苦労性ヒーローの苦悩
気分転換に書きました。
ツッコミどころ満載でしょうが、かる~く読んでいただきたいです。
夜九時を過ぎた繁華街の裏通りにある小道を、カツカツとヒールの高い音を鳴らしながら足早に進む。
街灯の薄明かりを頼りに進んでいくと、とある雑居ビルに到着。左側にある階段を地下へ降りると目の前に木製の扉が出現する。
それを開けるとリンリンとベルが鳴り、客の来訪を知らせる。
その音で、扉に背を向けていた店の主がこちらを振り返った。
「いらっしゃいませ、紫ちゃん」
「こんばんは、マスター」
柔和な笑みを浮かべたマスターから勧められるまま、カウンター席に座る。
「いつものお願いします」
「畏まりました。……紫ちゃん、今日もお疲れだね」
私の顔を見て、そこらの芸能人もビックリな端正な顔が心配そうに歪められる。
黒い短髪。切れ長の鋭い瞳は一見すると冷たく見えるが、笑うと一瞬で柔らかくなる。それに体操でもやっていたと思わせる、細マッチョ。
そう、私はこのマスターにほのかな恋心を抱いている。
週二回ほど訪れるこのバーでおいしいお酒を飲みながら、マスターの素敵な顔を拝むこの時間。
毎日疲労困憊な私の至福のときである。
「ええ、まぁ……」
目の前に差し出されたウイスキーのロックを手にし、投げかけられた問いに言葉を濁す。
「仕事、キツイみたいだね。あれからどう? 例の会社の後輩は」
「……相変わらずです」
私の職業は中小企業のしがないOL。毎日伝票と格闘し、電話対応とお茶汲みに邁進中。
だがもう一つ、人には言えない仕事をしていた。マスターに愚痴っていたのは、主にこちらの話。ありえない話なので、いろいろぼかして伝えていた。
「同じ部署の後輩の三角関係に、やる気の無い後輩か。……紫ちゃん、苦労するね」
「……はい」
私のもう一つの顔、それは――――
※※※
「ワハハハハ――ッ! この国は我々、悪の秘密結社が征服してくれるわぁあああ」
黒いマスクで顔を隠して軍服に身を包み、ひらひらとマントをたなびかせる男が全身タイツの下僕たちを従え、高笑いをしている。
「そんなことはさせないぞ!!」
「ムッ、誰だ!?」
スッと現れたのは五色のスーツ、そしてマスクに身を包んだ男女。
「情熱のレッド!」
「知性のブルー!」
「優しさのピンク!」
「無邪気のグリーン」
「……パープル」
「「「「「五人合わせて、正義の戦士カラーレンジャー!!」」」」」
「出たな、カラーレンジャー! 今日こそ貴様らを地獄へ送ってくれるわ! 行け、下僕たち!」
現れた戦隊ヒーローを見下し、全身タイツに命令するのは秘密結社の幹部、No.1である。
No.1は精神攻撃を得意とする。その威力はすさまじく、やはり幹部の中でトップの地位に君臨するだけはある。
「お前らみたいな下っ端に負けるか!」
カラーレンジャーはどこから湧いてくるのか謎である全身タイツを片っ端から片づけていく。
全身タイツの屍が山のように積まれ、五人揃ってNo.1に対峙する。
「どうだ! 今日こそお前を倒す!!」
「ぐぅううう。小癪な……」
マスクの下の苦々しそうな表情を見て、今日こそ倒せる! といつも思うのだが、油断は禁物。
ここからが問題なのだ。
すると世間話をするかのように男が口を開く。
「……そうそう。この間の金曜日の夜、我が下僕の一人がな、見たそうだ」
「……何を言っている?」
「ブルーがラブホテルへ入って行くところだ」
「なっ……」
絶句するブルー。そもそも敵に素顔がバレている時点で終わりだ。
「随分お楽しみだったようだなぁ。チェックアウトぎりぎりまで粘っていたな」
No.1、お前は監視をつけているのか。
全身タイツ、断れよ。プライベートは大事にしろ!
「で、どうなんだ? ブルーの技は」
「一体誰に訊いている!?」
声を荒げるレッドに、No.1は爆弾を落とした。
「そこにいる貴様に決まっているだろう。……なぁ、ピンク」
瞬間、場の空気が凍った。
「ピ、ピンク……嘘だろ……」
動揺するレッド。
黙り込んでレッドから視線を外す、ブルーとピンク。
「さぞかし楽しいだろうなぁ、ピンクよ。レッドと付き合いながらブルーをも手玉に取るとは。稀代の悪女だな」
心底愉快だと言わんばかりにニヤニヤ笑うNo.1。
すると顔を真っ赤にしたレッドがブルーの胸倉を掴んだ。
「ブルー、お前ふざけんな! 俺とピンクが付き合っていること知ってるくせに!」
「お前がピンクを放置しているのが悪いんだ。隙があるなら奪って何が悪い」
「何だと!?」
「やめて! 二人とも、私のために争わないで!」
元から一触即発だった三角関係が今、爆発してしまった。三人はもはや戦いどころではない。戦う気配すらない。
これで戦力は五から二に減る。
「ワハハハハ! グリーンにパープル。次は貴様らだ!」
こっちに視線を向けられ、焦っていると……。
「あー、悪い。俺、そろそろバイトだから帰るわ」
「ちょ……グリーン!?」
あくびをしながら気怠そうに帰って行くグリーン。
突然のことに開いた口が塞がらない、一人残されたパープル。
No.1は滑稽すぎて笑いが止まらなかった。
「グハハハハ! 骨のない連中よ。パープル、あとは貴様だけだ」
「ぐっ……」
パープルは絶体絶命のピンチに陥り、冷や汗が止まらなくなった。
※※※
思い出すだけで舌打ちしたくなる。
そう。私のもう一つの顔は、正義の戦士カラーレンジャーのパープルだ。
しかし正義の味方とは名ばかり。実際は毎度中ボス戦になる前にチーム崩壊に陥るという、何とも情けない戦隊ヒーローだ。
もちろん微妙な三角関係にはいち早く気づいていたし、何とかしようと努力はしてみた。
しかし残念なことに、その努力は実らなかった。
レッドは『恋は盲目』のごとく、No.1に指摘されるまで何一つ気づいていなかった。それゆえわざわざ告げ口のような真似をするわけにはいかず、結局放置。
ブルーにはやんわりと忠告したが、「関係ない人は黙っていてください」と軽く一蹴。
ピンクに至っては「かわいすぎる私が悪いんですぅ~」と、めそめそ泣かれる始末。
残るグリーンは苦労人で、バイトを四つ掛け持ち中。戦士の報酬など微々たるもので、生活が懸かっている彼にこちらを優先しろとは強く言えないのだ。
このチーム編成になってからの対戦成績は全敗だった。
二十代後半で、『結婚即退社が暗黙のルール』の中小企業ではお局に片足を突っ込んでいる私が、なぜ戦士などしているか。その理由は簡単。実家の裏稼業だからだ。
十代後半で始めた戦士はもう十年以上やっていて、今ではチーム内のまとめ役もとい世話役兼尻拭い役だ。
「もう辞めたいです」
「退職の意志は会社の上司には伝えたんだよね?」
「はい。でも認めてくれなくて……」
※※※
「叔父さん! 私、もう戦士辞めたいの。いつもいつもNo.1のチクリのせいで修羅場になるし、グリーンはやる気ないし。こんなんじゃヒーローなんて言えないよ!」
「おい、パープル。今は叔父さんじゃねぇ。御湯ノ水博士って呼べっつーの。……じゃあお前を除いて、またメンバーチェンジでもするか」
四十代半ばにしては若々しい顔を思案顔に変え、あごひげを無意識に触る。
「メンバーチェンジじゃなくていい。私を辞めさせてくれれば」
「アホか。おめーは先祖代々戦士の血を受け継ぐ者。おめーが抜けたら話になんねーよ」
「じゃあ他の親戚の子でも連れて来てよ」
「直系がここにいるのにか?」
「あのね、叔父さん。私、アラサ―なの。そろそろ結婚を考えるお年頃なの。こんな弱っちぃヒーローなんてしている暇があったら、婚活したいの」
「そんなの、おめーがピンク時代に男を捕まえないのが悪い。おめーの父親も兄貴も、戦士時代にピンクをゲットしてさっさと結婚したぞ」
グッと言葉に詰まる。痛いところを突かれた。
「でもでも私がピンクだった頃、ロクでもない男ばかりだったもの。好きになんてなれなかったよ」
私のピンク時代のレッドはロリコン、ブルーはゲイ、グリーンは熟女好き。
恋愛対象になるはずがない。
「それなら今の戦士でもいいんじゃね? 結婚が理由じゃなきゃ、戦士をやめることは許さねーよ」
「冗談じゃないわよ。いくつ年下だと思っているの!? それに誰と付き合えって!? レッドとブルーはピンクを巡って修羅場なのに」
「グリーンがいるじゃん?」
「やめてよ。戦闘放置してバイトに行く男なんて。それに万年寝不足の三年寝太郎よ。婚活したいから辞めたいのに、結婚じゃなきゃ辞められないなんて……。私、一生戦士のままになっちゃう」
「ああ、もう一つ辞められる方法があるぞー」
思いもよらぬ言葉にすぐさま飛びついた。
「え、何なに!?」
「先代レッドである、おめーの兄貴の子供が適齢期になったら」
「あと十五年もあるじゃないの! 私、完全に行き遅れじゃない……」
無性に泣きたくなった。
※※※
「結婚が理由でなければ退職は認めない、か……」
「はい……」
私の話を聞いたマスターは難しい顔になる。
戦士の情報を普通の会社に当てはめると、かなりおかしい。一身上の都合が退職理由として認められないなど、本来ありえないことなのだ。
「紫ちゃん、彼氏……とかいないの?」
「いません。どこかにいい人いないですかね」
私の周りはロクでもない男ばかりだからな、と少し落ち込みながらながら答える。
するとマスターが急に真顔になった。
「それなら、俺はどう?」
「えっ!?」
まさかの言葉にドキンとする。
でも落ち着け。これはきっとお客に対するリップサービスだろう。
「ま、またまた~。マスター、冗談ばかり言って」
「ははっ、ごめんごめん」
苦笑して謝るマスター。安堵とともにズキンと胸が痛む。
マスターみたいな素敵な男性だったら、私みたいな女じゃなくても素敵な人が選り取り見取りだもの。
一瞬本気にして喜んだ自分が馬鹿みたい。現実見なきゃね。
「それより、自分の部署のことだけじゃないんだよね。紫ちゃんの悩みの種」
話題が変わり、また表情が曇るのがわかる。
そうなのだ。内輪だけでも厄介なのに、もう一つ面倒なことがある。
「ええ。隣の部署の人なんですけど」
「さっき言っていた後輩の修羅場に火をつける人?」
「いえ、別の人で……」
※※※
「さあ、パープル。どうする。もはや貴様に味方はいない」
No.1に追い詰められ、後退りしながら必死に考えを巡らせる。
倒したはずの全身タイツも復活し、崖の淵まで追いつめられる。
なぜ崖があるかと言われれば、戦闘は周囲に人けがない山奥でするからだ。
冷や汗をダラダラ流しながら、一人でもやるだけやってやろうと武器を取り出す。
「えい!」
爆弾を敵のそばに投げ落とす――――が、
ボフッ
「…………」
「…………」
肩すかしかってぐらい、小さな爆発。白い煙が微かに出て、爆弾は不発に終わる。
私は羞恥で顔を真っ赤にした。
あの馬鹿博士。何が『この爆弾は爆発すれば周囲二キロが焼野原』よ。この能無し!
「フ……フハハハハ。正義の戦士など大したことはないな」
敵の高笑いに何も言い返せない。唇を噛み締め、奴らを睨み付ける。
そもそも戦隊ヒーローは、五人揃わなければ敵(ボスクラス)と戦えないわけ。一人一人の能力など、たかが知れている。
自慢じゃないが、私は特に弱いのだ。アラサ―だし。
「パープル。貴様も年貢の納め時だ。覚悟しろ!」
チラリと斜め後ろに視線を向ける。崖の下は谷底。
このスーツは馬鹿博士の特注品。大怪我はするかもしれないが、多分死にはしないだろう。多分ね。
覚悟を決め、谷底にダイブした。後ろで何か叫んでいたが、私の耳には入ってこない。
空中で体制を整え、崖から生えている木にロープを投げる。太い枝にロープが巻きつき、鋭利な鉤がしっかりとかかった。
ロープ一本に宙ぶらりんの体勢で、荒い息を整える。
「はぁ……、危機一髪」
額を流れる嫌な汗。心臓はドクドクし、これまでない緊張感が私を襲う。
私のバカ。いつもいつも退路のない方向に追い詰められるなんて学習能力がなさすぎる。
手が疲れてきたので、早めにどうにかしなきゃと考えを巡らせたそのとき。
「相変わらず危なっかしいねー、パープルちゃん」
上から間延びした声がした。
視線だけ上げると、ロープがかかる木の隣の枝に全身黒ずくめの男が寄り掛かっていた。
それを確認し、思わず舌打ちした。
「……No.2」
「やぁ、パープルちゃん。結局、今日も戦闘にならなかったんだねー」
甘い声で馴れ馴れしく私を呼びながら、そのくせ痛いところをついてくる。
悪の秘密結社幹部No.2。私が最も苦手としている男だ。
「全部見ていたんでしょう? 嫌味な奴」
「まぁね。パープルちゃんがいるところにはどこでも居るよー」
ストーカー、キモッ。
「つらそうだねー。オレが助けてあげようか?」
必死にロープにしがみつく私に、マスクに覆われていない口元に笑みを浮かべながら言う。
その申し出はありがたいが、本当は助けて欲しいが、受け入れるわけにはいかない。
「冗談。敵の情けなど不要よ!」
「本当に素直じゃないよねー、パープルちゃん」
クスクスと笑う男の声が癪に障る。
「オレ、他人に厳しいけどパープルちゃんは特別だから。お礼はベロチューでいいのにー」
「ふざけないでよ。気持ち悪い」
「酷いなー。オレは本気だよ?」
軽口を叩く男を睨みながら必死にロープにつかまるものの、すでに握力がない。
絶体絶命なのに、何でこんな呑気に話していたんだろう。やっぱりバカ。
「あ……」
ズルッと手が滑り、ロープから手が離れて空中に投げ出された。
あ、死んだ。
身体が落下するのを感じながら、私は意識を手放した。
結果的に、私は三途の川を渡らずに済んだ。
目を覚ますと、敵と戦っていた場所の草むらに寝かされていた。ご丁寧に黒いマントが身体にかけられている。
そのマントをギュッと握りしめる。
「敵なのに……何でよ」
いつもそう。
No.2はピンチのときに現れ、私の神経を逆なでるように軽口を叩く。
でも本当の命の危機には必ず助けてくれる。まるで正義の味方のように。
自分が情けなくて、悔しくて――――血が滲むほど唇を噛み締める。
「どっちが正義の味方よ。……私の立場がないじゃない」
目に浮かぶ涙を隠すように、顔をマントで覆い隠した。
※※※
「ふーん。……妬けるね」
「はい?」
不機嫌そうなマスターの表情に、何かまずいことでも話したかと思い返す。
でも不機嫌要素などどこにもなかった。
「マスター?」
「おいしいところだけ持って行くなんて、どんなヒーローだよ。ギャップで落とそうとしているのか」
No.1は隣の部署の嫌味な上役で、No.2はエース的存在と説明した。
No.2は私が困っているときに茶化してくるのに、ここぞというときは絶対助けてくれる人だと。
「で、紫ちゃんはその男のこと、どう思っているの?」
「え?」
マスターは笑みを浮かべているのに、その表情はかなり怖い。
有無を言わせない雰囲気に、渋々答える。
「えっと……正直言って苦手です」
本当は大っ嫌いですが。
私の返事に満足したのか、怖い雰囲気は綺麗さっぱり消え去った。
お酒のお代わりを出しながら、マスターはやたらと強調しながら忠告してきた。
「いい、紫ちゃん。そんな男に絶対隙を見せちゃ駄目だから」
「はい」
言われなくても、隙なんて絶対に見せない。
だって私はヒーローで、あいつは敵なんだから。