に願いながら、目を閉じて男の肩に顔を埋める。
すると突然、
「ヒッ!?」
目尻にぬるっとした感触がし、小さく悲鳴を上げた。
すぐに身体を離すと、身体を起こし目を細めた男と視線が交差する。
「目覚めのキスをありがとー。でもどうせなら口がよかったかなー」
「な……生きて、る……」
「しかしパープルちゃんの涙は甘いねー。癖になっちゃいそう」
「な、あ、な……」
言葉が出ない。
でも、よかった……生きていた……。
安堵でボロボロ流れる涙。
きつく目を閉じて抑えようとするが、どんどん溢れてくる。
するとまたぬるっとして、少しざらついた感触。
犬にされるみたいに、涙をペロペロと舐め取られた。
やめさせなきゃいけないのに拒絶することもできず、何も言えない。
黙ってされるがままになっていると、フッと小さく笑った気配がした。
「かわいいなー、パープルちゃん」
その言葉の後にグイッと後頭部を掴まれて、唇に柔らかいものが押し付けられた。
頭が真っ白になる。しかし数秒置いて、ハッとする。
自分は今、大っ嫌いな男にキスをされている。しかも人生初のキスだ。
いけない、今度は離れなきゃ。
もがいて男を押し離そうとすればするほど、男の拘束は強くなっていく。
少しの息苦しさに開いてしまった唇の微かな隙間から、舌が侵入してきた。
経験したこともない激しいそれに、何も考えられなくなる。
「……ふっ、ん、んぅ……」
力が抜けた身体を男に預け、与えられる熱に酔いしれる。
長いようであっという間な時間が過ぎ、開放されたときはボーっと男の顔を見つめていた。
口元に笑みを浮かべた男が私の額に小さく口づけ、ギュッと抱きしめた。
「涙も唾液も蜜のように甘いね、パープルちゃん」
とてもふわふわした感覚で、耳元に囁かれた言葉が私を甘く痺れさせる。
「一度味わうとやめられないね。まるで麻薬のようだ。でも……」
男が怪しい手つきで背中から腰、お尻のラインを撫でる。
「違う蜜も味わいたいなぁー。下のお口もさぞかし美味だろうね」
その物騒な言葉は、一瞬で私を正気に戻す。
何をうっとりとして、されるがままになっているのよ。
紫、あんたこの男のこと、大っ嫌いなんでしょ?
「ねぇ、パープルちゃん……いいよね?」
私が断らないと確信した口調に、頭が沸騰してブチギレた。
「いいわけないじゃない、この変態ヤロー!!」
バッチ――ンと渾身の力を絞り、男に平手を喰らわせた。
その勢いで吹っ飛んだ男を放置し、全速力でその場から逃走した。
※※※
あの出来事から数日後。
今日は以前より軽い足取りで、バーの扉に手を掛ける。
リン、リーン
「こんばんは、マスター」
「いらっしゃい、紫ちゃん」
「……顔、どうしたんですか? 大丈夫ですか?」
マスターの素敵な顔にガーゼや絆創膏が貼られていた。かなり痛々しい。
カウンターに腰かけ注文を終えると、マスターは苦笑しながら説明してくれた。
「やんちゃな仔猫に引っ掻かれちゃって」
「猫を飼っているんですか?」
「いや。でも頻繁に会うようになってから、どうも気になっちゃって。手懐けたいからちょっかいを掛けていたんだけど、なかなか懐いてくれなくてさ」
「そうなんですか。でもわかります。つれなくされればされるほど、手懐けたくなる気持ち」
「そうだよね、わかってくれるよね」
どこか必死な彼の様子に笑いが込み上げる。
すると不思議そうな顔を返された。
「ん? 笑ってどうした?」
「その仔猫、相当かわいいんだなぁ~って」
「うん、すっごくかわいいよ」
優しそうな笑みを浮かべたマスターの顔に、胸がキュンと締め付けられる。
いいなぁ、その仔猫。マスターにこんなに想われて。
その仔猫になりたい……って、夢見すぎ!
私なんて相手にされるわけないのに。
「それより紫ちゃん、なんだかご機嫌だね」
「はい。悩んでいたことのほとんどが解消されたので」
「そうなの?」
「悩みの種のほとんどと、仕事をしなくてもよくなったんです」
まだ数日だけど、私は解放感でいっぱいだった。
もうあのスーツを着ることはないのかと少し悲しい気もするが、人と争わなくてもいいし、何より命の危険がなくなることは喜ばしい。
「ほとんどって、まだ悩むことがあるの?」
「…………」
唯一残る悩みの種を思い出し、先程までの楽しさがしぼんだ。
面倒な三角関係も、やる気の無いフリーターも、馬鹿な叔父も嫌味な敵、そのぜーんぶから解放されたのに、私の心は一番厄介な奴に不法占拠されている。
私のファーストキスを奪った憎き敵(本当は敵じゃないけど、やっぱりあいつは一生敵)、No.2のことが頭に貼りついて離れないのだ。
何だかんだいつも助けてくれるなーとか、抱きしめられたときの胸板がいい感じだったなーとか、キスがものすごく上手かったなー……って、私マスターのことが好きなのに、何であんな男のこと考えちゃうわけ?
思考回路が完全にあの男に汚染されたことで頭が沸騰した私は、目の前に置かれたグラスを一気に煽る。
「お代わりください」
「紫ちゃん、一気飲みは身体に悪いよ」
「マスター、今日はじゃんじゃん飲みます。早くお代わりください」
おいしいお酒をいっぱい飲んで、マスターの素敵なお顔を目に焼き付けて、マスターと楽しくおしゃべりすれば、あの男のことなんて一瞬で消え去る。
うん、そうに決まっている。
心配そうなマスターから差し出されたグラスを奪うように貰い、一気に飲み干した。
※※※
数時間後――――
「ますたぁー、おかありー!」
紫は完全に出来上がっていた。
「紫ちゃん、もう飲み過ぎだって!」
「いいんれすよ。のまないと、やなことかんがえちゃうんれすよ」
「嫌なこと?」
「きらいなのに、あたまにうかんできて、いすわるんれす」
「……へえ」
「むかつくのに、きらいなのに、きになっちゃって、そんなわらしがいやなんれす」
「…………」
「わらしはますたーがすきらのに」
「俺も好きだよ、紫ちゃん」
「…………」
「紫ちゃん? ……寝ちゃったか。あれだけ飲めば当然だな」
グラスを下げながら、マスターこと二階堂は紫の寝顔を微笑ましく眺める。
「……この告白、きっと覚えていないだろうね。まぁどっちにしろ、オレで頭がいっぱいなんだね。嬉しいよ、パープルちゃん」
眠る紫には、もちろん聞こえなかった。
これにて本編は完結です。ありがとうございます。
今後、番外編など更新予定です。
またお付き合いくださいね。